第17話 侯爵令息の蛮行
私とクレイド殿下は、王城の玄関付近まで来ていた。
そこには、見覚えがある男性がいる。少し痩せただろうか。アルペリオ侯爵令息は、私を見つけて笑顔を浮かべている。
「……レミアナ、来てくれたのか?」
「アルペリオ侯爵令息、こんな所に訪ねて来るなんて一体どういうつもりですか? 言っておきますが、私とあなたはもう無関係ですよ?」
私の心は既に、アルペリオ侯爵令息と決別している。彼に対して感じているのは、エスカー侯爵への義理だけだ。
アルペリオ侯爵令息は、それを理解していないのだろうか。こうして私を訪ねて来たということは、そういうことなのかもしれない。
「……本当にすまなかった。君には、申し訳ないことをしたと思っている」
「はい?」
「僕が間違っていた。ハウダート伯爵夫人に惑わされて、僕はひどいことをしてしまった……」
「ア、アルペリオ侯爵令息……」
そんなことを思っていると、アルペリオ侯爵令息がその場に跪いた。
彼は、それなりに人の視線がある場所で頭を下げている。
その行為に、私は少し驚いた。もしかして、本当に反省しているのだろうか。
「許されないことをしたことはわかっている。ただ、どうしても君に改めて謝罪したかったんだ。この通りだ……」
「……アルペリオ侯爵令息、あなたが心から反省しているというなら、私としても嬉しい限りです。エスカー侯爵のためにも、これからは貴族として慎みある行動を心掛けてください。私から言えるのは、そのくらいです」
アルペリオ侯爵令息の謝罪に対して、私はそのような言葉を返した。
それは私の本心だ。エスカー侯爵のことを思うと、なんだか安心できる。
もっとも、それで私と彼との関係が修復されるという訳ではない。それとこれとは話が違う。
「レミアナ、君は優しいな……」
「……レミアナ嬢!」
「えっ? あっ……!」
そこで私は、浮き上がるような感覚に陥った。
アルペリオ侯爵令息が、突然立ち上がって私の体を引き寄せてきたのである。
そして私は、首元に冷たいものが当たっていることに気付いた。それはまず間違いなく、ナイフの類だ。動いてはいけない。それを理解した私は、アルペリオ侯爵令息の動きに従わざるを得なかった。
「こ、これは……うっ!」
「動くな! 動くとレミアナの命はないぞ!」
アルペリオ侯爵令息は、私を拘束しながら周囲にそう宣言した。
どうやら彼は、反省してここに来たという訳ではないらしい。
それ所か、彼は何かとんでもないことをしようとしている。王城で私を拘束している時点でそれは間違いない。
「……アルペリオ侯爵令息、あなたは自分が何をやっているのかわかっているのか?」
「ふっ……」
私を拘束しているアルペリオ侯爵令息に対して、クレイド殿下は冷たい視線を向けていた。
彼が言っている通り、アルペリオ侯爵令息のこの行為は正気の沙汰ではない。王城で侯爵令嬢を拘束する。それはある意味自殺行為だ。
私に危害を加えるかどうかに関わらず、アルペリオ侯爵令息は国の威信をかけて必ず捕まえられて罰を受けることになるだろう。
「アルペリオ侯爵令息、クレイド殿下の言う通りです。こんなことをして、どういうつもりなのですか? 先程の反省の言葉は、全て嘘だったのですか?」
「嘘という訳ではないよ、レミアナ。僕は本当に君には申し訳ないと思っているんだ。真に僕のことを想ってくれている君を無下に扱ってしまったことは、僕の一番の失敗だ」
「何を言っているんですか?」
アルペリオ侯爵令息は、私への拘束を強めてきた。
いや、それは抱擁のつもりなのかもしれない。彼の言葉から考えると、そんな気がする。
「ハウダート伯爵夫人に見捨てられてから、しばらく考えていたんだ。これからどうするのがいいのかって、ね。色々と考えたけれど、やはりレミアナ、僕は君と歩んでいきたいと思ったんだ」
「か、勝手なことを言わないでください。あれだけの仕打ちをしておいて、今更元に戻れるなんて思っているんですか?」
「大丈夫さ。僕と君は魂で繋がった兄妹だ。何度だってやり直すことができる」
アルペリオ侯爵令息は、非常に身勝手な主張をしてきた。
彼は私の気持ちなんてまったく考慮していない。独りよがりの狂った主張だ。
