第3話 伯爵夫人の噂
「味が……」
「濃い……」
定食屋で料理を食べた私とロンダーは、そのような感想を思わず口にしていた。
ここの料理は、どれもやけに味が濃い。正直、あまりおいしいとは思えない。
「クレイド殿下、ここの料理はどうなっているんですか? 明らかに味が濃すぎると思うんですけど……」
「そうか? 俺は好きなんだがな……」
「そ、そうなんですか?」
クレイド殿下は、味の濃さをまったく気にしていなかった。
濃い味が好きというのは、理解できる。ただ、これを好きというのはおかしい。流石に味覚が変だと思ってしまう。
「昔兄上を連れてきた時も喜んでいたんだがな……」
「ギルトア殿下も?」
「ああ、まあ俺達は濃い味が好きみたいだな」
クレイド殿下だけではなく、王家がそういう好みであるらしい。
それは本当に大丈夫なのだろうか。会食などで変な空気になったりしないか、少し心配になってくる。
「普段から、こういう料理を食べられているんですか?」
「ああいいや、そういう訳ではないですよ。王城では多分、レミアナ嬢が普段食べているのと同じようなものを食べています。それもおいしいと思っていますよ。ただ、時々無性にこういうものが食べたくなって」
「なるほど、それなら少し安心しました」
私の心配は、杞憂だったようだ。
ただ、私は少し不思議に思った。普段の料理をおいしいと思える人が、どうしてこんな濃い味も好んでいるのだろうか。味覚というものが、私はなんだかわからなくなってくる。
「まあ、好みではないというなら無理に食べなくても大丈夫ですよ。この後、別の店にでも行きましょう」
「いいえ、出していただいたものは、きちんと食べますよ」
「なるほど、レミアナ嬢はご立派だ」
クレイド殿下からの提案に、私はゆっくりと首を振った。
目の前にあるのは、私が頼んだものだ。それを食べずに帰るというのは、なんというか私の主義に反する。
「元々、味が濃いとは聞いていましたからね。想定以上ではありましたが、まあそれでも許容範囲内です」
「僕も姉上と同じ意見です。ちゃんといただきますよ」
私とロンダーは、そんな感じで料理を食べ始めた。
ちなみに店内に、私達以外の客はいない。つまりこの店は、市民にとってもおいしいと思える店ではないのだろう。
そんな店がどうして成り立っているのか、それが少しわからない。クレイド殿下のような根強いファンがいるのだろうか。
とはいえ、人がいないからこそ、私達がくつろげるという面もある。そういう側面も含めて、クレイド殿下はこの店を愛しているのだろうか。
◇◇◇
私達は、町の味の濃い定食屋でなんとか料理を食べ終え、デザートをいただいていた。
不思議なことに、デザートはとてもおいしかった。甘すぎる訳でもなかったし、この店のことがどんどんとわからなくなってくる。
「なるほど、レミアナ嬢はやはり色々と大変だったという訳ですか」
「まあ、そうですね」
そんなデザートをいただきながら、私は自分の婚約破棄について話していた。
二つの侯爵家に起こった問題は、クレイド殿下の耳にも入っていたようだ。彼も大まかに事情を知っていた。
「アルペリオさん及びエスカー侯爵家が姉上にした仕打ちは、許されることではありません。父上もかなり怒っていますよ」
「それは当然だろうな。しかし、アルペリオ・エスカーか……」
「クレイド殿下、どうかされたのですか?」
ロンダーの言葉を受けて、クレイド殿下は顎に手を当てて何かを考え始めた。
その様子が、当然私は気になった。アルペリオ兄様が、どうかしたのだろうか。
「ああいえ、その名前を最近聞いたような気がして……」
「アルペリオ兄様の名前を、ですか?」
「ええ、しかしどこで聞いたのだったか……ああ」
そこでクレイド殿下は、目を見開いていた。
その後彼は、罰が悪そうな表情になる。つまり、アルペリオ兄様の名前を何か悪いことで聞いたということなのだろう。
