その2
「それで、エラ。あなたは誰の味方なのかしら」
テーブルにカップを置き、一番上の姉―――アリアが挑発するような目で私を見上げた。その両隣に座った二人の姉、セシールとミシェルも同じように私を見ている。
「私は……」手の中のドレスにちらと目を落とし、答えた。
「セシール姉さまが相応しいかと」
「ほら、みなさい」二番目の姉であるセシールが得意げに胸を反らした。それからひったくるようにして私の手からドレスを引き抜いた。
「やっぱりこのドレスはお母さまが私に買ってきてくれたのよ」
他の二人の、憎悪のこもった視線が頬に突き刺さる。私は顔を伏せた。
昼食後のティータイムは穏やかに始まったはずだった。その状況が一変したのは、私が口を滑らしたからだ。
ロンドンに出張中の父の元から継母が帰ってきたのは、昨夜のことだ。そこで私はいくつかの土産物を受け取った。その中に、真珠を思わせるほど上質なシルクに金糸で精緻な刺繍をあしらった、一際きらびやかなドレスがあって、それをつい姉たちの前で喋ってしまったのだ。
瞬く間に、そのドレスが誰のものかで争いが始まった。様子を探るように牽制し合っていたのが、次第に興奮の色が濃くなり、ついには汚い言葉での罵り合いへと発展した。
いつ自分に飛び火してくるか分からないと思い、私はずっと紅茶の準備などをして動き回っていたのだが、ドレスをとってくるように言われ、戻ってきたところを掴まってしまった。
一体誰の味方なの―――いきなりそんなことを訊かれても、どうしていいか分からない。セシールに付いたのは、たまたま戻ってきたときに目があってしまったからだ。特段理由があったわけじゃない。それにどうせ誰の側に付いたって同じことだ。結局、他の二人からは恨まれることになる。
セシールはドレスを抱きしめ、立ち上がった。
「さあ、もう話はお終いね。エラ、付いてきなさい」
「ちょっと待ちなさいっ!」
鋭い声を上げたのは、アリアだ。歩き出そうとしていた足を止めて、セシールが振り返る。
「まだなにかあるの? これ以上、話し合う意味はないと思うのだけど」
「そのドレスが誰のものかは、お母さまに訊いてからよ」
一番下の姉であるミシェルがそれに同調した。「そうね。最初からそうすべきだったわ」
「エラ、お母さまは? もう帰ってるんでしょ?」
アリアが威圧感のこもった目で私の方を見た。いつまで経ってもこの絞り上げられるような圧力には慣れない。喉がきゅうっと狭まる。
「それが、その……」
「はっきり言いなさい」
「理由は分からないんですけど、お母さまはとても苛立った様子で……」
アリアの眉がこれでもかというほどに吊り上がった。「なに、いないの」
「は、はい……」
別に私が悪いわけじゃないのに、迫力に押されつい肩を窄めてしまう。
セシールが勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「いないのなら、しょうがないわよね。そうでしょ、アリア姉さん?」
「くっ……」テーブルクロスを握り締めたアリアの手が小刻みに震えている。
「はい、じゃあこの話はここまで。私はこれからドレスを合わせてくるから、先に戻るわね。エラ、あなたは私の手伝いよ」
言うが早いか、セシールは屋敷に向かって歩き出した。私もそれに続く。
「お母さまが帰ってきたら、はっきりさせるからね!」
アリアが叫ぶのに私は足を止めそうになったが、前を行くセシールが「いいから」と言うので、私はちらと一瞬振り返るだけにして、すぐにセシールを追いかけた。
セシールは部屋に入ると私にドレスを押しつけて、乱暴な手つきで姿見の扉を開けた。
「まったくどうしてああ突っかかってくるのかしら。そもそも多数決だって言い始めたのは、アリア姉さまなのに。エラだってそう思うでしょ」
「それは、その、まあ……」
私は曖昧に返した。はっきり答えてしまっては、後からなにがあるか分かったものではない。どこかで誰かが聞いているかもしれないのだから。
私が着ている服を脱がせている間も、セシールの不満は続く。
「アリア姉さまはいつもそう。自分の思い通りにならないと、すぐに癇癪を爆発させるんだから。この間の買い物の時だって、ひどかったわ。自分が一番上だからって、高いものばっかり買って……。私が見つけたドレスも横から奪い取っていくし。たった一歳の差がどれだけのものか、って思わない?」
