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異世界恋愛短編

『謀略の魔女』として祖国を追放された私は隣国の辺境伯に溺愛される

作者: 真嶋 青
掲載日:2026/04/01

 ファルシオン王国において、星詠みの託宣は神の啓示と同義だ。

 王室御用達の星詠みの中でも新参であった私――アルシェーラは、数年先の未来まで見通せる特異な力を持っていた。

 

 ある日、私は『第一王子が王位を継げば、数年後に国が滅亡する』という破滅の凶兆を観測してしまう。

 

 しかし、他の高位の星詠みたちが見えるのはせいぜい数週間先の未来。

 『第一王子の治世に問題はない』という彼らの占いと対立した私は、不信を買い、王子を盲愛する王からも「王室を呪い嘘をついた魔女」と蔑まれる。

 そして、私は『謀略の魔女』として罪を被り、国から永久追放されることになった。

 

 ◆


「ここが貴様の死に場所だ。せいぜい雪に埋もれて惨めに死ぬがいい、嘘吐きの魔女めが!」

 

 ファルシオン王国の騎士は、国境を越えた先の雪山に私を放り出すと、吹雪から逃げるように馬車を走らせて去った。

 麻で作られた薄手の罪人服しか着せられていない私の身体から、容赦なく吹き荒れる吹雪で急速に体温を奪われる。


 私の罪状は、『王室を呪い、国を傾けようとした謀略』とされている。

 だが、あのまま星の凶兆を隠して他の星詠みに同調していれば、数ヶ月は安泰でも、数年後には深刻な危機に瀕していただろう。

 だからこそ、私は真実を告げたのだ。

 ありのまま星を詠み、視えたままのことを伝えたのだから、後悔はない。

 

 その――はずだった。

 

 雪山をあてもなく彷徨い歩く。

 凍傷により足の感覚が消えていき、視界も真っ白に染まり始めた。


 どう、して。

 どうして……どうして……。

 どうして、どうして、どうしてどうしてどうして。


 どうして私はこんな場所で死ななきゃいけないの!?

 

 溢れた涙までをも凍てつかせる極寒の中、私は身に降りかかった理不尽に絶望し、怒り、哀しみ――。


「どうして、誰も、私を信じてくれないのよ……」

 

 絞り出した喘ぎ声は、吹雪にかき消される。

 私は、ついに雪の中に倒れ伏した。

 

 氷のように冷たい雪が頬を刺す。

 

 ああ、私の人生はここで終わるんだ……。

 

 静かに目を閉じ、意識が遠のいていくその時――。

 

「――おい。しっかりしろ」

 

 地を這うような、低く掠れた声が聞こえた気がした。

 

 ◆


 目が覚めると、凍てついていたはずの身体が、ひどく温かいものに包まれていることに気がついた。

 重い瞼をこじ開けると、視界に入ってきたのは燃え盛る暖炉の火と、重厚で肌触りの良い毛布だった。

 

 ここは雪山ではない。

 私は、立派な屋敷の天蓋付きベッドの上で寝かされていた。


「ここは、いったい……」

 

「気がついたか」

 

 地を這うような、低く掠れた声。

 ビクッと肩を震わせて声のした方を見ると、ベッドの傍らに設えられた椅子に一人の男が座っていた。

 

 顔の左半分に刻まれた古い傷跡。

 獲物を射抜くような鋭い眼光。

 厚い毛皮を羽織ったその巨漢の男からは、隠しきれない圧倒的な覇気が漂っていた。

 

 祖国の国境付近を警備する駐屯兵か、あるいは腕の立つ猟師だろうか。

 だが、それにしてはこの部屋は立派過ぎる。

 

「無理に起き上がるな。三日間、高熱にうなされていたんだ。まだ万全な体調ではないだろう」

 

「あ、あの……私は、なぜ……」

 

 ひび割れた唇から、掠れた声が漏れる。

 

「偶然、雪に埋もれかけているお前を見つけた。あの猛吹雪の中で、よく生きていたものだ。手足も壊死していないとは、運がいい」

 

