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「妹にしか思えない」と婚約破棄したではありませんか。今更私に縋りつかないでください。  作者: 木山楽斗


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第7話 伯爵夫人の訪問

「……姉上、あれでよかったのかな?」

「あら? 何がかしら?」

「アルペリオさんのことだよ」


 アルペリオ侯爵令息の元から去った私は、ロンダーを連れて自室まで戻って来ていた。

 そんな部屋の中で、ロンダーは疑問を口にしてきた。ただ、その疑問の意味が私には少しよくわからない。


「ロンダーは、今回の決着に何か不満があるの?」

「いや、そういう訳ではないけれど……」

「私は今、とても晴れやかな気分よ」

「そ、そうなのかい……?」


 先程までヒートアップしていたロンダーは、すっかり熱が冷めていた。いつもの少し気弱な弟に戻っている。

 冷静になってから、彼は思ったのだろう。自分の姉が兄のように慕っていた人物に、色々と言って大丈夫だったのかと。

 ただ、それはいらぬ心配である。私はロンダーがああ言ってくれたことを喜んでいる。


「かっこよかったわね。私の弟は」

「な、なんだい? 藪から棒に……」

「あなたも成長しているみたいね。立派な侯爵家の後継者といった所かしら」

「そう言ってもらえるのはありがたいけれど、なんだか少し恥ずかしいな……」


 私の言葉に、ロンダーは少し照れていた。

 そういう姿を見ていると、可愛い弟であるということを思い出す。

 しかしながら、彼は既に立派なラムコフ侯爵家の後継者である。彼がいる限り、この家は安泰だろう。


「……ただ一つ気掛かりがあるとしたら、エスカー侯爵のことね」

「エスカー侯爵か……」

「ロンダーもわかっているとは思うけれど、エスカー侯爵には大変お世話になっていたわ。お父様には相談できないようなことも、彼になら相談できたし……」

「ああ、僕もエスカー侯爵にはお世話になっていたからよくわかるよ。彼は尊敬できる方だと思っていた」


 アルペリオ侯爵令息には辛辣だったロンダーも、お世話になっていたエスカー侯爵には少し同情的だった。

 もちろん、今回のことをエスカー侯爵家の責任とすることが貴族として正しいことはわかっている。ただ、個人として二人の責任を同じにすることはできない。


「父上だって、本当はエスカー侯爵を貶めたくないだろうね」

「育て方が悪かったなんて言っていたけれど、そうでないことはお父様だってわかっているでしょうね。立場上、心を鬼にしているって所かしら」


 お父様とエスカー侯爵は、きっと今事務的な会話を交わしているだろう。

 二人とも誇り高き侯爵だ。その辺りは、きっちりこなしているはずだ。

 それが終わった後、エスカー侯爵はこのラムコフ侯爵家の屋敷を去って行くだろう。それが最後になるかもしれない。その前に彼と話せればいいのだが。




◇◇◇




「なるほど、それで二人で私を呼び止めたという訳か」

「ええ、申し訳ありません、エスカー侯爵」

「いやいや、嬉しく思っているよ。まあ、そういうことならここでは貴族としてではなく父親の友人として、話させてもらおうかな?」

「はい、是非そうしてください」


 私とロンダーは、お父様との話が終わったエスカー侯爵とともにとある客室にいた。

 お父様は彼のことを私達に任せるとだけ言って自室に戻った。恐らく、全てを察してくれたのだろう。


「まあ、二人には色々と迷惑をかけてしまったね。家のアルペリオがすまなかった」

「いえ……それは、おじ様のせいではありませんよ。貴族としてはそうなるのかもしれませんが、あくまでも個人の問題ではありませんか」

「レミアナ、そう言ってもらえるのは嬉しいが、これは本当に私にも責任があることなのだ。私は少し、アルペリオを甘やかしすぎてしまった」


 私の言葉に、エスカー侯爵はゆっくりと首を振った。

