第103話 復活の馬(Side:Rayshield)
今日も日付ぎりぎりでした。遅くなって申し訳ありません。
店主の先導で入った厩は管理が行き届いており、獣特有の独特の臭いはあれど、耐えられないというほどではなかった。
店主が二頭の馬を小屋から出し、厩を抜けて裏手に置かれていた中型の馬車の元へと案内された。
「爺さん、この二頭と馬車で間違いないかい?」
「そうじゃな。この額の菱形のと足下が白いのとは見覚えがあるの。確かにこやつらで間違いなかろう。馬車も同様じゃ」
地元からここまでは二週間程の旅程になる。共に二週間も旅をすれば愛着も沸けば懐きもする。ゲイルがそっと馬の鬣を撫で擦ってやると、馬も気持ち良さそうに小さな鳴き声で答えた。
「元気じゃったか? 急ぎの旅でもなければ手放したりはせんでも良かったんじゃが。手放しておいてまた買い戻す等と、身勝手を許せよ」
もう一頭の鬣も優しく撫でる。
「うん。爺さんになら安心して返してやれるよ。馬を物みたいに扱う奴等は大抵まともな世話もしない。そんな主の元に返すのは忍びないからな」
店主がそんなゲイルと馬の様子を見てほっと胸を撫で下ろした。
「俺も商売でやってる以上、客を選り好んではいられないからたまに馬に申し訳ない気持ちになるんだが、今回はそういうことも無さそうで良かったよ」
生き物を扱う店主にはそれ相応の矜持があるようだ。だが生活も店の維持も従業員の生活も全て双肩に背負っている以上、時にはその矜持を曲げねばならないこともあるのだろう。
だからこそこうして馬を大切にする者に受け渡せるのは嬉しいのだろう。
「代金はうちで買い取った分の金額と今日までの世話代、餌代とでこんなもんだな」
店主の示す金額は殆ど原価の様な上乗せ額でしかなかった。
「いや、これは流石に安すぎるじゃろう。店主の所に利益が殆どないじゃろうが」
「いいんだよ。預かって一週間も経ってないってのもあるし、何よりさっき助けてくれただろ? あの後あの大男も随分大人しくなってな。無茶な事してすまなかったって頭まで下げやがった。今後は大事に世話もするからって約束までして、うちの馬を買って帰ったよ」
そう言ってちらりと後方を振り返る。ライシールドも釣られてそちらに目を向けると、先ほど彼らが通り抜けてきた厩とは別の棟の脇に、斜めに傾いだ荷台が放置されていた。
「あの荷台はうちで薪にする予定だ。問題の馬なんだが、今夜から明日が正念場だな。そこさえ越えればまだ何とかなると思うんだがなぁ」
店主が言うには、馬の状態は極度の疲労と体力の低下による衰弱死寸前と言う事だ。今出来る事は馬自身が体力を回復させ、自力で食事を受け入れられるように祈る事だけだそうだ。
「少し馬の様子を見ても良いか?」
ライシールドが尋ねると「見るくらいなら良いが、あまり触ってやるなよ」と釘を刺してくる。それに首肯するとライシールドは一人厩の中に入った。
──どうしたの? 急に。
「気まぐれだ。確かまだ霊薬が残っていたと思うんだが」
──霊薬を馬に使うなんて、普通は思いつかないよ。
呆れたような、でも肯定的な雰囲気でレインが答えた。
「……あいつなら迷わず使っている気がしてな。俺の持っている薬は全部あいつが置いていったものだ。あいつが使いそうな用途に使ってやるのが一番だろう」
──ライが真人間みたいな事を言い出した。え、なに、どっきり?
