お帰りくださいませ、メイドさん! --割烹着とかの問題じゃないよねーー
どうも、ヒコサクです。
全力でふざけた内容です。
メイド好きの皆様、本当にすみません!!
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
大学からのそのそと帰宅した俺に、そう告げてきた声は、決してかわいらしいアニメ声ではなかった。
貫録を備えた深みのあるバリトン。そんな声が俺に向かって言ったのだった。
齢は五十ほど、オールバックに整えた黒髪、彫りの深い異国人(実際は不明)の顔立ち。身長は俺より頭一つ分デカく、いつも俺は奴を見上げている。まるでどこかのお偉いさんのSPのような身体に、真っ白な割烹着を纏っていた。
そんな奴の名は「ムッシュ・ダンディ」。ちなみに本名かはわからない。つーか、本名だったらムッシュが名前? ダンディが苗字かよ。
三日前から俺の家に住みついた、いや、棲みついた自称「メイドさん」である。
ふっ、鼻で笑えや。自分でも笑っちまう。そして泣けてくる。何故だろう、理由はわからないが、今この瞬間にも目から登場したしょっぱいのは頬を流れていた。
「もう、ヤダ……」
ふと呟いた言葉は、奴の目を大きくさせた。
「どうなさいましたか、ご主人様! 大学で何か嫌な事でも!?」
心配そうに見てくる奴。うぅ、おっさんに心配されても嬉かねぇ。
優しく丁寧に、似合わない繊細なレースのハンカチで俺の涙を拭いてくる。
俺はその逞しい手を思いっきり右手で振り払い、左手で奴に盛大にアッパーをかます。わざとなのか知らないが、奴はよけずに堂々とそれを受け止めた。
「オメェの所為で泣いてるんだよっっ!」
あぁ、俺におっさんと共同生活する趣味はないのに。
唇をかんで女々しく泣きながら、俺は何でこんなことになったのか思い返す。
そうだ、あの日、俺はメイドカフェデビューをしたのだった。
メイドカフェと言う天国が世に膾炙して数年。友人の誘いで、俺は心密かに憧れていたメイドカフェに行くことになった。
そこは幸せをくれる理想郷。俺の予想を裏切らない、素晴らしいとしか言えない空間がそこにはあった。
「いってらっしゃいませ、ごしゅじんさまっ」とかわいらしいメイドさんに送られて、で、友人と別れて。その数分後、人の少ない道で、俺はあるものを見つけた。
「あれは……じょうろ?」
黄金に輝く珍しいじょうろだった。そこでそれランプじゃねぇ? と聞かないでほしい。どこからどう見ても、じょうろの形なんだ。絶対ランプとかいう洒落たもんじゃない。三百六十度じょうろ。そんなものが道の端っこにあった。
どうしてだったのか。急に童心がよみがえった。あの、あのランプ――じゃない、じょうろをこすったら魔人が出てくるんじゃないか。そんな妄想に駆られてしまったのだ。今思えばバカすぎると思う。もしその時に戻れたら俺はそのじょうろを彼方へ蹴り飛ばすだろう。
しかし、そのバカ(=俺)はそのじょうろに近づいてしまったのだった。
まるでガラス細工を扱うように俺はじょうろを手に取り眺めた。黄金色をのぞけば、どこにでもあるじょうろだった。
無意識のうちに、俺はこすっていた。周りから見れば変人、ああ、恥ずかしい。でもその時はそんなこと考えず、無我夢中でじょうろをこすっていた。
三秒ほどこすった時だったか。ふとじょうろが七色に輝きだした。雨の後に空で胸を誇る虹よりも美しく、手の中のそれは光り輝いたのだった。
「うおぅ!」
思わずじょうろから手を放す。するとそれは落下と言うよりは着地と言った方がふさわしいほど優雅に、地へ降り立った。
七色が消えたと思った刹那、じょうろの口から煙がもくもくと現れた。数秒後、それは人型に変化する。
そんなこんなで俺の目の前に現れたのは、その時はスーツを着ていたムッシュ・ダンディだった。
あぁ、あの時逃げればよかった。この不審者から逃げればよかった。なんて今更嘆いても遅い。
あっけにとられた俺は、その場から動けずに、ただただそのおっさんを見つめていた。繰り返しになるかもしれないが、言っておく。俺にそんな趣味はない。
