第109話 宴会と秘密(Side:Rayshield)
街道の旅でそうそう騒動に巡り遭うわけもなく、旅路は順調に進んでいった。
そして彼らの主の住む町まで僅かな距離を残した街道沿いの宿場で、彼らは旅の終了を前に細やかな宴会を開いていた。
「では、旅が無事終わることを祝って、乾杯じゃ」
年長者であるゲイルの音頭で、全員が酒杯を掲げる。
ゲイルよりも長く生きていると言う意味では最年長はアティであるし、産まれた年で言えばゲイルよりもライシールドの方が年嵩ではある。だが外見的要素を加味すればやはりゲイルが妥当であろう。
「なあライ。もしかして今日はどんなに呑んでも良い日かの?」
アティがうきうきしながら訊いてくる。実は彼女は、と言うか竜族は酒類に目がない。特に火竜種は無類の酒好きである。それなりに酒精に強いとは言え、呑む量も尋常ではないので好きに呑ませると大体前後不覚になって後の世話が大変になる。それで旅の間はライシールドの許可がなければ飲酒は禁止と約束させられているのだ。
流石に常に我慢させ続けるのもかわいそうだと言うことで、町に落ち着いた初日には大体解禁するのだが、それでもある程度のところで止めている。
しかし今日は見るからにお祝い事である。浴びるほど呑んでももしかしたら許されるのではないか、そう考えてしまったら訊かずには居られなかった。
「……まあ、今日は良いだろ。明日に引きずらないように考えて呑めよ」
その言葉に喜色満面で店員を呼び、樽で麦酒を頼む。躊躇いがちに復唱する店員にライシールドは金貨を握らせ「言う通りにしてやってくれ」と頼んだ。手の中の金貨を見て、店員は慌てて首肯すると厨房へと駆け込んでいった。
暫くして一抱えはある樽を二人係りでアティの側に運ぶと、彼女は嬉々として樽の上蓋を打ち割ると柄付木杯で直接麦酒を掬っては美味しそうに呑み始めた。
「アティ殿はまあ、色々と規格外なので今さら驚きはせんが、中々に豪胆な呑みっぷりじゃの」
ライシールドの隣に腰を下ろし、ゲイルが話しかけてきた。アティの話題はあくまで話し掛ける切っ掛けに過ぎないようで、彼は直ぐに話題を変えてくる。
「少し込み入った話なんじゃが、ちいとばかり時間を貰っても良いかの」
「それは全員で聞く訳にはいかないのか?」
ライシールドとだけの内密な話なのか、単にたまたま一人の時に話を振ってきただけなのか。
「お主の仲間なら問題はないと思うんじゃが、少し繊細な話でな。出来たら聞く人数は少ない方がありがたいのぅ」
判断は任せる、と言うことだ。
「俺一人では判断できないな。レインとロシェが一緒で良いなら話を聞こう」
一番信頼のおけるレインと、最も大人の対応が出来そうなロシェを側に置くことで、ややこしいと思われる話の対応に備える。
もう一人の大人なククルにはアティとヴィアーを任せておくことにした。そちらの様子を伺えば、アティはご機嫌で痛飲中だし、ヴィアーはククルと仲良く料理に舌鼓を打っていた。ライシールドと目があったククルがこちらは任せろとばかりに軽く頷く。良く出来た子供である。
「では、いかがいたしますか? 場所を変える必要があるなら、今日泊まる部屋に移動してもよろしいですが」
「……そうじゃな。そこまで警戒せんでも良いとは思うんじゃが、お主達がそれでも良いと言うのなら、場所を移させてもろうてもええかの?」
ゲイルとビリーが先に席を立ち、アティ達の気が逸れた隙を付いてライシールド達も席を辞した。
宿に併設されている酒場兼料理屋なので直接部屋へと移動出来る。途中擦れ違った店員に料理や酒の追加があったときに代金に当てるよう金貨をもう一枚手渡す。
八人と言う大人数とは言え、一晩に金貨二枚も飲み食いできる客など今まで来たことがない。一体どんな御大尽かと厨房は大騒ぎになったが、それはまた別の話。
「それで、どんな厄介な話なんだ?」
開口一番、面倒事と決めつけるライシールドの言葉にゲイルは苦笑し、ビリーは目を伏せる。
「そう決めつけるでないわ。ワシらが厄介事しか運んでこぬように聞こえるじゃろうが」
「事実ですわね」
雪山で大熊を連れて現れ、治癒薬の譲渡の為に同行を余儀なくされ、共に泊まった町では不祥事に巻き込まれた。彼らに関わりの無いところで起きた事柄もあるが、この際それは関係ない。
対する益は道案内のお陰で旅程が短縮されたことくらいだ。
そしてここに来てこの密会の誘いである。警戒してしかるべきだろう。
「辛辣じゃな。まああながち間違ってもおらんからのぅ。話す内容は大きく二つじゃ。告白とお願いじゃな」
ビリーがゲイルの後を次いで話す。
「もしかしたらもう気づいているかもしれないが、私は冒険者のビリーというのは仮の姿だ。本当はこの辺りを治めるコルトブル子爵家に名を連ねている。一応継承権もある直系だ」
