第5話 怪物と呼ばれし者
私とロンダーは、クレイド殿下に連れられて王城まで来ていた。
紅茶を振る舞ってもらったため、今は気持ちは落ち着いている。色々とあって動揺していたが、今は幾分か冷静だ。
ただ、一つだけ気になっているのは私達に紅茶を振る舞ってくれた人だ。その人物は、クレイド殿下の隣で目を瞑っている。眠っている訳ではなさそうだが、何か考えているのだろうか。
「あの、ギルトア殿下……」
「うん?」
「その……何を考えているのですか?」
私が呼びかけてみると、その人物はゆっくりと目を開けた。
彼の名前は、ギルトア。この国の第一王子である。
クレイド殿下と王城に着いた時に偶々いた彼は、特に事情も聞くことなく私達に紅茶を振る舞うと言ってきた。少し落ち着いた方がいいということを、彼は見抜いていたようだ。
「君達に何があったのかを考えていたのさ。三人ともひどく動揺している様子だったからね。狐にでも摘ままれたのかと思ったのだが……」
「ある意味ではそうかもしれません。俺達は先程中々に手強い相手と戦ってきましたから」
「ほう?」
「ハウダート伯爵夫人です。彼女とレミアナ嬢は少し因縁があって……」
「なるほど、そういうことか」
クレイド殿下の言葉に、ギルトア殿下はゆっくりと頷いた。
彼も彼で、なんだか不思議な雰囲気を纏っている。ハウダート伯爵夫人とは違うが、掴み所がない人だ。
「アルペリオ・エスカー侯爵令息は、愚かな選択をしたようだね」
「え?」
「ハウダート伯爵夫人との因縁というと、そういうことだろう? 彼女がどういう人物なのかは、僕も知っているからね」
ギルトア殿下は、そう言って笑っていた。
その全てを見透かしたかのような笑みに、私は少し驚いてしまう。
ただ、考えてみれば当然なのかもしれない。私の婚約破棄を知っていて、夫人のことを知っていれば答えは結構簡単に出るような気もする。
「彼女に魅入られたというなら、アルペリオ侯爵令息の不可解な行動にも納得がいく。婚約破棄などという大それたことをしたのはそれが原因か」
「ええ、そうみたいです。それも、かなり入れ込んでいるようで……」
「そうか。またあれの犠牲者が出るとは……色々と噂になっている人物であるというのに、どうしてその危険性がわからないのか少々理解し難いか、災難だったなレミアナ嬢」
「あ、はい。お気遣い痛み入ります」
ギルトア殿下は、ハウダート伯爵夫人のことをよく知っているようだ。
それなら彼に、少し話を聞いておいた方がいいかもしれない。今後も何が起こるかわからないし、彼女のことを知っておくことは必要だろう。
「ギルトア殿下、ハウダート伯爵夫人とは一体何者なのですか?」
「何者であるか、か……彼女はとにかく厄介な存在だ。関わるべきではない人といえる」
「関わるべきではない人……」
私の質問に、ギルトア殿下は再び目を瞑った。
何かを考える時の癖なのだろうか。彼は手を合わせた後、ゆっくりとその目を開く。
「ハウダート伯爵夫人は、夫人になる前から社交界で有名だった。彼女と噂になった人は数多くいる。肉体関係のあるなしに関わらず、彼女はかなり粉をかけていたようだ」
「……そんなまともではない人に、どうして?」
「その辺りには、僕にも理解できないことではある。彼女の美貌にやられたのか、はたまた話が上手かったのか。当時の有力者達は、こぞって彼女と関係を持ったらしい」
ギルトア殿下は、少し人を馬鹿にするような笑みを浮かべていた。
それは恐らく、当時の有力者達を嘲笑しているということなのだろう。
ハウダート伯爵夫人の性質を考えれば、確かに彼らは愚かな選択をしたと思える。彼女の本質は、見抜けないものだったのだろうか。
「クルレイド、忌々しいことではあるが、その中には我々の父上もいたそうだ」
「え? ほ、本当ですか? 兄上……」
「先人達の浅はかさには嫌気が差すが、ともあれ伯爵夫人は様々な人物に手垢をつけた。それによって彼女は、自らの地位を盤石にした」
「どうしてですか?」
「秘密を握ったからさ」
