第11話 彼女の素性
私とクレイド殿下は、ギルトア殿下とともに王城の地下牢に来ていた。
その奥にある一際大きな牢屋の中には、一人の女性がいる。牢屋の隅で力なく項垂れているその女性は、ハウダート伯爵夫人であるはずだ。
「クレイド殿下……」
「……兄上、あれがハウダート伯爵夫人なのですか?」
「ああ、そうだとも。彼女は間違いなくハウダート伯爵夫人だ」
牢屋の中にいる女性は、私達が知っているハウダート伯爵夫人とはかけ離れていた。
確かに面影はあるが、明らかに老け込んでいる。ギルトア殿下が彼女にした拷問によって、そうなったということだろうか。
「……ああ」
そこでハウダート伯爵夫人は、私達に目を向けた。
彼女の視線は、焦点が合っていない。私やクレイド殿下のことをきちんと認識できているかは、微妙な所だ。
「しっ……知っていることは全て話したわ! ここから出して頂戴! 私は素直に従ったじゃない! これ以上拘束する意味なんてないでしょう!」
ハウダート伯爵夫人は、鉄格子を掴みながら必死の形相でそう言ってきた。
その勢いに、私とクレイド殿下は少し怯んでしまう。
「ハウダート伯爵夫人、あなた程の人がそのように動揺するとはみっともない」
「……あ、あなたは」
ギルトア殿下の言葉に、夫人は目を丸めていた。
それから彼女の表情は、ゆっくりと変わっていく。老け込んでいるが、その表情は確かにいつもの彼女である。ギルトア殿下を見つけて、冷静さを幾分か取り戻したらしい。
「第一王子ギルトアッ……!」
「おやおや、今度の矛先は僕ですか? しかし、そのような顔をするのはよくない。美しい顔が台無しだ」
「どの口がそんなことを……あなたは! 私を嵌めて……」
「夫人、お見苦しいことを言わないでください。嵌めて嵌められて、私達が生きているのはそういう世界ではありませんか」
怒る夫人の言葉を、ギルトア殿下は受け流していた。
その態度に、夫人はさらに怒っているように見える。すっかりギルトア殿下の戦略に乗せられているようだ。
こういう時に怒ってしまったら負ける。それは私がかつて彼女に体験させられたものだ。その失敗を夫人本人が犯しているというのは、奇妙なものである。
「あなたは男女の機微には敏感であるが、そういった戦略に関してはからっきしだったようですね……愚かなものだ。もっと貴族を学ぶべきでしたな」
「知ったような口を聞かないで頂戴」
「少なくとも、あなたよりは知っているつもりですが……」
ギルトア殿下は、そこで後ろを見た。
釣られてみて見ると、そちらから一人の初老の女性がゆっくりとこちらに歩いて来るのがわかった。
その女性を、私は見たことがない。身なりはいいが、貴族だろうか。
ただ彼女は、こちらに向かっている。つまり彼女は、ハウダート伯爵夫人に関わる人物であるのだろう。
「マルセア女史、こちらです」
「……ギルトア殿下、私のような者を王城まで呼び寄せるなんて、あなたも中々に大胆な方ですね」
初老の女性は、ギルトア殿下の前にゆっくりと立った。
その所作は、どこか艶めかしい。そういう部分は、ハウダート伯爵夫人と似ているような気もする。
ただ彼女からは、夫人のように他者を見下すような雰囲気が読み取れない。そういう意味で、二人の間には決定的な違いがある。
「あなたはその道では名の知れた方だ。王城にお呼びするに相応しい方だと、僕などは思ってしまうが」
「まあ、その辺はいいでしょう。ところで、そちらのお二方は? お一人は第二王子クルレイド殿下とお見受けしますが」
「ああ、弟のクレイドとラムコフ侯爵家のレミアナ嬢です」
「これはどうも。私はマルセアと申します。以後、お見知りおきを」
マルセアと名乗る女性は、私達に対して深々と頭を下げてきた。
彼女が何者であるのか、未だによくわからない。そのため、私もクレイド殿下も困惑してしまう。
「……」
そこで私は、牢屋の中にいるハウダート伯爵夫人が固まっていると気付いた。
彼女はその目を丸くして、マルセアさんを見ている。それは明らかに、知り合いを見る目だ。