はっと我に返った時には、周囲は先のじょうろと同じ七色の光に包まれている。何このマジカルゾーン。やばい、俺やばい事に手ェ突っ込んじゃった! その時にやっと俺は自分のバカげた行動にに気づいたのだった。
「どうも、こすっていただきありがとうございます」
異国人のようだが、流暢な日本語だ。呑気に俺は思ってしまっていた。
「は、はぁ」
「さて、お礼でもなんでもなくただのセオリーなのですが……わたくし、貴方様の願い事を一つだけ、叶えたいと思います」
「三つじゃねぇのかよ!」
「未熟者故、一つまでしか叶えられません」
「おっさんの癖に未熟者かよ!」
「申し訳ありません」
深々と俺に頭を下げるおっさん。
絶対にいろいろ変な事が起きている! 夢か、夢だなこれは。そう思ったが、つい十分ほど前のメイドさんとの時間を夢だとは思いたくない。と言うことでこれは現実だ。誰が何と言おうと現実だぞ。
深呼吸を数回繰り返し、俺は覚悟を決める。この際、折角だ。おっさんに願いをかなえてもらおうではないか。ここまできたら、非現実的な事に首でも身体でも突っ込んでやるよ。
「何でもいいのか? じゃあ」
緊張した声の俺。願い事は決まっていた。
「俺専属のメイドさんが欲しい!」
それから数分後、家に帰りドキドキして俺は願いが叶うのを待っていた。
コンコン。
ドアが控えめにノックされる。
これは、これはきっと!
メイドさんキタァァァアアアアッ!
俺は過去最高の全速力で玄関へ向かい、ドアを開ける。俺、風になったよ母ちゃん。
「初めましてぇぇぇ……え?」
「改めてこんにちは。今日からあなたの専属メイド、ムッシュ・ダンディです」
さっきのおっさんが割烹着を着て立っていた。
「つーか、何でメイド自称するくせに割烹着なの!?」
部屋の隅で泣きながら叫んだ。いやいや、俺。そういう問題じゃないだろ。
「そうおっしゃられた時のように、わたくし、メイド服を買ってまいりました」
「やめてくれ!」
あれから一日二十回は「帰ってくれ」と懇願したのだが、奴は言う事を聞いてくれない。「決まりがあります、あなたが死ぬまでわたくし、ここにいます」とほざく。それは今すぐビルから飛び降りろという事か。
「もう放っておいてくれ!」
治まった涙はなかったことにして、俺は出かける準備を始める。
「おや、お出かけでございますか?」
「はっ、デートだよ」
一か月前出来たばかりの、初めての彼女だった。
こんなおっさんと少しでもいる時間を減らしたい。約束の二時間前だが、家を出ることにしよう。
「付いてくるなよ!」
「御意。行ってらっしゃいませ、ご主人様」
鼻歌を歌いながら、俺はスキップで家を去った。
「貴夫君、お待たせっ」
一時間五十分後、十分前に彼女、姫子ちゃんは微笑みながら俺に近づいてきた。うん、今日もなんてかわいいんだ。まるで天使、妖精。セミロングの柔らかそうな黒髪が風になびいている。にやける頬を必死に抑えた。
「え? あの、そちらは?」
子供の様に愛らしく首をかしげた彼女は、俺の後ろを見ていた。
「え?」
あれ? 彼女、守護霊とか見える人だっけ。
「やだなぁ、何かがいるわけないじゃないか。姫子ちゃんの気のせいだよ!」
「でも、その人」
「あはははは、寝ぼけちゃっているのかい?」
「貴夫君?」
そんな怪訝そうに大きな瞳で見つめられたら、もう現実逃避なんて無理。
違いますように、違ってくれ! と祈りながら振り向いた。どうしてかドラムロールが頭に流れる。
……やっぱり。
「何でおっさんここにいんだよ!」
ムッシュ・ダンディが胸を張って堂々と俺の後ろにいた。
「わたくし、あなた様のメイドですので。いかなる時もお傍にいます!」
当たり前のように言う奴に、彼女が薄紅色の唇をぽかんと開ける。
「その、あの、あなたって」
「違う、違うんだ!」
「わ、私、そんな趣味の方と付き合えないよ! さよならっ!」
十二年間、小中高と陸上部だったと豪語していた彼女は、速かった。ヒールを履いているくせに、何でこんなに速いんだ。
「ちょ、待って!」
手を伸ばしても、届かない。あっという間に彼女は人ごみの中へ消えていった。
ふ、ふられた?
