第137話 影の結界
絢爛な庭園をクロノス達のお陰でいとも簡単に通り抜けて、俺達はそのまま帝城の中へと侵入を果たしていた。
当然の如く城の門を守護していた雑兵共は殲滅した。中に入ればまた新しい兵士がわらわらと群がってくるのかと身構えていたが、それは杞憂に終わる。変りに、品性の欠片もない城内の雰囲気にゲンナリとする。
「城の中はさらに気色悪いな」
中の照明は必要最低限、まるで自身を象徴する「影」を表現するかのように薄暗く、そうして中を彩るはずの調度品もその全てが黒や灰色で統一されていた。漆黒の絨毯に灰色の花瓶、黒紫の見知らぬ花、灯りも藍色の炎とどこまでいけ好かない。
「こっちです」
注意深く周囲を見渡しているとレビィアが方向を指し示す。当然のようにここでも彼女の知識に頼って、城の中を攻略してくことになる。
外の騒がしさとは裏腹に城内は閑散としていて、今までの警戒が嘘かのように中には誰も居なかった。ここまで来ると逆に不自然な人気の無さを訝しみながらも、とりあえず案内に従って先に進む。
城門前、庭園内での騒ぎで既に俺達がこの帝城に侵入したことは筒抜けであるはずなのだが、どれだけ先に進んでも雑兵の一人も出て来やしない。大きな玄関を抜けて、上へと向かう階段を昇れば、先が伺えないほど長い渡り廊下に出た。
「ここにもいない……」
「嫌な感じだな」
眉根を潜める勇者殿の言葉に同調する。通り過ぎた扉の中からいつ敵が出てきてもおかしくはない。その為に一歩一歩慎重に、気を張り巡らせながら進んで行くわけだが、その度に肩透かしを食らうと何とも言えない面持ちになる。
────それがあのクソトカゲの目的なのかもしれんが……。
こうして気をもませられている時点で奴の術中に嵌まっているのかもしれない。……考え方を変えよう。
────出ないなら出ないで好き勝手にやらせてもらおう。
仮に奇襲が来たとしても対応ができない訳ではないのだ。まだ体力は十分にある。
「……」
密かに、しかし迅速に、城内を走りながら進む。その間、俺達の間に会話は無い。
目的地はシェイドエンド歴代皇帝達が腰を据え、帝国を統治してきた象徴でもある王座の間であり、恐らくあのクソトカゲはそこに居るだろうと踏んでいた。その正確な順路を把握しているのはレビィアだけであった。
本当ならばこの作戦が始まる前に俺達も帝城の構造を大まかにではあるが把握しておきたかったのだが、想像以上に城の中はややこしく、一度や二度城内図を見ただけでその全容を掴むのは不可能だった。だからこの場面で一番注意するべきことは案内役のレビィアと逸れたり、敵によって行動不能にされることであり。俺達は彼女を取り囲むようにして警戒網を張り巡らせていた。
しかし、すぐに異変が生じる。
「……あれ?」
それはかれこれ十分ほど廊下や曲がり角、広間を経由して再び廊下へと出た時だった。不意にレビィアの歩みが止まり、明らかに困惑した様子で彼女は声を漏らす。
「どうした?」
「変なんです。確かに先へと進んでいたはずなのに、急に道が戻りました……」
「戻った?」
レビィアの言葉に確認するように尋ねると彼女はおずおずと頷いた。その反応で俺は改めて周囲を見渡す。
正直に言えば、風景に変化が無さ過ぎてレビィアが違和感を感じる前からずっと「もしかしたらずっと同じ道を歩いてるのでは?」と思っていた俺には違和感を探そうにも見つけられそうにはない。
「二人はどうだ?」
「「……」」
それは俺だけではないようで、フリージアとヴァイスに確認をしてみても二人は頭を振るばかりだ。しかし、違和感を感じた張本人はそれを確信に変えていく。
「本来ならあの広間を抜けた先に上へと続く螺旋階段が在るはず、なのに実際は……何処かで道を間違った?いや、それは無い。確かに目印の二番目の曲がり角を確認していたし、なのに────」
困惑と混乱、不測の事態にレビィアはどんどんとその様子に焦りが見え始める。ブツブツと譫言の様に独り言ち、言い聞かせるように何度も道順を確認し始める。
彼女にしか分からない違和感、自分にしかわかり得ない感覚が彼女の自信を揺るがす。不意に我に返ったレビィアはこちらを見て今にも泣きそうな顔で誤った。
「ご、ごめんなさい!私、何処かで間違えて────」
「落ち着け、レビィア」
だが、それを俺は諫める。そうしてしっかりと彼女の紫紺の双眸を見て、言葉を紡いだ。
「俺達は誰一人もお前の判断を疑っちゃいない。何せ、覚えるべき道を覚えずにお前一人に任せてしまったんだ。俺達はお前の判断を尊重するし、信じる」
「ッ……レイ、様」
俺達が今いる場所は世界を見下す超越種が居を構える城であり、ここは奴の支配する縄張りなのだ。どんなことが起きようとも不思議ではないし、簡単にあいつの元へ辿り着けるとも思っていない。だからこそこういう事態が起きた時は冷静に対処するのだ。
「ゆっくりでいい、確実に問題を紐解いていこう。「道が戻った」って言ってたが、それは間違いないんだな?」
「は、はい」
「それは具体的に何処まで戻されたことになる?」
「上へと続く階段を上って直ぐに見えた渡り廊下までです」
「ふむ。それにしては本来俺達の背後にあるはずの下の階へと続く階段は無いな……」
結構先に進んでいたはずなのに、また振り出しに戻されたと言うことである。明確に「戻った地点」が分かるのに、けれどもさっきほどまであったはずの階段なんかは無くなっている。これが意味することは……。
────同じ道に戻るようにいつの間にか誘導されていた?いや、それにしては何もなさ過ぎたし、そもそもこの城内は〈影龍〉の魔力が濃すぎてそれに気が付けるほどの……。
そこまで整理して俺も一つの違和感を覚える。
そうだ、場内はあのクソトカゲの影と魔力によって支配されていて、それによって俺達は気づかぬ内に色々な感覚をさり気なく狂わされていたとしたら?
