祠の三郎
三郎は村の鼻つまみ者だった。村のしきたりを守らず怠けてばかり。ただ、勘が鋭く、天候や山の異変に誰よりも早く気付くことがあり、その点だけは皆から一目置かれていた。
三郎は、村の外れ、川の堤の下にある祠の横でいつもゴロゴロとしていた。
祠の前の小道は、村から畑へ続いている。毎日のように村人がその道を行き交う。
「朝早くから精が出るなあ。よくも毎日そんなに働けるもんだ」
「お、なんだ、今日はいつもより遅いじゃねえか。俺といっしょに今日は仕事を休んじまえよ」
三郎は祠の前を通る村人に声をかけるが、誰も答えない。
「ちっ、なんだよ、無視しやがって。どうせ俺は村中の嫌われもんってか」
三郎はそう悪態をつくと、祠に備えられていた握り飯を手に取り、むしゃむしゃ食べた。
† † †
三郎が祠の横で堤に寝転びボーッとしていると、少し離れたところの木の陰に、小さな女の子が立っているのに気づいた。
女の子は4、5歳くらいだろうか。赤いおべべを着ていて、木の影からじっと三郎を見つめている。
「おい、見世物じゃねえぞ」
三郎がそう言うと、女の子はびっくりした顔をして木の陰に隠れた。しかし、すぐにひょっこり顔を出す。
「そんなところで隠れずに、気になるならこっちへ来いよ。とって食うかもしれんがな!」
三郎が大きな声でそう言って笑うと、女の子は走ってどこかへ行ってしまった。
「ははは、かわいいもんだ」
三郎は再び祠の横に寝転び昼寝をし始めた。しばらくすると、人の気配がして目が覚めた。
「なんだ、さっきのガキじゃねえか」
祠の前に先ほどの女の子が立っていた。小さな握り飯を手に持っている。
「どうした、そんなもの持って」
「……お供えもの」
三郎が尋ねると、女の子は小さな声でそう答えた。
「そうかそうか。信心深いことだな。ほら、お供えしてみな」
女の子が握り飯をそっと祠に置いた。すると、三郎はその握り飯を手に取り、かぶりついた。
びっくりする女の子に、三郎は笑いながら言った。
「ははは、俺はいつもこの祠近くで暇つぶししてるが、神様がお供え物を食べるのは見たことがない。どうだ、半分食うか?」
女の子は首を横に振ったが、お腹がぐうと鳴るのが聞こえた。
「ほら食えよ。お腹を空かせてるガキがお供え物を食って、怒る神様なんていないさ」
三郎がそう言って握り飯の半分を女の子に強引に手渡した。女の子はおそるおそる口にする。
「どうだ、美味いか?」
三郎がそう言うと、女の子はコクリと頷いた。
† † †
その日から、女の子は毎日のように三郎のところへ来るようになった。
「お前も暇だな。名前は何て言うんだ?」
「ユキ」
「親は何て言うんだ? 家はどこだ?」
「喜助。三本松の向こう」
「三本松の喜助ねえ。そんな奴いたっけかなあ」
三郎とユキは、川の堤に座って他愛のない話をするようになった。
「俺と関わると皆から嫌われるぞ。もう来るなよ」
三郎がそう言う度に、ユキはコクリと頷いた。しかし、翌日には何事もなかったように三郎のところへやってくるのだった。
そんなある日。
「ねえ、三郎? 夕焼けの次の日はいい天気?」
川の上流の山に沈んでいく夕日を何となく眺めていると、ユキがそう聞いてきた。
「ああ、そうだな。だが、あれは赤すぎる」
三郎は赤黒く染まる空を指差して続けた。
「向こうの山は大雨のはずだ。何もなければいいが……ほら、もう暗くなるからそろそろ帰れ」
ユキはコクリと頷くと、薄暗くなった小道を帰って行った。
「さて、俺も帰るとするか」
三郎は祠の横で背伸びをしながら独りごちた。しかし、その直後、三郎はあることに気づいた。
「帰る? どこに? ……俺の家はどこだ?」
怖くなった三郎は、堤を駆け上がった。堤の上に立つ。
日が暮れ、赤黒く染まる空。その下に広がる田畑と家々。慣れ親しんだ光景なのに、とても不気味に感じる。
「俺は、毎日どこへ帰り、どこからここに来てたんだ?」
三郎の額に変な汗が滲む。
「……ん?」
狼狽する三郎は、ふと川の異変に気づいた。昼間よりも水量が減っている。水の濁りもキツくなってきている。
三郎は上流の山々に目を凝らした。時々稲光が走るのが見えた。
「あの時と同じ鉄砲水……あの時?」
三郎は自分の口から出た言葉に驚いた。なぜか分からないが、以前にも同じことがあったような気がする。三郎の脳裏に鉄砲水が村を襲った記憶が断片的に思い起こされる。
そして、ユキの可愛らしい笑顔が浮かんだ。
「……まずいぞ。三本松の辺りは土地が低い。鉄砲水が来るとやられちまう!」
三郎は、川下にある三本松へ向かって走り出した。
† † †
すっかり暗くなった道を三郎は全力で駆けていく。不思議と息は上がらなかった。
あっという間に三本松に辿り着いた三郎は、その近くにあった小さな一軒家を見つけた。
「あれだな?」
三郎は家の扉を叩いた。何度か続けると、不思議そうな顔をした男が扉を開けた。
「お前、ユキの父親の喜助か?」
三郎がその男に聞いたが、男は三郎を無視して辺りを見回すと、家の中へと戻ろうとした。
「おい、無視するな! 鉄砲水だよ、鉄砲水が来るんだ。早く逃げろ!」
三郎は叫んだが、男は三郎を無視したまま扉を閉めようとする。
「くそ……あ、ユキ!」
三郎は、閉められそうになる扉の隙間から、家の奥にいたユキを見つけた。ユキに向かって叫ぶ。
「ユキ! 鉄砲水だ、大水が来るんだ! 逃げろ、逃げるんだ!」
扉が閉まる直前、一瞬だけユキの驚く顔が見えた。
† † †
扉が閉まった。三郎は固唾を呑んで様子を見守る。
すると、家の中からユキの大きな声が聞こえた。
「お父さん! てっぽみず、おおみずが来る!」
「ん、なんだって?」
「てっぽみず、おおみず! 祠の人が、三郎がそう言ってる!」
「祠の、三郎? ユキ、どうしてその名を……」
「三郎が言ってる。逃げろ、てっぽみず、おおみずが来るって!」
少しして、家の扉が勢いよく開いた。ユキの両親と思われる男女が、血相を変えながらユキを連れて家を飛び出してきた。
ユキの両親は、家の前に立っていた三郎に目もくれず、山の方へと走って行く。
「三郎!」
ユキが三郎の顔を見て叫んだ。
「そうだ、逃げるんだ、ユキ!」
三郎はユキに笑顔でそう言った。
三郎は、走っていくユキとその両親を見つめる。
「……ようやく思い出したよ。ユキ」
その直後、三郎の背後、川の方から不気味な地響きが聞こえてきた。
「俺は、前の鉄砲水の後、あの祠の下に埋められたんだ。怠け者だったが、勘だけは良かったからな。人柱にすれば役に立つと思われちまったんだ」
三郎の背後の堤が壊れるのが分かった。真っ黒な濁流がこちらへ流れてくる。
「ユキ、死ぬなよ……」
三郎は、三本松の傍らに立ち、向こうの山を駆け上がるユキと両親を見つめる。
ほどなくして、真っ黒な濁流が誰もいない三本松を呑み込んでいった。