「アルペリオ侯爵令息、あなたはどうしてそんな……エスカー侯爵の想いを全て無下にするなんて?」
「エスカー侯爵? ああ、父上のことか……思えば、父上はずっと僕の邪魔ばかりしてくる人だった。くくっ、いい気味だ」
「いい気味?」
「ここに来る前に、父上に報いを受けてもらったんだ」
「……え?」
私は、アルペリオ侯爵令息が軽い口調で述べたことに固まっていた。
彼が言っている報いとは、一体どういうものなのだろうか。それを考えると、心が沈んでいった。
まさか、アルペリオ侯爵令息は実の父親を手にかけたのだろうか。今の彼なら、そうするかもしれないと思える。
「まあ、そんなことはどうでもいいことさ。君と僕には関係がないことだ」
そこで私の体は、震え始めていた。
私は今、恐怖している。アルペリオ侯爵令息という邪悪な存在に。
「これから二人で、どこに行こうか。遠い国に行くのがいいかな? そこで二人でやり直すとしよう。僕達は本当の家族になるんだ」
アルペリオ侯爵令息は、とても優しい声色でそんなことを言ってきた。
当然のことながら、私は彼と一緒に行くことなど望んでいない。
しかし反論が出て来なかった。恐怖の感情が、私に声を発することをできなくさせているのだ。
「貴族の地位は捨てることになるけれど、まあなんとかなるだろう。僕が働くから、君には家事全般を頼もうかな? 料理や裁縫は得意だっただろう。君は手先が器用だったからな……」
「……あっ」
そこで私は、あることに気付いた。
クレイド殿下が、真っ直ぐに私のことを見ているのだ。
その目を見ていると、なんだか恐怖が薄れてきた。全身に血が通っていくのを感じる。先程まで動かないと思っていた体が動く。
「アルペリオ侯爵令息、あなたの蛮行は許されるものではない」
「……さっきからうるさい奴だな。君は確か、第二王子のクルレイドか。レミアナに視線を向けて、何を考えているんだ?」
クレイド殿下が言葉を発すると、アルペリオ侯爵令息は不機嫌さを露わにしていた。
アルペリオ侯爵令息は、私の首に刃を改めてしっかりと当てる。クレイド殿下に対して、動いたら切ると示しているのだろう。
「言っておくが、レミアナは僕のものだ。君は知らないだろうが、僕達は小さな頃から一緒だったんだ。その絆は計り知れない。君なんかが入って来る隙間はないんだよ」
「そうやって無理やり拘束している時点で、あなたの言葉に説得力はない。本当にレミアナ嬢のことを想っているなら、今すぐにその手を離せ」
「その手には乗らないさ。君達は、僕とレミアナの未来を邪魔する。その言葉に従う義理はない」
クレイド殿下の説得を、アルペリオ侯爵令息の言葉を聞き流していた。
恐らく彼は、私を決して離さないだろう。離したら終わりなのだから、離す訳がない。
それを判断できるくらいには、アルペリオ侯爵令息も冷静だということだろうか。
「……」
そこで私は、クレイド殿下が駆けつけてきた兵士を気にしていることに気付いた。
彼の視線は、兵士が持っている剣に向けられている。それを使おうとしているということだろうか。
「……」
「……」
さらにクレイド殿下は、私にも視線を向けてきた。
その意図は理解できる。なんとかして、隙を作って欲しいということだろう。
私は、瞬きをしてクレイド殿下に意思を伝える。失敗することは許されない。息を合わせて、アルペリオ侯爵令息の蛮行を止めるのだ。
「……アルペリオ侯爵令息」
「レミアナ? どうかしたのかい?」
「いえ……」
アルペリオ侯爵令息に拘束されていた私は、ゆっくりとため息をついた。
ことを実行に移すためには、覚悟がいる。私は今、その覚悟を決めたのだ。
幸いにも、こういう時にどうすればいいのかはわかっている。ギルトア殿下が、以前同じ目に合っていたからだ。
しかし、私が全て同じようにできるという訳ではない。非力な私では、アルペリオ侯爵令息に力負けしかねないからだ。
故に私は、彼を油断させる必要がある。その隙をついて、彼の拘束から抜け出すのだ。
「あなたと一緒に行きます」
「何?」
「あなたと一緒に行くと言ったんです。それがアルペリオ兄様の望みなのでしょう?」
「レミアナ……」
私の言葉に、アルペリオ侯爵令息は驚いたような顔をしていた。
