第104話 接収(Side:Rayshield)
今日も何とか書きあがりました。遅れて申し訳ありません。
先ほど店主に色々と教わりながら馬の手入れもさせてもらった。刷毛で丁寧に鋤かれ、汚れなどを落とされた馬は見違えるほど綺麗になっている。
全体的な毛色は栗毛で、鬣と尻尾は黒っぽい焦げ茶色をしている。馬車を引く二頭と比べると一回り程小柄で、歳も若いお陰か回復し始めてからは霊薬の効果もあってみるみる元気になっていた。
今は手綱を持つライシールドの側を彼の歩速に合わせて進んでいる。ヴィアーはライシールドの後ろでマントを掴んで着いてきている。
馬車の方はアティとククル、それにビリーが車内に乗っていて、ゲイルとロシェが御者台に座っている。ダンは斜め後ろから徒歩で着いてきている。
「忘れ物はないかの」
町の出口が見えてきたところでゲイルが馬車を止め、最終確認をする。途中食料や消耗品などを買い込んだので、特に不足もないだろう。
「こちらは大丈夫だ」
そもそもライシールドの銀の腕輪の中に相当量の食料や消耗品が保管されている。別段慌てて用意せねばならないものなどない。
「よし、じゃあ出発するとするかの」
再び馬車を動かし、一行は町の出口へと向かった。
「相応の金額は支払う。その馬と馬車を接収させてもらうぞ」
町の出口でライシールド達は足止めを食らっていた。鉱山で大量の氷水晶が発生して運搬が間に合わないらしい。積み荷と荷馬車、それに馬まで買い上げても黒字となるため、強引とも取れる買い取りに踏み切ったようだ。
「断らせてもらおうかの。馬車も馬も必要だから所有しているんじゃ。金を払うと言われても頷けんよ」
ゲイルがやんわりと拒否する。槍を持った領主の兵士達が馬車を取り囲み、隊長らしき男が一歩前に出ると淡々と告げる。
「勘違いしてもらっては困る。我々はお願いしているのではない。この町から出るためには馬と馬車を売っていけと言っているのだ」
中々に無茶なことを言う。周りを見れば、思わぬ大金に喜ぶ者もいれば、大切な商売道具を奪われて途方にくれている者もいる。
我慢して馬車と馬を受け渡し、金を受け取るのが正解なのだろう。だがライシールドはここまで懐かれれば当然といえば当然なのだが、既に栗毛の馬に愛着を持っている。身内と認めている以上、少なくとも金銭の授受を持って手放すということは出来ない話だ。
「ゲイル。そちらの馬と馬車は好きにしろ。俺はこいつを手放す気は無い。場合によっては押し通る」
ライシールドは栗毛の傍に寄ると、マントの下でレインと同期する。
「ふむ。ワシもこの二頭には感じるものが無いでもない。出来れば地元まで連れて帰りたい所じゃの」
方針は決まった。そもそも町の領主程度が出せる命令の範疇を大きく逸脱している。従う謂れのない命令など受け入れてやる義理はない。
ライシールド達の不穏な空気を感じ取ったか、馬車の周りを兵士達が取り囲む。隊長が「抵抗するようなら強制的に接収するぞ!」と腰の剣に手を掛けて怒鳴る。
「ここの領主殿は些か欲が深いようじゃな。一領主に許された権限を随分と逸脱しているようじゃが、この命令は本当に領主殿の出した物なのかのぅ?」
「当たり前だ!」
即答する隊長の周りの兵たちは若干顔色が悪い。ゲイルは何か感づいたようで、顎の不精鬚を撫で擦ると目を細める。
「そうか。お前達の独断じゃな? ここで騒動になれば領主殿の耳に入るぞ」
馬車を取り囲む兵達に明らかな動揺が走る。あからさまに浮き足立つ兵達を隊長が怒鳴りつける。
「何を動揺している! どこの馬の骨とも知らぬ爺一人に情けない姿を見せるな!」
隊長が抜剣する。釣られて周りの兵たちも槍を構える。馬車に向けて突きつけられる槍を見て、ライシールドが動いた。
「翅脈の腕」
ヴィアーに手綱を投げ渡すと神器【千手掌】を起動。蛇腹の腕を生成して牙の剣と蟻人兵の剣を抜き、次の瞬間には馬車を囲む槍衾が一斉に斬り飛ばされた。
「俺の仲間に武器を向けたんだ。相応の対価を支払ってもらうぞ」
馬車の前で双剣を構え、ライシールドはそう宣言した。馬車の後ろ側ではダンが二メルはある太い鉄の棒を振り回して槍に対抗している。同じ長物同士、突き出しては弾かれ、弾いては突き出しと互いに牽制しあい、勝負は膠着している。
「そこの餓鬼は俺がやる。お前らは爺と女共をやれ!」
隊長がライシールドの前に立つ。残った兵はダンに抑えられている後方の人員を除いて十人。半数が馬車を囲み直し、半数が栗毛と共にいるヴィアーに槍を向ける。
「ヴィアー、ロシェ、いけるな?」
ライシールドの確認に二人は頷く。ヴィアーは両手の手甲から三本の半透明の分厚い爪を生やし、栗毛を背後に庇うようにして構える。ロシェは御者台から飛び降りて長剣と小円盾を構え、兵達に獰猛な笑みを向ける。
「余所見とは余裕だな!」
