第126話 真実
「それじゃあ大事なお話をしようか、”血”の守護者クレイム・ブラッドレイ」
随分と威圧感が無くなり、これまた随分と耳に馴染む音量の綺麗な声音が耳朶を打った。そうして今まで視界一杯に映っていた龍の姿は忽然と消え失せ、代わりに黄昏色の淡いドレスに身を包んだ金色の髪の女性が現れる。
「……おい、何のつもりだ?」
脈絡のない龍の行動に俺は訝しむ。
自我を持った高位の存在である超越種がその姿を自由自在に変化させることができるのは以前読んだ龍の書物にも書かれていた。けれども実際に眼の前で人の姿に化けられると驚きもするし、何かその行為自体に裏がありそうで勘ぐってしまう。
「人と話すときはこっちでするようにしてるんだ。そっちの方が親しみやすいしだろう?」
しかし、俺の質問に対して女は小首を傾げると、先ほどまでいた龍と全く同じ声で嬉しそうに笑った。
「立ち話もなんだ、座ろうか?」
依然として表情を顰めた俺を気にも留めず、女が軽やかに指を弾くと眼前にテーブルと椅子が出現した。ご丁寧にテーブルの上にはティーセットまで用意されて、まるでこれからお茶会でも開かれるみたいだ。そこに女はまるで貴族の令嬢のような恭しさで席に着いた。
「座らないのかい?ここまで疲れただろう?」
「……」
慣れた手つきでティーカップに紅茶を注いで、こちらを気遣う龍の言葉が飛んでくるがそれを真に受ける筈もない。
────誰が龍なんかと同席をするって?
ふざけるのも大概にしろ。誰がこんな異常な空間で龍とのお茶会に興じるって?
龍の誘いに無言で拒否を貫く俺を見て〈刻龍〉は悲し気に溜息を吐いた。
「警戒されるのは分かるけど、ここまであからさまだと凹むなぁ。やっぱりキミは見てきたとおりのヒトだ」
「……どういうことだ?」
自らの手で入れた紅茶で唇を湿らせ〈刻龍〉は嘆息する。その口ぶりはまるで俺の全てを知っているような、見てきたかのような口ぶりで虫唾が走る。俺の質問に〈刻龍〉はやんわりと頭を振って真っ直ぐにこちらを見据えた。
「改めて、自己紹介をしようか。私は〈時詠〉の龍────リーヴェンクロクタス。この霊峰に長年引き籠っている龍だ。それとクロノスタリアの龍主でもあるね。キミは?」
「……は?」
これまた急に始まった茶番に俺は素っ頓狂な声を上げる。
「名前だよ、な・ま・え。まさか君は初対面の相手に対して自己紹介も満足にできないのかい?」
眼前のクソトカゲ二号は煽るように言葉を続け、そうして俺の次の言葉を静かに待っており、これに応じなければ本題に入るつもりはないらしい。
────何処までも勝手な奴だ……!!
