R市市警事件目録 春の亡霊
一部殺人の描写を含みます。
2月23日 午前7時
A区のテレビ局で男性の遺体が見つかったという連絡を受け、R市市警の刑事であるシズカは急いで支度をしてアパートを飛び出した。駐車場に停めてある黄色い軽自動車に乗り込み、エンジンを掛けた。今日は非番だったが事件とあれば駆けつけないわけにはいかない。しばらく車を走らせると目的地であるA区のテレビ局が見えてきた。シズカはテレビ局の駐車場に立っていた制服を着た若い男性の警備員に事情を説明し、地下に駐車する許可を得た。シズカは車を地下駐車場に停め、エレベーターで4階に向かった。4階のフロア “KEEP OUT” 関係者以外立ち入り禁止の黄色いテープが張ってあった。シズカはそのテープをくぐり、廊下を進んだ。曲がりくねった青い絨毯の敷いてある廊下を進むと一つの部屋の入口に出た。その狭い部屋の中には4人の青い制服を着た鑑識官とシズカが所属する刑事課第2班を率いるリチャード警部が茶色のコートを着て立っていた。そして彼の足元には口から血を出して倒れている中年男性の遺体があった。シズカは一瞬驚いたが敬礼して中に入った。
「シズカ、非番のところ悪いが捜査に参加してほしい。人手不足なんだ。」
「はい、もちろんです。警部、状況は?」
「ああ、被害者の名前はフェリー。個人ナンバーW45932、年齢45歳。このテレビ局のディレクターだ。死因はおそらくこのペットボトルに毒物を混入された毒死だ。死亡推定時刻は深夜0時30分。この部屋はスタッフが利用する会議室だ。」
リチャード警部は床に落ちていた緑色のラベルのお茶のペットボトルを指さした。犯人はこのペットボトルに毒物を混入したのだ。そのお茶は自動販売機やスーパーでもよく見かける商品で他のお茶よりも10円ほど安いのが特徴だ。
「だとしたら警部、その時刻付近にこのテレビ局にいた人を聴取する必要がありますね。」
「ああ、だがその前に被害者の行動を確認する必要がある。まだ、情報が少なすぎる。」
するとリチャード警部のポケットに入れていたスマートフォンが鳴った。リチャード警部は失礼、と言うと電話に出た。
「ああ、トムか。…そうか、分かった。」
リチャード警部はスマートフォンをポケットにしまい、口を開いた。
「皆、聞いてくれB区のマンションで男性の遺体が発見されたそうだ。死因は…毒死だ。男性の職業は心霊研究家だ。」
シズカは驚いた。同じ日に2件の毒殺が行われることは珍しい。この二つの事件には何らかの関係があるのではないだろうかとシズカは思った。その時部屋の入口からシズカとコンビを組む先輩刑事のレオンが上着を片手に部屋に入ってきた。レオンは最近何かと1分2分の遅刻が多い。シズカはレオンに状況を説明した。するとレオンは目を丸くした。
「心霊研究家のリンシーって言ったらこないだ放送してた恐怖心霊映像連発!っていう番組に出てたぜ。確かこの局で作ってたんじゃないか?」
「もし、ディレクターのフェリーさんがその心霊番組に関わっていたとすれば二つの事件が繋がります。」
シズカはそう言った。リチャード警部は黙って頷いた。
「まずは毒殺に使用された毒物の特定を待とう。鑑識班、あとは宜しく頼む。私たちは関係者へ聴取を行う。」
シズカとレオンははい、と返事をした。
2月23日 午前9時
R市市警本部刑事課のフロアにある第2会議室の入り口には「連続男性毒殺事件捜査本部」と大きく印字された紙が貼られてあった。会議室には折り畳み式の二人掛けの机が並べられている。刑事課第2班の8人の刑事たちは机に座っている。シズカとレオンは一番後ろの席に腰掛けた。部屋の前にある入り口からリチャード警部が入ってきた。リチャード警部は前に置いてある教壇のような中央の机の前に立った。部屋の前方の壁に貼り付けられているホワイトボードには二人の被害者の写真が貼り付けてあった。フェリーは髭面で、リンシーはつるりとした顔で眼鏡を掛けている。
「まずは状況を説明する。鑑識の結果が出た。フェリーとリンシーの毒殺に使われた薬物の成分が完全に一致した。青酸系の毒物だ。よって、二つの事件は同一犯による犯行である可能性が高い。また、フェリーの持っていたペットボトルからは指紋は検出されなかった。トム、リンシーの遺体が発見された現場の状況を説明してほしい。」
