第18話 誰のためかは
私は、クレイド殿下の背中に飛びついた。
すると彼は驚いたような反応をした後、こちらを向く。
「……レミアナ嬢?」
「クレイド殿下……待ってください」
「え、えっと……」
私の言葉に、彼は振り上げていた剣をゆっくりと下に戻した。
彼の怒りは、すっかり息をひそめている。それだけ私が抱き着いたことが、予想外だったということだろう。
「……レミアナ嬢、危ないじゃありませんか。剣を振り上げた俺の後ろから抱き着くなんて」
しばらく沈黙していたクレイド殿下は、少し焦った様子でそんなことを言い始めた。
確かに、彼の言うとおりだ。彼は剣を振り上げていたので、その後ろから抱き着くのは非常に危険なことである。
「すみません。でも、こうするしか止める方法が思い付かなくて……」
「声をかけてくれたら、止まりましたよ。いえ、まあ、確かに興奮していたことは否めませんが……」
クレイド殿下は、私から少し気まずそうに目をそらしていた。
先程までの彼の耳に、私の言葉が入ったかは微妙な所だ。それをクレイド殿下も、理解してくれたのだろう。
ただ、私がしたことが危険な行為だったことも確かだ。それについては、本当に申し訳ないと思っている。
「ふふっ……ふはははははっ!」
私がそんなことを思っていると、辺り一面に不快な笑い声が響いた。
その笑い声を出しているのは、当然アルペリオ侯爵令息だ。よくわからないが、彼はとても嬉しそうに笑っている。一体、何に喜んでいるのだろうか。
「レミアナ、やはり君は僕の味方だったようだな……こうして僕を助けてくれた。それは君が僕を愛しているからだろう?」
「……はあ」
アルペリオ侯爵令息の言葉に、私は思わずため息をついていた。
どうやら、彼は何かを勘違いしているようだ。私はアルペリオ侯爵令息を大切に思っているから、クレイド殿下を止めたという訳ではない。むしろその逆だ。
「言っておきますが、私はあなたのためにクレイド殿下を止めた訳ではありません」
「……何?」
「私は、あなたなんかの命をクレイド殿下に、背負わせたくなかったというだけです……生き恥を晒したくないというなら、ご自分で死ねばいいではありませんか。もっとも、あなたはそんなことはできない意気地なしでしょうけれど」
「なっ……!」
アルペリオ侯爵令息は、私を見て固まっていた。
結局の所、彼は臆病者なのだろう。今回の件で、私はそれを悟った。
もう終わりだと思っているが、自分で死ぬ勇気もない。だから彼は、こんなことをしたのだ。
生きることも死ぬことも諦めた彼は、ひどく中途半端である。本当に、情けない限りだ。
「……レミアナ嬢、そろそろ離れてもらってもいいですか?」
「え? あ、すみません。私、ずっと……」
「いえ、お気になさらず……」
私とアルペリオ侯爵令息の話が終わってから、クレイド殿下は少し頬を赤らめながら、そんなことを言ってきた。
クレイド殿下を止めるにあたって、私は彼に抱き着いていた。離すタイミングもなく、私はずっと彼に密着していたのである。
後から考えてみると、それは中々に恥ずかしいことだ。段々と顔が熱を帯びていく。
「それより、ありがとうございます。俺のことを止めてくれて」
「ああ、それは私の自己満足のようなものですから」
「いいえ、あそこで剣を振り下ろしていたら、俺はきっと後悔していました」
「そうですか……それならよかったです」
クレイド殿下は、私に対して苦笑いを浮かべていた。
彼の言葉からは、恐怖のようなものが伝わってくる。それはきっと、命を奪おうとしていたことへの恐怖なのだろう。
それを見ると、改めて止めてよかったと思える。危険はあったが、私の行動は正しかったといえるだろう。
「……まったく、君達は本当に大胆なことをしてくれたな」
「え?」
「あ、兄上……」
そんな風に私が感慨に耽っていると、その場にギルトア殿下が現れた。
