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第19話 宰相の「重力魔法」による尋問を受けましたが、社畜時代の「重いノルマ」に比べればマッサージのようなものです


 ガゼボの中の空気は、鉛のように重く淀んでいた。


 帝国の宰相、ラインハルト・フォン・エグゼ。

 彼が放つプレッシャーは、ヒルデガルド皇女のような熱波とは違う。

 肺の中の酸素を奪い、思考を凍てつかせ、心臓を直接握り潰すような、冷たく鋭利な重圧だ。

 彼の銀縁眼鏡の奥にある瞳は、私という存在を解剖し、その内側にある真実を引きずり出そうとしていた。


「検証、とは何をするおつもりですか?」


 私はティーカップを置き、あくまで優雅に問い返した。

 指先が微かに震えそうになるのを、テーブルの下で太ももをつねって誤魔化す。


「簡単なことです。貴女が本当に『病弱な夫人』なのか、それとも『化け物』なのか。数字で証明すればいい」


 ラインハルトは、持っていた万年筆のキャップを外した。

 そのペン先から、インクではなく、青白い幾何学模様の魔法陣が空中に描かれる。

 複雑怪奇な数式が螺旋を描き、私の周囲を取り囲んだ。


「これは帝国軍が開発した『重力負荷領域』の簡易版です。対象にかかる重力を局所的に増幅させる。……常人ならば肩が凝る程度ですが、魔力循環に異常がある者や、肉体に偽装を施している者には、骨が軋むほどの激痛が走る」


 嘘だ。

 直感が警鐘を鳴らす。

 肩が凝る程度なわけがない。

 展開された魔法陣から漂う魔力密度は、明らかに「岩石粉砕用」のレベルだ。

 彼は最初から、私を押し潰して、悲鳴を上げさせるつもりなのだ。


「待て、ラインハルト! エルナは病み上がりなのだぞ!」


 ヒルデガルド様が立ち上がり、私を庇おうとする。

 しかし、ラインハルトは視線すら動かさずに制した。


「殿下はお黙りください。これは貴女を守るための査問です。……さあ、ヴォルフィード公爵夫人。証明してみせなさい。その華奢な体が、ただの肉と骨でできているのかどうかを」


 シュゥゥゥ……。

 魔法陣が回転し、空気が圧縮される音が響く。

 次の瞬間、私の肩に、見えない鉄塊が落とされた。


 ズンッ!!!


 重い。

 想像以上だ。

 まるでリュカ様の「愛の重さ」を物理的に再現したかのような圧力。

 ティーカップの中の紅茶が、小刻みに波紋を描く。

 私の座っている椅子が、ミシミシと悲鳴を上げた。

 普通の女性なら、一瞬で意識を失い、床に這いつくばっていただろう。


 だが。


(……あれ?)


 私は瞬きをした。

 確かに重い。

 肩に五〇キロ、いや八〇キロくらいの負荷がかかっている。

 呼吸がしづらい。背骨が軋む。


 けれど、それだけだ。


 私の脳裏に、かつての記憶が蘇る。

 深夜の王宮地下。

 三百個の結界石(総重量一五〇キロ)を背負い、階段を三十往復させられたあの日々。

 神殿長に「魔力が足りない」と罵られながら、徹夜明けの体で鉛のような防護服を着て作業したあの日々。


 それに比べれば、この程度の重力、ただの「肩こり解消マッサージ」ではないか。


 私は腹直筋に力を入れ、体幹を固定した。

 背筋を伸ばし、首筋の筋肉で頭部を支える。

 表情筋をリラックスさせ、あくまで「何も感じていない」風を装う。


「……何か、始まりましたの?」


 私は小首を傾げてみせた。

 ラインハルトの眉が、ピクリと跳ね上がる。


「……馬鹿な。現在の負荷は三倍重力。か弱い女性なら呼吸すら困難なはず」


「あら、最近少し肩が凝っておりましたので、ちょうど良い刺激ですわ。……宰相閣下は、マッサージがお上手なのですね」


 挑発ではない。

 本心からの感想だ。

 凝り固まった僧帽筋が良い具合に圧迫され、血行が良くなってきた気がする。


「ふざけるな……!」


 ラインハルトの冷静な仮面が、剥がれ落ちかけた。

 彼は万年筆を振るい、さらに魔法陣を書き足す。


「負荷増大! 五倍! いや、七倍だ!」


 ガガガガッ!

