第4話 市場の来訪者
アルペリオ兄様に関する新事実がわかったが、私達は旅行を続けることにした。
兄様のことは気になるが、私達と彼はもう関わりがない。そんな人のことを気にしても無駄だというのが、ロンダーの意見だ。
その意見には、私も納得している。いつまでもあの人に憧れるのはやめよう。そう思って、私は心機一転旅行を楽しむことにしたのだ。
「ここが、ゼポック商会が運営している市です。王都の中でも名物と言って差し支えないものだと思います」
「なるほど、ここが例の市ですか……」
そんな訳で、私達は引き続きクレイド殿下に王都を案内してもらっている。
王都の名物と名高い市には、一度是非行ってみたいと思っていた。具体的に買いたいものなどは決まっていないが、色々と見て回ってみるとしよう。
「流石名物だけあって、多くの人達が来ているわね……」
「ああ、各地の貴族も、この市を目的に王都に来るくらいだからね」
周囲を見渡しみると、ちらほら身なりがいい人達がいる。ロンダーも言っている通り、貴族が訪れているのだろう。
その事実も、この市がすごいものであることを表している。プライドが高い貴族がこぞって訪れるということは、それだけ品質がいいものが揃っているということだ。
「おっと……」
「クレイド殿下? どうかしたんですか?」
「いや、見知った顔がいたのさ……あそこを見てみろ」
そこでクレイド殿下は、とある方向を指差した。
その先には、一人の女性がいる。背の高い美しい女性だ。
クレイド殿下は、その女性を見て表情を歪めている。なんとうか、会いたくなかったという気持ちが伝わってくる。
「クレイド殿下、彼女は一体何者なんですか?」
「……レミアナ嬢、あの女性は先程我々が話題にしていた女性です」
「まさか……」
「ええ、ハウダート伯爵夫人です」
クレイド殿下の言葉に、私は驚いていた。
件のハウダート伯爵夫人が、こんな所にいるなんて思っていなかった。
私は、ゆっくりと息を呑む。突然のことに、思考が追いついて来ない。どうして寄りにもよって、このタイミングで彼女も市を訪れているのだろうか。
「姉上、落ち着いてください。別に気にする必要はありませんよ。あちらはこちらのことを知らないんですから」
「……あら?」
ロンダーの言葉の直後、ハウダート伯爵夫人がこちらを向いた。
彼女は、笑顔を浮かべながらこちらに近づいてくる。どうやらロンダーの予想に反して、彼女はこちらのことを知っているらしい。
「これはこれは、あなたはレミアナ・ラムコフ侯爵令嬢ではありませんか」
こちらにやって来たハウダート伯爵夫人は、私にそのように話しかけてきた。
彼女は、何故か楽しそうに笑っている。それはなんというか、私を少し見下したような笑みだ。
「そういうあなたは、ハウダート伯爵夫人、ですか?」
「ええ、いかにも。私は、ノルメリア・ハウダートです」
夫人は少々大袈裟に身振り手振りを交えながら、自己紹介をしてくれた。
表面上はにこにことしているが、目が笑っていない。私のことを推し量るように、彼女は目を細めている。
この一瞬で、私は理解した。目の前にいる女性が、苦手なタイプであるということを。
「……夫人は、どうして私のことを知っているのですか? あなたと会うのは、初めてだと思いますが」
「ふふ、もちろん知っていますよ。アルペリオからよく話を聞いていますから」
「アルペリオ兄様から?」
アルペリオ兄様の名前が出たことによって、私はひどく動揺してしまった。
そんな様子が楽しいのだろうか。ハウダート伯爵夫人は、口の端を釣り上げて笑っている。
「彼とは親密にさせてもらっていますからね。あなたのことを妹のような存在だとよく言っていました」
「……アルペリオ兄様と、どういう繋がりで?」
「友人ですよ? 少し年は離れていますが、私と彼は確かな友人です。それ以上でもそれ以下でもなく、それだけです」
「……本当ですか?」
私の質問に、夫人は堂々とそう返してきた。
だが、その答えはそう簡単に信じられるものではない。伯爵夫人と侯爵家の令息、そんな二人が純粋な友人関係なんてあり得るのだろうか。
色眼鏡で見てしまっているのかもしれない。しかし私は、問いかけずにはいられなかった。
「二人は男女の関係にあったのではありませんか? そういう噂を聞いたことがあります」