 男は立ち上がると、サイドテーブルに置かれていた温かいスープの入った木杯を取った。

 無骨で大きな手が、私へ木杯を差し出す。

 それを見て、私は身を隠すように毛布を引き寄せ、身体を固くした。

 

「それ以上、来ないで、ください……!」

 

「……?」

 

「私は、国の凶兆を詠み、ファルシオン王国を追放された罪人です。世間からは『謀略の魔女』と呼ばれています」

 

 私は彼を真っ直ぐに見据え、震える声で告げた。

 私は自分の星詠みを嘘だとは欠片も思っていないし、誇りを持っている。

 だが、世間の目から見れば私は国を呪う大罪人だ。

 

「私を助けたと知られれば、貴方まで咎人(とがびと)として裁かれてしまいます。だから、私に関わらないで……お願いですから、私を放っておいてください」

 

 私を助けてくれたこの親切な人に、これ以上の迷惑をかけるわけにはいかない。

 

 しかし、男は足を止めることなく私のベッドの縁に腰を下ろし――呆れたように小さく息を吐いた。

 それから、喉の奥でククッと笑い声を漏らす。

 

「お前が、魔女だと? 下らんな」

 

「え……?」

 

「安心しろ。ここはお前の祖国、ファルシオン王国ではない。ここは国境を越えた先にある隣国、ドレヴァン公国だ。ファルシオンの法など、ここには届かんさ」

 

 隣国。

 では、この人は……。

 

「俺はこの氷雪の辺境を治める領主、ティグルスだ」


 ドレヴァン公国の辺境伯ティグルス。

 それは、私でも知っている有名な名だった。

 戦場において敵を容赦なく引き裂く『氷雪の狂獣』として、若手ながら諸国から恐れられている武人だ。

 

「……俺には、寒さに震えているだけの弱弱しいお前が、恐ろしい魔女だなどとは到底思えんよ。ファルシオンの人間は、いつからそんな怖がりばかりになったのだ?」

 

 彼は口角を上げ、獰猛な犬歯をチラつかせながら皮肉っぽく笑った。

 だが、そこに私への嫌悪や嘲笑の色は一切ない。

 ただ、酷く痛ましそうな、そして慈しむような穏やかな光だけが瞳の奥に揺れていた。

 

「国の安寧を願う星詠みに、仇を返す真似をしおって……」


 彼は小さくぼやきながら、苛立たし気に鼻を鳴らす。

 

 なぜ他国の領主である彼が、私に対してこんなにも親身になってくれるのか。

 祖国の誰もが、私を嘘吐きだと罵ったのに。

 

「どうして、私が……魔女ではないと?」

 

 私の問いに、ティグルス様はほんの少しだけ目を伏せ、淡々と答えた。

 

「……俺の知るファルシオンの星詠みは、決して己の保身や利益のために嘘をつくような人間ではなかったからだ」

 

「貴方の知る、星詠み……?」

 

「昔の話だ。それより、今は疲れたその身体を休めろ。今日からここが、お前の居場所だ」

 

 ティグルス様は、木杯のスープを匙で(すく)い、私の口元へとそっと運んだ。

 狂獣と恐れられる辺境伯。

 しかし、私を見つめるその眼差しも、スープを差し出すその手も、信じられないほどひどく優しかった。

 温かいスープが、凍りついていた私の心身をゆっくりと溶かしていく。

 

 私はポロポロと涙を溢しながら、彼が差し出してくれる温かいスープを、何度も何度も飲み込んだ。

 もう涙は凍ることなく、ただ私の頬を伝い流れ落ちていった。


 ◆


 ティグルス様の屋敷で保護されてから、一ヶ月が経った。

 私の体力はすっかり回復し、屋敷の家臣たちとも打ち解けていた。

 

「アルシェーラ様! 先日の託宣、見事に当たりましたよ! おっしゃる通り午前中に屋根の雪下ろしを済ませたおかげで、午後の大雪で倒壊した家屋はゼロでした!」

 

