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第146話 血の姫君

 酷く暗くて、光が一切差し込む余地のない虚空に少女は閉じ込められていた。それは世界を見下す超越種が一体────〈影龍〉の濃密な影と魔力によって編み出された堅牢な檻。少女────”血”の姫君────アリス・ブラッドレイは唐突に、そして理不尽にそんな檻に閉じ込められ、そこに存在していた。


「……」


 寒くて、そこに居るのは自分一人だけ、何処まで行っても孤独であり、前後左右の区別もつかない暗闇は何よりも幼い少女からすれば恐怖でしかないだろう。


 ────今更な話だ。


 しかし、少女にその理屈は当て嵌まらず。寧ろここ数年で嫌と言うほど慣れ親しんだ感覚であった。


 別に今更(・・)暗闇に苛まれようとも少女の心は微塵も動じはしないし、平常心でいられた。それよりも彼女の心を突き動かし、揺るがしたのは何処かから聞こえてくる()の声であった。


「ッ────アリス!!」


「邪魔だクソトカゲ!アリスは返してもらうぞ!!」


「そんなことの為に!本当にそんなことの為に戦争を始めて、アリスや爺さんにノロイを掛けて!たくさんの人を不幸にしたって言うのかッ!!?」


「|全テヲ無ニ帰ス龍滅ノ紅キ閃光ブラッドレイッ!!」


『────GURUAAAAAAAAAAAAAA!!』


 自身の名前を呼ぶ声、自身を助け出そうとする裂帛の威勢、余りにも理不尽に憤慨する怒声、決死の覚悟で死力を尽くす声────そうして、無理が祟り、自我を失い、〈魔〉に呑まれ、龍へと成り果てた咆哮。その全てをアリスは見えずとも影の牢獄で耳にしていた。それと同時に、彼女の中には様々な感情が駆け巡る。


 何もできずただ助けてもらうことしかできない無力さ、自分の為に命を賭して戦う兄の姿すら見届けられない無様な為体、そして愛する兄をこの世で一番恨んでいる龍にさせてしまったことへの罪悪感。アリスのその光を映さない虚ろな瞳はいつしか大量の涙を流していた。


 ────ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい。


 懺悔しようともそれは一番届くべき相手には決して届かない。


 そうして、不意にその瞬間は訪れた。


「やっと見つけたわよ、アリス!!」


「ッ────お姉さま!?」


 あの日から(・・・・・)、一度も光を色をモノを映すことの無かった紅玉のような綺麗な瞳が暖かな陽光を確かに感じ取り、映し出したのだ。次いで耳朶を打ったのは忘れる筈もない大切な人の一人────フリージア・グレイフロストの声であり、彼女は最後の最後まで囚われ続けていた影の牢獄から解放された。


 それが意味することはただ一つ。


 自分の身に宿した力を欲し、国を巻き込んで〈龍伐大戦〉なんて始めた忌々しき〈影龍〉が討たれ、少女の身に降りかかった不幸は、ノロイは全て消え去ったと言うこと。


「見え────る……!!?」


 ずっと真っ暗闇の中にいた所為か、すぐにはその変化に気が付けなかったがアリスの視力は完全に回復し、全身の血液が活性化する魔法の熱を感じ取った。


「ケガはない!?」


「え、あ……はい────」


 飛び込んでくる見知らぬ女性の顔。しかし、それは確かに聞き覚えのある人の声を伴って、それがフリージアその人だと頭が認識するのに少しばかりの時間を要する。そんなアリスの反応を見て、フリージア達は彼女の視界が回復していることに思い至った。


「〈影龍〉の祝福(ノロイ)は、もう解けてるのよね……?」


「はい、不思議なくらいによく見えます。お姉さま、この数年で本当にお綺麗になられましたね?」


「ありがとう────けど、ごめんなさい。状況的に素直に喜んでも居られないの、一刻も早くレイ達と合流して王国に帰りましょう」


「────そうですね」


 喜びも束の間。フリージアの言を重々承知していたアリスは自分の足でしっかりと立ち上がる。


「走れる?」


「大丈夫です。なんだか今までにないくら力が身体の奥底から湧いてくるんです……!!」


 それは魔法の力を取り戻した影響か、今まで磨き上げてきた魔力操作や感知能力がここに来て彼女のこれまでの様々な経験の空白(ブランク)を帳消しにしていた。だからこそ、いきなり視力を取り戻しても気を失わずに、正常な意識を保っていられた。


 アリスの言葉が本心であることを認めて、フリージア達は即座に移動を開始する。目指す場所は彼女の兄と、その仲間である〈勇者〉がいる場所。


〈影龍〉の祝福(ノロイ)から解放され、〈龍伐大戦〉はももうじき終戦を迎えるだろう。それでも全てが終わったわけではなかった。


 ────どうか、どうかご無事で……!!


