第16話 決闘当日、夫が「過保護すぎる実況解説」を始め、私の回避行動(※ただの超反応)が「奇跡の舞」だと絶賛されています
決闘当日の夜。
ヴォルフィード公爵邸の裏庭に設けられた特設会場は、異様な熱気に包まれていた。
本来なら静寂に包まれるはずの庭園には、数百本の松明が焚かれ、昼間のように明るく照らし出されている。
噂を聞きつけた王都の貴族たちが、観客席として用意されたテラスに鈴なりになっていた。
彼らの視線は、好奇心と同情、そして残酷な期待に満ちている。
隣国の「征魔将軍」ヒルデガルド皇女と、我が国の「薄幸の公爵夫人」エルナ・ヴォルフィードの決闘。
それはライオンの檻にウサギを放り込むような、一方的な虐殺ショーになると思われていた。
控え室の天幕の中で、私は最後の深呼吸をしていた。
肺いっぱいに酸素を取り込み、全身の筋肉に行き渡らせる。
血液が熱を持ち、指先の毛細血管まで感覚が研ぎ澄まされていくのが分かる。
「……仕上がりは完璧ですわ、エルナ様」
背後で、マダム・ヴェルニエが満足げな声を上げた。
彼女が仕立ててくれたのは、今夜のための特注ドレスだ。
一見すると、夜会に相応しい深い藍色のイブニングドレス。
月光を織り込んだような銀糸の刺繍が施され、動くたびに星空のように煌めく。
だが、その正体はマダムの技術の粋を集めた「戦闘服」だった。
「素材は伸縮率五百パーセントの『強化妖精絹』。どれだけ激しく動いても、決して裂けることはありません。さらにコルセット内部には衝撃吸収用のスライムゲルパッドを内蔵。見た目のウエストラインは極細のまま、外部からの打撃を拡散させますぅ」
マダムは私の腰回りをパンパンと叩いた。
頼もしい。
これなら、多少の衝撃波を受けても肋骨を守れるし、腹筋に力を入れてもドレスが弾け飛ぶ心配はない。
「ありがとうございます、マダム。これで心置きなく……いえ、慎ましく戦えます」
「ええ、ええ! 存分に『儚く』舞ってくださいまし!」
私は立ち上がった。
足元はヒールではなく、グリップ力の高い特注のダンスシューズだ。
見た目はガラスの靴のように繊細だが、底には滑り止めの魔術刻印が刻まれている。
天幕の入り口で、リュカ様が待っていた。
今日の彼は、いつにも増して顔色が悪い。
漆黒の礼服に身を包んでいるが、その佇まいは結婚式というより葬式に参列する遺族のようだ。
「エルナ……。本当にやるのか? 今からでも遅くない。私がヒルデガルドを氷漬けにして、国家反逆罪で処刑されるだけで済む話だ」
済んでいない。
国家反逆罪は、全然済む話ではない。
「リュカ様。私を信じてくださいと言ったはずです」
私は彼の手を取り、自分の頬に寄せた。
私の肌は温かく、脈拍は落ち着いている。
恐怖による震えなど微塵もない。
武者震いによる興奮はあるけれど。
「……手が、温かいな」
「はい。貴方の愛のおかげで、燃えるように熱いです」
半分は嘘で、半分は本当だ。
リュカ様は苦しげに眉を寄せ、それから覚悟を決めたように私の手を強く握り返した。
「分かった。……だが、約束してくれ。もし君の髪の毛一本でも傷つくようなことがあれば、私は即座に介入する。ルールなど知ったことではない」
「はい、はい。分かりました」
過保護な夫を宥めつつ、私たちは決闘の場へと足を踏み入れた。
◇
会場に姿を現した瞬間、貴族たちからどよめきが起きた。
「ああ、見て……なんて美しいの」
「あんなに細い体で……立っているのが不思議なくらいだ」
「可哀想に。皇女の気まぐれに付き合わされて、命を縮めるなんて」
同情の嵐だ。
私がリュカ様に支えられながら、弱々しく歩を進めるたびに、婦人たちがハンカチで目元を押さえる。
計算通りだ。
今日の私の設定は、「病をおして夫の名誉を守る健気な妻」。
顔色を悪く見せるメイクと、伏し目がちな演技が光る。
対面に立つヒルデガルド皇女は、対照的に殺る気満々だった。
真紅の軍服を脱ぎ捨て、動きやすい軽装鎧に身を包んでいる。
手には身の丈ほどもある練習用の木剣。
木剣といっても、鉄刀木という金属より硬い木材で作られた凶器だ。あれで殴られれば、岩でも砕ける。
「待たせたな、硝子細工。……いや、今はヴォルフィード公爵夫人と呼んでやろう」
ヒルデガルド様が不敵に笑う。
彼女の黄金の瞳は、獲物を狙う猛禽類のように私をロックオンしていた。
昨日の「岩タックル事件」で少しは警戒してくれるかと思ったが、どうやら逆効果だったらしい。
私の底知れなさを暴こうと、本気度が上がっている。
「お手柔らかにお願いしますわ、ヒルデガルド様」
私はマダムから渡された、護身用の扇子を構えた。
武器はこれだけだ。
鉄扇ではない。普通の、紙と竹で作られた扇子だ。
だが、魔力を通せばそれなりの強度は出る。
立会人の騎士が、手を挙げた。
「これより、決闘を開始する! 勝敗は、相手の降参、または戦闘不能によって決する!」
静寂が落ちる。
松明の爆ぜる音だけが響く。
「始めッ!!」
開始の合図と同時だった。
ドンッ!!
