第14話 身勝手な伯爵
「このように呼び出されるのは、心外の極みであるのだがね」
私達の目の前にいる小太りの男性は、不機嫌さを露わにしていた。
ここに不当に呼び出された。彼としては、そういう主張なのだろう。
しかしながら、そんなものは通用しない。ここに彼が来る理由なんて、いくらでもあるのだ。
「ハウダート伯爵、こちらにはあなたの奥様がいるではありませんか。その時点で、ここに来る理由などいくらでもあるかと思いますが……」
「あれとは、既に離婚している。正式な発表はまだだったがね。故にもう他人なのだよ。関わり合う理由はない」
ハウダート伯爵は、とても太々しい態度だった。
事件が起こる前に離婚している。彼は手紙にもその旨を記していたらしい。
伯爵は、いとも簡単に夫人を切り捨てたのである。今まで彼女の恩恵を多大に受けたにも関わらず。
「あの女の性質は、殿下もご存知であるはずだ。浮気を公然と繰り返すあれには辟易としていた。まさか、こんな事件を起こすとは思っていなかったが……」
「なるほど、あくまでも自分は関係ないと主張する訳ですね」
「ええ、あれがそう言っているだけなのでしょう? 証拠なんてものはないはずです」
ハウダート伯爵の主張は、間違っているという訳でもない。
こちらの根拠は、夫人の証言だけだ。しかもそれは虚偽である。それを証拠にするのは、本来であれば無理な話かもしれない。
だが、その辺りはギルトア殿下だってわかっているはずだ。夫人の時のように、きっと何か用意しているだろう。
「しかしですね、伯爵。今回のような大それたことを夫人が一人で企てていたとは考えにくいのです。僕は国を治める一族の一人として、この事件を詳しく調べる必要がある」
「それならば、調べれば良いでしょう?」
「ええ、だからあなたに協力してもらいたいのです。無実であるというなら、ハウダート伯爵家の屋敷などを調べても問題はないでしょう」
「いや、それは……」
ギルトア殿下の要求に、ハウダート伯爵はゆっくりと目をそらした。
その反応に、私は違和感を覚える。あれは何かやましいことがなければできない反応だ。
「やましいことがなければ、構いませんよね。ああもちろん、今回の事件に関すること以外は見逃しますよ。多少は、ね」
「つ、妻が企てていたのだから、屋敷からは色々と出てくるかもしれない。しかし、それは私には関係ないものだということを留意していただきたい」
「もちろん、状況を見て判断しますよ」
「そ、それでは困るっ……」
ハウダート伯爵の動揺は、奇妙なものだった。
そこで私は思った。もしかしたら、彼は本当に国家に対する反逆を企てていたのかもしれないと。
「おやおや、ハウダート伯爵、先程から顔色が悪いですよ」
「そ、そんなことはない」
「何かやましいことでもあるのでしょうか? この際、話した方が楽になれると思いますよ」
「ち、違う!」
ギルトア殿下は、ハウダート伯爵をどんどんと追い詰めていた。
伯爵の額からは、汗がゆっくりと流れている。その反応からして、やはりやましい何かがあるのだろう。
「た、確かに私は、この国を支配する計画を立てていた。しかし、今回のことは私には関係ない! 妻の浮気相手のことなど知らん!」
「ほう……」
ギルトア殿下の冷たい視線に観念したのか、ハウダート伯爵は自供し始めた。
彼の言葉からは、必死さが伝わってくる。それは当然のことだろう。彼からすれば、命がかかっているのだから。
「やはりあなたは、そういった望みを抱いていましたか……いやそれ所か、実際に計画を立案する段階まで来ていた。その証拠があなたの屋敷にはある」
「し、しかし、私はまだ何もしていない。これは本当だ。野心など、誰でも抱くものだろう」
「残念ながら、そういう訳にはいきません。国家の転覆は、企てた時点で重罪なのです。思想を抱くまでなら我々も許容せざるを得ませんが、計画を立てたなら話は別だ。今回の件に関わっていようがいまいが、あなたの罪は重い」
ギルトア殿下は、ハウダート伯爵が計画を企てていたことをわかっていたのかもしれない。
思えば彼は、伯爵を捕まえることにかなりこだわっていた。それは伯爵の過ぎたる野望を、知ったからなのではないだろうか。
「もっとも、あなたがそういった計画を企てていたという事実は、今回の件に関しても不利になりますがね」
「……先程のは言葉の綾だ。野心を抱いていたのは私ではない。あの女なのだ」
「ほう……」
そこでハウダート伯爵は、意見を一転させた。
どうやら彼は、夫人に全ての罪を押し付けることにしたようだ。
それはせめてもの抵抗なのだろう。首謀者でなければ、極刑にはならない。命だけは助かるのだ。
「つまり、首謀者はあくまで夫人であるとあなたは主張する訳ですか?」
「その通りだ。あの女に私は騙されていたのだ。甘言に乗せられて、計画を立案させられた。あの女こそが、全ての元凶なのだ。私は何も悪くない」
「なるほど……」
ハウダート伯爵の態度に、私は少し呆れていた。
全ての責任を夫人に押し付ける。それはなんともひどい話だ。
曲がりなりにも、彼女はずっと体を張って伯爵家に利益をもたらしてきた。そんな彼女をねぎらうような気持ちが、ハウダート伯爵には一切ないということなのだろう。