「領民たちも、今年の冬はアルシェーラ様のおかげで凍えずに済むと、大層感謝しておりましたよ」

 

 使用人や騎士たちが、満面の笑みで私に報告してくれる。

 私は屋敷に置いてもらっている恩返しとして、この地の星を詠んでいた。

 そして、少し先の天災や気象を予知すると、領地運営の手助けをしていたのだ。

 

 ドレイヴァン公国には星詠みの文化はない。

 そのはずなのだが、不思議と私の星詠みに対し、辺境領の人々は受容的であった。

 私の言葉を受け入れ、真っ直ぐに信じて頼りにしてくれる。

 

 それが、涙が出るほど嬉しかった――。

 

「おい。またそんな薄着で出歩いているのか」

 

 背後から、低く掠れた声が降ってくる。

 振り返ると、眉間の皺を深くしたティグルス様が立っていた。

 彼は私の肩に、ずしりと重く、そして温かい白狐の外套を乱暴にバサッと被せた。

 

「ティグルス様……! あの、このようなものを居候の私がお借りするわけには……」

 

「知らん。寒さでまた倒れられては寝覚めが悪い。黙って着ていろ」

 

 彼はそっぽを向きながら、ぶっきらぼうにそう言い放つ。

 彼は口数こそ少ないが、私が星を詠みやすいように屋敷の塔の鍵を渡してくれたり、私の好みの温かい茶を常に用意させたりと、その配慮は驚くほど細やかで優しい。

 噂に聞く野蛮人とは、まったく異なる御方だった。

 

 外套に顔をうずめると、ほんのりとティグルス様と同じ香りがして、心臓がトクトクと早鐘を打った。

 白状すると、私は――彼に惹かれている。

 

 絶望の淵から私を救い出し、私の星詠みを肯定してくれたこの不器用で優しい辺境伯様に。

 

 その夜。

 塔のバルコニーで冬の星座を観測していると、ティグルス様が温かい果実酒を二つのグラスに注いで持ってきてくれた。

 夜空に輝く星々を見上げながら、彼がふと、独り言のように口を開く。


「お前の星詠みは、本当に凄いな。つい、昔のことを思い出すよ」

 

「昔のこと、ですか?」


「ああ。もう十年前になる。ある日、俺のもとにある手紙が届いた」

 

 十年前……?

 

 私は記憶の奥底に眠る何かが引っかかり、首を傾げる。

 それに気づかず、ティグルス様はグラスを揺らしながら静かに語り始めた。

 

「十年前、この辺境領は未曾有の猛吹雪と冷害に見舞われた。農作物は全滅しかけ、多くの領民が凍死する寸前だった。だが、そんな絶望の最中、当時の辺境伯であった俺の父宛てに、匿名で一通の手紙が届いたのだ」

 

 ドクン、と私の心臓が大きく跳ねた。

 

「そこには、『吹雪が止む正確な日時』と『雪崩が起きる危険地帯』が詳細に記されていた。藁にもすがる思いでその託宣に従った結果、俺たちは壊滅の危機を脱し、生き延びることができたのだ」

 

 ティグルス様の鋭い横顔が、かつてないほど穏やかで、熱を帯びたものになる。

 

「あれから俺はずっと、その名もなき星詠みを探している。我が領地を救ってくれた、恩人を。もし巡り合えたのなら、感謝を伝えたいと、そう思っているのだ」

 

「…………っ」

 

 グラスを握る私の手が、カタカタと震えた。

 知っている。

 私が、知らないはずがない。

 

 十年前のこと。

 まだ幼かった私は、星の観測中に隣国を襲う恐ろしい冷害の未来を視た。


 しかし、当時のファルシオンはドレヴァン公国と冷戦状態で、国が助け舟を出すことはあり得なかった。

 だから私は、こっそりと匿名の手紙を書き、大人たちの目を盗み、国境を越える商人に手紙を託したのだ。

 