〈影龍〉を殺した後の兄────クレイム・ブラッドレイの状況をアリスは察していた。


 ハッキリと言って、状況は最悪に近い。戦闘音がしないことからもう既に〈勇者〉は理性を失った彼を何とか止めることはできたのだろう。けれども、その代償は余りにも大きくて、暴走状態に陥った彼を止めるには力の加減なんてできる筈もなかった。


「そん、な────」


 その事を理解していたアリスはだからこそ、その光景を目の前にしても至って冷静でいることを装えた。


 移動を始めたからすぐに、アリス達はクレイムとヴァイスが戦っていた位置まで辿り着けた。そうしてそこに飛び込んできたのは龍鱗に半身を覆われ、大量の血を流して地面に倒れるクレイム・ブラッドレイとそれを悲痛な面持ちで抱える〈勇者〉の姿であった。


 齢、十三、四の少女が見せる反応にしてはそれは眼前の光景との乖離が激しく、落ち着き払っていて、不気味とすら言えた。しかしそれは、前述したように表面上なだけであって、実際のところ彼女の中を駆け巡るのは罪悪感であったり、焦燥感、今にも泣きだしたい気持であった。


 ────お前にそんな暇があるのか!アリス・ブラッドレイッ!!


 けれどもアリスは、小さくまだ幼い少女はそれをぐっとこらえて、眼前の状況だけに集中した。


 嘆いてる暇も、泣き喚く暇も、懺悔する暇も今の彼女には存在しない。そんなことをしている暇があるのならば目の前の大切な兄を、自分を無限の暗闇から救ってくれた掛け替えのない英雄を助けることに注力するべきだ。そうして、今の彼女にはそれが可能であった。


「安心してください。お兄様は私が絶対に助けます」


「アリス……?」


 絶望的なクレイム・ブラッドレイの状況に嘆き悲しむフリージア達は、徐に横たわる彼の元へと歩み寄った少女を見て困惑する。


 一見、そこに横たわるのは息はか細く、その身に刻まれた傷は深すぎて修復は不可能と思えるほどの損傷具合の人間であったもの。もう死ぬしか結末が残されていない眼前の肉親は度重なる激闘、大量の血を消耗し、龍を殺すために自己を顧みぬ吸血衝動に身を晒し、最後は龍の血までその身に刻んだ。どう考えても助けられない。誰がどう見てもそう判断することだろう。けれども彼女に刻まれた龍の祝福(・・)の副産物────否、凡百の生物種の身には余る「叡智」がそれは違うと答えを提示してくる。


 ────私に与えられた血の力(・・・)なら、お兄様を助けることができる……!


 だからこそアリスは自分の力の使い方をよく理解していた。


〈龍の祝福(しゅくふく)


 それは紛うことな、世界を見下す超越種から与えられる「しゅくふく」であり、それと同時に「のろい」でもある。祝福(ノロイ)を授けられたものはその身刻まれた魔法と「大事な何か」を失う代わりに世界の真理を────龍が世界に与えられた知識の全てを知ることができる。


 例えば、それは魔法の神髄であったり、それは龍と言う創造物の成り立ちであったり、それは時間を遡る方法であったり、それは二度目の人生を歩む人がいる事だったり、それは古ぶるしき時代に淘汰された種族の知識であったり、それは「”血”の姫君」と呼ばれる者の力であったり。その祝福(ノロイ)を刻まれた生物種はその瞬間から龍と同じ知識を与えられるのだ。


「こんな姿になるまで私の事を……」


 痛々しく、今にも壊れてしまいそうな兄の身体を抱きアリスは自身の手首を傍らに堕ちていた鋭利な深紅の龍鱗で切った。細く白い柔らかい少女の腕から滴り落ちる鮮血はそのまま下にいた龍人の、斬り広げられてた傷に堕ちて流し込むことで目を疑う現象が起きる。


