第1話 兄のような存在
アルペリオ・エスカー侯爵令息は、私にとって兄のような存在である。
父親同士の仲が良いこともあって、彼とは幼い頃からよく遊んでいた。私には兄も姉もおらず、年上のアルペリオはとても頼りになる存在だったのだ。
そんな彼と私が婚約するのは、自然な成り行きだったといえるだろう。お父様達は、とても軽く決めたらしい。
「こうやって二人で会うのは、随分と久し振りだね?」
「アルペリオ兄様、お元気そうで何よりです」
「レミアナ、また一段と綺麗になったね……」
「ありがとうございます」
ある程度年齢を重ねていく内に、私とアルペリオ兄様が会う頻度は減っていた。
婚約が決まって会うことになったが、それは数か月振りの再会である。
ただ私もアルペリオ兄様も、以前と変わらず会話をしていた。お互いにそれ程、変わっていないのだろう。それが私は、少し嬉しかった。
「しかし、こんなことになるなんて思っていなかった。まさか、君と婚約することになるなんて……」
「そうですか? 私はこうなるかもしれないと思っていましたが」
「まあ、そうか。それに関して、僕はひどく鈍感だったようだね。考えてみれば当たり前だ。僕の父上と君の父上は、竹馬の友だからな……」
アルペリオ兄様は、私と婚約関係になったという事実に少しだけ動揺しているようだった。
確かに、予想していなかったらそんな反応になるのかもしれない。私達はそれまで、ずっと兄と妹のような関係だったのだから。
「レミアナ、君はこの婚約が嫌だったりしないのかい? 僕と結婚することをどう思っているのか、君の率直な意見が聞きたいんだが……」
「嫌だとは思っていませんよ。アルペリオ兄様のことはよく知っています。どこの誰だが知らない人と婚約するよりは、余程いいですから」
「なるほど、確かに僕達はお互いのことをよく知っている。気心が知れているという意味なら、これ以上ない程に最適だ」
私としては、アルペリオ兄様との婚約は良いものだと思っている。
貴族の娘として生まれた私は、誰かと政略結婚させられることが決まっていた。その相手によって、私は悲惨な道を歩む可能性があった。
しかし、アルペリオ兄様が相手ならその心配はない。そう思えるだけの信頼がある。
「……レミアナ、それなら僕は誓わなければならないな。君を幸せにすると」
「その点に関して、私は心配していません。アルペリオ兄様なら、そうしてくれると信じていますから」
「そう言われると、少しプレッシャーを感じてしまうね……」
私の言葉に、アルペリオ兄様は苦笑いを浮かべていた。
だが、彼ならきっと大丈夫だ。そう思って、私は笑うのだった。
◇◇◇
「アルペリオさんが、姉上の婚約相手か……」
「ロンダーにとっても、予想外だったの?」
「いや、そういう訳ではないけどね……」
私は、自分の婚約について弟のロンダーに話していた。
ロンダーの反応は、なんというか少し悪い。この歯切れの悪さはなんなのだろうか。
「どうかしたの?」
「いや、なんというのだろうか。僕と姉上は実の姉弟ではないだろう?」
「え? ええ、そうだけれど……」
ロンダーは、いきなり私達の関係性においてとても重大なことを言ってきた。
ラムコフ侯爵家には、私以外子供が生まれなかった。そこで、不幸な事故で両親を失ったロンダーが引き取られたのである。
つまり、私達は実の姉弟ではない。しかしそれは、事実上の関係だ。
「私は、ロンダーのことを弟だと思っているわよ?」
「ああ、僕もだ。姉上のことは姉だと思っている。それ以上でも、それ以下でもない」
「えっと……」
ロンダーの言葉に、私は少し混乱していた。
彼が何を伝えたいのか、いまいちわからない。言葉の真意が、見えてこないのだ。
「だけど、僕と姉上は一応結婚することができない訳ではないだろう。万が一の場合などは、そうなる可能性もある」
「まあ、それはそうね」
「そうなることが、別に嫌という訳ではないけれど、僕はできればそうなって欲しくはないと思っている。姉上は姉上だからね」
「なるほど……」
ロンダーがさらに説明したことによって、私はある程度意図を理解することができてきた。
要するに彼は、兄のように思っている人と婚約することにを、どう思っているかを聞きたいということなのだろう。
「まあ、確かに思う所がないという訳ではないけれど、でも何も知らない人と婚約するよりはいいもの」