ゲイルの主と言うのがその子爵家の当主に当たる者らしい。何事かで大怪我を負い、一時はいつ亡くなってもおかしくない程に危険な状態になったそうだ。
だが、貴族だからと言って身分を隠すには理由が弱い。
「ビリーと言うのも仮の名前でな。本当はビクトリアと言う。コルトブル子爵家の長女に当たる」
身体を覆い隠していたマントを脱ぐと、いつもと違う女性らしい服装に着替えた姿が現れた。線の細さも非力なのも、整った容姿も女性であると認識してみれば納得であった。首の後ろで縛っただけだった長い髪も解かれ、少し癖のある金髪がふわりと広がった。
「貴族の女性が冒険者の真似事など、悪評が広がるだけで益の無い話なのでな。身分を偽り性別を隠しておると言う訳じゃよ」
淑女足るべき貴族の娘がする行いとしては、確かに外聞が悪い。
「悪いが俺は貴族がどう言うものか良くわからない。俺の産まれた土地には貴族なんてものはいなかったからな」
ライシールドの生まれ育ったあの村は犯罪者とその子供の住む村であり、貴い血を引く者たちは遥か支配領域にしか存在しなかった。村の目の前に広がる森は砦を護る者の僕たちが跋扈し、時折彼らの主が気まぐれに森を徘徊する。常に命がけの領域では命の価値は等しく低かった。
剣の勇者大陸の貴族がどういう存在なのかという事よりも、そもそも貴族というものがどういう役割を持ったものなのかすら良く解っていないのだ。ライシールドの中では貴族とはただの地域支配者という認識でしかない。その直系の女が剣を、杖を手に敵と戦うことの何が恥ずべきことなのか。支配する地域を災厄が襲ったとき、それと先陣を切って戦うのが領主たるべき姿ではないのか。
ライシールドがそう問いかけると、ゲイルは微妙な顔をする。
「それは激動の時代の貴族の矜持じゃのぅ。今の安定した大陸では、そんな高尚な志を持った者などそうはおるまいて」
今の貴族は領地を如何に発展させ、民を豊かに出来るかが問われる。戦いがまったく無い訳ではないが、その際に矢面に立つのは基本的に貴族では無い。戦うことを職業とする兵士であり、命を金に換算する傭兵である。そもそも戦場に立つ貴族はそうは多くないのだ。戦地に赴いても、後方の陣で指揮を取る場合が殆どである。
「ライ、話が進まないからそういうものだと納得して」
上に立つものは一番危険な場所に自ら赴くものだ。そう信じているライシールドからすると納得は出来ないが、場所と時代が変われば同じものでも意味や姿を変えるということは最近は理解できるようになった。レインがそういうものだと言うのなら、それで良いのだろう。
「所で、私が女であるということに対して誰も言及しないというのはどういうことなんだ?」
ビリー改めビクトリアの問いに、ロシェもレインも、ライシールドでさえ何を言っているのか解らないといった顔を向けた。
「いや、それは最初から判っていたようだぞ? 俺は最初は気付かなかったが、何日か旅路を共にしているうちに直ぐに気付いたし」
ビクトリアは極力肌を見せない。用を足すときも身体を拭き清めるときも必ず一人で目を避けて行動していた。物腰や言葉遣いの端々に僅かに女性らしさが滲み出ていた。
「何より匂いが違うそうだ。男と女では」
ライシールドの言葉に若干頬を赤らめ、ビクトリアは自らの腕に鼻を近づける。自分では特別おかしな匂いは感じないのだが、やはり他人にはわかるのだろうか。
「匂いで判断したのはヴィアーとククルです。普通は判らないのでそこは気にする必要はありません。あの二人は少し特殊ですから」
女性である以上、己の体臭は気になるものだ。ロシェの補足にほっと胸を撫で下ろすと同時に、男性の前で腕の匂いを嗅ぐ等とはしたない行動を取ったことに再び顔を赤くする。
「まぁ、要はバレバレじゃったということじゃな」
「普通にすれ違った程度なら判らないと思うぞ」
肩を竦めるゲイルに、ライシールドが答える。
見た目は線の細い優男で何とか通る。やや擦れ気味な声も容姿を整えれば男性だと主張出来なくもないだろう。すれ違い、買い物等で短く会話する程度なら問題は無い。
「お主らがビクトリア嬢の事を判っていたとしても、ワシらは筋を通す為にこの秘密を伝えたんじゃ。無論こちらが勝手に教えた話じゃ、出来る事なら口を噤んで欲しいが、判断はお主らに任せるよ」
割と自信のある男装を看破され、ビクトリアは若干落ち込んだ顔でゲイルの言葉に追随して首肯する。
「で、二つ目の話というのは何だ?」
ビクトリアの素性については理解した。理解したうえでどうでもいい話だとライシールドは判断した
「うむ。二つ目の話なんじゃがな……」
ライシールドに合わせて話題を切り替え、ゲイルは二つ目の話のために口を開くのだった。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回投稿は12/15の予定です。