 つまり、ティグルス様の探している星詠みというのは――私だ。


 そんなことは、私自身、もうすっかり忘れてしまっていた。

 どおりでこの地の人々がやけに星詠みに関して寛容なわけだ。

 彼らは、過去に星詠みというものを経験していたのだ。

 

 今ここで、「私がその星詠みです」と名乗れたら、どんなに良いだろうか。

 彼に、抱きしめてもらえるだろうか……。

 

 しかし、言葉は私の喉の奥で冷たく凍りついた。

 

 ダメだ。

 だって、今の私はファルシオンを追放された『謀略の魔女』なのだ。

 

 もし私が名乗り出てしまえば、義理堅い彼は、魔女である私を公的に庇護しようとするかもしれない。

 だが、魔女を匿うとなれば、ファルシオン王国との間で致命的な外交問題になるだろう。

 

 私を助けてくれた、この場所の優しい領民たちや、ティグルス様に迷惑は掛けられない。

 私は己の心に蓋をして、ギュッと唇を噛み締めた。

 

「きっと……その星詠みの方は、今もどこかで、元気に誰かの未来を占っていますよ」

 

「……そう、か。そうであれば、良いな」

 

 ティグルス様は、何故だか少し寂しそうに言った。

 

 嘘を、ついてしまった。

 初めて、この星空の下で。

 

 胸を締め付けるような痛みを隠し、私はただ、満天の星空を見上げるふりをして、こぼれそうになる涙をごまかした。

 

 ◆


 氷雪の辺境にも、やがて遅い春が訪れた。

 分厚い雪が溶け、屋敷の庭には可憐なスノードロップの花が顔を出し始めている。

 

 あれから半年――。

 私の星詠みによる天災へ対策と、農業における適切な種まき時期の予測により、今年の辺境領はかつてないほどの豊作の兆しを見せているという。

 

 この地に来てから星詠みの為に何度も描いた星の軌道を記した羊皮紙。

 それが、もう束になっていた。

 そこ記された星たちが、私がこの地に来てから流れた月日を表している。

 

 街に出れば、領民たちは私を笑顔で出迎えてくれる。

 祖国で魔女と石を投げられた私が、他国でこれほどまでに愛され、必要とされる日が来るなんて。

 こんなこと、夢にも思っていなかった。

 

「お前が来てから、家臣や領民たちの笑顔が目に見えて増えた。礼を言うぞ、アルシェーラ」

 

 春の陽気に包まれた中庭で、ティグルス様が私の隣を歩きながら、不器用に目を逸らして言った。

 彼の大きな手が、そっと私の手に触れる。

 彼の手は剣ダコでゴツゴツと硬いが、温かく、安心できる。

 

「私がこうしていられるのは……ティグルス様に命を救っていただいたおかげです」

 

 彼を見上げて、心からの笑みを向けて答える。

 

 隣を歩いても、手を繋ぐことはない。

 ただ私は、ティグルス様の手の甲に、指先で少しだけ触れてみた。

 彼は少しだけ目を見張り、照れ隠しのように顔の傷跡をポリポリと掻く。

 その愛おしい仕草に、胸の奥が甘く締め付けられた。

 

 ただ、この氷雪の辺境で、ティグルス様という一人の男性を愛し、彼と共に生きていきたい。

 彼と結ばれることはなくとも、この穏やかな日々が少しでも長く続けばいい。

 ただそれだけを、心から願っていた。


 しかし――そんなささやかな幸せすらも、私には許されなかった。


 ◆


 初夏を迎えようとしていたある日の午後。

 ティグルス様の執務室に、血相を変えた騎士が飛び込んできた。

 

「閣下! 国境警備隊からの緊急の報せです! ファルシオン王国軍、約三万が国境付近に集結! さらに、ファルシオン王からの親書を持った使者が、城門の前に到達いたしました!」

 

「……なんだと?」

 

 たまたま執務室で書類仕事を手伝っていた私は、その報告に血の気が引くのを感じた。

 

 ファルシオン王国軍が、三万?

