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第17話 決闘の決着は「派手な転倒(※巴投げ)」で――皇女が私の筋肉に惚れ込み、夫は「儚い勝利」に涙しています


 夜の庭園は、灼熱のオーラによって歪んで見えた。


 対峙するヒルデガルド皇女の全身から、陽炎のような魔力が立ち上っている。

 先ほどまでの余裕はない。

 彼女の黄金の瞳は、猛獣が獲物の喉笛を狙うときのように細められ、手にした鉄刀木の剣がミシミシと悲鳴を上げていた。

 本気だ。

 一国の将軍が、プライドをかなぐり捨てて、一個人を圧殺しようとしている。


 観客席の貴族たちが息を呑む気配が伝わってくる。

 彼らの目には、この光景がどう映っているのだろう。

 燃え盛る炎の魔神と、その前で震える一輪の青い花。

 同情と絶望が入り混じった視線が、私の背中に突き刺さる。


 だが、私の内心は別の意味で焦っていた。


 まずいことになった。

 彼女の今の気迫、生半可な回避では躱しきれない。

 かといって、扇子で受け止めれば、今度こそ衝撃波で周囲の木々が吹き飛び、私の「病弱設定」も木っ端微塵になるだろう。

 求められるのは、彼女を無力化しつつ、あくまで「事故」として処理する高度な演技力。


 リュカ様が、柵を握りしめて叫んだ。

 その指が鉄製の柵を握り潰しているのが、視界の端に見える。


「ヒルデガルド! それ以上魔力を上げれば、エルナの魂がショック死する! 今すぐ止めろ!」


 魂は死にませんが、ドレスが焦げそうです。

 マダム・ヴェルニエ特製の強化妖精絹とはいえ、直火焼きは保証対象外だろう。

 私は小さく息を吐き、足元の重心を確認した。

 特注シューズのグリップ力は良好。

 腹直筋のコンディションも万全。


「行くぞ、エルナ・ヴォルフィード」


 ヒルデガルド様が、低く唸った。


「その細い腕の奥に隠した『本性』、私が引きずり出してやる!」


 ドンッ!!


 爆発音。

 彼女の姿が消えた。

 いや、直線的な突進だ。あまりの速さに、視覚情報が追いつかないだけ。

 彼女は剣を振り上げるのではなく、切っ先を私の心臓に向け、突き込んできた。

 必殺の突き。

 かわしても衝撃波が私を襲い、受ければ吹き飛ばされる。


 逃げ場はない。

 だから私は、逃げるのをやめた。


 私は脱力した。

 全身の力を抜き、あえて前方へ――切っ先に向かって倒れ込む。

 まるで、恐怖のあまり意識を失い、崩れ落ちるかのように。


「なっ!?」


 ヒルデガルド様が驚愕する。

 突進の勢いは殺せない。

 彼女の剣が私の脇をすり抜ける瞬間、私は彼女の胸倉と、剣を持つ手首を掴んだ。

 指先に魔力を込め、万力のように固定する。


 そして。

 私はそのまま、自分から背中を地面に向けた。

 倒れ込む勢いを利用し、片足を彼女の腹部に当てる。


 テコの原理。

 相手の突進エネルギーと、重力、そして私の腹筋による巻き込み。

 三つの力が一点に集約される。


 柔術で言うところの「巴投げ」。

 ただし、今の私はか弱い公爵夫人だ。

 傍から見れば、私が貧血で倒れかかり、慌てた皇女がつんのめって巻き込まれたようにしか見えないはずだ。


「う、おおおおおっ!?」


 ヒルデガルド様の視界が反転する。

 彼女の巨体が、私の頭上を越えて美しい放物線を描いた。


 ドォォォォォォンッ!!!