 ガゼボの柱に亀裂が入る。

 地面の芝生が円形に押し潰される。

 ヒルデガルド様でさえ、「ぐっ……!」と顔をしかめて後退るほどのプレッシャー。


 しかし、私は動じない。

 むしろ、負荷が増えたことで、私の筋肉は歓喜していた。

 来た。これだ。

 この圧倒的な抵抗感。

 これに耐えることで、私のインナーマッスルはさらなる高みへと進化する。


 私は震える手で――重力のせいではなく、武者震いで――クッキーを一枚手に取った。

 七倍の重力下で、クッキーを口に運ぶ。

 それは、ダンベルを持って食事をするに等しい行為だ。

 上腕二頭筋が熱い。三角筋が燃えている。

 サクッ。

 優雅にクッキーを噛み砕く。


「……あり得ない」


 ラインハルトが後ずさった。

 その顔は、計算外の事態に遭遇した学者のように青ざめている。


「計測器の数値は正常だ。貴女には、熟練の重装歩兵でも気絶する圧力がかかっているはずだ。なのに、なぜ……なぜ涼しい顔でお茶を飲める!?」


「それは、私がヴォルフィード公爵夫人だからですわ」


 私は静かに答えた。


「夫の愛は、この程度の重さではありませんもの。……宰相閣下の魔法など、愛の重さに比べれば、羽毛のようなものです」


 リュカ様への愛の告白(風の筋肉自慢)だ。

 ヒルデガルド様が、感動したように口元を押さえた。


「師匠……! なんて強靭な精神力だ! 愛の力で物理法則すらねじ伏せるとは!」


 違います、筋肉です。

 でも訂正する余裕はない。


 ラインハルトは、屈辱と混乱で震えていた。

 彼の論理的思考回路の中で、「愛=重力耐性」という数式は成立しないはずだ。

 だが、現実は目の前にある。

 彼はギリリと奥歯を噛み締め、最後の手段に出ようとした。


「認めん……! そんな非科学的な現象、私が解体して証明してやる!」


 彼が懐から、短剣のような鋭利な魔道具を取り出した。

 殺気。

 重力で潰せないなら、物理的に傷をつけて反応を見るつもりか。


 さすがにまずい。

 七倍重力下で回避行動を取れるか?

 私の筋肉は耐えられても、ドレスが持たないかもしれない。


 その時。

 世界が、本当の意味で凍りついた。


 キィィィィン……。


 空気が結晶化するような、高い音が響く。

 ガゼボの周囲に、無数の氷柱が出現した。

 それはラインハルトの首元、心臓、手首、足首の急所を、正確に狙って浮遊している。


「……私の妻に、何の用だ。ドブネズミ」


 地獄の底から響くような声。

 庭園の入り口に、リュカ様が立っていた。

 彼は怒っていた。

 決闘の時のように熱く激昂しているのではない。

 感情の一切を排し、ただ「排除」を決定した破壊装置のような目だ。


「リュカ、様……」


「ラインハルト・フォン・エグゼ。貴国との友好条約など、紙屑にして燃やしても構わんのだぞ?」


 リュカ様が一歩踏み出す。

 重力魔法など存在しないかのように、彼は私とラインハルトの間に割って入った。

 そして、ラインハルトの手にある魔道具を、素手で握り潰した。


 バキィッ!

 金属が砕ける音。


「ひっ……!」


 ラインハルトが初めて、明確な恐怖を顔に浮かべた。

 論理や計算が通じない、圧倒的な暴力の化身が目の前にいるのだ。


「誤解です、ヴォルフィード公爵。私はただ、夫人の健康状態を……」


「黙れ。エルナが苦しそうに肩を震わせていたのは、ここから見えていた」


 リュカ様は私を振り返り、重力から解放された私の肩を優しく抱いた。


「すまない、エルナ。怖かっただろう。肩が凝るほど強張って……」


 いや、それは重力のせいです。

 そして震えていたのは、筋トレの喜びです。


「もう大丈夫だ。この男は私が処理する」


 リュカ様の手から、絶対零度の冷気が溢れ出す。

 ラインハルトの足元が凍り始めた。

 本気で氷像にする気だ。


「待ってください、リュカ様!」


 私は慌てて彼の胸に飛び込んだ。

 ここで帝国の宰相を殺せば、本当に戦争になってしまう。

 私の平和な筋肉ライフが崩壊する。


「彼は……マッサージをしてくださっていただけですわ」


「は?」


 リュカ様が動きを止めた。


「帝国の最新式魔導マッサージです。少し刺激が強かったですけれど……おかげで肩が軽くなりました」


 私はニッコリと微笑み、腕を回してみせた。

 ボキボキ、と関節が鳴るが、それはご愛嬌だ。


「そ、そうなのか? 虐められていたわけでは?」


「ええ。宰相閣下は、とても熱心な健康オタクのようですわ」


 私がラインハルトに目配せをすると、彼は屈辱に顔を歪ませながらも、命拾いしたことを悟って頷いた。


「……左様です。公爵夫人の凝りは、想像以上に頑固でしたので……少々手荒な施術になりました」


 リュカ様は狐につままれたような顔をしたが、私が無事ならそれでいいと判断したらしい。

 氷の殺気を収め、冷たく言い放った。


「二度目はないと思え。……帰れ」


 ラインハルトは眼鏡を直し、乱れた法衣を整えた。

 その瞳から、私への興味は消えていない。

 むしろ、より深く、粘着質な光が宿っている。


「失礼します。……ですが、ヴォルフィード公爵夫人。明後日の舞踏会、楽しみにしていますよ」


 彼は去り際に、私だけに聞こえる声で囁いた。


「重力で潰れないなら、次は『ダンス』でお相手願います。貴女のその筋肉の反応……直接触れて、確かめさせていただきますから」


 捨て台詞を残し、彼は去っていった。

 ヒルデガルド様が「すまん、師匠……」と申し訳なさそうに頭を下げる。


 私はリュカ様の腕の中で、深いため息をついた。

 ダンス。

 それは、至近距離での接触。

 私の鋼の肉体が、あの鋭敏な宰相の手に触れれば、今度こそ誤魔化しが効かないかもしれない。


 新たな試練の予感に、私の胃袋が――空腹ではなく、緊張で――キュッと鳴った。


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