ギルトア殿下は、ゆっくりと立ち上がり窓際まで行った。
彼は、窓の外に視線を向けている。あるいは、また目を瞑って考えているのだろうか。
「伯爵夫人は、この国の有力者達が知られたくないことを知っている。故に誰も、彼女に手を出すことができなくなった。それ所か、何かあったら手を貸さなければならいくらいだ」
「そ、そんな馬鹿な……」
「馬鹿げたことではあるが、実際にそうなってしまっている。過去の愚か者達が作り出した怪物が、彼女なのさ」
ハウダート伯爵夫人があれ程自信を持っていたのは、どのような振る舞いをしても皆が彼女を守ってくれるからだったようだ。
真偽はともかく、国王様まで秘密を握られている可能性がある。そんな彼女に、一体誰が手を出せるというのだろうか。
「兄上、お言葉ですが、そのような女性が生き残れるとは思いません。誰かに暗殺されるのではないですか?」
「クルレイド、彼女は秘密を人質に取っているのだよ。自分を殺せば、秘密が漏れる。真実はわからないが、そう思わせている」
「なるほど……それは確かに、手が出せませんか」
「ああ、そもそも彼女は曲がりなりにも伯爵夫人だ。その暗殺は簡単なものではない。彼女が生きている限り秘密を守ってくれるというなら、わざわざ手を出そうとは思わないだろう」
ハウダート伯爵夫人の守りは、盤石だった。
あの歪な夫人は、ギルトア殿下の言う通り怪物だ。本当に、なんとも厄介な存在である。
「とはいえ、有力者達も愚かな選択ばかりしているという訳ではない。ハウダート伯爵夫人の悪辣さを息子に教える者もいるようだ」
ギルトア殿下は、そこで笑顔を浮かべていた。
彼は、結構顔に出やすい性格であるようだ。先人達の行いに対する表情の変化が、とてもわかりやすい。
「当然のことながら、父親の実感がこもっている言葉を聞いた者は余程のことがない限り、ハウダート伯爵夫人とは関わらない。僕の友人は、実際にその例だ」
「なるほど……賢明な判断ですね」
「ああ、しかしながら、そのように判断することができない者もいるのは事実だ。その例は、君の元婚約者ということになるだろう」
「アルペリオ兄様ですか……」
アルペリオ兄様は、まんまとハウダート伯爵夫人に惚れこんでいる。
それがどれだけ愚かな選択であるか、ギルトア殿下の話を聞いた私は改めて実感していた。
「エスカー侯爵が夫人と関係を持っていたかどうかはわからないが、どちらにしても息子にその恐ろしさは伝わってなかったという訳か」
「……断言することはできませんが、エスカー侯爵はそのような方ではないと思います。恐らく、私達のお父様も」
ギルトア殿下の言葉に、私は力なくそう返した。
その言葉には、願望も含まれている。尊敬している父やエスカー侯爵が愚か者ではない。私はそう信じたいのだ。
「まあ、君の父親達がどうだったかは置いておくとして、アルペリオ侯爵令息はこれから痛いしっぺ返しをくらうことになるだろう」
「弱みを握られる、ということですか?」
「それもあるが……アルペリオ侯爵令息は一番欲しいと思っているものを手に入れることができない」
「それは一体……」
「ハウダート伯爵夫人からの愛さ。本質的に彼女は誰も愛していない。入れ込めば入れ込む程、危険だ」
そこで私は、アルペリオ兄様の様子を思い出していた。
彼は、夫人にかなり入れ込んでいたはずである。あれはとても危険な状態ということなのだろう。
「兄上、しかし彼女の夫であるハウダート伯爵はどうしているのですか? 妻がそんなことをしているのに、黙っているのですか?」
「伯爵はその点においては、強かな男だ。彼は、妻に対して愛情をまったく抱いていない。彼にとって妻は都合が良い武器でしかない。そういう割り切り方をする男だからこそ、夫に選ばれたのかもしれないな」
「彼女の性質をわかった上で、利用している訳ですか……」
ハウダート伯爵夫人は、夫公認で自由を謳歌しているらしい。
なんというか、彼女に関することは狂っている。夫人の話を聞いて、私はそんなことを思うのだった。