するとトムが立ち上がった。
「リンシーが死亡していたのはB区のマンションの一室です。リビングルームのソファの近くでリンシーは倒れていました。周囲にはゼリーの箱とファンレターが入っていました。毒が入っているゼリーを食べて死亡したと思われます。ファンレターの内容はリンシーが書いた著書の内容を絶賛するものでした。…文面だけで判断すると男性の書いた内容、あるいは男性だと偽って書いた内容です。鑑識と相談して犯人が郵送で配達した可能性が高いと思い、室内を捜索したのですが郵送に使われた段ボール等は発見されませんでした。ですから、被害者が既に段ボールを廃棄していた、あるいはゼリーは犯人から直接渡されたものであると考えられます。」
次にスパイクが立ちあがった。
「この二人の被害者の共通点はテレビ局で作成された心霊番組に携わっていたことです。その番組のディレクターがフェリー、そしてその番組に出演していたのがリンシーでした。」
次にジャックが立ち上がった。
「聴取の結果、フェリーがテレビ局に出勤したのは22時でペットボトルはフェリーが当日に携わっていたお笑い番組で配布されたものだそうです。テレビ局で配布されるお茶はすべてこの商品だそうです。番組の収録が終了したのが0時でスタッフの控室に戻って毒入りのお茶を飲んでフェリーは死亡したと考えられます。」
リチャード警部は頷いた。
「分かった。現状ではリンシーに送られたゼリーの送り先を特定することは難しいだろう。だが、フェリーのペットボトルに毒を盛ることができたのは22時~0時にテレビ局に出入りしていた人間だ。犯人はおそらく被害者のペットボトルに毒を混入した。いや、テレビ局で配布しているお茶の商品が統一されていることを知っている人間なら、毒を混入した商品を用意し、ペットボトルごとすり替えることは容易だ。まずはフェリーを殺した犯人を特定する方が早い。その一人一人に任意で聴取を行おう。情報を集めることが必要だ。もしかしたら、犯人がペットボトルに細工した犯行の現場を目撃している人間がいるかもしれない。」
フィリップがえーっと声を上げた。
「警部、あの時間に局に出入りしていた人間って言ったら50人以上はいますよ。一人一人聴取していたら何時間かかるか分かりませんよお。」
フィリップの隣に座っていたスパイクがフィリップの着ている水色のパーカーのフードを引っ張った。
「テレビ局の内部に監視カメラが取り付けられていなかった以上、一人一人当たるしかないだろう!」
「手間はかかるが一人一人聴取するしかない。その中でフェリーとリンシーに恨みを持つ人間を探すしかないだろう。今からテレビ局に向かうぞ。」
リチャード警部はそう言った。刑事たちは了解、と返事をした。
2月23日 午前11時
刑事たちはテレビ局に到着すると、セキュリティチェックのゲートに向かった。テレビ局の入り口では身分証の無い人間以外は入ることができないようにゲートでチェックを行っている。テレビ局の1階のロビーでは局の番組のグッズを販売する店などが並んでいる。そこには小さい子どもが局のイメージキャラクターの鳥のぬいぐるみを抱えて母親と歩いていた。ここまでは一般の人間も立ち入ることが出来る。ただ、この奥に入ることが出来るのは関係者のみだ。しかし、このテレビ局は監視カメラを付ける予算も無いほど貧乏なのだろうか。確かにこの局はR市で放送されているテレビ局の中で、一番視聴率が低いと友人のエリーが言っていたことをシズカは思い出した。そして、犯行に使われたお茶も価格が安い商品だ。やはり、予算が足りないのだろう。リチャード警部はセキュリティゲートの前に立っている制服を着た警備員に声を掛けた。
「R市市警刑事課のリチャードです。捜査のために22時~0時30分の局の中に居た人間のリストをいただけませんか?」
すると中年の警備員は分かりました、と言うとゲートの横にある部屋に入った。10分ほど待つと3枚の紙を持って戻ってきた。
「これが22時~0時に局の中にいた人々のリストです。全部で56人分あります。どうぞ。赤ペンで丸が付いているのは今局内にいる人です。」
