27 不思議なやつだね
放課後、早速俺は生徒会室に直行した。
伊集院の行動パターンはなに一つ把握していないが、無茶な量の生徒会の仕事を一人でこなしている、みたいなことを言っていたしまず間違いないだろう。
生徒会室の扉の前に立つ。
俺は少しばかり緊張していた。
これから他人の過去、それもかなり闇の深い部分に土足で入り込んで誤解を解くのだ。
怒鳴られて喧嘩になってもおかしくない。
……いや、行くんだ。
覚悟はもう決めただろ。
己の貞操と綾小路の笑顔を守るために──行くのだ!
早乙女乙女!
「たのもーう!」
気合十分の声で、俺は生徒会室のドアを豪快に開けた。
「……道場破りか?」
案の定、伊集院が部屋の奥、窓際に配置されている生徒会長用らしき席に一人座っていた。
机上には書類の山。
長机やパイプ椅子が会議用の形に形成されている割に、他の役員の姿は見当たらない。
「伊集院! お前に話がある!」
「忙しいから帰れ」
……南雲、本当にこいつ、俺のこと好きだと思うか?
恋愛フラグが既に立っているかもしれない、という予想が外れるなら大いに結構!
俺はズカズカと生徒会室に侵入し、生徒会長の席に鎮座する伊集院のもとまで歩いた。
「なぁ! 誤解だったんだよ!」
「突然やってきて、なんなんだ」
「お前が鬼塚に裏切られたって話だよ! 綾小路が見てたんだ!」
冷え切った態度を貫く伊集院だが、この話を聞けば冷静を保ってられまい。
そう予感しながら、俺は綾小路から聞いた話を熱弁した。
しかし、俺の想像は外れて、すべて聞き終わった伊集院は、
「ふーん」
とだけ言った。
「え……、それだけ……?」
「それだけって、俺になにを期待しているんだ。まぁ、父さんがやりそうなことだな」
「だったら……!」
「でも、やっぱり鬼塚は許せない」
ピシャリ。
あぁ、この感じ、鬼塚と一緒だ。
伊集院との不仲の理由を鬼塚に尋ねたときのことを俺は思い出していた。
たとえ誤解だろうと、親友に裏切られた傷は相当深いらしい。
何にせよ、鬼塚が葬式に参列しなかったことには変わりないのだから。
伊集院にとっては、その事実、裏切られた当時のトラウマがよっぽど重いものなんだろう。
急に「誤解でした!」と弁解されて、すぐに気持ちが追いつき、許して、はい仲直り!
ハッピーエンド!
……なんて、とんとん拍子に物事は運ばれなかった。
そりゃ、そうか。
綾小路も、南雲も、俺ならいける、みたいな自信に溢れていたから、根本的な問題をすっかり見落としていた。
伊集院の今までの気持ちはどうなる。
鬼塚に裏切られたと信じて三年間。
その原因実は自分の父親だったと発覚したらすぐ許せるのかと問われれば、それとこれとはまったくの別問題だ。
「……ごめん」
俺は小さく謝ることしかできなかった。
伊集院は怒るでもなく、ただ、ため息をついた。
「……話が終わったなら、出て行ってくれる? 俺はこの仕事を終わらせて、早く塾に行かなきゃいけないんだ」
「お前、塾があるのか……」
「そうだよ、だから……」
「なんでお前一人なんだ? 他の役員は?」
塾がある、受験生の生徒会長を一人置いて書類の山。
なぜ、こいつは孤独に事務作業しているんだ。
「他の役員は全員帰らせた」
「帰らせた? なんで?」
「大した仕事じゃないから、俺一人で十分」
「大した仕事じゃないなら、それこそ、会長のお前がやる必要はないだろ」
「…………」
俺の正論に伊集院は黙り込んだ。
パチン、パチン、と、伊集院が書類を数枚ごとにホッチキス留めしている音だけが生徒会室にこだまする。
付けられたホッチキスは、ところどころ曲がっていた。
……こいつ、不器用だな。
生徒会長をしているだなんて、この学校は大丈夫なのだろうか。
何事も一人で抱え込むタイプで、つい先日、一年生の女子(俺)に保健室まで運ばれているような男だぞ。
俺は伊集院から紙の束を半分奪い取った。
「おい、なにを……!」
「手伝ってやるよ。お前、ホチキス留め、下手くそだし」
「うっ……」
自覚はあったらしい。
「……他のホチキスは、そこの棚の上から二段目、右側の引き出しだ」
「ヘイヘーイ」
指示された引き出しからホチキスを取り出し、俺は適当な席に座った。
プリントを三枚ごとにホチキスで留めるだけの簡単な作業だ。
単純作業であるが、いかんせん量が膨大すぎる。
全校生徒分あるんじゃないのか?