「その相手が僕でも、そう思えるかい?」
「それは……少し微妙な所ね」
ロンダーからの質問に、私は思わず首を傾げることになった。
確かに、相手がロンダーになると少しだけ心情が異なってくる。私は彼のことを弟だと思っている。そんな彼と婚約するのは、なんとも言えない気分だ。
「なるほど、ということは姉上にとってアルペリオさんは単なる兄という訳ではないのかな?」
「そ、そうなのかしら? まあ、でもともに暮らしていて、ずっと姉弟として暮らしているあなたとアルペリオ兄様とでは違うのかもしれないわね」
「そうか。それなら安心したよ。二人が変にぎくしゃくしたりしたら、僕も悲しかったからね」
私の言葉に、ロンダーは笑顔を浮かべていた。
ただ、私は少しだけ心配になっていた。婚約が決まった時のアルペリオ兄様の反応、あれはもしかしてそういうことだったのだろうか。そう思ってしまったのだ。
◇◇◇
悪い予感というものに限って当たるものである。アルペリオ兄様に話があると呼び出された私は、そんなことを思っていた。
目の前にいるアルペリオ兄様は、浮かない顔をしている。それは明らかに、話したくないことを話そうとしているといった感じだ。
「レミアナ、今日君を呼び出したのは他でもない。君との婚約について、話があるんだ」
「アルペリオ兄様、もしかして……」
「ふふ、やはり君にはお見通しか……」
アルペリオ兄様は、ゆっくりとため息をついた。
彼が何を言おうとしているのか、私は既に察している。長年の付き合いによって、アルペリオ兄様の考えは大体わかる。
「僕は君との婚約を破棄したいと思っている」
その言葉を、アルペリオ兄様はすぐに口にした。
心の準備はしていたものの、いざそう言われると動揺してしまう。
しかし、私は彼と話をしなければならない。なぜなら、この婚約は二人だけの問題であるという訳ではないからだ。
「アルペリオ兄様……どうして、そんなことを?」
「……君のことは妹としか思えない。そんな君と結婚するなんて無理だ」
「……そうですか」
アルペリオ兄様の心情は、正にロンダーが懸念していたようなものなのだろう。
妹と婚約することができない。そういう気持ちは、わからなくもない。
ただ、だからといって婚約破棄するというのは無茶苦茶だ。結論を出すのが早すぎる。もっと考えるべきことがあるはずだ。
「アルペリオ兄様の気持ちは、わからない訳ではありません。しかしながら、この婚約はエスカー侯爵家とラムコフ侯爵家の婚約です。兄様の気持ちだけで、その婚約を破棄していいはずがないでしょう」
「もちろん、それはわかっている。しかしながら、それでも僕はこの婚約を認められない」
「なっ……!」
私は、強情なアルペリオ兄様に少しだけ驚いていた。
いくら妹のように思っているからといって、ここまで頑なに婚約破棄するだろうか。
もちろん、衝動的にそう言ってしまう可能性はある。ただ、ここまで説明しても拒否するのは、いつものアルペリオ兄様らしくはない。
「アルペリオ兄様、どうされたのですか? いつもの兄様なら、もっと理知的なはずです」
「……それは買い被りだ。僕はそんなに強い人間ではない」
「な、何を言っているんですか?」
私は、アルペリオ兄様に少しだけ失望していた。
まさか、兄様がここまでわからず屋だとは思っていなかった。しばらく会わない内に、変わってしまったのだろうか。
◇◇◇
「……なんということだ」
ラムコフ侯爵家の屋敷に戻ってきた私は、アルペリオ兄様から婚約破棄を告げられたことをお父様に告げていた。
報告を聞いたお父様は、苦悶の表情を浮かべている。当然のことではあるが、かなり驚いているようだ。
「まさか、アルペリオがそんなことを言うとは……何を考えているのだ、奴は」
「私のことは、妹にしか思えないと言っていましたが」
「だから婚約を破棄すると? そんな子供じみたことが許される訳がないだろう」
お父様は、アルペリオ兄様のわがままにかなり怒っていた。
それも当たり前のことである。婚約破棄とは、それ程に重大なことだ。
「お父様の言う通りだと思います」
「む……すまない。お前に怒っている訳ではないのだ。少し感情が、昂ってしまった」
私がゆっくりと頷くと、お父様は冷静さを取り戻していた。
しかしそれでも、イラついているのがわかる。アルペリオ兄様がやったことが、かなり頭にきているようだ。