彼は、楽しそうに笑っている。ある種、いつも通りのギルトア殿下だ。
「衆人環視であんなことをされたら、婚約を結ばざるを得なくなってしまう。まだラムコフ侯爵から了承は得られていないというのに……」
「えっと、それは……まあ、大丈夫だと思います」
「まあ、その話は置いておくとしようか。それより今は、そこの賊をなんとかしなければならないだろう」
「そうですね」
ギルトア殿下の言葉に、クレイド殿下はゆっくりと頷いた。
二人は、項垂れているアルペリオ侯爵令息にも目を向けている。彼は動かない。すっかり放心しているらしい。
確か彼は、以前もそのような反応をしていた。私に拒絶されると、アルペリオ侯爵令息はかなりショックを受けるらしい。
「懲りない人ですね……ラムコフ侯爵家の屋敷でも、私はあなたを拒絶したというのに」
「そういう所は不屈ということか。しかしレミアナ嬢、もう心配はいらないぞ? これからこの者は、牢屋の中だ。あなたを追いかけることなんてできない」
私の呟きに返答をした後、ギルトア殿下はゆっくりと手を上げた。
すると、兵士達がアルペリオ侯爵令息を拘束する。その扱いは、最早貴族ではない。ただの賊として、アルペリオ侯爵令息は処理されるようだ。
「さてと、これでこの一件も落ち着いたという訳だ」
「兄上、すみません。色々と騒ぎを起こしてしまって……」
「気にすることはないさ。これはあの侯爵令息の狂気が引き起こしたものだ……しかし、彼の行動は目に余る。エスカー侯爵家にも責任を果たしてもらわなければならないな」
ギルトア殿下は、一度目を瞑ってからそのようなことを呟いた。
確かに、アルペリオ侯爵令息の行動は許されないものである。それは彼個人の責任ではなく、家の責任ということになるだろう。
しかし私は、あることが気になっていた。エスカー侯爵は、果たして無事なのだろうか。
「……ギルトア殿下、そのことについては既に覚悟ができています」
そんなことを考えていた私は、聞き覚えのある声に驚いた。
声が聞こえてきた方向を見ると、見知った顔が三つある。一つはロンダー、一つはお父様、そしてもう一つはエスカー侯爵だ。
「エスカー侯爵ですか……その姿は?」
「些細なことです。それよりも今は、私の愚息がした行動に対する責任を取らなければなりません」
エスカー侯爵は、ボロボロだった。
頭には包帯を巻いており、杖をついている。どう考えたって、まともな状態ではない。
ただそれでも彼は、こちらに歩いてくる。強靭な精神力が、そうさせているのだろう。
「レミアナ嬢、本当にすまなかった。謝って許されることではないが、愚息が随分と迷惑をかけてしまっただろう」
「エスカー侯爵……」
「この件について、私はこの首も差し出す覚悟をしてきた。ラムコフ侯爵とロンダー侯爵令息は、そんな私の気持ちを汲んで、ここまで私を連れて来てくれたのだ」
エスカー侯爵に続いて、ロンダーとお父様もこちらにやって来ていた。
二人の顔を改めて見てみると、なんだか胸が少しほっとした。今まで気づかなかったが、私の意識はずっと張り詰めていたらしい。
「姉上、ご無事ですか?」
「ええ、私は大丈夫よ」
「状況はよくわかっていないが、明らかに何かがあった様子だな」
「色々とありました。でも、クレイド殿下が助けてくれましたから」
ロンダーもお父様も、私のことをとても心配してくれていた。
それが私は、とても嬉しかった。思わず笑みが零れてしまう。
「クルレイド殿下、娘を助けていただきありがとうございます」
「いいえ、俺は当然のことをしたまでですから……」
「……積もる話も色々とありそうだ。ここは場所を移動するとしようか。ここで話をするのも何だからね」
色々と騒がしくなった場をまとめてくれたのは、ギルトア殿下だった。
彼の言う通り、王城の玄関付近で積もる話をするものではない。エスカー侯爵の容体も気になるし、ここは場を変えるべきだろう。