リチャード警部はご協力ありがとうございますと言い、頭を下げた。それから刑事たちの方に振り返った。
「一人あたり7人ずつ聴取を行おう。今から分担を説明する。」
リチャード警部はリストを指さして刑事一人一人に聴取の分担を説明した。シズカの担当の担当は現在局内にいる7人の清掃員だった。刑事たちはそれぞれ聴取を行うべく、ゲートを通り局の中に向かうものもいれば、局の外に走っていく者もいた。シズカは先程の警備員の許可を取り、ゲートを通った。
2月23日 午前11時30分
レオンはテレビ局の楽屋をノックした。すると中からかわいらしい女の子が顔を出した。水色の衣裳を身に付けている。
「R市市警のレオンと申します。アイドルのルイさんだよね。昨夜発生した男性毒殺事件について話を聞きたいんだけどいいかい?」
「はーい、いいですよお。できれば、手短にお願いします!」
ルイは間の抜けた声を出した。この少女は天然系アイドルとして最近デビューした子だ。自分に向かってキャラを作って話して何か得することがあるのだろうかとレオンは疑問に思った。
「まず、殺害されたフェリーさんについて聞きたいんだけど、何でもいいから教えてくれない?」
「えー、フェリーさんは私が昨日出ていたお笑い番組のディレクターさんなのですよ。まさか、殺されちゃうなんて思いませんでした。ぐすん。」
「…えーっと、フェリーさんは誰かとトラブルになっていたとかそういうこと知らない?あと、昨日の夜スタジオでおかしなことがなかった?」
「うーんと、ルイルイはむつかしいことは、分かりませんっ。よく見てませんでしたあ。」
レオンは思わずため息をついた。まさか、これが18歳の女性の本心からの発言ではないだろう。
「あのね、もう少し真面目に答えてもらっていいかな。殺人事件の捜査なんだからこっちも必死なんだよね。」
するとルイははあ、とため息をつき、レオンをぎろりとにらみつけた。目が据わっている。レオンは思わず後ずさりした。
「あーあ、めんどくさ。答えるのも面倒だから話したくないだけだし。だったら教えてあげるわよ。あの小汚いオッサン私にもセクハラしてきたし。お尻触られてマジキモかったし。あたしだけじゃないわよ。他の10代のアイドルとか女優とかアナウンサーとかとにかく若けりゃなんでもOK、みたいな。だから死んでくれてせいせいしたー。ほら、もういいでしょ。さっさと出て行きなさいよ、若作りのオッサン。」
「あー、ご協力ありがとう。それじゃ。」
レオンはルイの豹変に呆気にとられたまま部屋を出た。もうテレビでルイを見てもあの据わった目を思い出すだろう。俺はそんなに若作りか?しかし、貴重な証言を手に入れることができた。フェリーはアイドル、アナウンサーの若い女性たちにに日常的にセクハラを行っていた。それが心霊研究家殺害にどう関係するのかは分からないがフェリーを殺す動機にはなりそうだ。レオンはリチャード警部にそのことを報告した。
2月23日 午前11時45分
フィリップはテレビ局からそう遠くない女性アナウンサーの自宅に向かっていた。この女性は昨夜0時のラジオに出演していた。そして、23時にはテレビ局内にいた。
「お、ここだ。」
一軒のマンションの前でフィリップは足を止めた。A区に存在する高層マンション。家賃も高いんだろうなあとフィリップは思った。エンタランスに入り、インターフォンを押した。すると気だるそうな女性の声が聞こえた。
フィリップはエレベーターで13階まで昇り、132号室の部屋のインターフォンを押した。すると中からパジャマ姿の30代くらいのショートカットの女性が顔を出した。胸元が少し見えてフィリップは目を逸らした。
「アナウンサーのアンさんですよね。昨夜発生した男性ディレクター殺害事件についてお話しを伺いたいんですが、よろしいですか。」
「ええ、いいわよ。上がっていきなさい。」
「あ、はい。」
フィリップは靴を脱いで部屋に入った。促されるままリビングルームに入り、ソファに座った。アンはフィリップの横に腰掛けた。
「殺害されたフェリーさんについてお伺いしたいのですが。」
「ああ、あの男ね。付き合ってたわよ。5年前に。」
「ええ!?」
