26 生徒会長の誤解
「わたくし、学校の屋上でお友達とランチするの、憧れでしたの。誘っていただいて嬉しいですわ」
高級そうな春の味覚が詰まった弁当を広げて、綾小路は心の底から嬉しそうに笑った。
俺はその笑顔に少しだけ申し訳なくなる。
ビュオオオオ。
「さび」
南雲が自分の両肩を抱えるようにさする。
天気こそ良いが、正午のくせになかなか冷たい春風だったのだ。
「女の子は体を冷やしちゃダメなのに、ごめんな、風強い日に誘って」
「いいえ、問題ありませんわ。わたくし、ブランケットを持ってきましたので。早乙女さんたちの分もありますわよ」
用意が良すぎる。
これがお嬢様と一般人の違いってやつか。
今朝、突然誘ったはずなのにどうしてそんなもの持っているんだ。
持っているのは人数分のブランケットじゃなくて、予知能力なんじゃないか?
俺はピンク色の、南雲はベージュのブランケットをそれぞれありがたく受け取る。
「突然呼んじゃってごめんね。実は、綾小路さんに聞きたいことがあって……」
綾小路印のブランケットを肩にかけた南雲が口を開く。
「聞きたいこと、ですか? わたくしがお話できることでしたら、なんでも聞いてください」
キョトンと無害な瞳が南雲を見つめる。
なにも悪行をしていなくても、思わず土下座して許しを乞いてしまいそうなほど純粋無垢な瞳だ。
「うん。そのために、まず、僕の話を聞いて欲しいんだ」
そして南雲は語り出した。
俺が鬼塚と猫を助けたこと、鬼塚ファンクラブの女子に詰められたこと、それを誤魔化すために彼氏彼女のフリをしていること。
話の途中、証拠としてセーラー服の下に隠れていた、鬼塚からもらったネックレスを見せると、綾小路はかなり驚いた様子だった。
「そう、だったんですか……。すみません、わたくし、てっきりお二人が付き合っているのかとばかり……」
わざわざ頭を下げる綾小路。
「いやいや、頭を上げて!」
「綾小路さんが謝る必要はないよ〜」
俺と南雲は、慌てて両手を左右に振った。
「ですが……」
「それは本当に、全然大丈夫だから。で、ここからが本題なんだけど」
と、話を区切って南雲は俺のほうを向く。
「乙女ちゃん」
南雲に話を振られ、俺はうなずいた。
ここから先の説明は俺の番だ。
「俺、鬼塚と伊集院をもう一度仲良くさせたいんだ」
「え……?」
綾小路は目を大きくして言葉を失っている様子だった。
「伊集院から聞いた。鬼塚とは、何か事件が会ってこんなに険悪な仲になったって……」
「そうですか……。伊集院くんがそうおっしゃったんですね……」
「……なぁ、なにがあったんだ?」
「…………」
綾小路の口は重い。
自分の話ではなく他人の話だ。
そうおいそれと口外していいものか悩んでいるのだろう。
口が堅いのも綾小路らしい。
俺と南雲は、ただ彼女が決断するのを待つことしかできない。
「……そうですね」
しばらくの沈黙のあと、ゆっくりと綾小路が口を開いた。
「……鬼塚くんがそのネックレスをプレゼントし、伊集院くんがそこまで話したのなら……早乙女さんは、きっとお二人から信頼されているのでしょう」
真っ直ぐと俺を見つめる綾小路。
「その早乙女さんから信頼されている、南雲さんも」
俺と南雲に視線を寄越す綾小路に、俺たちはそれぞれうなずいた。
「一旦、お茶を失礼しますわね」
綾小路は覚悟を決めたふうに、水筒に口をつけて喉を潤わした。
こほん、とかわいらしい咳払いをすると、綾小路の顔つきが変わった。
「伊集院くんがおっしゃっている『あれ』とは──伊集院くんのお母様の、お葬式の件でしょう」
……伊集院母のお葬式?
「伊集院のお母さんって、亡くなっているのか!?」
相槌がわりに、綾小路はうなずいた。
南雲といい、父子家庭二人目とは。
そんな重い家庭環境のやつ、前世の俺の周りにはそうポコポコいなかったぞ。
どうなってるんだ、少女漫画。
「伊集院くんと鬼塚くんは、小学生の頃から……いいえ、幼稚園の頃から仲の良い二人組でした。伊集院くんはお仕事するお父様に連れられて、鬼塚くんのお家にお邪魔しては一緒に遊んでいたらしいのです」
わたくしがお二人と遊ぶようになったのは、小学生からです、と綾小路は付け足した。
「お二人は大親友で、わたくしはそんなお二人の後ろについていくのが精一杯で、それが楽しかったのです。しかし、中学生のときです。伊集院くんのお母様が、病で亡くなったのは」
高三の伊集院、高一の南雲と鬼塚が中学生ってことは、今から三年前か。
「それで、そのお葬式に……」
綾小路は一拍置いた。
「鬼塚くんが、参列しなかったんです」
そんなバカな。
親友の母親の葬式に、鬼塚が欠席?
あの鬼塚が?
……鬼塚は、そんな不義理なやつじゃない。
でも、綾小路が嘘をついているとも思えない。
……本当に鬼塚は親友だった伊集院を裏切ったのか──?