それも二人が、かなり深い関係でなければできない目をしている。それが親しい関係か憎み合っているかはわからないが。
「……なんだい、その顔は? かつての上司に対して、その顔はないだろう」
「マルセア、さん……どうして、あなたがここに……?」
「聞こえてなかったのかい、ギルトア殿下に呼ばれたんだよ」
マルセアさんは、懐から煙管を取り出した。
それを咥えた所で、彼女は私達の方に目を向ける。そしてその煙管を再び懐に戻す。
「失礼しました。つい昔の癖で……私もまだまだ未熟ですね」
「いいえ、お気になさらないでください。それよりも、あなたは一体何者なのですか?」
「……まあ、お二人もそれなりの年ですから、お伝えしてもよろしいでしょうか。私は娼婦でございます」
「娼婦……?」
マルセアさんの言葉に、私とクレイド殿下は顔を見合わせた。
彼女の言った職業に、疑問を覚えていたからだ。
その職種が、どういうものであるかは理解している。だが、その職業とハウダート伯爵夫人が結びつかないのだ。
「兄上、正直言って理解できません。マルセアさんと夫人にはどのような関わりがあるのです」
「簡単なことだ。夫人はかつて、彼女の元で働いていた。元々彼女は、娼婦だったのだ」
「……なんですって?」
私とクレイド殿下は、ギルトア殿下の言葉に再び顔を見合わせることになった。
ますます訳がわからない。一体夫人の過去に、何があったというのだろうか。
「マルセア女史、あなたから話していただけますか? 良い所で僕が引き継ぎますから」
「……あまり気は進みませんが、そうした方がよろしいのでしょうね」
ギルトア殿下に言われて、マルセアさんは私達に視線を向けてきた。
この場で事態を理解していないのは、私達だけであるらしい。その私達のために、説明をしてくれるようだ。
「や、やめなさいっ……それを話して、何になるといいの!」
「ハウダート伯爵夫人、あなたは少し黙っていてください」
それに対して、夫人はひどく動揺している様子だった。
どうやら、彼女は自分の過去を人に知られたくないと思っているらしい。
「……ノルメリア・ハウダート。彼女は今、そのような名前ですが、私が知っている名前は違います。結婚して姓が変わったという訳ではありませんよ。そもそも、ノルメリアなんて名前を私は知らないのです」
マルセアさんは、ゆっくりと語り始めた。
彼女の表情も少し暗い。かつての仲間であるらしいため、夫人が嫌がるようなことをするのが心苦しいのだろうか。
「まあ、彼女のかつての名前なんてものはどうでもいいことですが、とにかくこの子はこちらの国とは別の国のとある町で育った平民の少女でした。彼女の両親は流行り病で亡くなって、身寄りがないこの子は町の娼館で下働きとして雇われたのです。私とはその時からの付き合いです」
マルセアさんがハウダート伯爵夫人を見る視線には、複雑な感情が隠れている。
昔のことを語る彼女は、懐かしそうにしていた。もしかしたらマルセアさんにとって、夫人は妹のような存在だったのかもしれない。悲しそうなその表情から、私はなんとなくそんなことを考えてしまった。
「成長した彼女は、客を取るようになりました。その頃には私も娼館を先代から託されて、それなりの地位に就いていました。この子は娼館でも人気で、高名な方の接客もしていました。そんな彼女の客の一人が、ハウダート伯爵でした。当時はまだ伯爵令息でしたが……この子は彼のお気に入りだった」
「マルセアさん、そろそろ僕が引き継ぎましょう。そこからは貴族の世界の話ですからね。ただ、僕が把握していない部分については、補足をよろしくお願いします」
「ええ、心得ています」
そこでずっと黙っていたギルトア殿下が口を挟んだ。
ここまでの話は、平民の世界の話だった。そこから彼女が、貴族の世界に入らなければ、今の状況には繋がってこない。
その二つの世界の橋渡しをしたのは、彼女の夫であるハウダート伯爵だったのだ。彼はどうにかして、娼婦だった彼女を貴族にしたのである。




