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DRIVEN - 感情は、長く抑えてはいけない。  作者: 黒金カズナ


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第一章 息の詰まる一日

リサはゆっくりと、賑やかな街を歩いていた。腕時計を叩いてHQに繋ごうとする。HQはすぐに応答し、リサは腕時計のラジオからイヤホンのインターコムへと切り替えた。

「エージェント・リサよりHQへ」声に力がない。

「ファルハンだ。どうした、エージェント・リサ?」ラジオの向こうはファルハンだった。

リサはゆっくり息を吸い、口を開いた。「申し訳ありません……ファミリー・インフィニットへの加入に、失敗しました」

「失敗!?」ファルハンの声が裏返るほど上がった。「どうやって!?―」

ドゥアーッ!!

爆発音が轟くと同時に、土埃と鉄の破片が通りへと吹き飛んだ。リサは素早く顔を庇った。

「リサ!―」

リサは無線を切り、立ち込める土煙の中へと飛び込んだ。喉が詰まる。煙が鼻腔を満たしていく。

瞼をしきりに瞬かせ、手で扇ぎながら手近なものを手探りする。砂の匂いに加え、鼻を突く異様な刺激臭。リサは咳き込みながら顔の前で腕を振った。霞む視界の端に、倒れ伏した影が映り込んだ。手を伸ばそうとした、その時。

ドゥクッ!!

左肩に重い圧がかかり、リサは泥の地面を横へと引きずられた。右手が何かに伸び――屋台の鉄骨を掴むことに成功した。左肩が激しく脈打つ。リサは手を離し、素早く武器を引き抜いた。

視界の端に黒い拳が割り込んできた。リサはスタンスティックで受け止めた。

――受け止めた、はずだった。

スタンスティックは逆に自分の体へと押し戻された。

「ぐわあっ」

背中が泥の中を滑った。リサは土埃まみれの目を無理やり開ける。

まずい、また来た…

黒い拳が上から迫る。リサは左へ転がり、乾いた地面に手をついて立ち上がろうとした。

ズブッ!!

すぐ脇の地面が陥没し、汚臭漂う水がリサの足に跳ねかかった。土煙の向こうに赤い目が見えた。下から飛んできた泥がリサの腕に直撃し、さっきの拳がリサの脇腹に向かって大きく振られた。

「あ、あああっ!!!」リサは叫んだ。右の脇腹に激しい痛みが走る。それでも立っていられた。拳は肋骨の下部を正確に捉えていた。リサは咳き込みながら数歩後退し、左手で脈打つ脇腹をきつく押さえた。

息が、できない。

再び土煙が目を覆った。涙で固まっていく。リサは集中しようとした。痛みを脇に押しやり、体を横に向ける。右から風切り音――隙間が生まれ、何かが胸をかすめて通り抜けた。リサは真っ直ぐ立ち、右脚を後ろへ引き、目の前のものを思い切り蹴りつけた。足が何かに当たった。

「あああっ」リサは呻いた。

硬い…壁を蹴ったみたいだ。 足の感覚がなくなる。

違う。これは、ロボットとの訓練とは違う。

足を引いて濡れた地面に踏み直した瞬間、少し滑った。頭上を風切り音がかすめていく。

この好機を逃さず、リサはすぐさましゃがんで左へ転がった。呼吸を整え、装備の電圧を起動させる。左手で両目を拭った。

スタンスティックをしっかりと握り直し、今度は立ち上がると同時に前へ走り出した。右へかわす――黒い拳が胸をすり抜けた。リサは黒い覆いのない相手の硬い肩を掴んだ。首が視界に入ってくる。リサはスタンスティックを引き絞り、その首へと力の限り叩きつけた。

「…」

何も起きなかった。

目の前の首筋に向いていた視線がずれた。「がっ」リサは土煙の外へと吹き飛ばされ、手からスタンスティックが離れた。両の脇腹をきつく抱え込む。

「げほっ…げほっ」リサは咳き込んだ。唾液が溢れ出る。肺が、胸の中の重さを全部吐き出そうと暴れていた。脚は漕ごうとしているのに、体が立つことを許してくれない。

バキッ! ビシッ!!