「でもすぐ別れたわ。あの男次々若い女をとっかえひっかえしてるのよ。最低な男。私ももうおばさんなのかしらね。」
フェリーが多くの女性にセクハラを行っていたことは先程来たリチャード警部からのメールで知っていた。
「いえ、お綺麗だと思いますけど。」
フィリップは思わずそう言った。
「ありがとう。あいつはいろんな人に恨まれてたわよ。お笑い芸人も自分に少しでも楯突いたら即降板よ。誰に殺されたって不思議じゃないわ。」
「昨日、フェリーさんに何か変わったことはありませんでしたか?」
「いえ、その日は廊下でフェリーとすれ違っただけよ。」
「分かりました。ありがとうございました。」
フィリップが立ち上がろうとするとアンはフィリップの膝の上に手を置き、フィリップを見つめた。アンの切れ長の黒い瞳に見つめられ、フィリップは思わず後ろにのけぞった。
「それにしても随分かわいらしい刑事さんね。もう少しゆっくりしていかない?時間はまだたっぷりあるわよ。」
お綺麗だと思いますけど、の一言が誤解を生んだのだろうか。アンの白い胸がちらり、と見えた。フィリップは唾を呑み込んだ。童顔のフィリップも一応男だ。こんな美しい女性に迫られて心が動かないわけがない。だが、そのことがバレればスパイクに何を言われるか分からない。
「いいえ、これで失礼いたします!ご協力感謝します!」
フィリップは逃げ出すように部屋を飛び出した。
2月23日 午前12時
シズカはテレビ局のスタジオに到着した。セット等が取り払われたスタジオを一人の老人がモップを掛けていた。シズカは老人に近づき、声を掛けた。
「すみません、スコットさんですよね。R市市警のシズカと申します。昨日発生した男性ディレクター殺害事件についてお尋ねしたいのですがよろしいですか?」
「ええ、いいですよ。」
スコットはにっこりと笑った。
「殺害されたフェリーさんについて何かご存じですか?」
「いえ、私は今月の頭から働き始めたばかりなのでよく存じ上げませんねえ。」
「22時~0時30分の間に、何をなさっていましたか?」
「私はフェリーさんがいたスタジオで掃除をしていましたよ。」
「分かりました、ありがとうございます。」
シズカはそう言い、その場から立ち去った。最近働き始めたスコットに怨恨の可能性は少ないだろうとシズカは思った。ただ、スタジオに居た以上スコットにもお茶に毒を混入するチャンスはあるだろう。
2月23日 午後12時30分
ジャックはお笑い芸人のシンジが出演している劇場の楽屋の前に居た。ノックをして返事があったので中に入った。シンジは中で煙草を吸っていた。
「R市市警のジャックと申します。昨日の男性ディレクター殺害事件についてお話しをお聞きしたいのですがよろしいですか?」
「ああ、いいよ。」
シンジはそう言った。ジャックはシンジが座っていたパイプ椅子の横の同じようなパイプ椅子に腰掛けた。
「昨夜22時30分から殺害されたフェリーさんが制作していたお笑い番組に出演していましたよね。」
「そうだよ。」
「昨日、あなたはその番組を降板させられているという情報があるのですが本当ですか?」
するとシンジは煙草の煙をふう、と吐き出した。ジャックは煙草の煙があまり好きではない。
「そうだよ。昨日、辞めさせられた。」
「原因は?」
「面白くないんだってさ。ただそれだけだ。どうせ俺達お笑いなんて使い捨てだよ。旬が過ぎればぽい、だ。」
「分かりました。では失礼します。」
ジャックはそう言い、部屋を出た。同じスタジオ内にいたシンジはフェリーのお茶に毒物を混入することは難しくないだろうとジャックは思った。
2月23日 午後16時
R市市警本部第二会議室には聴取を終えた刑事たちが続々と戻っていた。皆朝の会議と同じような席順で座っていた。リチャード警部が部屋の前から入り、中央の机の前に立った。
「皆、聴取ご苦労だった。聴取の結果を発表してほしい。まずはスパイクから頼む。」
まずはスパイク、次にトム、オリバー、ラッセルの順に聴取の結果が発表された。被害者のフェリーに恨みを抱いている女性は少なくなかった。数名のアイドルや女性芸人がフェリーからセクハラを受けていた。フェリーの恨みを抱いていた人間が多いのは事実だ。だからといって心霊研究家のリンシーをなぜ一緒に殺害したのだろうか。やはり、制作された心霊番組に事件の真相が隠されているのではないかとシズカは思った。次にレオンが報告を始めた。