もしかしたら、彼も私がこういう回答を返すとは思っていなかったのかもしれない。
しかしそれは好都合だ。今彼は呆気に取られている。その隙を、私は見逃さない。
「……クレイド殿下!」
「なっ……!」
私は、すっかり力が抜けていたアルペリオ侯爵令息の腕を振り払った。
そのまま私は、クレイド殿下がいる方向に向かう。その方向では、クレイド殿下が兵士の剣を抜いている。この場において、誰よりも早く彼は行動を開始していたのだ。
それは私と通じ合っていたからだろう。他の人は、私がこんな行動をすることは知らなかった。クレイド殿下だけが、こうなることをわかっていたのである。
「レミアナ……僕を騙したのか!」
私の後方にいるアルペリオ侯爵令息は、周囲を見渡していた。
恐らく彼は、人質を探しているのだろう。それを防ぐためには、その右手に携えたナイフをなんとかしなければならない。
「……させるか!」
「あがっ!」
私がそう思った瞬間、クレイド殿下がその剣をアルペリオ侯爵令息の右腕に振り払った。
ただ彼は、切ることを選んではいない。あくまでも拘束するために、表面で叩きつけることを選んだようだ。
「くそっ……!」
「動くなっ!」
「おごっ!」
クレイド殿下は、次にアルペリオ侯爵令息の脇腹に剣を叩きつけた。
それによって、アルペリオ侯爵令息はバランスを失う。彼は地面に倒れたのだ。
「アルペリオ侯爵令息、これ以上の抵抗は無駄だ」
「……く、くそうっ!」
次の瞬間、クレイド殿下はアルペリオ侯爵令息の首元に剣を持ってきた。
最早彼は、抵抗することができないだろう。クレイド殿下は一瞬で、アルペリオ侯爵令息を制圧したのである。
「アルペリオ侯爵令息、随分と大胆な真似をしてくれたな……王城でこんな騒ぎを起こした罪は重いぞ」
「……ふふっ」
クレイド殿下は、アルペリオ侯爵令息に対してゆっくりと言葉をかけていた。
それに対して、アルペリオ侯爵令息は笑う。その笑みは、不気味な笑みだ。こんな状況であるというのに、どこか余裕も伺える。
「……何がおかしい?」
「ふふっはははっ! これで僕も終わりか!」
アルペリオ侯爵令息の笑みに、周囲の人々は固まっていた。
彼の笑いの意味がわからない。どう考えたって、今は笑うべき状況ではないはずだ。
「……殺せよ」
「……何?」
「どうせ僕は、これで終わりだ。牢屋に入れられて、死刑を待つなんて面倒だろう。それならここで引導を渡してもらった方がいい」
アルペリオ侯爵令息は、先程までとは打って変わって無表情になっていた。
彼の要求は、非常に身勝手なものだ。どの立場で、要求しているのだろうか。その意味がわからない。
しかしクレイド殿下は、真剣な顔をしている。もしかしたら彼は、アルペリオ侯爵令息の言葉を本気で受け止めているのかもしれない。
「……いいだろう。せめてものの情けだ。これ以上生き恥を晒す前に、ここで俺が引導を渡してやろう」
クレイド殿下は、ゆっくりとその剣を振り上げた。
しかし彼の動きは、すぐに止まる。彼が躊躇っていることは明らかだ。
それを見て、アルペリオ侯爵令息は笑う。それは心底、人を馬鹿にしたような笑みだ。
「おやおや、第二王子にはそんな勇気がなかったか……」
「……なんだと?」
「僕の命を奪う覚悟が決められないんだろう? ふふ、情けない王子だ……」
アルペリオ侯爵令息は、クレイド殿下を煽っていた。
その様子は、まるでハウダート伯爵夫人だ。長い間一緒にいたこともあって、アルペリオ侯爵令息は彼女の影響を受けているのかもしれない。
いや、これはどちらかというと諦めの気持ちからの煽りだろうか。どの道終わりなら、好きなように振る舞う。そんな心境なのかもしれない。
「……結局君には、覚悟がないんだろう? 君みたいな奴にはレミアナに相応しくはない! やはり彼女は僕のものだ!」
「何をっ……」
「例え捕まっても、脱獄してレミアナの元に行ってやる! 僕は彼女を逃がさない!」
「貴様……!」
アルペリオ侯爵令息の言葉に、クレイド殿下は大きく剣を振り上げた。私のことを引き合いに出されて、堪忍袋の緒が切れたのだろう。
それを悟った瞬間、私の体は動いていた。クレイド殿下を止めなければならない。そう思ったのだ。