小さな爆発と火花の音が土煙の中から聞こえた。スタンスティックが壊されたのかもしれない。泥を踏む足音が、少しずつ、確実に近づいてくる。リサは目を固く閉じた。

突然、背後から高速で回転するプロペラの音が響いた。

「はあ…」

長いため息が後ろから聞こえた。

「あんなかわいい電圧で、ドラウンドが倒せるわけないだろが」

男の声が遠くから届いた直後、プロペラ音がリサの横を通り抜けた。リサは涙でぼやける目を無理やり開けた。霞の中で、黒い拳の塊が土煙の外へと出てくる。それを待ち構えていたのは、目を焼くほどの強烈な電撃だった。

「ぐあああっ!!」叫び声が上がった。真っ黒な腕が激しく振り回されたが、素早く動く小さな何かがそれを翻弄し、再び土煙の中へと引きずり込んだ。リサから遠ざかっていく。リサは目元の土と涙を拭った。

背後でより重いプロペラ音が近づいてきた。「警備員、まだ来てないのか? 被害者がこんなに出てるのに」男が呟いた。

大型のドローンが土煙の中へと飛び込んでいく。プロペラが加速し、煙を一気に上へと吹き飛ばした。視界が晴れていく。リサはようやく、ずっと自分を殴り続けていたものの正体を見た。

半髪の老人。ヨレたTシャツ。左腕は乾いたオイルを塗りたくったように黒々と輝いており、その大きさは右腕とまるで釣り合っていなかった。

背後から足音がリサへと近づいてきた。「そこで突っ立ってないで、早く逃げろ! 長く抑えてられない!」

リサはゆっくりと膝をつき、それでも脇腹を抱えたまま立ち上がると、男の方へと向かった。フードと異様に大きなゴーグルを着けた不思議な男だった。歩きながらリサは後ろを振り返った。「パサール・スニン・カミス」と書かれた看板――文字が一つ欠けているが、辛うじて読める。その周辺の光景はとても市場とは呼べないほど奇妙で、瓦礫と方向もなくバラバラに立つ屋台の鉄骨が散乱していた。

一歩ごとに泥で足が滑った。至る所が水浸しだった。

「助けてください!!!」後方から叫び声が聞こえた。リサの足が止まった。声の方向を探す。

「ほっとけ!」フードの男が言い放った。リサは目を閉じ、その場から駆け出した。

「助けて!!! 誰か!!!」声が大きくなった。

「おいっ、ボケ!!」

リサの体が軽くなった。脇腹の痛みが、まるで嘘のように感じられた。彼女は声の方へ向かって全力で走った。前方に老人の姿が見えた――市場の瓦礫の間に下半身を挟まれて、身動きが取れなくなっている。

「大丈夫ですよ、今助けます」リサは言い、両腕に力を込めて重い石を押しのけようとした。

「あぶなっ!!」フードの男が叫んだ。

鈍い打撃音がリサの頭すれすれをかすめ、視界の端にある支柱を直撃した。倒壊した瓦礫がさらに老人の上へと積み重なった。

「おじいさん!!!」リサは叫んだ。

返事はなかった。ただ石が、静かに土煙に包まれていくだけだった。

リサの足から力が消えた。体が後ろへと崩れ落ちた。手が泥をかきむしる。息が詰まる。視界の端で、ドラウンドが絡まった腕を引き抜いていくのが見えた。

「間に合わない」フードの男が呟いた。

時間が遅くなった気がした。黒い拳がどんどん大きく迫り、闇がリサの視界を塗りつぶしていく。リサは目を閉じ、奥歯を食いしばった。

ドゥクッ!!

何か硬いものへの打撃音が響いた。リサは速く息をした。目を開こうとすると、まだ開いていた。目の前に、長方形の巨大な岩が高くそびえ立っていた。上から長い尻尾がゆらりと垂れ下がっている。

後ろへ飛び退くと同時に降り立ち、リサの眼前に立った。前方の岩が動き上がり――ドラウンドを仰向けに吹き飛ばした。巨大な長方形の剣。その大剣を肩に軽そうに乗せた、小さな背中。素早く動く耳が頭の上で揺れている。

「だ、だ、大丈夫か?お、お、お姉さん?」その声は激しく震えていた。だがリサが答える前に、尻尾がぴんと張った。少年の視線が前へと戻り、剣を傾ける。重い衝撃を受け止め、少し押し戻された。

