第8話 変えるべき現状
「エスカー侯爵と話はついた。エスカー侯爵家は、今回の件の非を全面的に認めて、誠意を見せてくれた。貴族として、こちらがエスカー侯爵家に求めることはもうない」
「そうですか……」
エスカー侯爵とアルペリオ侯爵令息が屋敷を去ってから、私とロンダーはお父様に呼び出されていた。
お父様は、ことの顛末を淡々と教えてくれている。その事務的な態度は、物悲しい。やはり親友との別れに、色々と思う所があるのだろう。
「しかしだ、今回の件において私はあることを知った。ハウダート伯爵夫人のことだ。あの女の存在は、凡そ許容できるものではない」
そこでお父様は、少しだけ表情を変えた。
それはいつもの凛々しい侯爵としての表情だ。
「ハウダート伯爵夫人という悪鬼羅刹が跋扈しているこの現状は、誰かが変えなければならない。いつまでもあのような愚物をのさばらせておけるものか」
「お父様……私達も気持ちは同じです」
お父様は、基本的に厳格な人である。そんなお父様にとって、あの伯爵夫人の振る舞いは許せないものなのだろう。
また、エスカー侯爵の仇討ちの気持ちもあるかもしれない。今回の件で決別することになったが、それでも心はまだ親友なのだろうから。
「しかし父上、彼女は父上に怯えていましたが、本当に権力者達を味方にすることができます。そうなったら、こちらの勝ち目も薄くなってしまうのではありませんか」
「あまり私を侮るな、と言いたい所だが、確かにあの女が完璧な行動をすれば、こちらの戦況は悪くなるだろう。それができるかとは思えないが、念には念を入れて、今回は味方を集めておくとしよう」
お父様は、とても冷静だった。ハウダート伯爵夫人をあれだけ痛烈に打ち負かしても、決して油断はしていないようだ。
実際の所、彼女の力というのは未知数である。念には念を入れておくべきなのは、間違いないだろう。
「ロンダー、クレイド殿下に助力を求めることは可能か?」
「……クレイド殿下に、ですか?」
「ああ、お前達の話によれば、第二王子はハウダート伯爵夫人に対してお怒りのようだ。こちらに手を貸してくれるかもしれない。親しいお前から、話を持ち掛けて欲しいのだ」
「わ、わかりました。多分、クレイド殿下なら協力してくれると思います」
お父様の言葉に、ロンダーはゆっくりと頷いた。
確かに、クレイド殿下なら心強い味方になってくれるだろう。私も味方と聞いて、最初に思い浮かべたのは彼の顔だ。
「……父上、そういうことなら姉上も王都に連れて行っていいですか?」
「レミアナを? 別に構わないが……何かあるのか?」
「姉上は直接の被害者ですからね。同情してもらえるかと」
「なるほど、レミアナは構わないか?」
「はい、もちろんです」
お父様の言葉に、私は頷いた。
当然のことながら、私もやれることは全力でやるつもりだ。これ以上あのハウダート伯爵夫人を自由にさせるつもりはない。
◇◇◇
「なるほど、それで俺の元にやって来た訳か」
「ええ、そういうことなんです」
王都までやって来た私とロンダーは、クレイド殿下に何があったかを話していた。
その話を聞いた彼は、少し苦い顔をしている。もしかして、乗り気ではないのだろうか。
「ロンダー、もちろん俺も協力はしよう。しかしだ、ハウダート伯爵夫人は手強い。俺はそれをつい最近実感したばかりだ」
「クレイド殿下、それはどういうことですか?」
「先日の件を各所に伝えてみたが、まったく取り合えってもらえなかった。それ所か、父上から釘を刺されたくらいだ。どうやら、兄上が言っていた通り、父上も過去に夫人と関係を持ったことがあるらしい」
クレイド殿下は、既に夫人の打倒に向けて一度動いた後だったようだ。
それでどうすることもできなかったため、不安なのだろう。
「……クレイド殿下、仮に国王様がハウダート伯爵夫人と関係を持っていたとして、一体どのような弱みを握られているのでしょうか? 何か、覚えなどはありませんか?」
「残念ながら、皆目見当がつきません。それがわかれば、こちらも父上を抑え込むことができるのですが……」
国王様の存在は、私達にとって非常に厄介である。
彼が夫人に肩入れしているなら、こちらの勝ち目は薄くなってしまう。この国の最高権力者は、なんとしても抑え込んでおきたい所だ。
「……いえ、待ってください。よく考えてみれば、この状況がそもそも国王様の弱みなのではありませんか?」
「この状況? 夫人と関係を持っていた過去そのものが弱みだということですか?」
「そうではありません。ただ、考えてみてください。一国の主が、たかが伯爵家の夫人の機嫌を伺わなければならない。それは変な話です」
「む……」
そこで私は、重要なことに気が付いた。
国王様の行動は、非常に歪なものである。この国の最高権力者が、伯爵夫人一人にビビっているなんて聞いたことがない。
そういう状況にあるというのが、そもそもおかしな話だ。国王様は、そこから切り崩せるかもしれない。
「なるほど、こちらがそのことを指摘すれば、父上はこちらの動きを容認せざるを得なくなりますね。父上が握られた弱みが、余程のものでない限り……」
「余程のものだった場合、ハウダート伯爵夫人はもっと甘い汁を吸っていると思います。恐らくそれは国を揺るがすものではないのでしょう。ただ、国王様個人としては知られたくないことだから、夫人をつつかないというだけで……」
「引き下がってしまったのが、俺の失敗ですね。こちらが強く出れば、父上も止めることができない……すぐに叩いてみます」
私の言葉に、クレイド殿下はすぐに行動を開始した。
元々行動力がある人だとは思っていたが、これには私も驚いた。早すぎる行動だったからだ。