地面を蹴る爆発音と共に、ヒルデガルド様が目の前に迫っていた。
速い。
瞬きする間に間合いを詰め、あの大木のような木剣を横薙ぎに振り抜いてくる。
ヒュンッ!!
空気を切り裂く音。
直撃すれば首が飛ぶ威力だ。
観客から悲鳴が上がる。
だが、私には見えていた。
社畜時代、暴走する魔道プレス機の間をすり抜けて書類を回収していた日々に比べれば、この程度の速度、止まって見える。
私は膝の力を抜き、重力に逆らわずに体勢を崩した。
まるで貧血で倒れ込むかのように。
ブォンッ!!
木剣が、私の頭上数センチを通過していく。
風圧で髪が乱れるが、それだけだ。
「きゃあっ……!」
私は悲鳴を上げつつ、倒れ込む勢いを利用して一回転し、ヒルデガルド様の死角へと滑り込んだ。
傍から見れば、恐怖で腰が抜けて転んだようにしか見えないだろう。
だが実際は、計算され尽くした回避行動だ。
「なっ……!?」
ヒルデガルド様が目を見開く。
手応えがあったはずの空間に私がいないことに、驚愕している。
その時、観客席の最前列で見ていたリュカ様が、立ち上がって叫んだ。
「見たか!! 今の回避を! 彼女は恐怖のあまり足がすくんで倒れたのだ! それが偶然にも剣を避ける形になった! ああ、神よ! なんと痛ましく、そして美しい奇跡か!」
リュカ様の熱い実況解説が、庭園に響き渡る。
観客たちがざわめく。
「偶然……? いや、確かにそう見えたが……」
「神のご加護だわ。聖女様の純粋な魂が、凶刃を弾いたのよ」
「なんて可哀想に……。立っているのもやっとなのに」
誤解が加速していく。
ありがとう、リュカ様。貴方のその色眼鏡こそが、私にとって最強の防具です。
「ちっ……! まぐれか!」
ヒルデガルド様が舌打ちをし、追撃を仕掛けてくる。
今度は上段からの振り下ろしだ。
逃げ場のない縦の一撃。
地面ごと私を叩き潰す気だ。
私は扇子を開き、口元を隠す動作をした。
その一瞬の隙に、足の親指に魔力を集中させる。
地面を掴むグリップ力。
木剣が振り下ろされる。
私は動かない。
いや、動けないふりをして、ギリギリまで引きつける。
剣先が鼻先に触れる寸前。
私は上半身だけを、液体のようにグニャリと逸らした。
背骨の柔軟性と、腹斜筋の異常なまでの制御力が成せる技だ。
マトリックス避け、とも言う。
ドゴォォォォンッ!!!
