表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/17

第14話 「余命半年」の嘘がバレて溺愛ライフを満喫中ですが、なぜか隣国の武闘派皇女が「決闘しろ」と喧嘩を売ってきます


 ヴォルフィード公爵邸の朝は、甘美な地獄と共に幕を開ける。


 天蓋付きのキングサイズベッド。最高級の羽毛布団。そして、カーテンの隙間から差し込む柔らかな陽光。

 本来なら、小鳥のさえずりと共に優雅に目覚める時間だろう。

 だが、私の朝は少し違う。


 重い。

 物理的に、何かが私の上に圧し掛かっている。


 目を開けると、そこには銀色の絹糸のような髪と、彫刻のように整った美貌があった。

 リュカ・ヴォルフィード公爵。

 この国の騎士団長であり、私の夫となった男が、私の腹部に顔を埋めるようにして眠っているのだ。

 彼の太い腕は私の腰をガッチリとホールドし、足は私の太ももに絡みついている。

 これは抱擁ではない。拘束だ。

 私が呼吸をするたびに、彼のアメジストのような瞳がうっすらと開き、安堵したように再び閉じられる。

 生きているか確認しているのだ。三十秒おきに。


 私は天井を見上げ、小さく息を吐いた。

 幸せだ。間違いなく幸せなのだが、私の膀胱は限界を訴えているし、何よりこのままでは朝の日課がこなせない。


 リュカ様、起きてください。

 声をかけようとして、私は口をつぐんだ。

 彼の目の下には、薄っすらとだが疲労の色が見える。

 昨晩も、彼は遅くまで執務をしていた。私が「余命半年」という嘘を告白し、健康体であることがバレてから一ヶ月。彼は私の体調を過剰に心配するあまり、逆に仕事を詰め込み、少しでも私と一緒にいる時間を捻出しようとしているのだ。


 愛が重い。

 物理的にも、精神的にも、地球の重力が三倍になったかのような愛の重圧。

 だが、私は元・社畜聖女だ。この程度の重荷、耐えてみせる。


 私はそっと、本当にそっと、彼の手を解こうと試みた。

 長年の肉体労働で培った指先の筋力を総動員し、ミリ単位で彼の腕をずらしていく。


 カチリ。

 不意に、私の左手薬指にはめられた指輪が、サイドテーブルの魔道具に触れて微かな音を立てた。


 瞬間。

 バチッ!