 今、ドレヴァン公国の国境付近に駐屯している兵力は、その十分の一にも満たないはず……。

 

 ティグルス様は鋭い眼光を放ち、即座に大剣を腰に帯びた。

 私も震える足に鞭を打ち、彼の後ろについて広間へと向かった。


「貴様ァァァァ! やはり生きておったな謀略の魔女め!!」

 

 広間でふんぞり返っていたファルシオンの使者は、私を見つけるなり唾を飛ばしながら奇声を上げる。

 その顔には見覚えがあった。

 私を嘘吐きだと罵り、王に媚びへつらっていた高位の星詠みの一人だ。


「な、なぜ貴方がここに……」


「ファルシオンとドレイヴァンを行き来する商人から、妙な噂を聞いたのだ。この地に、星を詠む女が居着いているとな」


 雪解けとともに商人の行き来が始めったことで、私の噂がファルシオンにまで届いてしまったのだ。

 そのことに気づき、私は自分の迂闊さに歯噛みした。


 せめて、もう少し遠方の星を詠んでいれば……!

 そうしたら、事前にファルシオンのからの行軍に気づけたかもしれないのに!


 あるいは、あの国で虐げられた心の傷が、向こう側の星を詠むことを無意識に拒んでいたのかもしれない。

 だから、今の今まで国境沿いへ迫るファルシオン軍に気づけていなかった。


 迫りくる使者の男を前に足を竦ませていると、突然、目の前に大きな影が出来る。

 ディグルス様が、私を使者から隠すように立っていた。

 

「おい、要件を手短に言え」

 

 ティグルス様の低い声に使者は一瞬怯んだものの、すぐにでっぷりとした腹を突き出しながら胸を張る。

 

「ドレヴァン公国の辺境伯よ! 我がファルシオン王の寛大な沙汰を伝えにきた!」

 

「……それで?」

 

 使者の男は、ティグルス様に羊皮紙を突きつけ口上を述べる。

 

「現在、我がファルシオン王国では、原因不明の不作によって飢饉に陥りかけている! さらに、領地各所で水害が頻発! これは全て、そこの忌まわしき『謀略の魔女』が、我が国に呪いをかけているからに他ならない!」

 

「なっ……!?」

 

 あまりの理不尽な言いがかりに、私は息を呑んだ。

 不作も、水害も、私が祖国にいた頃に星の軌道から視ていた破滅の始まりそのものだ。

 しかし、王も他の星詠みたちも私の警告を無視して対策を怠った。

 だというのに、事態が悪化した今になって、その責任を全て私に押し付けようというのか。

 

「我がファルシオン王は、即刻その魔女の身柄を引き渡すことを要求する! 火炙りにして呪いを解かねばならん! もし引き渡しを拒絶し、大罪人を匿い続けるというのであれば――」

 

 使者は、いやらしく口角を吊り上げた。

 

「――これを、我が国への宣戦布告と見なし、国境の三万の軍勢をもって、この辺境領を火の海に沈める!!」

 

 ドクン、と。

 私の心臓が、絶望の音を立てて冷たく凍りついた。


 使者の言葉が、何度も私の脳内で反響した。

 現在、ドレイヴァン公国の国境に詰めている兵力は三千にも満たないはずだ。

 いかに『氷雪の狂獣』と恐れられるティグルス様であっても、十倍もの兵力差を覆すことなど不可能だ。

 辺境領は蹂躙され、私に笑顔を向けてくれた心優しい領民たちの血が、この大地を赤く染めることになる。

 

 私の、せいで。

 

「……わかりました」

 

 無意識のうちに、私の足は前へと踏み出していた。

 震える両手を強く握り締め、使者の醜悪な顔を真っ直ぐに見据える。

 

「ファルシオンに戻ります。だから……この辺境領には、手を出さないでください」

 

「アルシェーラ!!」

 