「なッ────!!?」


 血がクレイム・ブラッドレイの傷に流れ込み、瞬く間に彼女の血に触れた全身の傷が塞がり始め、彼の半身を覆っていた龍人の鱗殻が剥がれていったのだ。


 それはまるで彼の身体を支配していた龍の血液が、蝕み、人ならざる者へと変貌させていた効力が失われ、彼女の血によって抑え込まれているようで────その実、この現象こそがアリスの身体に流れる”血”の姫君の能力であった。


「お兄様の為なら、私はその全ての血を貴方に捧げます────」


 ”血”の姫君と呼ばれる特別な血を流す者はブラッドレイの────吸血種の中でもたった一人にしか発現しないもので、その血は特別な力を孕んでいた。


 それが「癒し」と「調和」の力であり。その血を一度傷ついた身体や病魔に侵された者に振りかければ全てを完治させ、吸血衝動に呑まれた吸血種の乱れ、狂った血を調和し鎮静化させることができた。そのことを祝福によって与えられた「叡智」の力で知識として知っていたアリスは初めてでありながら自身の力の使い方を理解していた。


 瞬く間にアリスの血の力によってクレイム・ブラッドレイの身体の傷は癒されていく。そうして、今にも消え入りそうだった呼吸も安定していった。


「ぅぐッ……かはッ────」


「レイッ!?」


「お兄様ッ!?」


 それでも龍の血液に身を染めた彼の消耗は激しく、その力もまだ彼の内には宿っている。一命は何とか取り留めたが、まだ予断は許されない状況であり彼がその場で直ぐに目覚めることはない。


 それでも一命は取り留めた。後は王国に帰るだけだ。


「一刻も早く帝都を脱出しよう」


 そう提案したのはクロノスであった。それにいち早く反応したのはヴァイスであり、彼は率先して呼吸が安定始めたクレイムの身を静かに抱きかかえた。それに吊られるようにしてフリージアやアリス達も立ち上がり、移動を開始しようとする。


「ここだ!ここに王国の手先どもがいるぞ!!」


「全員で囲め!決して帝国の仇を逃すな!!」


「〈影龍〉スカーシェイド様に奴らの屍を捧げろ!!」


 しかし、唐突に今まで姿を確認できなかった帝国兵たちがアリスたちの前に立ちはだかった。


「ッ────まだこんなにも帝国兵が残っていたのか!?」


 既に主である〈影龍〉は死に、加えてその周辺を守護していた帝国兵たちは既に今回の戦闘の余波で完全に逃げたか、死んだものと思っていた。だが、彼の龍に忠誠を誓っていた兵士達は少なからず機会を伺い、主の仇を逃すまいと剣を取った。


 その数はざっと百に届くかどうかと言ったところ。常時であれば取るに足らない存在、しかしながら既にヴァイス達はここまでの戦闘で力を使い果たし、アリスも先ほどの回復で血の大半を使い果たし、敵を全て打倒できるほどの力は持っていなかった。


「せっかく助けてもらったのに……!!」


 漸く祝福(ノロイ)が解け、忌まわしき〈影龍〉を打倒したと言うのに最後の最後で為す術なく詰みなんて考えたくない。


「征け!!」


「「「ウォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」」」


 一人の号令で帝国兵たちは黒い津波が如く、アリス達に武器を構えて雪崩れ込む。距離は数えるまでも無く、あと数秒も経たないうちに彼らは数の暴力に押しつぶされるだろう。


「ッ────!!」


 絶望感が募る。反射的にアリス達は痛みに耐えるように、はたまたこれまで頑張てくれた一人の英雄を庇うように身構え、強く目を瞑った。次の瞬間、暴力の嵐が襲い掛かる────


「…………え?」


 事は無く。


 絶望をぶち壊す豪快な高笑いが聞こえてきた。


「────わはははははははははははははははははははッ!」


「なんだッ!?」


「うぐあっ!!」


「んぐべッ!!?」


 不意に舞い起こる剣風。それに吊られて激しい剣戟音と無残に吹き飛ばされる帝国兵の悲鳴が聞こえた。そうしてゆっくりと眼を開けるとそこには一人の騎士が彼女らを守るように仁王立ちしている。


「真打登場!!この俺様が助けに来てやったぞ、レイッ!!」


 その乱入者の正体は紅血の騎士────フェイド・グレンジャーその人であった。

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