第132話 戦場へ
〈刻龍〉に呼び出されたり、戦争や作戦に向けての細かい確認などに奔走し、忙しなくしている気が付けば〈龍伐大戦〉の開戦まで残り二日となっていた。
既にクロノスタリア国内、周辺国には今回の騒動の件は流布されており、国内外問わず注目と緊張が走っていた。王都は普段の活発的な雰囲気から一転して重苦しい雰囲気が張り詰め、外を往来する市井の民は一人もいない。それもそのはず、今回の大戦の影響で決して少なくはない王都にいた人間は戦争の影響から逃れるべき国外へと逃げていた。
戦争の中心が帝国との国境線であるザラーム平野とは言え、それでも戦争の飛び火が完全にないとは言い切れない。いや、既にその影響で一部の商人や物流の販路などには影響が出ており、これに危惧を覚えた中流の貴族や豪商、比較的裕福な市民は早い段階で国内へ逃げていた。
気持ちは分からないでもない。結局一番大事なのは自身の命であり、この行動に「薄情だ」と非難するのも違う。そんな訳もあってか王都の雰囲気は著しく悪化し、ハッキリと言って陰鬱としていた。
そんな中、今日この日に王都の城壁門前で大勢の騎士達が外へと出る準備を進めていた。門前には数えきれない程の荷馬車と周囲にはまだ運び込まれる前の様々な荷物の入った木箱が詰み置きされている。それらを忙しなく騎士たちが荷車へと積み込み、出立の準備を着々と進めていた。
前述した通り、〈龍伐大戦〉の開戦はまだ時間は残されているが何も開戦当日、即座に戦争が始められるわけもなし、それこそ拠点や兵站、周囲の哨戒などなど……何の準備もなしに戦争を始めるなんてのは論外だ。
今日一日で王都から主戦場であるザラーム平野の手前にある高丘へと向かい、既に先行して駐屯拠点と陣を張っている部隊と合流をする運びとなっていた。
「傾注!各部隊、荷の積み込みが終わり次第すぐに出発しろ!まだまだ後ろが詰まっているからな!!」
「「「了解!!」」」
周囲を見渡し、随所に適宜支持を飛ばしていた〈比類なき七剣〉であるジルフレアが良く通る声で全体通達をした。それに周囲の騎士や兵士たちが声を上げて返事をして、その動きを更に活発にさせた。それに吊られて俺も動きを速めた。
「ここまで大所帯だと荷物を運びこんで出発するだけでも一苦労だな……」
横目で忙しなくすれ違う兵士の数々に苦々しく呟く。
これから出発する所謂、本隊は総勢一万五千を超え、合流するとその総数は二万にまで及ぶ。大戦当日はここから大まかに部隊を七つに編成し、これらの陣頭指揮は〈比類なき七剣〉と第一王子であるティム・クロノスタリアが務めることになっていた。
────〈神速迅雷〉、クロノス殿下の兄上殿は一度目の人生でもその武勇は凄まじいものだった。
過去の記憶を引っ張り出しながら、丁度よく荷物の運び込みが終了する。
「いつでもいけるよ、レイくん!!」
「よし、さっさと行こう。ジルフレア殿の言う通り、後ろの圧がヤバい……」
御者台にて手綱を握ったヴァイスの言葉で俺達は馬車に乗り込む。そうして数秒もかからずに馬車が走り出した。
城壁門前には大勢の市民が集まり、次々と戦地へ向かう兵士たちに激励や声援を送っている。その中には見知った顔もチラホラとあった。
「挨拶はちゃんとできたか?」
車内にて対面に座った殿下が雑談程度に尋ねてくる。それに俺はすんなりと頷いて見せた。
「ええ。屋敷の皆と……序でにお家でお留守番のお師匠様にはしっかりと」
「フェイド卿か……あのお方の事だギリギリまで駄々を捏ねている姿が簡単に思い浮かべてしまうな」
「ご想像の通り、最後まで「自分も行く!」と言い張っていましたよ。屋敷の従者たちに羽交い締めで止められてましたが……」
ちなみに複数人の羽交い締めを諸ともせずに爺さんは最後まで駄々を捏ねていた。ほらおじいちゃん、朝ごはんならさっき食べたでしょ?
