23 南雲父の会社にて
電車を乗り継ぎ、南雲のお父さんが勤めている会社が入っている高層ビルの前までやってきた。
平日の昼間に制服姿の男女は、少しばかり悪目立ちする。
お昼がそろそろ終わりそうな時刻で、目的のビルのエントランスをスーツ姿の働く人たちが頻繁に出入りしている。
財布だけ持って、近くの飲食店で外食が終わった帰りのようだ。
「ねぇ〜、やっぱりやめようよ〜」
「ここまで来てなに言ってんだ、ほら、行くぞ」
「えぇ〜?」
もう目と鼻の先に南雲父がいるかもしれないっていうのに、怖気ずき始めた南雲をエレベーターまで引っ張って行く。
大量の大人たちからの視線が痛い。
このビル内に収納されている数々の会社名と、その隣に階数が羅列されている看板と睨めっこする。
「えーと……、三十七階、か」
エレベーターに乗るための通路が四種類ほどあり、それぞれ何階まで到達するのか決まっているらしい。
エレベーターまで乗り継ぐ必要があるのか?
「……乙女ちゃん、こっち!」
「え?」
引き腰だった南雲が、突然俺の腕を掴んでエレベーターから距離をとった。
エントランスの端に飾られている、南雲の背の高さほどの観葉植物の影に隠れる。
「な、なんだよ、南雲……」
「しーっ!」
唇に人差し指を当てる南雲に黙らされてしまう。
いつになく切羽詰まった南雲の視線を追うと、スーツを着た男性二人がエレベーターホールに向かって歩いてきていた。
二十代くらいの若い男性と、おじさんと形容しても怒らないであろう年頃の男性。
若い男は、茶色がかった髪をワックスでビシッと決めておでこを出すスタイルと、スーツ越しでも分かる筋肉。コミュニケーション能力が高そうな体育会系の陽キャって感じだ。
一方、おじさんのほうは、白髪混じりの短髪。濃い隈と皺。筋肉より脂肪が多いであろう体格。「疲れたサラリーマンを想像しろ」と言われて、大多数の人が真っ先に思い浮かぶ人物像そのままだった。
「……あれが、お父さん」
と、南雲がつぶやいた。
一瞬「どっちが?」と間抜けな質問をしそうになったが、年齢からしておじさんのほうだろう。
「えぇ!? 南雲さんが前にいた会社、すごいブラック企業だったんスね!?」
体育会系の陽キャ男が、エレベーターホールに響き渡りそうな大声で喋った。
もともとの声量がでかいタイプなのか、本人は至って通常運転の表情だ。
「声が大きいよ……」
南雲さん、と呼ばれたおじさんが軽くたしなめる。
陽キャ男は「すみません」とあまり悪く思っていなさそうに謝った。
南雲父は、続ける。
「まぁ、そうだね……。そのせいで妻には大変な思いをさせたよ」
その左手には、結婚指輪がつけられていた。
南雲母がいなくなった今でも、指輪を外していないのか。
当たり前のことなのかもしれないけれど、俺には南雲父が南雲母を見捨てたようにはどうしても見えなかった。
「わかりますよ〜!」
と、陽キャ男はうんうん、と大袈裟なくらい力強くうなずいた。
「自分も前の会社やばかったんで! 余裕なさすぎて、もはや今まで当たり前に生活していたことができなくなっちゃうんスよね!」
陽キャ男は一方的に捲し立てる。
ブラック企業で働いていたとき、どれだけ辛かったかを。
「周りの助けがなかったら、余裕で自殺してましたね! 早く楽になりたかったんで!」
「うん、君が元気そうになって、よかったよ」
南雲父は時々相槌を打ちながら静かに聞いていた。
南雲父の顔をもう一度じっくり見てみると、疲れ切っているように感じた。
これでも、前職よりはマシになったのかもしれない。
白髪も隈も皺も、全部今までの苦労が身体に現れているのか。
「でも、自分はこの会社に転職してきて良かったっス! 同時期の転職者同士、頑張りましょ!」
太陽顔負けの眩しい笑顔を南雲父に向ける陽キャ男。
南雲父もくたびれた表情から、ほんの少しだけ笑顔を取り戻した。
「あぁ、そうだな……。頑張るよ、ありがとう」
二人はそのままエレベーターに乗り込み、職場へと戻ってしまった。
「南雲……」
南雲父と、おそらくその後輩であろう陽キャ男の姿が見えなくなり、俺たちは観葉植物の陰から出る。
「…………」
南雲はなにも言わない。
「……もう一度、お父さんと話し合ってみろよ。お前のお父さんも、お母さんを見捨てたわけじゃなさそうだぞ」
「…………うん」
南雲は小さくうなずいた。
彼が涙目だったのは、見なかったことにしてやろう。
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