 ティグルス様の怒鳴り声が広間に響く。

 彼の手が私の細い腕を強く掴んだ。

 その手は火傷しそうなほど熱く、痛いほどに力が入っていた。

 それでも、私は止まらない。

 

「私が戻れば、この地の人々に手を出さず、兵を引くと約束してください!」

 

「ふんっ、当然だ。こちらも好んで争いがしたいわけではない。王国に降りかかる呪いを解きたいだけなのだ。それにしても、ここの辺境伯はバカだな。貴様のような魔女を匿うとは」

 

 使者が下卑た笑い声を上げた瞬間、私の中で張り詰めていた糸がプツリと切れた。


 どうして、いつもこうなるの?

 

 私はただ、祖国の危機を防ぐために正しい星詠みの結果を告げただけ。

 ただ、災いから人々を救いたかっただけ。

 誰かを呪ったことなど一度もない。

 己の利益を求めたこともない。

 ただ真摯に星と向き合い、穏やかな未来を紡ごうとしただけなのに。


「こんなことなら、初めから処刑しておけばよかったのだ。まったく、陛下の温情で生きながらえたというのに、このような仇で返すとは」

 

「……ふざけ、ないで」


 唇を噛み破り、血の味が口内に広がる。

 私は、使者の男を睨みつけた。


「不作も、水害も! 全て私が警告したことです! あなた達が私の言葉を嘘だと嘲笑い、対策を怠った結果でしょう!?」

 

「だ、黙れ魔女め! 貴様の呪いが――」

 

「私は、魔女じゃない!!」

 

 私の叫びが、広間の空気をビリビリと震わせた。

 目から溢れ出した涙が、床にぽたぽたと染みを作っていく。

 

「真実から目を背け、保身のために国を滅ぼそうとしているのは、あなた達の方よ……! 私が、どんな思いでここに捨てられたのかも知らないで……。それでも見つけられた、大切な、居場所なのに……っ!」

 

 もう、奪われたくない。

 私の居場所を、私の大切な人たちを、これ以上理不尽な暴力で脅かさないで。

 

 喉が張り裂けんばかりの絶叫は、どうしようもない無力感と悲しみに染まり、虚しく広間に吸い込まれていった。


 だが――。

 

「よく言った、アルシェーラ。そうだ! ここが、お前の居場所だ!」

 

 頭上から降ってきたのは、地を裂くような、荒々しい声だった。

 けれど、その言葉は私を包み、温めるようで――。

 

 ティグルス様は私の腕を引いて自身の背後に庇うと、腰の大剣を抜き放ち、使者の足元へと突き立てた。

 轟音と共に石畳が砕け散る。

 

「ひっ……!?」

 

「帰って貴様の王に伝えろ。この女は我が領の誇り高き星詠みだ。指一本たりとも触れさせるつもりはない、とな」

 

「ば、馬鹿かっ!? 三万の軍勢を敵に回して生き残れるとでも――」

 

「失せろ!!」

 

 猛獣の如き咆哮に腰を抜かした使者は、這うようにして広間から逃げ出していった。

 静まり返った広間で、私はティグルス様の広い背中に縋り付く。

 

「どうして……どうして!? 相手は三万の兵ですよ!」

 

「お前を犠牲にして得る平和など、いらん。そんなものは犬にでも食わせておけ」

 

「そんなの……領地の皆はどうするんですか!」


「我が誇り高き領民に、恩人を黙って差し出す軟弱物はない。そうだろう?」


「「「ハッ!!」」」


 これまで黙って私たちを見守っていたティグルス様の家臣たちが、一斉に敬礼する。

 その姿に、私は膝から崩れ落ちた。


「どう、して……そこまで…………」


 両手で顔を覆って蹲る。

 すぐに、私の肩に優しい手が触れた。


「恩には、恩をもって報いなければならない。それだけのことだ」


「私は、ちょっとしたお手伝いをしただけですよ……」


「それだけではないだろう? お前は、十年前にも、俺たちの命を救ってくれた」


「……えっ?」


 予想もしていなかった言葉に、私は息のみ、思わず顔を上げた。

 涙でぐちゃぐちゃになった、情けない顔だ。


「さすがに気づくさ。ここに来てから、これを何度も見せてくれただろう?」

 