木剣が地面を叩き、石畳を粉砕した。
土煙が舞い上がる。
「はぁ、はぁ……あら、危ないところでしたわ」
私は土煙の中で、何食わぬ顔で体勢を戻した。
ヒルデガルド様が、信じられないものを見る目で私を凝視している。
「貴様……今、避けたな? 完全に動きを読んで……」
「いいえ? あまりの怖さに、のけぞってしまっただけですわ」
私は扇子で顔を仰ぎながら、冷や汗を拭う演技をした。
実際は汗ひとつかいていないが。
再び、リュカ様の解説が入る。
「おおお! 見たか今の柔軟性を! 病による激痛で背中が反り返ったのだ! 苦痛に身をよじらせる姿すら、白鳥の舞のように優雅だ! エルナ、無理をするな! 今すぐ助けに行くぞ!」
リュカ様が柵を乗り越えようとして、執事長とマーサに必死に止められている。
カオスだ。
この状況、私が真面目に戦えば戦うほど、周囲には「悲劇のヒロインの奇跡」として映るシステムが出来上がっている。
「……ふざけるな」
ヒルデガルド様の空気が変わった。
彼女の黄金の瞳に、本物の怒りの炎が宿る。
「偶然? 奇跡? そんなわけがあるか。二度も続くか」
彼女は木剣を構え直した。
今度は大振りではない。
剣術の型に則った、隙のない構えだ。
「認めてやる。お前はただの硝子細工ではない。……何か、得体の知れないカラクリがある」
バレかけている。
やはり、歴戦の将軍を騙し通すのは難しいか。
彼女の全身から、魔力が立ち上る。
身体強化魔法だ。
今までの攻撃が遊びだったと思えるほど、密度の高いプレッシャーが肌を刺す。
「ここからは本気で行く。手加減なしだ。死んでも恨むなよ」
ヒルデガルド様が姿を消した。
速い。
先ほどまでの倍以上の速度だ。
私の動体視力でも、残像しか捉えられない。
右か、左か。
直感が警鐘を鳴らす。
背後だ。
私は反射的に振り返り、扇子を盾にした。
ガギィィィンッ!!!
重い衝撃が手首に走る。
扇子に魔力を流し込み、硬化させて受け止めたが、それでも威力を殺しきれない。
ミシミシと骨が軋む音が、私の耳だけに届く。
「ほう? 紙切れ一枚で、私の剣を受けたか」
至近距離で、ヒルデガルド様が笑った。
木剣と扇子が競り合う。
力比べだ。
ここで押し負ければ、そのまま押し潰される。
(……くっ、重い!)
さすがはゴリラ……失礼、将軍だ。
純粋な筋力スペックでは、彼女の方が上かもしれない。
私の腕が震える。
足元の石畳にヒビが入る。
このままでは押し切られる。
何か、手を打たなければ。
周囲には、まだ土煙が漂っている。
観客席からは、私たちがどうなっているのか見えにくい状況だ。
チャンスだ。
今なら、一瞬だけ「本気」を出してもバレないかもしれない。
私はヒルデガルド様の目を見据えた。
そして、にっこりと微笑んだ。
儚い聖女の笑みではない。
かつて深夜の王宮地下で、終わらない残業の山を前に不敵に笑った、社畜の笑みだ。
「……ヒルデガルド様。一つだけ、教えて差し上げますわ」
「あ?」
「女のウエストは、締め上げるためだけにあるのではありませんのよ」
私は息を吸い込み、丹田に力を込めた。
マダムご自慢のスライムゲルパッド入りコルセットの下で、腹直筋、腹斜筋、そして背筋群が一斉に収縮する。
体幹の爆発。
足先から吸い上げたエネルギーを、腰の回転で増幅し、扇子を持つ腕へと伝達する。
寸勁。
ゼロ距離からの打撃。
「ふんっ!!」
私が気合と共に扇子を押し返すと、信じられないことが起きた。
ヒルデガルド様の巨体が、ふわりと宙に浮いたのだ。
「なっ……!?」
彼女は驚愕の表情を浮かべたまま、後方へと弾き飛ばされた。
物理法則を無視したカウンター。
彼女は数メートル後ろに着地し、ザザザッと地面を削って踏み止まった。
ちょうどその時、風が吹いて土煙が晴れた。
現れたのは、涼しい顔で立っている私と、距離を取って警戒するヒルデガルド様の構図だった。
観客席が静まり返る。
何が起きたのか分からないのだ。
リュカ様だけが、またしても独自の解釈を叫んだ。
「風だ! エルナの守護精霊が突風を起こして、彼女を守ったのだ! やはり彼女は愛されている! この世界の全てに!」
違う。
愛されているのは私の筋肉だ。
でも、ナイスフォローです、リュカ様。
ヒルデガルド様は、痺れた手を振るいながら、私を睨みつけた。
その目にはもう、侮りはない。
あるのは、未知の強敵に対する戦慄と、燃え上がるような闘志だった。
「……面白い。最高だ、エルナ・ヴォルフィード」
彼女が初めて、私のフルネームを呼んだ。
「お前は硝子細工なんかじゃない。……ダイヤモンドだ。砕こうとすれば、こちらの刃が欠ける」
彼女の全身から放たれるオーラが、赤く輝き始めた。
本気の上を行く、決死の覚悟。
まずい。
彼女のスイッチを、完全に押してしまったようだ。
これ以上やると、会場ごと吹き飛びかねない。
どうやって収拾をつける?
私は扇子を握りしめ、冷や汗ではなく、本物の脂汗を滲ませながら、次の一手を考え巡らせた。