「差し詰め、認識疎外と密度の高い魔力による感覚麻痺ってところか……」
そうしてそれらの効果を発揮させるほどの特定の領域は一般的にこう呼ばれる。
「どうやらこの城内の至る所にあのクソトカゲの〈結界〉が張り巡らされてるらしい」
「それじゃあ……」
俺の導き出した答えを聞いてフリージアも思い至ったのか、表情を引き攣らせる。それに俺は頷いた。
「ああ、この〈結界〉をどうにかしない限り、俺達はずっと同じ道を歩くことになる」
「そんな……」
明らかに絶望したように表情を青ざめさせるレビィアに、しかして俺は問題ないと頭を振った。
基本的に結界術と言うのは起点となる要所が存在し、その核を一つでも破壊し結界の効力を無効化すれば問題は解決する。術中に嵌まれば厄介ではあるが、一度その原因に気が付けば対処のしようはいくらでもある。
よりあのクソトカゲの影と魔力の密度が濃い場所を探り、そこにあるであろう核を砕けば呆気なく〈結界〉は崩壊してしまう。しかし、それを探すにしてもやはり結界の認識疎外が障害となる。〈結界術〉は仕組みこそ脆く、見つかれば簡単に破壊できることから、それを巧妙に隠す技術も勿論用意されている。それこそ、今回のような効果が施された〈結界〉は面倒だ。そもそも、〈結界〉の核が効果によって認識できなくなっているのだ。
けれどもそれを踏まえた上で、問題は無かった。
「種が割れれば、やりようはいくらでもある────」
例えば、〈結界〉の効果を無視するかのように空間ごと飛び越えてしまえば目的地にたどり着けるじゃないか。
懐から一本の硝子瓶を取りだす。中に入っているのは少し黒を帯びた真赤な液体は────血だ。
「ッ……!!」
その血が何であるかを知っているフリージア達は息を呑む。
〈龍伐大戦〉が始まる前、彼らに一緒に戦ってほしいとお願いしたあの日に、了承を得て予め採取させてもらっていた五つの血液。本来ならばそれは〈影龍〉と対峙した時に使うはずだった血であり、この大戦の奥の手の一つでもある。
「ふぅ────」
その血の一つを俺はこの場面で使うことを決めた。
────もう少し温存したかったが、ここが一つの使い処だろう。
我武者羅に場内を巡れば、そのうち目的の〈結界〉の核にはたどり着けるかもしれない。けれどもそれは確約されておらず、どれだけの時間を要するかもわかったものではない。俺達の目的は〈影龍〉を打倒することではあるが、それは偏にこんな不毛な戦いを直ぐにでも終わらせる為でもある。ならば状況的にこの選択が一番確実だ。
「んぐ────ッ!!」
硝子瓶の栓を抜き、口に付けて一気に煽る。どろりとした鉄臭い液体が喉を通り、言い表せぬ快感と違和感が全身を襲う。
渇いていた内が満たされるような充足感、それと同時にもっとソレが欲しいと全神経、然細胞が渇望し、衝動が沸き起こる。そんな身を焦がすほどの欲求を堪えて、諫めるように一つ深呼吸をすれば俺の中に新たな魔法が芽生えていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……!!」
それはクロノスタリア家が先祖代々受け継いできた血統魔法────【瞬空魔法】であり、俺は当然のようにその魔法の使い方を把握していた。
────まずは〈結界〉の核。濃い魔力の中でも更に影が密集して、僅かに沸き上がった湧き水のようなソレ……。
「────あった」
感覚を研ぎ澄ませれば直ぐに核は見つかった。それで全ての問題は解決したと言ってもいい。
正確な位置を把握すれば、後はその座標に自身の魔力を目印として打ち込み────
「殿下。貴方の魔法、借ります」
空間を無差別に、強制的に飛び越えるだけだ。
突然の浮遊感、視界が一瞬ぐらつく。そして次の瞬間、俺の目の前には異常な魔力と影が込められた魔石の前に立っていて即座に眼前のソレを砕き斬った。それによって場を支配していた魔力と影の違和感が消失する。
なんとも呆気なく、俺は〈結界〉の核の破壊に成功した。