隊長が剣をライシールド目掛けて振り下ろした。ロシェの方を振り向いていたライシールドは隊長を見ることなく牙の剣で振り下ろされた剣を防ぎ、剣と剣の接点を軸に半回転、左手の剣で隊長の左脇に振り下ろす。隊長は既の所でその剣を交わし、一歩下がって距離を取ろうとする。それを許さじと追撃するライシールドに、隊長は空いている左手を腰の後ろに回し、手首を撓らせて何かを投げつけてくる。
ライシールドは粉状の物を諸に顔に被り、思わず目を閉じる。視界を潰されたライシールドは素早く数歩下がり、隊長の剣の届く範囲から離脱する。
「は! 逃がすかよ」
目を潰して油断したのか、隊長は距離を取ろうと下がるライシールドを無造作に追い、追撃の一撃を振り上げる。
「死なない程度に痛めつけてやるよ」
下卑た笑いを浮かべて剣を振り下ろし、辺りに鮮血が散る。そして宙を舞う一本の腕。
「ぎゃあああっ!」
剣を握ったまま飛んで行くのは隊長の右腕。ライシールドは目を閉じたまま牙の剣を振り上げ、相手の腕を切り飛ばした。だくだくと血が流れる腕を押さえて絶叫する隊長の鳩尾を剣の柄で殴る。隊長は白目を剥いて口の端から泡を噴いて気を失った。
ヴィアーは背後の栗毛を気にしながら、目の前の五本の槍を睨みつける。
「まだ青臭いが見た目は綺麗なねぇちゃんだな。取り押さえたらじっくりと身体検査でもしようぜ」
厭らしい笑いを浮かべる兵達の視線を半眼で睨みつけ、身震いする。
「ライと違う。この人たちはちょっとイヤだ」
一刻も早くその視線から逃れるべく、ヴィアーは行動する。
「狐族幻惑、隠身」
ヴィアーの姿が掻き消える。溶けるように消えたヴィアーの姿を探して兵たちは槍を構えたままで右往左往する。ヴィアーを見つけられないまま一人が当身を受けて気を失い、一人が腹を強打されて悶絶し、一人は両腕の関節を外されて武器を落として、一人は側頭部を蹴り抜かれて意識を手放した。
「なんだ、何なんだよこれは!」
姿無き攻撃者に恐怖し、出鱈目に槍を振り回す。突き出した槍が硬質な何かに当たる感触がした瞬間、彼の手から槍が弾け飛んだ。顎を下から突き上げられ、一瞬身体を浮かせて男は白目を剥いて顔面から地面に突っ伏した。
ロシェはまるでお手本の様な綺麗な動きで一人の槍を盾で受け流し、一人の槍を剣で捌いた。三人目が突きを出してくる前に最初の二人の身体が盾になるように位置を調節する。三人目が攻め倦ねている間に四人目と五人目がロシェの左右に回り込み同時に突きを放つ。
「甘いですわ」
身体を半回転。一方を身体の横に素通りさせ、もう一方は盾殴で弾き飛ばす。体勢を整えつつある一人目と二人目の後頭部に盾殴を叩きつけて昏倒させる。
「大人しく降参してくださるのなら、皆さん痛い思いをせずに済みますが、如何いたしますか?」
にっこりと天使の微笑で脅迫する。一人は槍を投げ捨てて両手を挙げて降参の意を示し、二人は生唾を飲み込んで恐怖を飲み下し、ロシェに槍を構える。
「警告はしましたわよ」
一方の槍を剣を振り上げて叩き上げる。もう一方が突き出す槍を盾で受け止め、腕を捻って槍を弾く。叩き上げられた槍が勢いよく振り下ろされるが、ロシェはそれを半歩ずれて交わし、前傾姿勢になった兵の横っ面に強かに盾を叩きつける。顎と頬骨が砕ける音と共に兵は地面を転がり動かなくなった。
残った一人は半泣きになりながらも職務を果たすべくロシェに鋭く突きを放つ。ロシェは剣で捌き、盾で流し、身体を捻って避けると盾と腕で槍を挟み込む。普通なら大の大人でも出来そうもない槍折りを梃子の力で達成した。槍を素手で折ると言う芸当に唖然としている兵の背後に回ったロシェは、盾を脳天に叩きつける。痛みと衝撃で兵は意識を手放し、立っているのはロシェと降参した男だけとなった。
「大人しくしている分には危害は加えません。ご安心を」
ロシェは怯える兵にそう言って微笑を向けるが、目の前の惨状を彼女が作り出したということが判っているだけに安心なんてとても出来たものではない。
「ぎゃあああっ!」
ライシールドの戦っている辺りで男の悲鳴が聞こえた。恐らくあちらでも戦闘に蹴りがついたのであろう。
「混乱している間に町を抜けるぞ! ダン、おぬしも馬車に掴まるんじゃ!」
後方で一人、ひたすら兵の相手をしていたダンが「了解!」と答えると馬車の扉に手を掛けると馬車の中に滑り込む。ライシールドは栗毛に跨りヴィアーを背後に乗せて馬車の後に続いた。
町と外を隔てる門を潜り抜け、一行はそのまま馬を走らせた。背後では蜂の巣を突いたような喧騒が沸き起こっている。どうやら不満を感じていた売主たちがライシールド達の行動に触発されて暴動を起こしたようだ。そちらの対処に追われ、兵たちはライシールド達を追跡する人員を確保する余裕は無さそうだ。
これ幸いとライシールド達は町を離れるのだった。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。