第127話 帰り道
「今度来るときはもっとゆっくりしていきなよ!!」
とは去り際の〈刻龍〉の言であった。
「今度が、あればな……」
人好きのする笑顔を浮かべて一生懸命に手を振る龍に見送られる。それに思うところはない。
〈刻の霊峰〉での〈刻龍〉との対面、お茶会は恙なく終わりを告げた。
最初は警戒や猜疑心が足を引っ張り、話し合いは円滑に進まなかったが、真実を知れば呆気ないものだった。俺は素直に〈刻龍〉の現状、助言を聞き入れ、〈影龍〉を確実に殺しアリスを助けるための切っ掛けを得た。
────あとは俺次第だ。
あれほど逆立っていた気が今ではとても凪いでいる。怒りに身を焦がし、憎悪に駆られていたのがバカバカしく思えるほどで。それは自分の贖罪、咎を、全てが間違っていたことに気が付けて、ようやく理解できたからなのだろう。
〈刻龍〉の権能によって俺は霊峰から一転、また妙な浮遊感に襲われた次の瞬間には見覚えのある薄暗い部屋へと戻ってきていた。乗り物酔いにをした時のように、揺らいだ視界がだんだんと収まり正常に景色を認識して、不自然な浮遊感から解放されたと同時に声が飛んできた。
「戻ったか、レイ!」
「安心しましたぞ、ブラッドレイ殿」
霊峰へと飛ばされる前に見送っていくれた殿下と、部屋の前で待ってくれていたはずの組合長が心底安堵したように表情を緩める。
時刻は……霊峰を去る間際にはもうすっかりと陽は落ちていたしそれなりの時間は経過してるはずだ。それなのに最初と変わらず俺が戻ってくるまで二人はこの部屋にいたのだろうか。
────だとしたら、また迷惑をかけてしまったな。
「お待たせてしまい申し訳ありません、殿下」
「そんなこと気にするな。それで?帰ってこれたと言うことは〈刻龍〉様と問題なくお話ができたと言うことで相違ないかい?」
駆け寄る二人に頭を下げると殿下は頭を振って尋ねてきた。それに対して俺は素直に頷く。
「ええ、何ら問題無く。助言と伝言もしっかりと聞いてきました」
「そうか……」
返答を聞いて更にホッと安堵して肩の力を抜く殿下に、俺も違和感なく言葉を紡げたことに内心で安心した。そんな俺の気持ちを他所に続けてゴルドウィン組合長が口を開いた。
「色々とお話し合いもあると思いますが、まずは場所を変えませんか?いつまで薄暗い部屋よりかはいいでしょうし、クレイム殿もお疲れでしょう。当組合で運営している宿場の部屋を用意しています。今日はゆっくりとお休みください」
「ありがとうございます……殿下、詳しい話は王都に戻ってからで、今夜はもう休みましょう」
「……そうだな。悪い、少し取り乱した。今日はゆっくり休んでくれ」
元々、今日は一泊の予定であったし、組合長の進言に殿下も俺も異論はなかった。流石に泊まる宿までは決めていなかったが、まあ王族の訪問なのでそこら辺の準備もしっかりしていると言うか、普通に好待遇である。
組合長の言に気恥ずかしそうに咳ばらいをする殿下を視界に収めて、俺は笑みを張り付ける。そのまま、組合長殿に再び案内されて暗い部屋を後にした。
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一夜明けて、俺達は迷宮都市を陽が昇り始めた頃に発った。見送りは朝早くと言うこともあり必要最低限に、組合長のゴルドウィンは「もう少しゆっくりしていけば……」と俺達を引き留めることはなかった。
まあ、当然と言えば当然だ。
あの忌まわしき日から今日で二日。あのクソトカゲが言い出した〈龍伐大戦〉の日は今日を合わせても残り五日でどう考えても時間が無い。事は一刻を争い、〈刻龍〉から預かった言葉を少しでも早く国王陛下に伝える為に俺達は急いだ。
