第16話 嬉しいこと
「さてと……何から話すべきでしょうかね」
「えっと……それは、クレイド殿下に判断していただくしかないかと」
「まあ、そうですよね」
私の正面に座り直したクレイド殿下は、なんというか歯切れが悪かった。
彼は悩んでいるのだろう。事情というものをどこから話すべきか、急な話であるためまとまっていなくても仕方ない。私はクレイド殿下が話し始めるのを待つことにする。
「レミアナ嬢は、俺と初めて会った時のことを覚えていますか?」
「クレイド殿下と初めて会った時ですか? えっと、それは多分、屋敷で会った時のことということでしょうか?」
「あ、ええ、そうですね。その時です」
クレイド殿下の質問に、私は少しぎこちなく答えることになった。
彼のことを、私は一方的に知っていた。ただ会ったといえるのは、恐らくロンダーと彼が友人になって、ラムコフ侯爵家に遊びに来た時だろう。
「王都に行ったロンダーが第二王子と友達になったと聞いた時は驚きましたよ……」
「まあ、あの時も色々とありましたね。ただ重要なのは、そこではなく……」
「あ、ええ、私達が出会った時のことですよね? 普通に挨拶をしましたよね?」
「その時からまあ、そうだったのですが」
「はい? なんですか?」
クレイド殿下は、私から目をそらしていた。
まだ私に何か話しにくいことがあるのだろうか。初めて顔をしっかりと合わせた時、特に何かあった覚えはないのだが。
いや、もしかしたら私がその時にあった何かを忘れているからこんな反応なのだろうか。もしもそうなら、結構気まずい。
「兄上は言いました。男子というものは年上に憧れる時期があると」
「ああ、そんなことを言っていましたね……」
「俺はある意味、ずっとその時期なのかもしれません」
「ずっとその時期……え?」
クレイド殿下の言葉に、私は固まった。
もしかして、私は今までの間ずっと鈍感だったのだろうか。言葉の意味を考えて、私はそんなことを思った。
目の前にいるクレイド殿下は、頬を染めている。それはつまり、そういうことなのだろう。
「クレイド殿下、それは一体どういうこと……なんて聞くのは、野暮ですね。すみません」
「いえ……はっきりと言っておきましょう。俺は一目惚れというものを経験したのだと思います」
「一目惚れ、ですか……なるほど、そういうことでしたか」
私は、クレイド殿下と接してきたこれまでのことを思い出していた。
思い返してみると、なんだか色々なことが腑に落ちてくるような気もする。本当に私は、なんとも鈍感だったのかもしれない。
「……初めてあなたのことを見た時、俺は戸惑いました。その時はよくわからなかったんです。自分の心の中にある感情が、どういうものであるかということを」
「そ、そうだったのですね……」
「ええ……」
クレイド殿下は、恥ずかしそうにしていた。
それはそうだろう。彼は実質的に、愛の告白をした。その状況で、いきさつを話していることがむしろすごいことなのかもしれない。
「自覚をしたのは、その後のことですね。俺とロンダーが、庭で遊んでいたでしょう? 木に登ったりして……」
「ああ、覚えています。その時私は確か、注意しましたよね? 危ないから駄目ですって」
「………………正に、その言葉をかけられた時に」
「え? あっ、そうなのですか? それはなんというか……」
クレイド殿下は、目を見開いて固まっていた。
それも当然のことだ。私は偶然とはいえ、彼の心の射止めた言葉を口にした訳だ。動揺するのも無理はない。
私の方も、正直困惑している。なんと言っていいのかわからない。言い直すのもの違うだろうし、言葉に詰まってしまう。
「その……だからすみません。兄上があなたに婚約の話を持ち掛けたのは、俺の想いを知っていたからなのです」
「……それは謝ることではありませんよ。婚約相手から愛されているというなら、それは良いことであるはずですから」
クレイド殿下は、私に頭を下げてきた。
だが、ギルトア殿下の行いに私情が入っていたとしても、特に気にはならない。それはデメリットにはなり得ないからだ。
「クレイド殿下からそういう想いを向けられていたという事実を、私は嬉しく思っています。ですから、頭を上げてください」
「……わかりました」
「あ、言っておきますが、お世辞ではありませんよ。私は、本当にそう思っているんです」
クレイド殿下に想われているということは、素直に嬉しかった。
彼のことは、尊敬している。人間的に、好感が持てる人だと思っているのだ。
そういう人から想われているという事実に、悪い気はしない。むしろ、気分はとても良いくらいだ。
「……まあ、まだお父様に相談したりしなければならないので、一概には言えませんが、どうかよろしくお願いします、クレイド殿下」
「レミアナ嬢……こちらこそ、どうかよろしくお願いします」
私とクレイド殿下は、お互いに頭を下げ合った。
これからどうなるかは、定かではない。だが、できれば私は彼と婚約したいと思っている。クレイド殿下の想いに応えたいという気持ちが、私には少なからずあるのだ。
「さて、レミアナ嬢はラムコフ侯爵家に戻られますよね?」
「ええ、そのつもりです。ハウダート伯爵夫人に関する事件も終わりましたから」
「思えば、レミアナ嬢とロンダーがこちらに来てから、長い事件でしたね……」
「ええ、本当に……」
クレイド殿下の言葉に、私はゆっくりと頷いた。
ハウダート伯爵夫人を打倒するために王城を訪ねてから、ギルトア殿下が計画を進めて、思えば長い期間ここで過ごしたものである。
「長い間、お世話になってしまいましたね……ありがとうございました」
「いいえ、お気になさらないでください。こちらの都合で呼び止めたという面もありますし……おや?」
「あら……?」
私とクレイド殿下は、部屋の戸を叩く音に少し驚いた。
しかしすぐに私は思い出す。そういえば、婚約の話のためにギルトア殿下が席を外していたのだ。
「ギルトア殿下でしょうか?」
「ああ、兄上、もう話は終わりましたよ」
「あ、いえ、ギルトア殿下ではございません」
「おや、使用人の方でしたか? それなら、どうかしましたか?」
部屋の戸を叩いたのは、ギルトア殿下ではなかった。私の予想は、的外れだったようだ。
だが、そうなると使用人が訪ねてきた理由が気になってくる。この状況で訪ねてくるとなると、余程急ぎの用でなければならないと思うのだが。
「御歓談中申し訳ありません。ただ、アルペリオ侯爵令息が訪ねて来たため、お二人には早急に知らせておいた方がいいと思いまして」
「なんですって?」
使用人の言葉に、私とクレイド殿下は顔を見合わせた。
アルペリオ侯爵令息の訪問、それは驚くべきことである。
何故、彼がこのタイミングで王城を訪ねて来ているのだろうか。その意図がまったくわからず、少し混乱してしまう。
「よく知らせてくれましたね、ありがとうございます……レミアナ嬢、これは一体どういうことなのでしょうか?」
「わかりません。でも用があるとしたら、私かハウダート伯爵夫人だと思います。不本意ですが、とりあえず私が出て行ってみます」
「それなら、俺も行きますよ。アルペリオ侯爵令息は、色々な意味で警戒するべき人ですからね」
「……ええ、よろしくお願いします」
クレイド殿下は、アルペリオ侯爵令息のことをかなり警戒しているようだった。
私の元婚約者ということもあるのだろうが、その視線がとても鋭くなっている。
そんな彼が、私にとってはとても頼もしかった。訳がわからないアルペリオ侯爵令息の訪問に対する不安も、少し薄れたような気がする。