 その表情は暗い。親としては、やはり責任を感じてしまうものなのだろうか。


「妻に先立たれてから、私は私になりにあいつを大切に育ててきたつもりだ。だが、ラングル……君達の父親のように、上手くはいかなかった。今回のことで、それを悟ったよ」

「おじ様……」

「おっと、すまなかったね。そういうことは、私の胸に留めておけばいいことだ」


 エスカー侯爵は、私達に対して穏和な笑みを見せてきた。

 その笑みこそが、いつものおじ様だ。そうやっていつも笑っていて、とてもお優し方だった。


「しかし困ったものだな。話したいことはたくさんあるはずなのに、上手く言葉が出てこない。なんだろうね。初めて二人と会った時のことを思い出す……」


 エスカー侯爵は、少し遠くを見つめてそう呟いた。

 彼と初めて会った時の記憶は、私にはない。なぜなら、それは私が赤ちゃんの時の話だからだ。


「私と初めて会った時、ですか?」

「ああ、マナティアの胸に抱かれて、君は笑っていた。ロンダーは最初に会った時、レミアナの後ろに隠れていたかな?」

「ええ、その覚えはあります」

「あの時と比べて、二人とも随分と大きくなったものだ。あの頃は本当に楽しかった」


 エスカー侯爵は、昔を懐かしみ微笑んでいた。

 その頃はきっと誰も、こんな結末になるなんて想像していなかった。私達にとって、これは悲しい別れである。

 ただそれでも、私達は前に進まなければならない。貴族として生きるということは、きっとそういうことなのだろう。


「……レミアナ様、大変です!」

「え?」


 私がそんなことを思っていると、部屋の戸を叩く音と大きな声が聞こえてきた。

 恐らく、使用人の誰かが来たのだろう。それも声色からして、非常事態を知らせに。


「な、何かあったんですか?」

「夫人が……ハウダート伯爵夫人が、訪ねて来たのです!」

「……え?」


 使用人の言葉に、私は思わず固まってしまった。

 ハウダート伯爵夫人の訪問、それはまったく予想していなかったことである。




◇◇◇




 私とロンダーは、エスカー侯爵とともに屋敷の玄関まで来ていた。

 そこには、確かにハウダート伯爵夫人がいる。そして既に、お父様とアルペリオ侯爵令息も駆けつけているようだ。


「ふふ、これで全員揃いましたね……アルペリオ、探していたわ。あなたが出掛けているっていうから、こんな所まで来てしまったわ」

「ノルメリアさん、どうしてこんな所に……」


 流石のアルペリオ侯爵令息も、ここまで来たハウダート伯爵夫人には驚いているようだ。

 しかしハウダート伯爵夫人は笑っている。以前と同じように、忌々しいくらいに楽しそうな笑みだ。


「ごめんなさい。でも、このことは早く伝えなければならなかったから……」

「伝えたいこと?」

「ええ……あなたにお別れを言いに来たの」

「……え?」


 ハウダート伯爵夫人は、そこで口の端を釣り上げた。

 そんな彼女の言葉に、その場にいるほとんどが固まっている。夫人の言葉は、それ程に唐突で衝撃的だったのだ。


「ノ、ノルメリアさん、一体何を言っているんですか?」

「言葉のままの意味よ。あなたとはもう終わりにしたいの」

「ど、どうして?」

「もうあなたには飽きてしまったのよ」

「なっ……」


 ハウダート伯爵夫人は、とても楽しそうにアルペリオ侯爵令息を弄んでいた。

 私の時と同じだ。彼女は人を虐げることを楽しんでいる。

 やはり彼女は、嗜虐的な性格なのだろう。その表情が、それを物語っている。


「あなたとの時間は楽しかったわ。でも、もう終わりなのよ。あなたには興味がないわ」

「そ、そんな……」


 アルペリオ侯爵令息は、絶望的な表情をしていた。

 それはそうだろう。彼は心底ハウダート伯爵夫人に入れ込んでいた。そんな彼女からフラれたら、ショックも大きいはずだ。

 もちろん彼に同情の余地はないが、それでも夫人の行動には腹が立つ。彼女は、敢えてこの場でそれを告げたのだ。アルペリオ侯爵令息が、最も屈辱を受ける場を選んだのだろう。