レインのからかう様な言葉を鼻で笑って返すと、ライシールドは呼吸も途切れがちな馬の傍に膝を付くと、銀の腕輪から霊薬を取り出す。
「破壊の巨腕」
神器【千手掌】を起動。蛇腹の腕を霧散させて、巨人の腕を装填する。馬の首と胸の辺りを支えて口を上に向けてやる。ライシールドだけでは大雑把な動きしか出来ない。だが同期したレインが細かい微調整をやってくれている。
霊薬をゆっくりと少しずつ流し込む。最初の少量が喉を通り、胃の中に消えてからは早かった。飲み下しながら徐々に身体に力を取り戻していく馬を見て、霊薬が空になったのを確認するとライシールドはそっと前足を地面に下ろしてやった。
小さく鳴くと、多少の疲労が残っているようで時折ふらつきながらも、しっかりと四肢を踏ん張って馬は自力で立ち上がった。
──ちゃんと効いてくれたみたいだね。もう大丈夫そう。
「回復したとは言えまだ本調子ではないだろう? ゆっくり寝て、養生するんだぞ」
首を軽くぺちぺちと叩いてライシールドは厩を出ようとした。馬はライシールドの事を引き止めようとしているようで、その襟首を咥えた。
「おーいお客さん。爺さんとの話は終わったか……ら……」
どうにか馬の口を引き離そうと躍起になっているライシールドと馬の姿を見て、店主の目が点になる。それはそうだ。今日明日が峠で、むしろ奈落に落ちる可能性の方が高かったはずの馬がぴんぴんしてライシールドにじゃれているのだ。驚かない方がおかしい。
「店主、こいつを剥がしてくれ!」
店主の姿を認めたライシールドが声を掛けるが、彼は唖然としたまま動かない。
「おい?」
「き」
わなわなと震える店主の言葉にライシールドは首を傾げる。きってなんだ。
「奇跡だーっ!」
再度声を掛けようとしたライシールドは、店主の突然の叫び声に思わず一歩後退った。馬も驚いたのか思わずライシールドを離して数歩下がる。
「さっきまで瀕死だった馬がすげぇ元気になってる! 何でだ!? どういうことだ!?」
なおも興奮する店主を宥めるのに、この後ライシールドは多大な労力を必要とするのだった。
「いや、興奮して重ね重ねご迷惑をお掛けしまして」
店主の謝罪に気にするなと答え、ライシールドは傍らの馬の首を撫でる。
「急に中に入って来いと言うのは、こういうことでしたのね」
ロシェの視線の先では、どう合っても離れないとばかりにライシールドの襟首を咥えて離さない馬と、それに対抗意識を燃やしたのか、腕にしがみ付くヴィアーの姿があった。
「少年、随分と気に入られた様じゃのう」
ゲイルがつつとライシールドの側に寄ると、耳元で「まさか治癒薬を使ったのではあるまいな」と訊いて来た。ライシールドはそれに対し「治癒薬は使っていない」と答えた。確かに嘘は言っていない。使ったのは霊薬だ。
「どうあっても離れないんだ。それで皆に来てもらったのは、こいつを俺の一存で引き取るのは身勝手かと思ったからなんだが」
反対するものはいないとは思うが、それでも旅の過程での選択肢は出来るだけ皆の同意を持って決定したい。そう思っての集合である。
予想通り、誰も反対するものは無かった。ヴィアーが本気で馬に対抗しているのは想定外だったが。
「こいつを俺が引き取るということは可能だろうか?」
ライシールドの問いに、店主は答える。
「勿論かまわねぇよ。そいつに付ける鞍とか鐙とか手綱とか買ってくれるなら、そいつの金はイラネェよ」
どうせ数日で死ぬものだと諦めていたのだ。どんな奇跡かは判らないが、何故か元気になってライシールドに懐いてしまっている。
「いいだろう。馬に必要な物を揃えてくれ」
ライシールドの言葉に「まいどどうも」とにかっと笑うと店主は物を揃えに店舗の方に消えていった。
「ライの隣はあたしのなの! 後から来てデカイ顔しないで!」
ヴィアーが馬相手に本気で抗議している。当の馬はそんなヴィアーをどこ吹く風とばかりに無視している。
「ヴィアーさん、貴女もつい先日からの縁ですのに」
ロシェが口元に手をあて、くすくすと笑う。ヴィアーはその言葉に「でも、だって」と言葉にならない不満をぼそぼそと呟く。
「ヴィアー、仲良くしてやってくれ」
「……うん。ライがそう言うなら、仲良くする」
因みにアティとククルは少し離れた所で待機している。人化した竜種だと気付いているのか馬が若干怯えるのだ。そのうち慣れてくれると思うが、出来るだけ近づかないようにしようとの配慮で距離を開けている。
「待たせたな。馬具の装着方法や簡単な手入れ、騎乗の訓練も少し教えようか? それほど難しくも無いから時間はそう取らせないと思うぞ」
ありがたい話だった。ライシールドは村で裸の馬に二、三度乗ったことはあるが、キチンとした馬具の装着も乗り方もまったく判らない。
「助かる。教えてもらっても良いか?」
「おう、まずは鞍の取り付けからだな。こうして……」
ライシールドとヴィアー、そしてロシェの三人が店主の説明を受ける。ゲイル達とアティ、ククルは一足先に馬車の方へと移動していた。ここで延々初心者講習を受けている様を見ていてもあまり面白くも無いと、先に馬車の点検のためにこの場を離れた。
「ま、馬具や日々の世話の基本的な所はこれで大丈夫だろう。乗馬に関してはゲイルの爺さんに訊いて貰えば良いとの伝言だ」
ああ見えて馬の扱いは上手いらしい。
「判った。世話になったな」
「こちらこそ。またこの町に来たら寄ってくれよ」
手を振る店主に手を振り返し、ライシールド達は馬車に向かって移動する。もう置いていかれないと解ったのか、いつの間にか馬は襟首から口を離していた。
「これからよろしくな」
ライシールドはそう言って馬の鬣を優しく撫でるのだった。
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
15/12/03
いくつか文章のおかしかった箇所を修正