ただ、私達は彼を引き止めなければならない。作戦はもう少し練る必要があるからだ。
「待ってください、クレイド殿下。作戦はもっと練らなければなりません」
「え? ああ、すみません。早とちりしてしまって……」
「いいえ、お気持ちはわかりますから、お気になさらないでください。それより、これからのことを話しましょう。国王様のことは、とりあえず置いておいて……」
私達に引き止められたクレイド殿下は、頬をかきながら苦笑いを浮かべていた。
しかし彼の気持ちはよくわかる。今までは無理だと思っていたことなのだから、逸る気持ちになるのは当然だ。
「まず前提として、私達には味方が必要です。ハウダート伯爵夫人を擁護する陣営を、抑えなければなりませんからね。お父様も各所に掛け合ってみると言っていましたが、クレイド殿下も誰か心当たりはありませんか?」
「心当たりですか……」
私の質問に、クレイド殿下は微妙な顔をしていた。
なんとういうか、心当たりがない訳ではないようだ。ただ、何か言い出しにくい事情でもあるのだろうか。
「心当たりは何人かいます。しかしながら、今の僕にはその人達がどちら側なのか見抜く自信がない。何しろ父上のことも見抜けていませんでしたからね……」
「なるほど……確かに、こちらの動きを彼女に悟られるのは避けたいですからね」
「ラムコフ侯爵は、その辺りも抜かりないでしょうが、僕の人脈に頼るべきではないかもしれません。ただ、一人だけ心当たりがある人物がいます」
クレイド殿下は、私からゆっくりと目をそらした。
その後彼は、押し黙る。その人の名前を出すことを、躊躇っているのだろう。
「ザガート子爵なら、手を貸してくれるかもしれません」
「ザガート子爵、ですか?」
「ええ、彼はかつてハウダート伯爵夫人と関係を持っていると噂されている人です。まあ、本当に持っていたと考えていいでしょう」
「そのような人が力を貸してくれるでしょうか?」
「それだけの事情があるのです」
クレイド殿下の表情は、とても暗かった。
それはこれから話すことが、良いことではないからなのだろう。
私は、ゆっくりと息を呑む。一体ザガート子爵には、何があったのだろうか。
「彼の息子……ゾルバスも伯爵夫人と関係を持っていました。ただ、彼は夫人から飽きられて捨てられたようです。そしてそのまま……」
「あっ、ザガート子爵家って、確か……」
そこで私は、あることを思い出した。
一年程前だろうか。聞いたことがある。ザガート子爵家の長男が病気で亡くなったということを。
しかしそれは、病気などではなかったのだ。彼は恐らく、ハウダート伯爵夫人に見限られたことを悔やんで、自ら命を絶ったのだろう。
「クレイド殿下、その話は本当なんですか?」
「……ゾルバスは、気弱な男でした。しかしながら、時々妙に思い切りがいいことがあった。様々な状況から考えて、まず間違いないかと」
ザガート子爵家の令息ゾルバスについて、クレイド殿下はゆっくりとそう語った。
それは凡そ、知らない人物のことを語る時の口調ではない。故に私は理解した。彼とゾルバスという人物との間に、深い関わりがあったということを。
「クレイド殿下は、ゾルバス子爵令息とご友人だったのですか?」
「ええ、友達でした。俺がハウダート伯爵夫人のことを詳しく知ることになったのも、その件を調べていたからです」
「なるほど、そういうことでしたか……」
クレイド殿下の言葉に、私は今までのことを思い出していた。
彼は、ハウダート伯爵夫人のことをよく知っており、彼女に激しい怒りをぶつけていた。それは既に友人が被害者だったからなのだろう。
それも彼の場合は、恐らく最も悲惨な被害者だ。クレイド殿下のハウダート伯爵夫人を許せないという気持ちは、きっと私達よりも大きなものだろう。
「彼女のことは悪辣だと思っていましたが……まさか、そのような形で被害が出ているなんて」
「……もちろん、ゾルバスに悪い所がなかったという訳ではありません。不倫だとわかっていて、夫人の誘いに乗ったことがそもそもの間違いです。彼は愚かだった。しかしそれでも、俺にとっては友人です。その友人をそこまで追いつめた夫人がさらに愚かな行いを続けるというなら、それを止めたい」
クレイド殿下にとって、夫人を止めることは弔いでもあるのかもしれない。
その話を聞いて、私の気持ちも少し強くなった。これ以上夫人の被害者を増やさないためにも、一刻も早く対処をしなければならない。
「現状、僕が心から協力してくれると断言できるのは、そのザガート子爵だけです。彼も弱みを握られてはいますが、それでも息子の復讐よりは優先しません。ただ、彼を矢面に立たせるのは少々心苦しいですが……」
「……ゾルバス子爵令息の名誉が、傷つけられる訳ですからね」
「だが、子爵の協力はとても大きい。こういう考え方は好きではありませんが、同情を誘うことができる」
クレイド殿下は、少し苦しそうな顔をしながらそう言った。
かつての友人の死を利用することに、罪悪感を覚えているのだろう。
ただそれでも彼は決意したのだ。それは彼に、王族としての責務があるからなのかもしれない。
「……そういえば、ギルトア殿下に今回の件で協力を仰ぐことはできないのでしょうか?」
「兄上、ですか?」
「ええ、彼もハウダート伯爵夫人のことは忌み嫌っていたようですし、可能性はゼロではないのではありませんか?」
「そうですね……少し声をかけてみましょうか」
そこで私は、もう一人の王族の存在を思い出した。
ギルトア殿下、ハウダート伯爵夫人のことにも詳しかった彼が味方になってくれれば、とても心強い。できれば、こちら側に引き込んでおきたいものである。