……これを一人でやろうとしていたのか。
「……伊集院」
「……なに」
「お前、実は馬鹿だろ」
「黙るか帰るか、どっちかにしろ」
パチッ。
パチッ。
しばらく、俺と伊集院は、無言でホチキス留めという地味な作業を続けていた。
チラリと伊集院を盗み見る。
整った顔立ちと他者を寄せ付けないオーラ。
でもどこからか漂う疲労感。
生徒会の雑用も一人で片付けて、生徒会長としての責務も果たし、その上塾にも通っている。
俺なら気がおかしくなりそうだ。
「生徒会やりながら塾に通うって、大変じゃないのか?」
雑談の感覚で尋ねてみた。
生徒会に入ったことがないから、詳しいことはわからないけれど。
逆に言えば、それくらい両立できなければ生徒会長の座につく器じゃないって判断されるのだろうか。
「……俺は、完璧じゃないといけないから」
「……完璧?」
伊集院はゆっくり喋り始めた。
「父さんは、成績が良くなければ俺を見てくれなかった。頑張りすぎて体調を崩した俺に、一切興味を示さなかったよ」
厳格な父親タイプか。
「そんな俺を支えてくれたのは、母さんだった。でも、その母さんももういない。だから俺は常に完璧であり続けないと……!」
誰も俺を見てくれなくなってしまう、と、そう言っている気がした。
「伊集院……」
だから、熱が出るほど一人で頑張っていたのか。
唯一の家族である、お父さんに認めてもらうために。
俺は立ち上がって、生徒会長席に座る伊集院の顔を覗き込んだ。
「なんだ?」
「ひでぇ隈」
「…………っ」
伊集院は一瞬たじろいだ。
「お前、寝てるのか?」
「…………」
返事はない。
この場合の無言は正解の意で間違っていないだろう。
「なぁ、人の価値って、完璧かそうじゃないかで決まるもんじゃないと思うぜ」
「……っ」
「お前はお前らしく、生きてていいんだよ」
伊集院は驚きに目を丸くしてから、穏やかに微笑んだ。
「……お前は、昔の綾小路と同じことを言うんだな」
「え」
綾小路も……?
そうだ、伊集院の前好きだった人って──
「い、伊集院の初恋って……」
口に出ていた。
伊集院は特に焦るでもなく、
「あぁ、綾小路だ。小学生のときは、彼女が好きだった」
何事もないように肯定された。
多少は教えるのに躊躇する素振りくらい見せてもいいのに。
それがないってことはやっぱり、
「と言っても、昔の話。今はもう何の感情もない。親しかった女友達だが、最近はもう学年も違うし、話す機会はない」
……だよなぁ。
思い出として完全に昇華されているから、他人に恥じらいもなく教えることができる。
幼稚園の先生が初恋、みたいな可愛らしい『あるある』と同レベルなんだろう。
伊集院に綾小路をもう一度好きになってもらう計画は、当初の予定より難航しそうだ。
考え悩む俺を見て、何を思ったのか伊集院は、
「……お前は、不思議なやつだね」
と言った。
そんなこと初めて言われた。
不思議ちゃんである自覚はない。
そういうのは、南雲みたいなやつが似合う形容詞だろう。
「思ったことをそのまま言ってるだけだぞ」
それで不思議なら、それはもう、ただ中身と見た目のギャップにお前が追いついていないだけだ。
なんせ、美少女の面を被った平凡な男子高校生なんだからな。
最後のプリントをホチキスでまとめ終わり、俺は成果物を伊集院に差し出す。
「ほら、これで半分終わっただろ。じゃあ、塾頑張れよ」
受験生への激励を最後に、出入り口を目指す。
「待て」
いつの間に立ち上がったのか、伊集院が背後から俺の手を引いた。
「え?」
そのまま引っ張られ、気づいたときには、伊集院の腕の中に収まっていた。
お?
ん?
……抱きしめられてる?
「…………」
伊集院は何も言わない。
それがさらに俺の不安を加速させた。
……どこで恋愛フラグが立ってやがった!?
とにかく、ハグから脱出しないと……!
体を捩らせようとすると、ふわりと伊集院の匂いが鼻をかすめた。
女の子は総じて良い匂いがすると思っていたけれど、イケメンも良い匂いがするのか。
もっと嗅いでいたいような……。
「……ハッ!」
いかん、いかん。
俺が伊集院の匂いにメロついてどうする。
それよりも、どうしたらこの腕を解けるんだ?
自分より体格のいい男に捕らえられ、押しても引いてもびくともしない。
「い、伊集院……? ど、どうした……?」
黙っていればいい雰囲気になると思うなよ、とばかりに俺は声をかけた。
「…………」
伊集院の返答待ちの時間が地獄のように長く感じられた。
……告白されたらどうしよう!?
告られた経験なんてないから、どうやって断ればいいか分からん!
不必要にこいつを傷つけたくもないのは、俺のエゴだろうか。
そもそも、どのタイミングで俺を好きになったっていうんだ。
この前、お前の頬を引っ叩いた女だぞ、俺は。
心は焦るものの体は動かせない。
そんな相反する状況の中、やっと伊集院が発したセリフは……
「……髪に、ゴミがついてる」
だった。
「…………ごみ?」
「うん」
伊集院の大きな手が、ことも無げに俺の後頭部を滑る。
すぐに伊集院は俺から離れた。
「……な、なんだぁ! ゴミかぁ!」
びっくりしたぁ!
いくら少女漫画のヒロインとはいえ、俺のこと好きになってる、なんて自意識過剰もいいところの勘違いをかました自分が恥ずかしい。
「じゃあ、俺はもう帰るよ」
「ああ」
「それと」
俺は最後に付け加える。
「鬼塚のこと、お前のお父さんと話し合ってみろよ、じゃあな」
可能性は低いが一応念を押しておく。
「……あぁ。手伝ってくれて、ありがとう」
今度こそ、伊集院に手を振って、俺は生徒会室を後にした。
***
「何やってんだろ、俺……」
早乙女が去り、一人残された生徒会室で、伊集院は誰にでもなくつぶやいた。
ゴミを取るという口実で早乙女の頭を撫でた、自分の右手を見る、
早乙女の髪に、ゴミなんてついていなかった。
ただ、衝動的に抱きしめてしまった言い訳がしたくて、咄嗟に口をついたものだった。
空っぽの右手を、握りしめる。
「父さんと話し合ってみろ、か……」
まだ、早乙女の温もりが残っているような気がした。
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