 リュカ様の目がカッ開かれた。


「エルナッ!?」


 彼は弾かれたように上体を起こし、周囲を見回した。

 その反応速度は、寝起きの人間のそれではない。完全に戦場の騎士だ。


「どうした!? 発作か!? 呼吸は!? いや、水か!」


「おはようございます、リュカ様。ただの起床です。発作ではありません」


 私が冷静に告げると、彼はハッとして私を見た。

 そして、ふにゃりと雪解けのような笑顔を浮かべ、再び私に抱きついた。


「ああ、おはよう……エルナ。今日も君が生きていてくれて、本当によかった」


「毎日言ってますね、それ」


「毎秒言いたいくらいだ。……顔色はいいな。肌の艶もいい」


 彼の手が、私の頬から首筋、そして二の腕へと這う。

 その指先が、私の二の腕の裏側にある「上腕三頭筋」の張りを確認するように動き、ピタリと止まった。


「……また、硬くなったか?」


 ドキリとする。

 バレたか。


「そ、そんなことありません。マシュマロのように柔らかいつもりです」


「いや、以前よりも弾力が増している。まるで……鍛え上げられた鋼を、極上のシルクで包んだような手触りだ」


 彼はうっとりと目を細めた。

 まずい。非常にまずい。

 最近、屋敷の食事が美味しすぎて、つい食べ過ぎてしまうのだ。

 消費カロリーを稼ぐために、私は彼が執務に行っている間、こっそりと部屋で「空気椅子スクワット」や「無音バーピージャンプ」を繰り返している。

 その成果が、着実に筋肉として還元されてしまっている。


 世間では、私はまだ「奇跡的に一命を取り留めたものの、余命幾ばくもない薄幸の公爵夫人」ということになっている。

 もし、ドレスの下がバキバキのシックスパックだと知られたら、リュカ様の顔に泥を塗ることになる。

 なにより、「守ってあげたい儚い妻」という彼の理想を壊したくない。


「気のせいですわ、あなた。さあ、朝食にしましょう」


 私は甘えた声を出して、彼の意識を筋肉から逸らした。

 彼は「そうだな」と微笑み、当然のように私をお姫様抱っこしてベッドから降りた。

 床に足をつくことすら許されない。

 これが、ヴォルフィード公爵家の朝の光景だ。


     ◇


 ダイニングルームには、今日もフルコースのような朝食が並んでいた。

 厚切りのベーコン、ふわふわのオムレツ、焼きたてのパン、そして新鮮なサラダ。

 どれもが絶品で、私の胃袋を誘惑してくる。


 だが、問題は量だ。

 どう見ても、成人男性三人分はある。


「さあ、エルナ。たくさん食べて体力をつけてくれ。肉を食え、肉を」


 リュカ様が、私の皿に山盛りのステーキを切り分けて乗せてくる。

 朝からステーキ。

 普通の貴族令嬢なら卒倒するメニューだが、悲しいことに私の胃袋は歓喜の声を上げていた。

 社畜時代、保存食の乾パンと水だけで三日間結界を維持した反動だろうか。美味しいものを前にすると、満腹中枢が仕事放棄するのだ。


「いただきます」


 私はフォークを手に取り、ステーキを口に運んだ。

 肉汁が溢れ出し、濃厚な旨味が脳髄を直撃する。

 美味しい。死ぬほど美味しい。

 また筋肉になる音がする。


 その時だった。

 執事長が、銀のトレイを持って静かに入室してきた。

 その表情は、いつになく硬い。


「旦那様。……急報でございます」


「食事中だと言っただろう。後にしろ」


 リュカ様は私にパンをあーんする手を止めずに、冷たく言い放った。

 私に向けるデレデレの顔とは対照的な、絶対零度の「氷の閣下」の顔だ。


「それが……隣国のガレリア帝国より、使者が到着しております」


「ガレリアだと?」


 リュカ様の眉がピクリと動いた。

 ガレリア帝国。

 我が国の西に位置する、軍事大国だ。

 年中どこかの国と戦争をしており、国民全員が何かしらの武術を嗜むという、脳筋……いや、尚武の国である。


「使者は誰だ。文官か?」


「いえ、それが……」


 執事長が言い淀んだ、その瞬間。

 ドォォォォォォンッ!!!

 屋敷の玄関ホールの方角から、爆発音のような轟音が響き渡った。

 シャンデリアが揺れ、私の手からフォークが落ちそうになる。


「な、何事ですか!?」


 私が叫ぶと、リュカ様が瞬時に立ち上がり、私を背後に庇った。


「敵襲か!? マーサ! エルナを守れ!」


 しかし、続く音は、爆発音ではなかった。

 カツ、カツ、カツ、カツ。

 重厚な軍靴の音が、廊下を近づいてくる。

 その足音には、隠す気など微塵もない覇気と、圧倒的な自信が込められていた。


 バンッ!!

 ダイニングの扉が、乱暴に開け放たれた。

 そこ立っていたのは、一人の女性だった。


 燃えるような真紅の髪。

 鋭い眼光を放つ黄金の瞳。

 そして、ドレスではなく、竜の革で作られた真紅の軍服に身を包んでいる。

 その腰には、身の丈ほどもある巨大な長剣が佩かれていた。


 彼女は部屋の中を見渡し、私を背に隠すリュカ様の姿を認めると、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。