「アイドルのルイは被害者からセクハラを受けたと証言していました。被害者は日常的に若い女性に無差別なセクハラを行っていたとも言っていました。」
「アナウンサーのアンは被害者の元恋人だそうです。アンは事件当日フェリーと廊下ですれ違っただけだと証言していました。」
フィリップがそう言った。次にジャックが立ち上がった。
「事件当日に番組を降板させられた芸人のシンジは当日スタジオにいたそうです。」
最後にシズカが聴取の結果を話す。
「私が聴取を担当した7人は最近清掃員として採用されたばかりで、被害者との関わりは少ないと考えられます。ただ、その中の一人のスコットは事件当日にスタジオで清掃を行っていたそうです。彼にもペットボトルに細工することはできます。」
リチャード警部は頷いた。
「分かった。被害者は日常的に若い女性には見境なくセクシャル・ハラスメントを行っていた。また、別れた恋人のアナウンサーは事件当日にテレビ局にいた。更に、番組降板させられた芸人もいる。しかし、犯行に使用された毒物は一般的な入手が難しいものだ。つまり、犯人には被害者に対する強い殺意があったということだろう。そして、フェリーを殺した人間がなぜ心霊研究家のリンシーを殺すのか―やはり、この二人が携わった心霊番組を視聴する必要があるだろう。そこで、テレビ局からその放送された番組を録画したDVDを入手した。今からそれを見よう。」
リチャード警部はそう言うと、スクリーンを下し、パソコンにDVDをセットして投影を始めた。画面には黒い背景に赤い字で恐怖心霊映像連発!というタイトルが現れた。場面が切り替わり、黒いスーツを着た司会の2人の芸人が番組の概要を説明した。ゲストの中には毒殺されたリンシーが座っていた。青い服を着たアイドルの女性がにこにこと笑っていた。レオンは指を指した。
「この子、事件当日にスタジオにいたアイドルのルイだ。」
司会の芸人は元気よくはきはきと場を切り盛りしている。次に場面は心霊映像に切り替わった。楽しげな家族のホームビデオ、しかしその机の下に一瞬写った恨めし気な女の首。
「ひえ!」
シズカの前に座っていたスパイクが悲鳴を上げた。
「スパイク先輩、捜査なんですからビビらないでくださいよ~」
フィリップがいかにも楽しそうにスパイクをからかった。スパイクは憎々しげな声ですまん、と言った。
「フィリップ、静かにしなさい。」
リチャード警部はぴしゃり、と言った。フィリップは、はいと返事をした。それから次々と心霊映像が映し出された。ホームビデオに一瞬霊が写り込んでいるようなものもあれば、あきらかな合成映像やどう見ても学生が冗談で作ったおふざけの映像も多いとシズカは思った。霊が映し出されるたびにゲスト席ではアイドルのルイがきゃあ、と甲高い悲鳴を上げた。レオンははあ、とため息をついた。また、映像が終わるたびに心霊研究家のリンシーが地縛霊や怨霊、幽霊がその場で人に乗り移ろうとしているなどのもっともらしい解説を加えた。亡くなった人間を悪く言うことはよくないが、素人目にみても真偽が怪しい映像に解説を加えるリンシーの様子はうさんくさいとシズカは思った。次のコーナーは廃墟のマンションに2人の芸人と1人のアイドルが潜入して心霊映像を撮るという内容だった。どうやらスタジオと廃墟の現場は中継されているようだ。夜の廃墟は暗く埃っぽい。
「この片方の金髪の芸人、事件当日にスタジオにいた芸人のシンジです。」
ジャックがそう呟いた。事件当日にスタジオにいたアイドルのルイ、芸人のシンジはこの心霊番組に出演していたのだ。
「えー、ここが霊が出ると有名の廃墟ですよ、ミレイちゃん、怖かったら俺の後ろに隠れてていいよ!」
シンジがミレイの背に手をまわした。アフロヘアの芸人がいやいや、とツッコミを入れた。
「いやいやどさくさにまぎれて何言ってるんですかあー私は意外と平気ですー」
ミレイはおっとりとした声でそう言った。
「じゃあ、さっそくこの廃墟を探索してみましょうー」
