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20 絶体絶命!

「……いた」

 理科準備室。

 通常、先生しか入ってはいけないらしい教室。

 南雲曰く、「この準備室は鍵がかかっていなくて、先生も滅多に来ない、ほぼ空き教室状態」とのこと。

 黒いカーテンの向こう側、日当たりが良さげな床に足が転がっていた。

 南雲がカーテンにくるまってすやすや寝ているようだ。


「南雲!」

「んにゃっ!?」


 シャッと勢いよくカーテンを開ける。

 惰眠を貪っていた南雲はすぐに起き上がった。


「……なんだ、乙女ちゃんか。なぁに、今日は呼んでないでしょ」

「お前、日直なんだって?」

「……うげ」


 俺が何しにここまで来たのか察したのか、南雲はあからさまに嫌そうな顔をした。

 まさか、黙っていなくなれば綾小路が日直の仕事を代わってくれると分かった上で、ここまで来たんじゃないだろうな……?


「綾小路の負担が増えて困ってたぞ! 早く戻れ!」

「……やだ」


「はぁ!? 何言ってんだ! 綾小路が可哀想だろ!」

「やだったら、やだもーん」

 

 そう言って、南雲は再びカーテンにくるまった。

 こいつ……!


「南雲! 教室戻るぞ!」

「いーやーだー」


 カーテンをめくって、南雲のワイシャツを引っ張るがびくともしない。

 くそ、こんな甘えたこと言ってても男か……!

 か弱そうな見た目のくせに、女の俺では力で敵わないと思い知らされる。


「えー、ここ入れるの?」

「大丈夫、大丈夫」


 南雲との戦いも束の間、男女生徒の二人組が入ってきた。

 俺は咄嗟に南雲を引っ張って、近くの用具ロッカーに隠れた。

 その拍子に南雲のスマホが、彼のポケットから零れ落ちる。


「な? 誰もいないだろ」

「そーだけどぉ……」


 見つかったら怒られると思ってロッカーに入ってしまったが、口ぶりからして、二人はどうやら生徒会や見回りの先生じゃないようだ。

 さっさとロッカーから出よう。


「んっ、ちょっと、人来たらやばいよ」

「いいだろ、少しだけ」


 ……………………ん?


 …………こいつら、まさか…………。


 俺は身を捩ってロッカーの隙間から、男女二人の様子を伺う。

 そこには、信じたくない光景が繰り広げられていた。

 

 カップルが、めっちゃ、チューしてたのだ。


 ……マジかよ。

 前世の俺の高校生活で、可愛い彼女と文化祭を回ったり、空き教室でイチャイチャしたりなんて青春はなかった。


 血の涙が流れそうだ。

 今からでも殴り込んでやりたい。なお、実行する勇気はない。


 カップルを引き裂きたい気持ちをグッと堪えて、イチャイチャが早く終わるのを待つしかない。


「んっ、あっ……、だめっ」

 女子の甘い声が、ロッカーの中にまで漂ってきた。


 …………おいおいおいおい!


 こいつら、おっ始めやがった!!!


 血の涙どころではない。

 怒りが沸々と湧き上がってくる。

 

 クッソ、マジでロッカーから飛び出して、その甘ったるい雰囲気をぶち壊してやろうか……!?


 カップルが醸し出すピンク色の空気に、俺たちは余計、出るに出られなくなってしまった。

 早く綾小路の元に、南雲を連れて戻らなければいけないのに。


 俺の焦りをよそに、用具ロッカーの狭い暗闇で女子の喘ぎ声が無駄に響き渡った。


「んぁ……っ、は……」

 

 瞼の裏に、あられもない格好の女の子が浮かび上がり、やらしい声に引きずられるように、ピンク色の妄想が捗る。


「…………っ」


 このままじゃ、勃────……………………つモノは、もう無いんだった。


 女の体っていいなぁ、としみじみ思った。

 うたた寝していたせいか、学校のチャイムの音で誤作動してテントを張ってしまった、前世の苦い記憶が蘇る。


 女であることを再確認したことで、下半身への焦りも消えた。

 もうカップルの気が済むまで待つしかない、と腹をくくったとき──


 ゴリ。


 ……腹に、硬いものが当たった。

 恐る恐る、自分の腹部に視線を移す。


 南雲の南雲が、起立していた。


「────────っっっ!!!」


 こぅっっっっっっっっわ!!!