「おやおや、ふふっ……」
「何を笑っているんですか?」
「アルペリオが言っていた通り、可愛らしい人だと思っただけです。あの子が婚約破棄するのも当然ですね。あなたは子供ですもの」
「こ、子供……」
「彼があなたと別れたのは、魅力がなかったからに他ならない。それだけのことです。悔しかったら、もっと自分を磨いてくださいな?」
ハウダート伯爵夫人は、私を煽っていた。
アルペリオ兄様を使って、弄ばれている。それを理解して、私は拳を握り締めていた。
なんというか、色々と屈辱である。こんな人に弄ばれるなんて、どうやら私もまだまだ未熟であるらしい。
「ふふっ、まああなたをからかうのもこれくらいにしておきましょうか……そろそろ彼も帰って来る頃でしょうしね」
「彼……?」
「ええ、私の旅の同行者です。今は他の所を見に行っていて……ああ、あちらにいますね」
「あっ……」
私を一しきり弄んでいたハウダート伯爵夫人は、そこで一際邪悪な笑みを浮かべていた。
そこで私は、彼女の視線が向いている方向を見てみる。するとそちらからは、見知った顔がかけてきていた。
「ノルメリアさん、お待たせてしまって申し訳ありません。ちょっと、あっちが混んでい、て……」
その人物は、夫人に笑顔を向けた後にこちらを向いて固まった。
どうやら、ここに来るまではハウダート伯爵夫人しか目に入っていなかったらしい。こちらはそれよりもかなり前から、気付いていたというのに。
「お帰りなさい、アルペリオ。私はあまり待っていないわよ。こちらのお嬢様方とお話していたからね……」
「え、ええ、それならよかったのですが……」
「あら? どうかしたのかしら?」
ハウダート伯爵夫人は、やって来たアルペリオ兄様にもからかうような表情を向けていた。
彼女は、この状況を楽しんでいる。私の反応も、アルペリオ兄様の反応も、彼女にとってはいい娯楽なのだ。
「……レ、レミアナ、まさかこんな所で君と会うなんてな」
「アルペリオ兄様……」
「ああ、えっと……違うんだ。彼女にはその……昔お世話になったんだ。そういう縁もあって、一緒に旅行をしているというだけで」
「男女二人きりで、ですか?」
「し、使用人や護衛だっている。二人きりという訳ではないさ」
こちらが何か言う前から、アルペリオ兄様は言い訳を始めていた。
その声は震えている。私に彼女とここに来ているということを知られるのは、兄様にとっても一応気まずいことであるようだ。
「まあ、アルペリオにとって私は姉のような存在でしょうかね……少し年が離れているように思えるかもしれませんが、それが事実です。レミアナ嬢、あなただってアルペリオのことを兄のように慕っていたのでしょう? それと同じですよ」
「アルペリオ兄様、そうなのですか?」
「あ、ああ、そういうことさ。彼女とはなんでもない。なんでもないとも……」
アルペリオ兄様は、私からゆっくりと目をそらした。
長い付き合いであるため、兄様のことはよくわかっている。それは明らかに、嘘をついている時の顔だ。
アルペリオ兄様の気持ちが手に取るようにわかる。そのことが私の心をより抉ってきていた。
「ふふ、レミアナ嬢、あなたは本当に可愛らしい人ですね……」
「……少しいいか?」
「あら?」
アルペリオ兄様とハウダート伯爵夫人の関係に、私は少し参っていた。
クレイド殿下は、そんな私を庇うように前に出てきた。彼はロンダーに目配せをする。
すると弟は、私をそっと抱き寄せた。安心させようとしてくれているのだろう。
「さっきからずっと聞いていたが、ハウダート伯爵夫人、あなたという人は随分と趣味が悪いようだな?」
「あらあら、これは第二王子、手厳しい意見ですね? 私は王子に何かしましたか?」
「自分の胸に一度手を当てて考えてみたらどうだ?」
クレイド殿下は、ハウダート伯爵夫人を睨みつけていた。
その口調も、心なしか荒々しい。明らかに敵意を向けているといった感じだ。
それに私は、少しだけ驚いていた。まさかクレイド殿下が、そんなに怒っているとは思っていなかったからだ。
「心臓の音がしますね」
「あなたが一体何をしたいのか、俺には理解することができない。そもそもの話、ここでこんなことをしてただで済むと思っているのか?」