「私にはなんて言ったらいいか……」
しかしセシールは私の返事など最初から聞いていない。不満の矛先はミシェルに移った。
「ミシェルも一番下だからってわがままが過ぎるのよ。ちょっと拗ねたり媚びたりするだけでお母さまもころっと騙されちゃってなんでも許しちゃうんだから。ずるいと思わない? いつだってそう。真ん中の私が一番損するの。アリア姉さまが相手だと妹なんだから我慢しろと言われるし、ミシェルが相手だと今度は姉なんだから我慢しなさいって言われるし、どっちにしても私は我慢を強いられるのよ」
鏡の中のセシールはうんざりしたように溜め息をついた。「だからこのドレスくらい、私がもらったっていいと思わない?」
私は「そうですね」と小声で返しつつ、コルセットの紐をぐっと絞った。セシールの表情がわずかに曇る。
「すいません、強く絞めすぎましたか」
「いいえ、大丈夫」
真新しいドレスに袖を通すと、セシールは鏡の前で身体を捻り、全身にくまなく目を走らせ、満足げに頷いた。
「胸の辺りが少し窮屈だけど、それはまあコルセットを緩めればいいだけだし……うん、ぴったりだわ。やっぱりこのドレスは私ために買ってきたのよ」
セシールはその場でくるりと一回転した。ドレスの裾が花びらのように広がる。私はそれを眺めながら、一刻も早くこの部屋から出て行くことばかりを考えていた。正直、ドレスが誰のものかなんて、どうだっていい。歳の違いはあっても三人の姉たちは皆似通った体型だし、少なくとも自分のものでないことは明らかだ。
「ああ、そうだ」
セシールの声に私は思考を中断させた。
「はい、なんでしょう」
「お母さまが帰ってきたら、一番に私に知らせるのよ」
「それはいいですけど、どうしてですか」
「アリア姉さまたちより先に説得してしまうのよ。あの人たちならあること無いこと、お母さまに吹き込みかねないもの。先手を打つのは当然よ」
「……分かりました」
それからすぐに下がっていいと言われたので、私は部屋を出た。
屋敷の中をうろうろしていてアリアやミシェルに絡まれてはたまらない。普段よりも早いが、私は麓の街へ夕食の買い出しに向かった。
私たちの住んでいる屋敷は街の郊外にある丘の上に建っていた。街に出るには雑木林の中の山道を下りて行かなければならない。元々は獣道で、ここに住む人間以外使わない道だからろくな手入れもされていないし、冬になれば深い雪に覆われてしまう。今はまだ秋だからいいが、冬の買い出しはひどい雪の日だと半日近くもかかる大仕事となる。
四人分の食材を買って帰ってくると、なにやら中庭の辺りが騒がしい。荷物を抱えたまま、そろそろと近づいてみる。建物の影から声のする方を覗くと、バルコニーにアリアとセシールの姿があった。二人とも顔を紅潮させて、険しい表情を浮かべている。どうも言い争いをしているらしい。原因は容易に想像できる。昼間のドレスの件だろう。蛇のような性格のアリアが、あのまま黙っているはずがない。
「あの二人はいつもそりが合わないのよね」
突然物陰から声がして、私は危うく荷物を落としそうになった。
「ミシェル姉さま……」
「覗き見とはいい趣味ね」
「そんな、私はただ……」
「まあ、あんな大声でけんかしてる姉さまたちが悪いんだけど」
ミシェルはちらとバルコニーを一瞥して、髪をかき上げた。
私は踵を返した。「すいません、これから夕食の準備をしないと……」
「いいじゃない、逃げなくても」
私は足を止めた。ゆっくりと振り返る。ミシェルは獲物を見つけた猫のような目をしていた。「ちょうど退屈してたの、ちょっとお話でもしましょうよ」
捕まってしまえば最後。逆らうだけの力が、私にはない。
「アリア姉さまとセシール姉さまがことあるごとにいがみ合うの、どうしてだか分かる?」
性格の不一致以外には思い当たらない。しかし、わざわざ訊いてくるということは、他に理由があるというのだろうか。
私がなにも答えないでいると、ミシェルは嫌悪と嘲りの入り交じった笑みを浮かべた。
「あの二人はね、父親が違うのよ」
「え」
思いも寄らなかった言葉に、私はついバルコニーの二人を見比べてしまった。だがミシェルの言うように父親が違うのだとは、思えなかった。どちらも我が強く、気位も高い。むしろ似たもの同士だ。