「……なにか、理由があったんじゃない?」
黙って聞いていた南雲が冷静に問いかける。俺はハッとする。
綾小路は「そうです」と答えた。
「雇い雇われの関係だった、鬼塚くんのお父様と伊集院くんのお父様は、仲が悪かったんです。伊集院くんのお父様が、お葬式に参列するためにやってきた鬼塚くん本人を、文字通り、門前払いしたそうです」
「それを……伊集院は……」
「知りません」
綾小路は悲しそうに首を横に振った。
まさにそれが二人の不仲の原因だった。
「……綾小路は、どうして……」
それを伊集院に教えてやらないんだ、と皆まで言わずとも、綾小路は苦虫を潰した表情になった。
「……とても、言えるような状況じゃなかったんです。想像してみてください、伊集院くんは、大好きだったお母様を亡くなられた直後ですよ? ……時間が解決してくれると思いました。しかし、時が経てば経つほど、当時のお話を蒸し返せなくなったんです」
優しすぎる。
綾小路も、鬼塚も。
空気が読めないやつだったら相手の気持ちなんて、伊集院の気持ちなんて考えずに、母親の葬式を蒸し返していただろう。
鬼塚も、伊集院の父に拒否された、なんて伝えたら母親が亡くなったショックに加えて、さらに鬼塚への罪悪感を伊集院に擦り込む羽目になると予感していたから言えなかったんだ。
たとえ、そのせいで、自分が恨まれることになっても。
伊集院だって、親友だと思っていたやつが自分の母親の葬式に来なかったなら、なにも信じられなくなってもおかしくない。
そして、そんな二人の中に後から入っていた綾小路は、二人の亀裂をどうしようもできなくなって、そのまま疎遠になったのだろう。
三人の関係を元に戻す。綾小路をメインヒロインに仕立て上げる。
などと豪語したはいいが、思ったより事態は深刻なのかもしれない。
「……生徒会長の、不良少年への誤解を解ける人はいないの?」
南雲が、綾小路に相談する。
綾小路も思案したが、すぐに諦めたふうに顔を横に振った。
「……わたくしは、伊集院くんのお父様が鬼塚くんを門前払いしている現場を、偶然目撃してしまっただけなので……。真実を知っているのが、当事者のお二人とわたくしだけなのです……」
そのメンツじゃあ、誰も伊集院に言わないな。
うーん、と南雲も頭を抱えてしまった。
俺も腕を組んで解決策を捻り出そうと脳をフル回転させる。
「でも……」
綾小路が沈黙を破る。
「……早乙女さん、なら、もしかしたら」
「え? 俺?」
綾小路は真っ直ぐに俺を見据えていた。
「いや、俺、一番の部外者じゃないか? 最近、知り合ったばっかりだし」
「過去を知っている方に、最近も昔もありませんわ。辛い思い出を正面から受け止めるには、『誰に言われるか』が重要だとわたくしは思いますの」
誰に言われるか、か……。
「……そんな大役、俺でも大丈夫なのか? 綾小路のほうが……」
伊集院も綾小路に恋をしていた、という噂があるほどだ。
かつての想い人の目撃情報なら、頭に入ってきやすいんじゃないのか?
「いいえ、早乙女さんしかいませんわ」
「うん、僕も、乙女ちゃんが良いと思う」
南雲まで、俺を推薦してくる始末。
どうして、二人ともそんなに俺が適任だと思うんだ……!
「お二人は早乙女さんを信頼しているからです。わたくしは知っています、鬼塚くんがそのネックレスをどれだけ大事にしていたかを。伊集院くんが鬼塚くんと不仲になった過去をどれだけ他人に明かしたくないかを」
「…………!」
俺は思わず、鎖骨の真ん中あたりにぶら下がっている鬼塚からもらったネックレスを握りしめた。
「同意見。というか、僕の勘では、二人とも乙女ちゃんのこと、もう好きになってると思うんだよね。好きな人に言われたら、そりゃ受け止めるでしょ」
南雲まで……!
ついでに、恋愛フラグがもう立ってるなんて恐ろしいことを通告される。
だが、その予想がもし的中しているとしても、伊集院と鬼塚が仲直りすれば、彼らに迫られるストーリーそのものがねじ曲がるかもしれない。
「お願いします、早乙女さん……! わたくしも、お二人には険悪な関係ではなく、また元通りに仲良くして欲しいんです……!」
「綾小路……」
うっ……。
美少女が、気になってる女の子が、俺に懇願している。
これが惚れた弱みってやつなのか……!
綾小路とも女の体で恋愛関係になるつもりはないが。
伊集院と鬼塚の仲が戻れば、綾小路もまた輪に入って仲良し三人組が再結成されるかもしれない。
そしたら、綾小路をメインヒロインに昇格させられる。
綾小路推しとしては綾小路に彼氏ができたら複雑な気持ちにはなるが、俺はなれないんだからしょうがない。
……俺が、やるしかない。
自分のためにも、みんなのためにも!
「……分かった、伊集院に話してみるよ!」
「ありがとうございます、早乙女さん!」
「頑張れ、乙女ちゃん!」
綾小路と南雲の拍手に包まれる。
決意を固め、俺は拳を青空へと突き上げた。
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