小型ドローンが戻ってきて、ドラウンドに電撃を浴びせた。「コイ! 遅れてきた上に、まだ集中できてないのか!」

「ぐああああっ!!」ドラウンドが吠えた。その注意が逸れた瞬間、コイと呼ばれた少年は両手を柄に添えた。巨大な武器が二本の小さな四角い剣に分かれ、鎖が伸びて腕に絡みつく。

「とりあえず来れたからよし」コイはそう言いながら前に踏み出した。

コイは左の剣を投げ、鎖でドラウンドをぐるりと巻いてその後ろへ回り込んだ。鎖をほぼ水平になるまで張り、左腕を力強く引き絞りながら飛び上がる。ドラウンドが鎖を引いて振り解こうとした、その力がそのままコイを引き寄せる推進力になった。コイは右腕を大きく広げ、素早く剣を前へと薙いだ。

バキッ!!

首筋への鋭い一撃。ドラウンドの目の赤が消え、白だけが残る。そのまま前のめりに崩れ落ちた。コイもまだ巻きついた鎖ごと一緒に倒れ込んだ。

「いたたた、重い。デニス兄貴、手伝ってよ!」コイが焦った声で叫んだ。

デニスと呼ばれた男が近づいてきてゴーグルを外した。「ガキ、自分で言い出して自分でパニックになって!」リサはようやく大きく息を吐き出した。視線が、先ほど瓦礫の下敷きになった老人の方へと戻った。

「あーあ、これはホントに重いな」デニスの声が背後から漏れた。

もし私があの人の元へ走らなければ、ドラウンドはあの人に近づかなかったかもしれない。 リサは瓦礫に向かって手を伸ばした。

「うわーやっと」デニスが吐息を漏らした。

「痛い、鎖で手が挟まった」コイが呻いた。

リサはしばらく立ったまま、あのおじいさんを押しつぶした石を見つめ続けた。鉄の匂いが鼻に入ってきた。長く息を吐き出し、背を向けて、自分を助けてくれた二人の方へと歩いていった。少年をよく見る。

猫人間? 初めて見た。

脇腹が強く脈打っている。口を開こうとした。

「あ、あの……助けて、くれて―」

「お前、阿呆か!!」デニスが怒鳴った。

デニスはリサのすぐ目の前に指を突きつけた。「ほっとけって言っただろ! 危うく死ぬとこだったじゃないか! コイが! 一秒でも! 遅れてたら!!!」

後ろのコイもびくっと跳ね上がり、自分も怒られている気がして縮こまった。「す、すみません」リサとコイが声を揃えた。

デニスが大きくため息をついた。しばらくして、救急車のサイレンと警備員の足音が響いてきた。

「遅い~」デニスは警備員の顔の目の前で、ぼそりと言った。警備員の胸のバッジを指先でつつく。

「申し訳ございません、道が渋滞していまして!」

「死者三名、重軽傷者十一名。で、さっき瓦礫の下敷きになった人が生きてるか死んでるか、俺は知らん!」デニスが怒鳴り、リサの方を一瞥した。リサはすぐに視線を逸らした。

リサはゆっくり息を吸い込んだ。ズボンを握りしめる。目が、前方で瓦礫を撤去しようとしている警備員に向いた。警備員が岩の塊を持ち上げ始めた瞬間、リサは強く目を閉じた。

医療スタッフの診察の結果、リサの脇腹にはいくつかの打撲痕があるだけで、幸いにも重傷はなかった。救急隊員と警備員が被害者全員を連れて去り、ドラウンドは専用の車両で運ばれた。左腕の黒はすでに消えていたが、奇妙な紋様だけが残っていた。

視線が瓦礫へと戻った。あのおじいさんがいた場所に、黒く固まった血だまりが残っている。遺体はもう運ばれていた。リサは虚ろに見つめた。「私に、あれを見る強さがあるんだろうか……」

最後にどんな状態だったか、知りたかった。

「ちょっと、救急車に乗らなかったの?」デニスが後ろから声をかけた。

「え、えっと……大した怪我じゃないって言われたので」リサはまだ声が弱い。

デニスはコイにちらりと目を向けた。「ふーん。で、コイ、どうする?」

コイが驚いて、リサとデニスの間で視線を泳がせた。「え、どうするって、なんで急に僕に?」

「このどうするかってこと。ここに置いていくか、一旦拠点に連れていくか」デニスが続けた。

「拠点……?」リサが囁いた。「だ、大丈夫です。気にしないでください。私は……」立ち上がろうとして、崩れ落ちた。脇腹が激しく脈打ち、足から全身の力を根こそぎ奪っていった。