「クレイド殿下、一体どこでアルペリオ兄様のことを聞いたのですか?」
「レミアナ嬢、あなたはハウダート伯爵夫人……ノルメリアのことをご存知ですか?」
「ノルメリア? えっと、確か……」
クレイド殿下が出した名前は、私も聞いたことがあった。
確かその女性は、恋多き女性だったはずだ。かつては浮き名を流したと社交界では有名人であったらしい。
「その女性が、どうかされたのですか?」
「ハウダート伯爵と結婚してから、彼女は鳴りを潜めたと言われていました。しかしここ最近、また悪い噂が流れているようで……」
「悪い噂……まさか」
「ええ、彼女は不倫しているそうです。その相手として、アルペリオ・エスカー侯爵令息の名前もあがっていました。あくまで、可能性に過ぎないようですが……」
クレイド殿下の言葉に、私とロンダーは顔を見合わせた。
どうやらアルペリオ兄様は、私を妹のように思っているからという理由だけで婚約破棄した訳ではなさそうだ。あの言葉の裏には、何かしらの思惑があったのだろう。恐らく、ハウダート伯爵夫人に関する何かが。
「クレイド殿下、もう少し詳しく話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」
「え、ええ、それは構いませんが……」
私の言葉に、クレイド殿下は少しぎこちなく頷いてくれた。
アルペリオ兄様に何があったのか、私はそれが気になっている。
その鍵を握っているのは、恐らくハウダート伯爵夫人だ。もしも兄様が彼女と不倫していたなら、それが婚約破棄の直接の原因なのかもしれない。
「しかし、俺が知っていることは本当に噂の断片でしかありませんよ。ハウダート伯爵夫人が、再び浮き名を流していて、その相手に何人かの候補がいるということだけです」
「その一人がアルペリオ兄様なのですね?」
「ええ、しかしこれはあくまでも噂でしかありません。確証がある訳ではないので、その点はご留意を。こういうことには尾ひれがつくものです。少し話しただけでも、噂になることはありますからね……」
クレイド殿下は、少し自信がなさそうにそう言ってきた。
彼の言っていることは、確かに正しい。貴族社会というものは、悪意を持って噂を流すものもいる。
ただ、兄様の場合は状況が状況だ。私と無理に婚約破棄した。それは噂を裏付けるのに充分な要素であるような気がする。
「クレイド殿下の言っていることは理解できます。ただ、状況がアルペリオ兄様の不貞を示しています。彼の態度を考えると、その噂は本当である可能性が高い」
「なるほど、それはなんというか……」
「ええ、正直な所、それが本当であるならば、アルペリオ兄様のことを心底軽蔑してしまいます。元々、今回の婚約破棄で少し失望していましたが……」
私にとってアルペリオ兄様は、尊敬の対象だった。
しかしその印象がどんどんと変わっていく。もしかしたら兄様は、最低の人間だったのかもしれない。
「姉上、気持ちはわかるけど、ここは抑えて……」
「あ、すみません、クレイド殿下。私、つい……」
「ああいえ、気にしないでくださいよ。愚痴くらいなら、俺だって聞きます」
怒りを覚えていた私は、ロンダーの言葉によって冷静になった。
ただ噂を教えてくれたクレイド殿下の前で怒るなんてみっともない。それは彼に対して、とても失礼な行為だ。
「それに、レミアナ嬢の気持ちはよくわかります。噂が本当であるならば、怒りを覚えるのは当然のことですよ。そもそも、婚約破棄されたこと自体、普通に不快極まりないことですし……」
「ありがとうございます。クレイド殿下は、お優しいですね……」
「いや、そうですかね……」
クレイド殿下は、とても優しい人だった。
その優しさを浴びる度に、自分の行いが恥ずかしくなってくる。
私はもっと、自分を律する術を身につけなければならない。今回の出来事に、私はそんな教訓を得たのだった。