「あなたには色々なことを教えてもらったわね。ほら、例えばそこにいるエスカー侯爵が、懇意にしている若い商人から羨望の眼差しを向けられているとは……」

「なっ……!」

「でも、侯爵はそれをわかっていて受け流しているだとか、ふふ微笑ましいですね。でも、もっと微笑ましくないことも知っていますよ?」


 そこで夫人は、エスカー侯爵に視線を向けた。

 恐らく、今のは牽制であるのだろう。エスカー侯爵家の秘密を握っている。それを示しているのだ。

 ハウダート伯爵夫人は、本当に狡猾な人である。私はそれを改めて実感していた。


 ただ、同時に私は気付いていた。

 ラムコフ侯爵――我らがお父様が、彼女に鋭い視線を向けているということに。


「……ノルメリア・ハウダート伯爵夫人」

「あら?」

「急に我が家に押しかけて来て、随分な物言いだな?」


 ハウダート伯爵夫人のあまりの傍若無人っぷりに静まり返っていた玄関に、お父様の鋭い声が響いた。

 お父様の声は平坦だ。だがそこには、確かな怒りが宿っている。


「これはこれは、申し訳ありません、ラムコフ侯爵」

「ふん、それが謝る者の態度か?」

「すみません。生まれつき、こういう性格なんです」


 そんなお父様に対して、ハウダート伯爵夫人は余裕の態度を崩さない。

 彼女には、何をしても大丈夫だという自信があるのだろう。様々な有力者の秘密を握っている。それが揺るがない限り、彼女の態度は崩せないのかもしれない。


「くだらんな。虎の威を借る狐ごときが」

「……なんですって?」

「権力者の後ろに隠れていることしかできない愚物が、それをさも自分の力のように振る舞っているのが滑稽でならない。お前程の道化など、そういないだろう」

「……」


 そんなハウダート伯爵夫人のことを、お父様は鼻で笑っていた。

 それによって、夫人の表情が初めて変わった。お父様の態度に、彼女は怒りを覚えているようだ。


「言っておきますが、これは紛れもなく私の力です。私が勝ち取ったものなのです」

「ふっ……ふははっ!」

「な、何がおかしいのですか!」

「いやっ……すまなかったな。大人げないことを言ってしまった」

「何をっ……」


 お父様は肩を震わせながら、ハウダート伯爵夫人を煽っていた。

 その態度が余程気に入らないのか、夫人は顔を赤くしている。私やクレイド殿下と対峙した時には、見せなかった表情だ。

 それはつまり、経験値の違いなのだろう。私達と夫人が踏んだ場数が違うように、お父様と夫人が踏んだ場数も違うのだ。


「こ、侯爵だかなんだか知りませんが、あなたなんて簡単に潰すことができます」

「そうか。それならやってみろ」

「え?」

「潰せるのだろう? 望む所だ。やってみてくれ」


 お父様の言葉に、夫人は目を丸めていた。

 まさか、そんなことを言われるとは思っていなかった。それが顔からわかる程に、間の抜けた表情をしている。


「どうした? やらないのか? やる勇気もないということか」

「そ、そんなことはありません! 私は、私は……」

「つまらん女だ。それで、言いたいことはもう何もないのか? だったらさっさと……この場を去れ!」

「ひっ……!」


 お父様の怒号に、ハウダート伯爵夫人は一歩後退った。

 彼女の目には、涙さえも浮かんでいる。お父様という恐ろしい存在に、心から怯えているのだろう。呼吸は荒く、体も震えている。


「こっ……お、覚えていなさいっ!」


 最後にそれだけ残して、夫人は早足で玄関から出て行った。

 その非常に情けない敗走に、私は思わずロンダーと顔を見合わせるのだった。


「なるほど、あれが例のハウダート伯爵夫人か。思っていたよりも、ずっと大したことがない女だったな……」

「お父様、流石です」

「褒められるようなことなど何もない。むしろ、あのような女にたぶらかされている男がいるという事実の方が衝撃的だ」


 ハウダート伯爵夫人を敗走に追いやったお父様は、嬉しそうにすらしていなかった。

 それはきっと、お父様にとってあの程度の人を退けるのは当然だったからなのだろう。なんというか、少し喜んで声をかけてしまった自分が恥ずかしい。


「……でも、お父様、かっこよかったですよ」

「そうか。お前にそう言ってもらえたなら、下らないことをした甲斐もあったというものか」


 私が称賛の言葉を口にすると、お父様は少しだけ嬉しそうに笑みを浮かべてくれた。

 いつも頼りになるお父様は、私が最も尊敬できる人だ。ロンダーもそんなお父様の背中を見て育って立派になったし、やはりラムコフ侯爵家は安泰だろう。


「……さてと」


 そこで私は、ゆっくりと後ろを向いた。

 私の目線の先には、項垂れているアルペリオ侯爵令息がいる。ハウダート伯爵夫人に見限られて、すっかりと意気消沈しているようだ。


「……アルペリオ侯爵令息」

「レ、レミアナ……」


 私が近づくと、彼は少し嬉しそうな顔をした。

 それは私に対して、まだ期待しているからなのかもしれない。

 縋りつくようなその視線に、私は呆れてしまう。私は既に、彼を兄などとは思っていない。


「一つ申し上げておきますが、これは自業自得です」

「……え?」

「あなたは、私のことを妹にしか思えないと婚約破棄しました。今更私に縋りつかないでください」

「レミアナ……」


 私は、かつて兄と呼んだ人のことを拒んだ。

 それをすることに、迷いはない。迷いがなくなる程の振る舞いを、今までされてきたからだ。

 しかし私は、エスカー侯爵に恩義がある。その恩義の分だけは、彼に対して言葉を伝えておくとしよう。


「あなたは、エスカー侯爵に迷惑をかけました。彼があなたをここに連れてきたことの意味を考えたことはありましたか? 私達のお父様の言葉を本当に聞いていましたか? あんな人にフラれたくらいで、そんな顔をしないでください」

「そ、それは……」

「エスカー侯爵のためにも、あなたが心を入れ替えることを願っています。ただ、もう二度と私の前には現れないでください。私はもう、あなたの妹ではないのですから」

「レミ、アナ……僕は――」

「さようなら」


 私がゆっくりと首を振ると、アルペリオ侯爵令息はその場で再び項垂れた。

 それをエスカー侯爵は、複雑な表情で支えている。


 これが本当に、私が彼にかける最後の言葉だ。

 その言葉によって、彼が心を入れ替えるかはわからない。

 ただできることなら、そうなって欲しいと思っている。エスカー侯爵のためにも。

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