苦笑を浮かべる殿下に俺も笑みを返す。俺達の今回の役割は隠密と遊撃であるが、大戦開始直前までは本隊と帯同し、拠点からは別行動となる。
王都から拠点の陣を引いている場所までは行軍で凡そ十二時間ほどの距離だ。荷馬車で移動している俺達は全然問題は無いが、下級の兵士たちはこれから有無を言わさぬ持久走が始まる。
まあ、普段から屈強な訓練で心身ともに鍛えられている彼らからすればこんなの散歩と同義であり、大した苦ではない。しかしこれから待ち受けていることを考えれば何処か騎士や兵士たちの面持ちは強張って見えた。
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ザラーム平野を一望できる高丘。そこに陣を敷いてある王国軍は先んじて拠点や周囲の哨戒に努めていた先遣部隊と本隊が数時間前に合流していた。
時刻は夕暮れ時。陽色で埋め尽くされんばかりの周囲が仄かに、僅かながらに、しかして着実に闇に飲み込まれようとしていた。既に野営の準備は始まっており、あちらこちらから焚火の煙と料理の良い香りが漂っていた。
恐らく、俺達が野営するテントでも周囲と同じように殿下の指揮の元、着々と野営の準備が進められていることだろう。
────この国の王子殿下に野営の準備を押し付けるとか、普通に考えて在り得ないし、ヤバいことだよな……。
そうして現在、俺はそんなテントを離れて一人、作戦会議室兼第一王子であるティム殿下が陣取るテントに御呼ばれされていた。
何故か?
これに関しては別に難しい理由も無い。俺の他にもこのテントに呼ばれた騎士や作戦参謀などの重役たちが勢ぞろいである。
「時間だな。それでは作戦会議を始めよう」
このテントの主であるティム殿下の一言で緊張が走る。そう、第一王子殿が言った通り、俺にいた理由はこれから始まる軍議に参加する為である。
まあ今回の大戦での俺達の部隊の役割を考えれば、こんな重役ばかりの会議に呼ばれるのは至極当然なのだが、だからと言って緊張しないのとはわけが違う。こうもお偉いさんに囲まれると身構えてしまうのも許してほしい。
ティム殿下の言葉で隣に控えていた重臣の騎士の司会進行で、改めて現状の確認や今後の作戦の手筈を確認していく。各大部隊を纏める〈比類なき七剣〉の一人一人が野営の設営状況や、偵察部隊から上がってきた平野周辺と帝国軍の動きを報告していく。
「現状、帝国側も平野前で陣を張り、準備を進めている様子です。このままいけば予定通り、二日後に大戦の開始でしょう」
「まあ、そうであろうな。これが世界の盟約に縛られない戦いであれば、いくらでも手の出しようがあっただろうが……存外、規定に縛られる戦争と言うのも可笑しなものだな」
現状の報告を聞き終えて、重苦しく王子殿下は唸る。確かに、後数日後に剣を交えるであろう敵が目前にいると言うのに、行儀よく約束された時間まで何もせずにただ待っていると言うのは軍人からすれば奇妙で全くもって可笑しな状況であろう。けれども逆にその遵守さが不気味でもあり、これが普通の戦争ではないことを実感させた。
重苦しい雰囲気は変わらぬまま、話の流れはそうして今回の作戦の中でも特殊である俺達の部隊へと向いた。
「すまないな、ブラッドレイ。本来ならばお前たちの部隊を確実に帝都まで難なくたどり着けるように手を尽くしたいところなのだが……」
面識は皆無、まともに会話をするのもこれが初めてだと言うのにティム殿下はこの状況と俺の境遇を慮り、本心から罪悪感を吐露した。それは周囲にいた最優の騎士達や重臣たちも同様であったらしい。
「お気遣いありがとうございます殿下。しかしそのお気持ちだけで十分すぎます」
だが、俺としてはそんなに思いつめないでほしかった。傍から見れば、大の大人がまだ一学生の子供に「龍の討伐」なんて言う重責を担わせている状況に見えてしまうが、それは全くの見当違いなのだ。
色々と迷い、間違えてきたけれど、これがクレイム・ブラッドレイが自ら招いた状況であり、俺が歩むべき運命だったのだ。言うなればこれは強さを手に入れて、資格を与えられた者の「責務」でもあるのだ。
「────だから気にする必要はありません」
確かに、ハッキリと、俺は自分の意志でここに立っているのだ。
だから、何ら問題なんてなかった。