「オルドーンめ……一体、どういう教育をしているのだか」
お父様は、窓際で外を見つめながらそんなことを呟いていた。
オルドーンとは、エスカー侯爵つまりはアルペリオ兄様の父親のことである。その人は、お父様の親友だ。お父様の怒りの矛先は、そこにも向けられているらしい。
今回の件で、二人の友情にひびが入るというのは少々心が痛い。しかしながら、お父様が言っていることももっともだ。今回の件は、エスカー侯爵家の教育が疑われる行為である。
「まさか、アルペリオ兄様があんなことを言い出すなんて思いませんでした……私は、兄様のことを尊敬していました。エスカー侯爵家の立派な跡取りだと、そう思っていたのに……」
「私も期待を裏切られた気分だ。アルペリオのことは買っていた。奴ならば、お前のことを悲しませることはないとそう思っていたのだ。その結果が、これとは……」
私もお父様も、アルペリオ兄様に対してひどく失望していた。
一体彼に何があったのだろうか。昔はこのような選択をする人ではなかったというのに。
それとも、私達の見る目がなかったというだけなのだろうか。なんというか、色々と自信がなくなってきた。
「……しかし、嘆いてばかりもいられない。時期にエスカー侯爵家からも通達が来るだろう。どの道、今回の婚約は破談だ。このような仕打ちをされた婚約者など、こちらから願い下げだ」
「それなら、私の婚約は?」
「他の相手を探すとしよう。少々難しいことではあるが……」
お父様の言葉に、私はゆっくりと俯く。
アルペリオ兄様によって、ラムコフ侯爵家の現状は大きく変わることになってしまった。一体これからどうなるのだろうか。少し不安である。
◇◇◇
「どうやらとんでもないことになってしまったみたいだね……」
「ええ、そうなのよ」
私から話を聞いたロンダーは、頭を抱えていた。
彼も驚いているのだろう。自分が心配していたことが、実現してしまったことに。
「しかし、妙だね。確かにアルペリオさんは姉上のことを妹だと思っていたはずだけど、それは強情に婚約破棄する程のことなのだろうか?」
「それはそうなのよね……でも、アルペリオ兄様にとっては重要なことだったのかもしれないわ」
「なんだか腑に落ちないな……」
ロンダーの気持ちは、私もよく理解できる。アルペリオ兄様の態度は、おかしいくらいに頑なだったからだ。
婚約が自分だけの問題ではないことは、兄様だってわかっていたはずである。それなのにこんな強引に婚約破棄するなんて、いくらなんでも自分勝手だ。それくらいアルペリオ兄様なら、わかっているはずである。
「まあでも、結局の所アルペリオさんとの関係は終わった訳だし、いつまでも彼のことを気にしていても仕方ないか」
「……そうね」
結構引きずっている私と違って、ロンダーはすぐに気持ちを切り替えていた。
彼は、アルペリオ兄様とそこまで深く繋がっていない。人見知りが激しかった彼は、兄様とそれ程打ち解けられなかったのだ。故に彼にとってアルペリオ兄様は、姉が慕っている人くらいの認識だっただろう。
そのため傷も浅いのだ。逆に私は、かなり深いのかもしれない。
「姉上も、あんまり気にしないようにね?」
「ええ……」
「といっても、無理か。僕も姉上に裏切られたりしたら、きっとかなりショックを受けるだろうからね……今の姉上は、そういう状態である訳だ」
ロンダーは、私のことを心配してくれていた。
本当に、彼はできた弟である。そんな弟に、いつまでも心配はかけていられない。
「……気持ちを切り替える必要があるわね。ねえ、ロンダー、どこかに出掛けない?」
「旅行か。いいかもしれないね。気分転換になるだろうし……」
「お父様も、多分許してくれるわよね。私の気持ちは理解してくれているだろうし……」
とりあえず私は、何か楽しいことをしようと思った。
心の傷を癒すには、それが一番だ。めいっぱい楽しんで、嫌なことは記憶から消し去ることにしよう。
「父上の方は、大丈夫かな?」
「まあ、お父様も誘ってみてもいいかもしれないわね」
「ふふ、家族皆で旅行か。そんなのいつ以来かな?」
「どうだったかしらね?」
それから私達は、旅行の話を始めるのだった。
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