思考が全面的に停止する。ふられた、ふられた。その言葉がぐるぐると頭で踊る。お気に入りのグラスを割った時などとは全く違う虚無感と絶望。彼女の後を追う力などなく、俺はその場にしゃがみ込んだ。包丁で刺されたかのような痛みが胸を襲う。
つぅ、と頬を何かが伝った。
アパートに帰り、本日二度目、今度はもう体裁なんて繕わずに幼く俺は部屋の隅で泣いた。悔しくて、悔しくて。涙が止まらなかった。
「俺のバカ、じょうろなんてこするなよ!」
「ご、ご主人様! 本当に申し訳ありません! てっきり、『付いてくるなよ!』はツンデレだと勘違いしてしまいました」
「ふざけるな! その都合のいい思考回路はなんだ!」
「ポジティブシンキングです」
バンッと俺は思いっきり壁を叩いた。アパートなので後でお隣さんに怒られるだろう。
そんなの今は関係ない。感じた事のない怒りが、俺を包んでいた。
「出ていけ! もう二度と顔を見せるな! 消えろっ!」
その乱暴な言葉に、奴がとても傷ついた顔をする。構うか、悪いのはお前だ。
「……わかりました。わたくし、じょうろへ帰りたいと思います。今までお世話になりました、アディオス!」
何最後かっこいいこと言ってんだよ。つーか本当にお前どこの出身? ムッシュにダンディにアディオスって、統一しろよ。
静かに奴は淋しそうに部屋を出ていく。言いざまだ。俺は鼻をかみながらその姿を見送った。
二日経った。ムッシュ・ダンディが姿を現すことはない。
彼女には誤解だと説き、ヨリを戻した。
とても幸せだ。形容できないほど幸せだ。
俺は部屋の掃除をしながらうれし涙をこぼしていた。あと一時間で彼女がこの部屋に遊びに来る。綺麗にしておかないとな。
コンコン。彼女だろう。まだ約束まで時間はあるが、きっと待ちきれなかったのだろう。愛い奴め。控えめなノックが聞こえた。俺は風になってドアを開ける。
「やぁ! 待っていた……ょ」
ムッシュ・ダンディがそこにいた。変わらない、割烹着姿で。
開いた口が閉まらない。開いた目が、閉じられない。
「すみません、じょうろがどっか行っちゃって、帰れなくなったんで、わたくし、またここにいてもいいですか?」
「……いや、帰れ」
冷たい目で奴を見上げる。
「し、しかしですね」
困ったように眉を下げる奴。じょうろがない? 知るか、途方に暮れていろよ。
タッタッタッタ。軽快な足音がやってくる。姫子ちゃんだ、やばい、なんてバッドタイミングだ!
「貴夫君、こんにち――」
彼女の表情が凍りついた。
「どうも」とゆっくりと会釈する奴。
「う、嘘でしょ」
コツ、コツ、と後退する彼女。その顔は明らかにおびえている。
「ま、待ってくれ!」
「さようならっ!」
「だ、だから!」
だから――
俺にそんな趣味はない!!
楽しんでいただけたでしょうか……?
かわいいメイドものだと思って読んだ方、ごめんなさい!
でも、書いていてめちゃくちゃ楽しかったです。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!
またお会いできたら――
以上、ヒコサクでした。