昨日とは別の早馬が馬車を軽快に引いて行く。目まぐるしく移り変わる景色をぼんやり眺めていると対面に深く腰掛けた殿下が口を開く。
「昨日はよく眠れたようだな、レイ?」
明らかに昨日よりも顔色の良くなった俺を見て殿下は力なく頬を緩めた。その声音は随分と掠れて聞こえた。
「まあ、昨日よりは……殿下はどうですか?」
逆に俺は視線を窓から殿下へと移して尋ね返した。改めて見たクロノス殿下の顔色は昨日よりも明らかに青く、疲れが見て取れる。彼の返答なんて簡単に予想ができてしまった。
「恥ずかしながらあまり……な。予想以上に今回の事態に俺はビビっているらしい」
「それは……仕方がないですよ。みんな、殿下と同じ気持ちだと思います……」
予想通り、殿下の言葉は自嘲的で弱気なもので、俺は元気づけるように言葉を重ねるが、自分で言っておいて酷く他人事で無責任な言葉なものだと嫌気がさした。
────どの口が……。
「気を使わせてしまったな……すまない。それと、ありがとう」
「いえ……」
けれど目の前の王子殿下は素直に俺の言葉を受け取って強張った表情筋を少しだけ緩める。
これで彼の疲弊した心が僅かでも軽くなったのならば、企みとしては成功である。その打算的で、自己中心的な自身の思考が、そんな事しかがんが得られない事実が俺の胸の内を深く抉り取る。
────本当に気持ちが悪い。
全て、お前がいたから起きた出来事だと言うのにそれを理解していて猶、クレイム・ブラッドレイは善人を装っている。取り繕い、無害で、自分も被害者であるかのような立ち居振る舞いをしてしまう。その事実が何よりも度し難い。
「ッ……」
自然と急き上がる感情の起伏と吐き気をなんとか堪える。気を紛らわせようと再び視線を窓に向けようとすると、殿下の言葉が不意に続いた。
「レイは……昨日よりも目に見えて落ち着き払っていると言うか……冷静になったな。やはり、昨日の〈刻龍〉様とのお話で何かあったのか?」
「……」
これまた予想だにしない鋭い質問に俺は反射的に息を呑む。今もまだ不安や恐怖で余裕がないだろうに、彼は他人に気に掛け、本当に良く人の事見ている。揺らぐ双眸でしかし確とこちらを射抜く。
なんと答えるべきか逡巡するが、やはり欺瞞に満ちた愚かなお前は紡ぐ言葉はすんなり出てきた。
「────そうですね、何と言ったらいいか……昨日の一件で、自分の為すべきことがより明確になったからですかね?」
嘘は言っていない。それに本心だ。彼の言う通り、今の自分は昨日よりも冷静であると自覚している。
けれど、それは別に凄いことでも、褒められるべきことでも何でもないんだ。真実を認められても、それを誰かにハッキリと懺悔することができないほどクレイム・ブラッドレイは臆病で、事実が露呈する前に全てを片付けてしまおうとするどうしようもない奴なんだ。だから────
「そうか……やはり、レイは強いな」
だから、俺をそんな強くて、優しい、善良で、高尚な人間だと信じて疑わないその眼で見ないでくれ。
「……そんなこと、ありませんよ」
漏れ出そうになる弱音をため込んで、逃げるように視線を窓へ反らす。尚一層の罪悪感が自身の内に駆け巡る。苦しくて、抑え込んだ吐き気がまたぶり返す。それでも耐えるしかない。
────お前なんかにそんな権利はないんだ。
弱音を吐いて、この身勝手な気持ちを吐き出して楽になろうなど、そんな烏滸がましいことが許されるはずがないのだ。
「ッ……」
歯噛みし、会話を区切る。急に黙り込んでしまった俺を殿下は気にした様子もなく、静かに気を休めるように瞼を下ろして眠りについた。
依然として馬車は山岳地帯をひた走る。この様子ならばちょうど昼頃には王都に辿り着くだろう。