第12話 夫人の手腕
「ハウダート伯爵は、娼婦だった彼女のことを高く評価していた。自分も含めて、男を手玉に取れる彼女のことを利用できると考えたのだろう。彼女に大金を与えて、彼は客から得た情報を明け渡すように交渉した」
「この子の羽振りは、ある一時から昔以上によくなりました。伯爵から得たお金は、彼女にとってとても有益なものだったようです」
貴族というものは、色々な面で暗躍するものだ。故にハウダート伯爵が娼婦から情報を得ていたという事実は、それ程特別なことではない。そこまでならありふれた話だ。
しかしながら、その娼婦だったはずの女性は、今ここにハウダート伯爵夫人としている。それは普通ではない。異常なことだ。
「二人の利害関係は一致していた。そして、性格的にも馬が合った。二人の相性は、かなりよかったといえるだろう」
「実際に二人は仲が良かったと思います。今考えると、それが良くなかったのかもしれません」
「結果として、二人はどんどんと増長していった。娼館に来る客は限られている。他国の娼館でもある。それらの者達から得られる情報も有益ではあるが、もっと有益な情報をハウダート伯爵は欲した。そこで二人は、とんでもないことを考えたのさ」
そこでギルトア殿下は、ハウダート伯爵夫人に目を向けた。
彼女は、先程からずっと項垂れている。知られたくない過去を知られているため、意気消沈しているようだ。
「ハウダート伯爵家は、ニルバール子爵家と懇意にしていた。その家の長女は生まれつき体が弱く、人前にほとんど出て来られなかった。そんな彼女は、ある時病で息を引き取った。その長女をハウダート伯爵は利用したのさ」
「あ、兄上、それはまさか……」
「ああ、ノルメリアという少女にここにいる彼女は成り代わった。彼女は貴族になったのだ」
私とクレイド殿下は、ギルトア殿下の言葉に固まっていた。
平民が貴族に成り代わる。そんなことは聞いたことがない。
「ニ、ニルバール子爵家は、それを認めたのですか? 赤の他人を自分の娘にするなんて、普通ならあり得ないでしょう」
「その辺りに関しては、ハウダート伯爵の手腕によるものだ。彼はニルバール子爵家を洗脳していた。親身な振りをして、彼らを支配していたのだ。実質的に、あの子爵家はハウダート伯爵のものだ。すっかり従順な僕になってしまっているらしい」
ハウダート伯爵の手引きによって、夫人は貴族となった。
二人の計画も、遥か昔から進んでいたのだ。一人の貴族と娼婦の出会いによって、貴族社会は大いに揺れた。それはなんとも、恐ろしい出会いである。
「ノルメリア・ニルバールは、華々しい社交界デビューを果たした。彼女は人気が高い令嬢であったことは間違いない。特に同年代の男子にとって、とても魅力的に映ったそうだ」
ギルトア殿下は、そう言いながらハウダート伯爵夫人の方を見た。
確かに、彼女の容姿は端麗である。老けているが、それでもそう思う。
「彼女には、ある種の強みがあった。ノルメリアの実年齢と彼女の実年齢には差があった。既に二十代だった彼女は、十代の少女として認識されていた。彼女は大人の魅力というものを使ったのさ。その年代の少年は、得てしてそういうものに弱い。僕にも覚えがある」
「なっ……それじゃあ、彼女の実年齢は」
「ああ、実際とは少々異なっている。普段は努力によって誤魔化しているようだが……」
そこで私は、ハウダート伯爵夫人がかなり老けて見える理由を理解することになった。
彼女の実年齢は、実際よりも高い。普段は、それを化粧やその他の努力によって誤魔化していたのだろう。
しかし、牢屋に入れられた現状は何もできない。ここでの生活によって、彼女は年齢相応かそれ以上に老け込んでしまっているのだろう。
「さらに彼女は、大人達にも粉をかけていた。その辺りの手腕に関して、彼女は一流だったといえるだろう。あっという間に、社交界の重鎮達に取り入っていったのさ」
「彼女は元々、身分の高い方々の相手もしていました。そういう経験が、そこに活かされていたのでしょうね」
「彼女は多くの者達と関係を持っていたが、それでも彼女から離れる者は少なかった。それ程に彼女のことが魅力的に映っていたのだろう」
私はてっきり、浮き名を流している夫人にハウダート伯爵が目をつけたのだと思っていた。
しかし順序が逆だったのだ。その時から二人は既に密接な関係だった。社交界にて暗躍し、その力を強めていっていたのである。
「一方で、彼女には悪癖があった。いいや、これはコンプレックスといってもいいだろうか」
「コンプレックス?」
「君達にも覚えがあるだろう。彼女は度々、人のことを煽っていた。その根底には、平民である自分に操られている貴族達に対する驕りがあったのだろう。彼女は貴族を見下し、自分が優位であることを主張せずにはいられなかった。自尊心を満たすために、他者を傷つける。悲しい性だ」
「……知ったような口を聞かないで!」
ギルトア殿下の哀れむような視線に、ずっと黙っていた夫人は口を開いた。
彼女は、目を血走らせてギルトア殿下のことを見ている。彼の哀れみに、激しい怒りを覚えているようだ。
「あなた達に、何がわかるというの!」
ハウダート伯爵夫人は、私達の前で激昂していた。
ギルトア殿下の哀れむ視線によって彼女のコンプレックスは刺激されて、爆発したということなのだろう。
「私には力があった。ここまで上り詰めることができるだけの力があったのよ! 一介の娼婦には留まらない力があったのだから、それを行使することは当然のことでしょう!」
「……その結果がこれかい?」
「なっ……!」
夫人の言葉に答えたのは、マルセアさんだった。
彼女は指で煙管を回しながら、夫人を見つめる。その視線もやはり、哀れみの感情が入っているような気がする。
「あんたには確かに才能があった。それは私だって理解しているよ。それで上を目指したいと思うのも、当然の志だ。ただね、あんたは高望みをし過ぎたのさ。だって、そうだろう。あんたに力があるというなら、こんな風に牢屋の中にいるはずがない」
「そ、それは……」
マルセアは、ゆっくりと長い溜息をついた。
確かに、彼女の言う通りであるだろう。夫人がこうやってここにいる以上、彼女は失敗したとしか言いようがない。
身の程を弁えていれば、もっといい結末があっただろう。彼女は調子に乗り過ぎて、見誤ったといえる。
「それになんだい。あんたは随分と安い女に成り下がったようだね」
「や、安い女?」
「あんたは誇りというものをいつの間にか失ってしまったんだろうね。昔のあんたには矜持というものがあったはずだ。全ては、あのハウダート伯爵に会ったからかね。男を見る目は、人並み以上にあったと思っていたが……」
「わ、私は……」
マルセアさんの言葉に思う所があったのか、夫人は震えている。
かつての彼女は、貴族が利用する程に高名な娼館で働いていた。娼婦としては、一流だったといえるだろう。
そんな彼女は、社交界で浮き名を流す貴族になった。そのどちらが誇り高かったかは、考えるまでもないだろう。
「思い返してみると、あの頃は楽しかったね……あんたは、そうではなかったのかもしれないけれど」
「マ、マルセア姐さん……」
「まあ、あんたがこれからどうなるかはわからないが、精々達者でね……それではお三方、私はこれで」
「ええ、マルセア女史、わざわざご足労ありがとうございました」
マルセアさんは、私達に優雅に一礼してからその場を去っていた。
彼女に対して、夫人は手を伸ばしている。だが、マルセアさんは足を止めない。それは、夫人との決別を表しているのだろう。