「久しぶりだな、リュカ! 相変わらず貧弱な朝飯を食っているのか?」


 その声はよく通り、腹の底に響くような力強さがあった。

 リュカ様が、心底嫌そうに顔をしかめる。


「……ヒルデガルドか」


「ヒルデガルド?」


 私がリュカ様の背中からそっと顔を出すと、赤い髪の女性と目が合った。

 彼女は私を見た瞬間、鼻で笑った。


「ふん。これが噂の『硝子細工の嫁』か? 風が吹けば飛びそうな、頼りない女だな」


 失礼な人だ。

 体重なら、多分貴女といい勝負だと思いますけど。


「何の用だ、ヒルデガルド。ここは私の私邸だ。アポイントメントなしに土足で踏み込んでいい場所ではない」


 リュカ様の声が低くなり、部屋の温度が下がる。

 しかし、ヒルデガルドと呼ばれた女性は、全く動じる様子がない。

 彼女はズカズカと部屋に入り込むと、テーブルの上のリンゴを素手で掴み、握りつぶした。

 グシャッ。

 果汁が飛び散る。


「挨拶に来てやったんだよ。我がガレリア帝国と貴国との、友好親善大使としてな」


「親善大使?」


「ああ。ついでに……確認しに来たんだ」


 彼女は一歩、踏み出した。

 その瞬間、彼女から放たれるプレッシャーが膨れ上がった。

 殺気ではない。

 純粋な闘争心。強者が弱者を見定める時の、圧倒的な「圧」だ。


「リュカ。お前ほどの男が、なぜこんな死に損ないの女を選んだのか。私の剣技にも、私の美貌にも見向きもしなかったお前が、なぜこんな……指先一つで折れそうな女に溺れているのかをな」


 彼女の視線が、私を射抜く。

 そこにあるのは、侮蔑と、そして隠しきれない嫉妬の色だった。


「私の名はヒルデガルド・フォン・ガレリア。帝国の第一皇女であり、征魔将軍だ」


 皇女兼将軍。

 なるほど、通りでこの迫力なわけだ。

 彼女は私の目の前まで来ると、挑発的に顎をしゃくった。


「おい、硝子細工。お前がリュカの妻に相応しいかどうか、私がテストしてやる」


「……テスト、ですか?」


「そうだ。三日後の夜会。そこで私と『決闘』しろ」


 決闘。

 その単語が出た瞬間、リュカ様が殺気を爆発させた。


「ふざけるな!! エルナは体が弱いんだ! 貴様のようなゴリラ女と戦えるはずがないだろう!」


「ゴ、ゴリラ……っ!?」


 ヒルデガルド様の顔が怒りで赤くなる。

 リュカ様、それは言い過ぎです。いや、的確かもしれないけれど。


「逃げるのか? リュカの妻ともあろう者が、敵前逃亡か?」


 ヒルデガルド様は私を睨みつけた。


「もし逃げるなら、帝国の名において公表してやる。『ヴォルフィード公爵夫人は、皇女の挨拶すら受けられない腰抜けだ』とな!」


 これは、外交問題に発展しかねない挑発だ。

 断ればリュカ様の顔に泥を塗る。

 受ければ、私の「病弱設定」が崩壊するリスクがある。


 リュカ様が魔法を発動させようと手を上げた。

 本気で皇女を氷漬けにする気だ。

 私は慌てて彼の手を掴んだ。

 温かい。そして、震えている。

 怒りで震えているのではない。私が傷つけられることを恐れて震えているのだ。


 私の胸の奥で、カチリとスイッチが入る音がした。


 この人は、私を守ろうとしてくれている。

 かつて私に生きる場所をくれた、大切な人。

 その彼を、私の「弱さ」を理由に侮辱されるのは、我慢ならない。


(……いいでしょう)


 私はそっとリュカ様の前に出た。

 そして、できるだけ儚げに、風に揺れる花のように微笑んでみせた。


「……分かりましたわ、ヒルデガルド様」


「エルナ!?」


「その『決闘』、お受けいたします」


 ヒルデガルド様が目を見開く。

 まさか受けるとは思っていなかったのだろう。


「ほう……? 死ぬ気か?」


「いいえ。ただ……」


 私は彼女の黄金の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。

 そして、ドレスの裾の下で、毎日の空気椅子で鍛え上げた太ももの筋肉に、ギュッと力を込めた。


「夫を腰抜け扱いされたままでは、妻の名が廃りますので」


 一瞬、空気が凍りついた。

 ヒルデガルド様の顔が引きつる。


「言ったな……! 後悔させてやる!」


 彼女はマントを翻し、嵐のように去っていった。

 残されたのは、粉々になったリンゴと、呆然とするリュカ様。

 そして、武者震いが止まらない私だった。


 ああ、どうしよう。

 売り言葉に買い言葉で受けてしまった。

 病弱設定を守りつつ、帝国の将軍に勝つ?

 そんな無理ゲー、どうやって攻略すればいいの?


 私は自分の二の腕をさすった。

 そこにある硬質な筋肉だけが、今の私の唯一の頼みの綱だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