「大体あの女は、ずっと私に迷惑をかけてきたのだ。平然と浮気をして私を裏切る最低の女だ。あの女と結婚したのは、この私の人生において最大の汚点といえるだろう」
ハウダート伯爵は、夫人のことを批判し始めた。
それはある種のパフォーマンスなのだろう。私達の同情を誘っているのかもしれない。
しかし、私達は知っている。そもそも彼が、夫人を貴族の世界に引きずり込んだことを。そんな彼が何を言ったって、私達の心には響かない。
「貧乏くじにも程がある。私はただ、あの女の実家への義理と恩義で結婚しただけだ。それがどうして、こんな扱いを受けなければならないのだ」
「……」
ハウダート伯爵は、悔しそうな表情で言葉を発していた。
そんな彼を強く睨みつけているのは、クレイド殿下だ。
彼の視線には、怒りのような感情が読み取れる。いや、実際に怒っているのだろう。伯爵の身勝手過ぎる態度に。
「ハウダート伯爵、あなたに一つ言いたいことがある」
「む……?」
耐えかねたのか、クレイド殿下は伯爵に声をかけていた。
それに対して、伯爵は目を丸くしている。彼はここでやっと、クレイド殿下に睨みつけられていることに気付いたのだろう。
「あなたは最低だ」
「なっ……」
「夫人の行動は、確かに褒められたことではない。しかしあなたは、彼女が文字通り体を張って得た情報で、利益を得ていた。それなのにそんな彼女に全ての責任を押し付けるというのか。あなたには、誇りや矜持というものがないのか」
クレイド殿下は、静かに怒っていた。その口調は冷淡ではあるが、確かな怒りが感じられる。
ハウダート伯爵は、今回の件の元凶ともいえる存在だ。そんな彼は、今醜く夫人に罪を擦り付けている。その責任を果たそうとしていない。
それがクレイド殿下の逆鱗に触れたのだ。彼が潔く罪を認めていたなら、彼もここまで怒らなかっただろう。
「あなたは往生際が悪すぎる。負けを認めて潔くその首を差し出すべきだ。増してや、夫人に責任を擦り付けようなど、男の風上にも置けない……」
「……若造が、わかったような口を聞きよって。いくら王子だろうが、失礼極まりない。お前に何がわかるというのだ! 何も知らない子供の分際で!」
「あなたが大人だというのか? 笑わせるな。そうやって駄々をこねて、醜く足掻くことが大人の行いだというのか」
「何をっ……」
クレイド殿下は、ハウダート伯爵の激昂をものともしなかった。
それに対して、伯爵がむしろ怯んでいる。子供だと言ったクレイド殿下の気迫に、押し負けているようだ。
「弟の言う通りですよ、ハウダート伯爵。あなたは本当に愚かな人だ」
「……な、何っ?」
クレイド殿下の言葉を静かに聞いていたギルトア殿下は、少し笑みを浮かべながら言葉を発した。
第二王子の気迫に怯んでいた伯爵は、ギルトア殿下の言葉にも体を大きく反応させている。神経が張り詰めているのだろう。その表情は固い。
「私はね、夫人に対してはある程度の敬意を抱いていました。彼女のその身一つで、貴族の世界に混乱をもたらした。その手腕と度胸には、一定の敬意を支払うべきだと思っています。彼女は強敵だったといえるでしょう」
ギルトア殿下は、ゆっくりとそう呟いた。
彼の言葉は、恐らく本心なのだろう。その表情が物語っている。
確かに夫人は強かな女性であったといえるだろう。たった一人で、社交界を揺るがした。是非はともかくとして、それはすごいことではある。
「一方であなたは、取るに足らない存在だった。欲に塗れた一介の伯爵、それがあなただ。夫人を貴族にしたり、昔はもう少し知恵があったようだが、今のあなたに対しては微塵も敬意を感じない」
ギルトア殿下は、とても冷たい口調だった。
それを聞いて私は理解する。夫人に対しては、まだ温情があったということを。
「もっとも、夫人を貴族の世界に引き入れたことはあなたが犯した重罪の一つだ。これに関して、僕はいささか怒りを覚えている。夫人が増長していったのは、元を辿ればあなたのせいだ。その罪も含めて、あなたには償ってもらう」
「な、なんだと……」
夫人個人にも問題はあったとはいえ、彼女一人であったら問題はここまで大きくはならなかっただろう。
伯爵の過ぎたる欲望によって、貴族の世界は混乱し、夫人の人生も狂ったのだ。その罪は重い。
「ふざけるな! この私がっ……」
「強い言葉を使っても、結果は何も変わらない。あなたの野望もここまでだ」
ギルトア殿下は、そこでゆっくりと手を上げた。
するとハウダート伯爵の周囲に、兵士が現れた。彼を取り押さえようということだろう。
伯爵は、周囲を見渡して驚いている。既に追い詰められていることには、まったく気付いていなかったようだ。
「わ、私を拘束するつもりか? 何の権利があって……」
「連れて行ってくれ」
「はっ!」
ハウダート伯爵の抗議も聞かずに、兵士達は彼を連れて行く。
彼はこれから、その数々の罪を償うことになるだろう。伯爵の罪は、夫人よりも重い。与えられる罰も当然重くなる。
しかしこれも、彼の自業自得だ。過ぎたる欲望が、ハウダート伯爵の身を滅ぼしたのである。