アフロヘアのもう一人の芸人が懐中電灯を片手に歩き始めた。小さな物音がする度にミレイは悲鳴を上げた。廃墟の3階に入った時に、画面の端に女性の白い顔が一瞬写った。スタジオではルイがまるでミレイと張り合うような甲高い悲鳴を上げた。もう一回見てみようというドスの効いた男性のナレーションが流れた。そしてもう一回その映像が流れた。廃墟でもシンジとアフロヘアの芸人とミレイがカメラのモニターでその映像を確認していた。
「やらせっぽいなあ」
隣にいたレオンが呟いた。シズカもそう思った。はっきりと画面に映る女性の白い顔。まるでその首はマネキンのように見えた。廃墟の現場ではミレイの様子がおかしい。突然震え出し、その場で崩れ落ちた。そしてミレイの口から声が漏れる。
「…帰れ。」
ミレイの声色が低くなった。
「ミレイちゃーん、どうしました?」
シンジがそう尋ねた。
「…カエレ!カエレ…」
ミレイは低い声でそう言った。シンジがミレイに呼びかけた。映像はそこで黒い画面におどろおどろしいフォントの白い字が現れた。
この場所では20年前に失恋した若い女性が服毒自殺をしたという。
服毒自殺という言葉にシズカははっとした。2件の毒殺と女性の服毒死。画面はスタジオに戻り、ゲスト席ではルイが涙ぐんでいた。司会の男性が深長な面持ちでしゃべり始めた。
「…では、リンシー先生に解説をお願いします。」
「はい。先ほど画面で説明されたようにこの廃墟はかつてマンションでした。シンジさんたちがいた部屋では20年前に失恋した女性が毒を飲んで自殺したんです。その女性は地縛霊となり、その場所に留まり続けています。そして、先程ミレイさんに憑依したんです。」
「ええー、ミレイちゃん大丈夫かなあ。」
司会の芸人がそう言った。
「はい。おそらく地縛霊はミレイさんが自分と似ている、波長の合う人間だと感じたのでしょう。そして、彼女の体を乗っ取ろうとした。…彼女はお祓いが必要ですね。このままではミレイさんも霊と同じ方法で…」
リンシーはそう言うと言葉を濁した。ルイがきゃあ、と悲鳴を上げた。つまり、ミレイも同じように服毒自殺するということを言いたいのだろう。シズカは気付いた。服毒自殺、服毒。ここで自殺した女性は毒をあおって亡くなっている。今回の事件ではディレクターとリンシーが毒殺されている。この3件の事件は20年の時を経て繋がった。番組はその後ゲストの女優が最も衝撃的なBEST心霊映像を決めて終了した。
シズカは立ち上がった。
「廃墟で服毒自殺した女性と今回の2件の連続毒殺事件。死因が毒死であることは共通しています。もしかしたら、この番組を見た誰か、例えば女性の遺族や関係者が女性の自死を侮辱された、汚されたことへの報復なのではないでしょうか?」
「…この番組の一部は多分やらせだ。女性の自死をネタに地縛霊だの怨霊だの言いたい放題だ。女性が自殺したという情報が本当だとすれば女性の遺族は許せないだろうな。」
レオンが呟いた。
「分かった。20年前に女性がこの場所で自死したという情報が本当であれば、市警のデータベースからの捜索は可能だ。そしてこの個人ナンバーから遺族のデータも見つけることができるだろう。ラッセル、頼む。」
「はい、分かりました。」
ラッセルはそう言うとパソコンの前に立った。キーボードを叩く素早い音が響く。のんびりしているように見えるラッセルは意外に器用だ。
「…20年前に服毒で自死した女性のリストは…ありました。」
「番組では若い女性って言っていたな。」
スパイクがそう言った。
「若い女性は、あ、いました。ミーシャ 20歳 個人ナンバーW23942。死因は、服毒による自死。…今回の犯行に使われた毒物と同一の青酸系の薬物が使用されています。」
今回の事件の毒物と20年前の女性の自死に使われた毒物の種類が一致している。刑事たちはどよめいた。
「ラッセル、今生存しているミーシャの家族は?」
ジャックがそう尋ねた。
「ええと…あ、いました。現在生存している家族は一名…」
刑事たちは納得した。二件の連続毒殺を行ったのは―あの人だ。
2月24日 午前9時
