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さまざまな短編集

了解です。の向こう側

作者: 仲村千夏

 朝、通勤電車は今日も人を詰めすぎた缶詰のようだ。スマホを見る余裕もなく、肩に誰かの鞄が当たっていても無視する。目的はただひとつ。定時の9時までに、あの灰色のビルの8階にあるオフィスにたどり着くこと。


 「おはようございます」


 いつも通り、誰も返事をしない。席に着くと、もうSlackの通知が12件。しかも全部、例の人事部の“あの人”からだ。件名は「ちょっと確認したいこと」「お願いがありまして」「念のための確認です」「急ぎで対応お願い」など。どれも中身を開くまでもなく地雷だとわかる。念のため開く。



9:02

「例の月次レポート、今週中にって話だったけど、今日中にできたりしますか?できれば午前中希望です!」


9:05

「それと、昨日お願いした資料、やっぱりもう一回フォーマット変えてくれる?社長が“ちょっとごちゃっとしてる”って言ってて」


9:07

「あと、〇〇社との契約書ドラフト、先方に送る前に法務チェックもらいたいって。13時に打ち合わせ入れました!対応よろしく!」



 こっちはすでに、午前中の予定でスケジュールが埋まっている。それを見ないのか、見た上で無視しているのか。どちらにしても悪意しか感じない。


 Slackを閉じたその瞬間、今度はTeamsの通知音が鳴った。


 件名:「おはようございます」

 送信者:営業部の“あの若手”



9:10

「お疲れ様です!先週お伝えした件ですが、やっぱりお客さんが急ぎでってことで、今日中に帳票まとめてほしいって話が出てまして!念のため午後イチにはいただけると助かります!」



 お前、それ、先週「来週でOKです」って言ってただろ。ちゃんと記録残ってんぞ。しかも「今日中」って、もう午前中は人事で潰れかけてんだ。今、何時だと思ってんだ。俺に未来視でも求めてるのか。


 深呼吸して、できる限り優しい口調で返す。



9:13 返信:

「了解しました。本日中に完了できるよう進めます」



 この言葉の裏にどれだけの怒りがあるか、彼らは一生気づかない。



 昼過ぎ、資料をなんとかまとめてメールで送る。添付ファイルにPDFとExcel、確認依頼、参考URLを付け、敬語をすべて整え、完璧なビジネス文書を作った。それを送って10分後、人事から返信が来た。



件名:Re: 本日資料の件


「了解です!ありがとうございます!念のためですが、やっぱりこの部分、〇〇部長が“数字が浮いて見える”ってことで、グラフじゃなく表でまとめていただけるとありがたいです!」



 お前ら、PDF送った後に「やっぱり表で」って何だよ。今やってるのがどれだけ無駄になったか、考えたことある?「ありがとう」って言葉の後に地雷を置くな。


 そのあと立て続けに「修正後、部長がまたひとことありまして」「最終的に社長が“伝わらない”って感じてて」など、最終的に「別の部署で作ることになったので一旦保留で大丈夫です!」という謎のゴールに辿り着いた。



 夕方、ようやく一息つけるかと思った瞬間、またTeamsが鳴った。例の若手から。



17:28

「お疲れ様です!今日の帳票、できましたか?お客さんが“今すぐほしい”って言ってて…!」



 こっちはまだ、あなたの“念のため午後イチ”の地雷を掘り出してる最中だよ。



17:31 返信:

「すみません、午後から別件の対応が入ってしまい遅れています。本日中にはお送りします」



 返信した瞬間、今度は電話が鳴った。


「〇〇さん、すみません、やっぱり明日の朝イチまででいいってお客さん言ってました!焦らせちゃってすみません〜!」



 じゃあ今までの焦らせ劇場はなんだったんだ。しかもその「すみません」の声、ぜんっぜん悪いと思ってないだろ。



 19時、ようやく全てが終わった。あのSlackも、Teamsも、メールも、もう何も来ない。残業申請はしてないが、誰も気にしないし、誰も評価しない。


 席を立ち、タイムカードを押すと、音だけが無機質に「退勤」を告げた。



 外に出ると、風が妙に冷たく感じた。深く息を吸い、吐き出す。今日も、何もかも「了解です」で飲み込んだ。

 怒ってはいけない。怒ると「空気が悪くなる」と言われるから。


 でも──。

 今日くらいは、帰り道に「クソッタレが!!」って呟いても、許されるだろ。

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