そういった考えが顔に出ていたのかもしれない。ミシェルが「まあ、二人とも顔はお母さま似だからね」と言った。
「でも、性格は全然別もの。同じように見えても、その出所が違うの」ミシェルの顔が一層深い蔑みの色に染まる。「セシール姉さまと私の父は由緒正しい、正真正銘の貴族。だからセシール姉さまのは生まれ持った高貴さからくるもの。それに比べて、アリア姉さまの父親は名前だけの没落貴族で、どうしようもない男よ。いつまでも昔の栄華にすがって、口先だけのくせにプライドばっかり高くって……。最後は酒に溺れて、どこかでのたれ死んだらしいわ」
私は黙ってミシェルの話を聞いていた。どう反応すればいいか分からなかった。むしろ知りたくもないことを知らされて、嫌な気分になったくらいだ。ミシェルはどういうつもりでこの話を始めたのか。
……いや、大した理由なんてなにもないに違いない。ただ私の反応を見て愉しんでいるだけだ。ウサギやリスをなぶったり、虫の足をもぐのと同じ。苦しみ悶える様を眺めて、愉悦に浸っている……。
「どうやら終わったようね」
ミシェルの声につられて、私はバルコニーを見上げた。ちょうどアリアが屋敷の中に入っていくところだった。半身を向けていたセシールが振り返った。タイミングが悪い。目があってしまった。
セシールの目尻は悪魔のように吊り上がり、頬が痙攣したようにぴくぴくと動いた。
「エラ、あなたはそこでなにをしてるの!?」
雷鳴のような怒声に私は全身を震わせた。その拍子に抱えていた荷物が芝生の上に落ちる。ちらと脇を見やると、ミシェルの姿はいつの間にか消えていた。舌打ちしたい気持ちを抑えて、私は頭を下げた。
「申し訳ありません、セシール姉さま」
「いいから、私の部屋に紅茶を持ってきて! 今すぐによ、分かったわね!」
セシールはそれだけ言い残して屋敷へと入っていった。バルコニーの戸が閉められる、乱暴な音に再び肩を震わせて、私は落とした荷物を拾い始めた。
たった一枚のドレスでこんな騒ぎになるなんて……。
しかもこれからまだ夕食がある。騒動がこれで終わるとは思えなかった。
この日の夕食は、今までになく緊迫したものになった。誰も一言も発せず、ただひたすらナイフとフォークを動かす音だけが響いていた。もしその光景を見ていた人がいれば、私たちのことをただ手を動かすことしかできない操り人形だと思ったに違いない。
夕食の後、私が水場で洗い物をしていると、セシールがドアから顔を覗かせた。
「エラ、それが終わってからでいいから、私のところに氷とウイスキーを持ってきてくれない?」
私は手を止めた。「ウイスキー、ですか」
「ナイトキャップよ、ナイトキャップ。適当にお父さまの棚から取ってきて」
「でも、お父さまはあの棚には手を触れるなって……」
「いいから、用意して。後から同じものを買ってくれば問題ないでしょ」
「そんな……」父のウイスキーを勝手に持ち出すなんて。
しかしセシールは「じゃあ頼んだわよ」と言って、去って行ってしまった。
洗いかけの食器を見下ろし、台所の縁に手をつく。頭を垂れると、自然と溜め息が漏れた。
長い一日。まだ終わりそうもない。
言われた通りウイスキーを届けて部屋に戻ると、私はベッドに潜り込んだ。今日みたいに息苦しい日は、早く寝てしまうに限る。だがそういう時ほど、なかなか寝付けない。
きっとアリアやセシールたちの剥き出しの悪意に晒されすぎたせいだ。
頭から布団をかぶり、身体を丸める。
「早く帰ってきて、お父さま……」
しかし声が遠く離れたロンドンに届くはずもない。ベッドの中で虚しく響くだけだった。こんな時、お母さまが生きていてくれたら、どんなによかっただろう。脳裏に笑顔の母が浮かび上がる。今はもういない、私の本当の母……。
昔のことを思い出していると、目頭が熱くなってきた。しかし涙が零れるのだけは、歯を食い縛って我慢する。はれぼった目で朝起きていったら、姉たちになにを言われるか。アリアは、みっともない、と罵倒してくるだろう。セシールは眉をひそめるはずだ。ミシェルはなにも言わず、私の姿を見て面白がるに決まっている。
そんなのはまっぴらごめんだった。私はトイレに起きたついでに雑用を済ませてから、再びベッドに入った。なにも考えずに、きつく目を瞑る。そうしてひたすら眠気がやってくるのを待ち続けた。