トム、ジャック、レオンはジャックの運転するセダンでB区の住宅街に向かっていた。ジャックは青い屋根の二階建ての一軒家の前に車を停めた。家の周りは白い木の柵が囲っている。トムは家のインターフォンを押した。すると、中から一人の老人が顔を出した。
「個人ナンバーN35953 スコット 72歳。あなたにフェリー殺害事件の重要参考人として同行を求めます。R市市警本部まで一緒に来ていただきませんか?」
清掃員のスコットは目を伏せた。
「…いいでしょう。分かっております。」
スコットはトムに促されるままにセダンの後部座席に腰掛けた。レオンはその横に座った。ジャックが車を発進させる。青い家が遠ざかっている。家が見えなくなるまで、スコットは窓から家を見つめていた。
2月24日 午前10時30分
R市市警第一取調室の机にはリチャード警部が座っていた。警部は机の上で右手の上に左手を重ねていた。その向かい側に座っているのは重要参考人として聴取に応じた清掃員のスコットが座っていた。取調室の机には記録員としてラッセルがボールペンを握り記録用のノートを広げて待機している。シズカは取調室のドアの前に立っていた。スコットの頭髪は白髪で眉も白かった。スコットの手は骨張り、皺だらけだ。この老人が、二人の人間を毒殺したのだ。リチャード警部はスコットの個人ナンバーの確認と取調べの概要を説明した。
「…あなたには黙秘する権利、弁護士を呼ぶ権利があります。」
するとスコットは首をゆっくり横に振った。
「…それには及びません。…昨日、娘の墓参りを済ませました。これでもう未練はありません。」
「分かりました。あなたは2月23日0時30分のA区のテレビ局で起きたフェリー殺害事件、同日に発生したリンシー殺害事件に関与している。あなたはフェリーが毒入りのお茶を飲んだ時間帯にテレビ局にいた。そして、あなたはこの二人の被害者に個人的な恨みを抱いている。」
「…何もかも、ご存じなのですね。」
「被害者二人が製作に関与していた心霊番組の一部で20年前にマンションで服毒により自死した女性の霊が出たという描写がありました。そして、地縛霊と表現し、タレントに女性の霊が憑依するという見方を変えれば、女性の死を侮辱するような内容が含まれていました。その20年前に自死した女性、ミーシャさんはあなたの娘さんですね。」
「…はい、その通りです。…私はテレビを点けて偶然あの番組を見て驚きました。あの廃墟は確かに娘が20年前に自殺したマンションでした、そして20年前に失恋して命を絶ったのは、紛れもなく、私の娘です。私は妻と離婚し、一人で娘を育ててきました。大切な、一人娘でした。彼らはその私の娘を怨霊だと言った、地縛霊だと言った。そして娘は怨霊となり、アイドルに憑依して殺そうとしたと言った。娘を侮辱されることは、それだけは許せなかった。番組を企画した人間、娘を怨霊だと言った心霊研究家だけは、許せなかった。だから娘が死を選んだ同じ方法であの2人を殺してやった、娘と同じ毒にもがいて死んでいく苦しみを与えてやった…!」
それからスコットは殺害方法についての供述を始めた。リチャード警部はその言葉に耳を傾け、スコットの言葉を受け入れている。スコットは番組を見てからテレビ局の清掃員募集の求人を見て応募した。そして、フェリーに近寄り、毒を盛るチャンスをうかがっていた。青酸系の毒物はインターネットで非合法に入手した。それからスコットは清掃するふりをして、フェリーの行動を観察していた。ある日スタジオではいつも同じ種類のお茶がスタッフに配布されていることにスコットは気付いた。それからスコットは毒入りのペットボトルを持ち歩き、フェリーのペットボトルとすり替えようとしていた。そして、あの夜にスタジオでフェリーはトイレに立った。その時、折り畳みの椅子の近くに彼のペットボトルが置いてあった。スコットは手早く毒入りのものとすりかえた。収録が終わり、空いている部屋で一人で休憩し、毒入りのお茶に口を付け、その場で死亡した。リンシーを殺害した方法はスコットが手作りのゼリーに毒を垂らし、梱包した。それを2月21日に書店で行われたリンシーの著書のサイン会で手渡しした。リンシーの好物がゼリーであることはリンシーのブログを見て知っていた。偶然にもリンシーはフェリーが毒入りのお茶を飲んだ同じ日にゼリーの箱を開封し、毒入りのゼリーを食べて死んだ。