 臨戦態勢になったブツが、女の立場になった途端、こんなに恐ろしいモノだとは思わなかった。

 男と女じゃ物理的に力の差があるのは、ついさっき思い知ったばかりだ。

 嫌な想像が脳裏を駆け巡る。

 つまり、こいつがその気になれば、俺は、俺は…………!


 犯されちまう!!

 

 それだけは絶対に嫌だ!!

 ほっぺにチューはまだ流せた!

 チュー以上は無理だ!


 おしまいだあぁぁ〜〜〜!


「……乙女ちゃん」

「ん!? なんだ!?」


 俺が腹を括っている横で、南雲が小声で話しかけてきた。

 もはやカップルへ突入姿勢を整える俺に、南雲にかまっている暇はない。

 一刻も早く、こいつから逃げ出したいのだから。


 南雲を無視して、俺はロッカーのドアを蹴破るために足を上げようとしたら。

「……ごめん」

 南雲が、小さく謝った。


 そこで、ようやく南雲自身に注意が向いた。

 今まで、南雲の南雲ばかりに集中していた。

 

 ……こいつ、俺をどうにかする気はないのか?

 

 南雲を見上げると、彼は申し訳なさそうに顔を歪めている。

 暗闇で顔色までは分からないが、おそらく、赤くなっているんだろう。


 ……そうだよな、苦しいよな。


 俺は思い直した。

 女子の目の前で、意図せず臨戦態勢になってしまった気まずさを察してあげようと。

 すぐに抜くこともできない、収まるまで時間もかかる。

 その間、一人にもなれない。


 ……俺も中身は男だから、気持ちは分かるよ。


 中学時代に公園の裏で拾ったエロ本にも、こんなシチュエーションあったな、とふと思い出す。

 クラスの女子とロッカーに閉じ込められて、南雲みたいな状態になってしまった主人公に、女子がこう言うんだ。


『……抜いてあげよっか?』


 ──だが、しかし!!

 ここはエロ本の世界ではないのである!!

 

 何かないか……!

 この状況を打開する一発逆転の何か……!

 

 俺はカップルに突撃するのをやめて、ロッカーの隙間から目を凝らす。


 南雲のスマホが、床に放り投げられているのが見えた。

 そうか、ロッカーに入ったときに落としたのか……!


 俺はスカートからスマホを取り出す。

 主従関係が出来上がった当初に交換した、南雲の連絡先に電話をかけた。

 目と鼻の先で寝転んでいる南雲のスマホが、音を奏でて震える。


 ティロリロリン♪ ティロリロリン♪


「え!? なに!?」

「やば、いくぞ!」


 カップルはスマホの着信音にビビって、すぐに服装を正した。

 ドタドタと足早に、理科準備室から出て行く。


 二人分の足音が遠のいたのを確認して、

「っぷはあ!」

 俺たちはようやく、息苦しいロッカーから脱出することに成功した。


「お、乙女ちゃん……。ご、ごめん……」

 股間を隠しながら、普段むにゃむにゃしている南雲が恥ずかしそうにしていた。

 こいつにもこんな顔があるのか。

 

 しかし、南雲の意外な一面を見て驚いている余裕はない。


「いいか! とにかく、それ収めてから教室戻ってこい! 授業間に合わなかったら、先生には適当に誤魔化しておくから!」


「……怒ってないの?」

「怒るも何も生理現象なんだから仕方ないだろ! 手足ぶらぶらしてたら、血がそっちに流れるから!」

「いや、さすがに詳しすぎるでしょ」

「どうでもいいだろ、そんなこと! いいから収まったら教室戻って来いよ!」


 俺は乱暴にドアを閉めて、理科準備室を後にした。

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