 彼は懐から、一枚の古びた羊皮紙を取り出した。

 それは、黄ばみ、擦り切れた――十年前のあの日、私が書いた星の軌道の図面だった。


「それ、は……」

 

「お前がくれた手紙にも書いてあった。昔から、綺麗な線を書くものだと感心していたよ」

 

 ティグルス様は、もう片方の手で、最近私が書いた気象予測の書類を取り出し、二つの羊皮紙を並べた。

 

「俺は十年間、この手紙の筆跡だけを頼りに恩人を探し続けていた。美しくも、独特な星の軌道の書き癖……間違いない、お前なんだろ? あのとき、この地を救ってくれた星詠みは」

 

 頭を、鈍器で殴られたような衝撃だった。

 彼は、気づいていたのだ。

 その上で、私に何も問いたださず、居場所をくれ、私を守り続けてくれていた。

 

「今こそ、お前に恩を返そう、アルシェーラ」

 

 ティグルス様のゴツゴツとした親指が、私の目尻の涙を拭う。

 胸の奥から、言葉にならない感情が濁流となって溢れ出した。

 

 喜び、安堵、申し訳なさ、そして――彼への、どうしようもないほどの愛おしさ。

 

 もう、限界だった。

 この想いを、これ以上隠し通すことなどできない。

 私は彼に縋り付き、子供のように声を上げて泣きじゃくった。

 

 けれど、感動に浸っている猶予はなかった。

 遠く窓の外、国境の山脈の向こうに、微かに黒い煙が上がっているのが見えた。

 ファルシオン軍の陣幕だ。

 使者が戻れば、明日にでも進軍が始まる。

 十倍の戦力差という絶望的な現実は、何一つ変わっていない。

 ティグルス様は、私を抱きしめたまま、戦場に向かう武人の目をした。

 

「俺は騎士団を率いて迎撃に出る。お前は屋敷の奥に隠れていろ」

 

 彼が死を覚悟しているのが、痛いほど伝わってきた。

 私のために、彼を死なせるわけにはいかない。

 私は涙を乱暴に袖で拭い、赤く腫れた目で、彼を真っ直ぐに見上げた。

 

「……いいえ、私も行きます。いえ、私が、勝たせます」

 

「アルシェーラ?」

 

「私だって、いい加減やられっぱなしではいられないんです! 私だって、もうこの氷雪の辺境に住む星詠みなんですから!」

 

 私は、自分の胸に手を当てて力強く宣言した。

 

「私を信じてください。私の星詠みと、ティグルス様の戦術があれば……三万の軍勢など、恐るるに足りません!」

 

 ◆

 

 結果として、辺境領に血の雨が降ることはなかった。

 私の星詠みはファルシオン軍の戦略を(ことごと)く看破し、ティグルス様の強力無比な戦術が敵を薙ぎ払う。

 さらにティグルス様率いる精鋭部隊が地の利を活かして敵を圧倒し、混乱し戦意を喪失した三万の軍勢は、無血に近い形で撤退へと追い込まれるのだった。

 

 その後、天災と不作の連鎖に耐えきれず、ファルシオン王国はジワジワと崩壊しくことになる。

 だが、それは少し先の話だ――。

 

 

 遅い夏が訪れた、星降る夜。

 塔のバルコニーで星の観測を続ける私の肩に、ずしりと温かい白狐の外套が掛けられた。

 

「夏とはいえ、この辺境の夜風は冷える。また倒れられては困るからな」

 

「ティグルス様……。ふふっ、ありがとうございます」

 

 隣に並んだ彼の大きく硬い手が、私の手を不器用に握り包む。

 

 見上げる夜空の星々は、どこまでも優しく、私たちの未来を祝福するように瞬いていた。

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