 凄まじい地響きと共に、皇女の背中が石畳に叩きつけられた。

 私はその反動を利用して、ふわりと回転し、彼女の上に覆いかぶさるような形で着地する。

 ドレスの裾が花のように広がり、私たちの姿を隠した。


 静寂。

 誰も言葉を発しない。

 何が起きたのか、理解できていないのだ。


 私はヒルデガルド様の耳元に顔を寄せ、誰にも聞こえない声で囁いた。


「……ドレスが汚れるので、これくらいで勘弁していただけますか?」


 ヒルデガルド様は、虚ろな目で夜空を見上げていた。

 背中を強打した衝撃で息が止まっているようだが、頑丈な彼女のことだ、骨折はしていないだろう。

 彼女はゆっくりと視線を私に向け、そして震える唇で呟いた。


「……見事だ」


 その言葉には、負け惜しみではない、純粋な敬意が込められていた。


「力が……吸い込まれた。まるで、巨大な渦に飲み込まれたように。……これが、お前の『強さ』か」


「いいえ。ただの……夫に愛されたい妻の、火事場の馬鹿力ですわ」


 私がウインクをすると、彼女は呆れたように、しかし楽しげに口元を緩めた。


 その時だった。

 我に返った観衆から、爆発的な歓声が上がった。


「す、凄い! 見たか今の!」

「皇女様が、足をもつれさせて転んだぞ!」

「エルナ様が倒れ込んだのを避けようとして、バランスを崩したんだ!」

「なんて慈悲深いんだ……。自ら身を呈して、争いを止めようとするなんて!」


 解釈が都合良すぎる。

 だが、それがこの国の貴族たちのフィルターなのだ。


 ガシャーン!

 柵が破壊される音がして、リュカ様が飛び込んできた。

 彼は血相を変えて私に駆け寄り、ヒルデガルド様の上から私を引き剥がして抱きしめた。


「エルナ!! 大丈夫か!? 意識はあるか!?」


「あ……リュカ、様……?」


 私は演技モードに切り替え、虚ろな目を装った。


「私……怖くて……気が遠くなって……気づいたら、空が見えて……」


「ああ、可哀想に! 恐怖で気絶したのだな! その倒れ込む姿さえ、女神の休息のように美しかったぞ!」


 リュカ様は私を強く抱きしめ、涙を流した。


「勝負あった! ヒルデガルド、貴様の負けだ! 自らの勢いを殺しきれず、私の妻の『無防備な純真さ』の前に自滅したな!」


 自滅ではない。

 私が投げ飛ばしたのだ。

 地面で呻いているヒルデガルド様が、リュカ様の言葉を聞いて「ふっ」と自嘲気味に笑った。


「……ああ、完敗だ。リュカ」


 彼女はよろりと体を起こし、砂埃にまみれた顔で私を見た。

 その瞳は、もう敵のものではない。

 同じ高みを知る者だけが共有できる、奇妙な連帯感を含んでいた。


「お前の妻は……底が知れないな。私の完敗だ」


「当然だ。私のエルナは世界一だ」


 リュカ様は胸を張った。

 論点がずれているが、結果オーライだ。


 ヒルデガルド様は立ち上がり、軍服の埃を払った。

 そして、私に向かって右手を差し出した。


「エルナ・ヴォルフィード。謝罪しよう。お前は硝子細工などではない」


「……では、何だと?」


 私が恐る恐る尋ねると、彼女はニヤリと笑い、私の耳元で囁いた。


「オリハルコンを真綿で包んだような女だ」


 最大級の賛辞(?)を受け取り、私は彼女の手を握り返した。

 彼女の手は大きく、剣ダコで硬く、そして熱かった。

 ガッチリと握手をする。

 その握力の強さに、私の筋肉が微かに反応し、押し返す。

 彼女はそれを感じ取り、さらに嬉しそうに目を細めた。


「気に入った。……おい、エルナ。私にあの技を教えろ」


「はい?」


「今の投げ技だ。筋力に頼らず、相手の力を利用する理合い。あれがあれば、私はさらに強くなれる」


 まさかの弟子入り志願だ。

 いや、困る。

 私が教えられるのは「いかに仕事をサボるか」と「いかに効率よく書類(と敵)を片付けるか」だけだ。


「検討しておきますわ。……お茶飲み友達としてなら」


「フン、悪くない」


 こうして。

 前代未聞の決闘は、私の勝利という形で幕を閉じた。

 周囲からは「奇跡の勝利」と称えられ、リュカ様からは「守ってあげられなくてすまない」と謝られ、ヒルデガルド様からは「師匠」という熱い視線を向けられる。


 私はリュカ様の腕の中で、こっそりとため息をついた。

 筋肉痛が来るかもしれない。

 明日の朝は、プロテイン……ではなく、特盛りステーキをおかわりしよう。

 そう心に誓いながら、私は心地よい疲労感に身を委ねた。


 この勝利が、新たな騒動の幕開けになるとは知らずに。

 ガレリア帝国から来たのは、皇女一人ではなかったのだから。


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