「…あなたは私の行為を許されざる犯罪だと弾劾するでしょう。しかし、私に残された人生は短い。このまま、侮辱された娘の未練を晴らさなければ、いつか後悔する日が来ると思いました。残りの人生の全てを刑務所で過ごすことになってもかまいません。…私は、娘の未練を晴らすことができたのですから。」
数十年前に死刑制度が廃止されたA国の最高刑は終身刑である。スコットの時計は娘が自死した20年前に一度停止したのだろう。娘の死を受け入れることでスコットの人生の時計の針は少しずつ動き出した。だが、今回の心霊映像で娘の死をおもちゃのように扱われたことでスコットの時計は狂ってしまった。テレビ局の作製した実在の事件をネタにした興味本位の番組は確かに遺族であるスコットの心を深く傷つける、心ないものであったことは、シズカも理解できる。ただ、どんな理由があっても殺人は許されざる犯罪だ。シズカは思わず口を開いた。
「…スコットさんミーシャさんは本当にあなたがそんなことをして、喜ぶでしょうか。」
スコットはシズカの目を見た。
「自分のお父さんが、二人の人間を殺しても娘さんは悲しむだけです。自分の死を乗り越えて、生きてきたお父さんが自分のために、復讐のために人を殺してしまったと知れば、きっと悲しい気持ちになる…私は、そう思います。」
リチャード警部は黙っていた。スコットはうつむいた。しばらく沈黙が続いた。記録係のラッセルもボールペンを置いた。余計なことを話してしまったかもしれないとシズカは思った。
「…不思議ですね。あなたと娘は歳が近くても見た目は全く似ていない。…それでも、娘に叱られた、そんな気持ちになりました。」
取調室の扉が開き、制服を着た拘置所の2人の警官が現れ、リチャード警部に敬礼した。スコットは警官に促されるままに立ち上がった。そして、二人の警官と共に歩き出した。
「…ごめんな、ミーシャ。」
スコットがそう呟いた。スコットの背が遠ざかって行った。
2月25日 午後17時
R市市警刑事課第2班の刑事たちはスコット送検のための書類を作成し、連続男性毒殺事件捜査本部は解散した。刑事たちは仕事を終え、刑事課の部屋から出て行った。レオンは荷物をまとめていた。帰る前に屋上で一服してから帰ろうと思った。階段を上がり、屋上に出るとベンチに座っているシズカの背が見えた。
「よう、今回も一件落着だな。」
レオンはそう言ってシズカの横に腰を下ろした。シズカはコーヒーの缶を片手で持っていた。
「事件が報道されてから、すぐに××局のテレビ番組に対する批判が他のテレビ局で報道されましたね。」
実際に昨日事件の内容が公表されてから事件があった××局以外のテレビ局では××局の行き過ぎた心霊番組作成に対する批判的な報道が始まっていた。
「よくやるよな、自分のところのテレビ局も同じような番組作ってるくせに。今回たまたまあの局だった、それだけじゃないのか?」
レオンはポケットから煙草を取り出して、火を点けた。市警の建物は一応禁煙だが、喫煙者は屋上で吸うのが暗黙の了解になっている。
「ええ、そう思います。犯人のスコットに同情的なコメンテーターも多いです。」
「それをネタにまたワイドショーや情報番組を作るんだ。いつものことだよ。本当の同情じゃない。」
レオンは煙草の煙を吐き出した。シズカは缶コーヒーに口を付けた。
「でも、気付きました。テレビだけじゃなく、雑誌やネット上でも幽霊とか亡霊って言います。事故や自殺が起きた場所を、心霊スポットと呼ぶ場合もあります。そして引き起こす呪いや怪現象に私たちは興味を持ちます。面白半分で。その存在の真偽はともかく、過去に起きた実際の事件や事故をネタにした場合幽霊と呼ばれる存在は何年か前には生きていた人間です。スコットさんにとっては、ミーシャさんは亡霊でも怨霊でもない、大切な娘さんでした。」
「スコットは幽霊でもいいからもう一度会いたい、そう思っただろうな。」
レオンは空を見つめた。シズカも同じ方向を見ていた。カラスが一羽、ビルの谷間を滑るように飛んで行った。
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