「放っておくの?」デニスが聞いた。

「つ、連れていってあげようか?……かわいそうし」

結局、二人はリサを両側から抱えて拠点へと連行した。

「ちょ、ちょっと待って」リサは酔っ払いのように担がれながらも抵抗した。

通り抜けた森が不思議と懐かしかった。見覚えのある岩が視界に入ってくる。デニスはリサを自分の肩から離し、そのままコイに倒してしまった。

「まず体を洗え。ゴミの匂いがする」デニスが言った。

「ちゃんと言ってから離してよ!」コイが抗議した。リサの体重がコイに一気にのしかかり、二人で倒れそうになる。コイはリサの背中を支えながら、岩の脇にある蛇口で体を洗い流した。

リサはデニスを見た。デニスは落ち葉を払いのけ、キーパッドにコードを入力してから、隣の異変に気がついた。「あれ、この扉、なんで壊れてるんだ? ベータじはもう帰ってたか?」コイに向かって首を傾けながら聞いた。

扉は大きく開け放たれ、無残に破壊された状態だった。コイは肩をすくめて知らないと言ったが、リサの顔は今朝ここを壊したのが自分であることを思い出して、茹でたトマトのように真っ赤になっていた。

デニスは中に飛び込み、辺りをきょろきょろ見渡した。仕掛けが発動した跡を一つ一つ目で追うたびに、疲れたような息が漏れた。地面に刺さったままの発射体を見つけて、立ち止まった。「どうやって?」

コイはリサを背負ったままゆっくりと飛び込み、メインルームへと引きずっていった。リサの顔はもはやトマトそのものだった。

「ボス! ビ・ニャイ!!」デニスが叫び、アセプが先ほど向かった部屋へと消えていった。

「まさかこの二人が……ファミリー・インフィニットのメンバーだったなんて……」リサは両手で顔を覆いながら小さく呟いた。

「ど、どうしたの、お、お、姉さん? ど、ど、どこか痛い?」コイが慌てた様子で聞いた。

奥の部屋から咀嚼音を立てながら誰かが出てきた。「なんだデニス、帰ってきたばかり急に大声で」――アセプの声だった。

「あれ、いたの? どこ行ってたんだ? 探してたよ」アセプはまだ何かを噛みながら言った。リサは手を離して、後ろを振り返った。

「お……お父様」コイが甘えた声で呼び、アセプの後ろへとこっそり隠れた。リサの目が大きく見開かれた。

猫人間のコイの、父親が……人間?

「さっきどこ行ってたの、ちょっとー」アセプが指を鳴らし、リサの注意を引いた。

「あ……その、私……帰りました。だって、断ったので」

「はあ? いつ俺が断った!?」

「え?」

二人は同時に首を傾げた。コイの尻尾がアセプの足元でゆらゆらと揺れている。

「さ、さっきおわりって言って、行ってしまったじゃないですか」

アセプは少し黙ってから、ポケットをまさぐった。油染みのついた、8の字型のバッジが出てきた。「ああ、これを取りに行ってたんだ」

リサの顔がさらに赤く熱くなった。

「最初から俺はお前を断れないけどな」アセプの腰からコイがちらりと顔を覗かせた。

「だから奥に行って、お前のためのバッジを取ってきた。そしたらお前がいなくなってた。まあ、ちょっと探すのに時間かかったんだけど。どこに置いたか忘れてたからな」アセプが続けた。「やっと見つけて戻ったら、いなくなってさ……このファミリーに興味がないのかと思ってた」

まだ驚きの抜けないリサは、腕時計がずっと振動していることに気がついた。ファルハンからの着信とメッセージのスパムが大量に届いている。リサは両手で顔を覆った。もし近くに井戸があったら、今すぐ飛び込みたい。 アセプはゆっくりとコイの頭を撫で、リサに向かって聞いた。

「それで、どうする? まだこのファミリーに入りたいか?」

リサはハッとして顔を上げた。目の前でアセプがバッジを差し出している。彼女の手が、震えながら宙に浮いた。

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