「ふふ……」
クレイド殿下の言葉に対して、夫人は笑みを浮かべていた。
先程と変わらず余裕そうな態度である。ただクレイド殿下が言う通り、確かに彼女は危うい状況だ。
アルペリオ兄様と二人で出掛けている。その事実は彼女を追い詰めるだろう。単純に浮気である訳だし、その不貞行為を糾弾されるはずだ。
「お若いですね、クレイド王子殿下。本当に可愛らしくて、笑ってしまいます」
「何がおかしいというのだ?」
「この程度のことで、私は揺るぎはしませんよ。揺らぐくらいなら、私は今ここにいられません」
「なんだと?」
ハウダート伯爵夫人は、王子にさえ少し上から目線であった。
それは何かしらの自信があるからということなのだろう。自由な振る舞いをしてもいい何かが、彼女にはあるのだ。
「ふふ……よろしかったら、私が王子を大人にして差し上げましょうか? あなたのような可愛らしい方なら、私はいつでも歓迎です。ああ、そちらの男の子も」
ハウダート伯爵夫人は、クレイド殿下やロンダーにまで粉をかけていた。噂通り、見境がない人物である。
そんな彼女に、アルペリオ兄様は少し鋭い視線を向けていた。それはつまり、嫉妬しているということだろうか。
「お断りだ。誰があなたなんかの軍門に下るか」
「僕も、クレイド殿下と同じ意見です」
「ふふっ……」
そんな中、クレイド殿下とロンダーは堂々と誘いを断った。
その目には迷いがない。彼はハウダート伯爵夫人の色香に、まったく惑わされていないようである。
「二人とも冷たいですね……まあ、気が変わるということもありますから、今はそれでもいいでしょう」
クレイド殿下とロンダーから袖にされたハウダート伯爵夫人は、それをまったく気にせずにやにやとしていた。
彼女は、アルペリオ兄様の腕に抱き着く。男女の関係を否定していたというのに、その動作には一切躊躇いがない。
「アルペリオ、今日はあなたに慰めてもらわなければならないわね。こんな風に断られるなんて、私は悲しいわ」
「……ノルメリアさん、それはもちろん構いませんが、俺の前でそういう誘いはやめてください」
「あら、あなたもまだまだ子供なのね」
アルペリオ兄様は最早私のことなんて気にしていなかった。他の男性に粉をかけようとした夫人に対して、嫉妬を露わにしている。
その様を見て、私は少し吐き気を覚えていた。よくわからないが、気分が悪い。
「姉上、大丈夫ですか?」
「ロンダー、ええ、大丈夫……」
「クレイド殿下……」
「……ここは退くべきか」
ロンダーの視線に、クレイド殿下は少し悔しそうな顔をしていた。
それは私も同じである。ハウダート伯爵夫人にしてやられてばかりだったため、なんだか負けたような気分だ。
「おや、もうお帰りですか? せっかく市に来たのですから、もう少しゆっくりされたらいいのに」
「……レミアナ嬢、行きましょう」
「……はい」
クレイド殿下の言葉に、私はゆっくりと頷いた。
残念ながら、この場で何を言っても彼女のペースは崩せそうにない。悔しい気持ちはあるが、ここは退くのが一番いいだろう。
「レミアナ嬢、大丈夫ですか?」
「ええ、クレイド殿下、すみません。それから、ありがとうございます」
「いいえ、お礼を言われるようなことではないですよ。むしろ、助けるのが遅くなって申し訳ありません」
「いえ、私がハウダート伯爵夫人の挑発に乗ってしまっただけですから……」
歩きながら、私は自分の言動が短絡的であったことを改めて理解していた。
ハウダート伯爵夫人なんて、気にするべきではなかったのだ。私が反論すればする程彼女は勢いづいていた。冷静に受け流していれば、もっと違う反応だっただろう。
踏んできた場数が違うためか、夫人は強かった。彼女のペースに乗せられた時点で、駄目だったのだ。
「それを言うなら、俺も乗せられていましたよ。ハウダート伯爵夫人、やはり彼女は要注意人物だ……」
「それにしても、彼女の自信は一体どこから来るのでしょうか?」
「わかりません。ただ、あれはハッタリではない気がします。もちろん、今回のことを俺は各所に訴えかけますが……」
クレイド殿下の声は、少しだけ弱々しかった。
それは夫人の謎の自信が、気になっているからだろう。
彼女に何があるのか。それを考えながら、私達は市から立ち去るのだった。