やはり、そんな龍の態度に苛立つ。けれども俺に選択肢はハナから存在しない。癪ではあるが俺は奴のお望みどおりに言葉を紡いだ。
「────クレイム・ブラッドレイ」
「それだけ?」
「……侯爵家嫡男、今はクロノスタリア魔剣学院に通っている」
「うん、知ってる!」
「────」
なんだこのやり取り────と思わずにはいられない。
何の確認作業だ? 名乗る必要はあったか? というか知ってるなら聞くな。幾つもの疑問、文句が浮かび上がるが件のクソトカゲ二号は大変に上機嫌である。
「いやーそれにしても、こうしてキミと話す日が来るとはなぁ。感慨深いなぁ……!!」
加えて、まるで物語の登場人物に実際出会えたようなこの反応は何だというのか。こちらの違和感を他所に、依然として龍は上機嫌に声を躍らせる。
「やっぱり生は違うね!こうハリと言うか、存在感と言うか……そこにいるぞ!って言う感動が凄い!!」
初対面だと言うのに嫌に馴れ馴れしい態度が癪に障る。嘗め回すような龍の視線と一向に本題に入らない雰囲気に俺は多少の怒気を込めて割り込んだ。
「おい、訳の分からないことを言ってないでさっさと本題に入れ。それか会話する気がないなら俺を下に戻せ」
「ごめんごめん!でもそんなに怒らないでくれよ。私の気持ちも少しは汲んでくれないかな? ずっと見てきた、応援してきた推しに会えたんだからさぁ」
一応、龍は申し訳なさそうに眉根を下げるが、やはり反省の色は見えない。それに、眼前のソレは《《また異様に馴れ馴れしい目》》で俺を見てくる。
「ッ────」
咄嗟に、気持ちの悪い親愛を孕んだ視線に俺の怒りは我慢できなくなる。反射的に俺は魔力を熾し、〈血流操作〉によって血液を加速させた。
「その気色悪い目で俺を見るなッ! なんなんださっきから!俺とお前は今日初めて会うだろうが!なのに何でお前は俺にそんな優し気な目を向けてくるんだ!!」
ここに来て、対峙した瞬間からそうだった。この龍は俺に変な感情を抱いている。
────意味不明の親愛ほ不快なものはない。
それは侮辱や侮蔑とも思えて、それが猶更俺の神経を逆なでした。俺の換叫に眼前の龍は一瞬呆けた面を浮かべて直ぐに悲し気に眉根を潜めた。
「それは……ずっとキミの事を見てきたからだよ」
「────は?」
黄金色の双眸が真っすぐに俺を射抜く。その眼光はやはり柔らかく、まるで赤子をあやすような慈愛に満ちている。
「私は今回のクレイム・ブラッドレイの人生をこの世界の誰よりも知っている」
「何、を────」
そんな眼に見られて、俺の全身を駆け巡っていた怒りが一瞬にして静まり返る。別にあの龍の雰囲気に絆されたとかそう言ったことではない。
俺はその眼が怖くて仕方がなかった。
────やめて、くれ。
普通ならばその龍の優し気な眼差しは恐怖の対象、恐れなんかとは対極に位置するモノだろう。けれども、俺にとってそれは違った。龍の口から発せられた言葉に嫌な予感が駆け巡る。次に続く龍の言葉を聞きたくなくて、自分の耳を塞ぎたくなった。
「最初はほんの気まぐれでキミにやり直す機会を与えた。けれどキミは、一度目の残念な死を迎えて、二度目の人生を再出発させてからは全く面白いくらいに、私の予想を超えて足掻いてくれた」
けれど、非情にも俺の耳はハッキリと龍の言葉を聞き逃さず、そうしてその意味も問題なく理解する。それでも、俺の思考は龍の言葉を拒む。けれど同時に今まで有耶無耶にしていた可能性の欠片と記憶の破片が嫌なくらいに嚙み合ってしまった。
────嘘だ……。
「分岐点は〈潜影〉に喧嘩を売った時だった。そこから私は何よりもキミの全てを見ることが生き甲斐になったんだ。だからね、キミにとっては突然で、意味の分からない感情の押し付けだとしても、私からすればこの感情は別に何らおかしくはないんだ。そこに偽りは無いし、打算も無い。本当に私は心の底からクレイム・ブラッドレイと言う人間に好意を抱いているんだ」
「な……あ、ぁ────」
そうして愛の告白とも捉えられるその言葉が止めであった。
つまり、そういうことらしい。
今まで一番の謎だった自分の身に起きた過去回帰、時間遡行現象の全ての元凶はどうやら眼前の龍であり、俺は眼前の龍によって二度目のやり直し人生を歩んでいた、らしい。
「あぁ……嗚呼────!!」
もしかしたら、そうなのかもとは思っていた。真実が明かされた今だから言っているわけではない。
可能性として、「時を司る」なんて言う馬鹿げた権能を持ったこの龍が俺に何かしかしらの力を行使したのではないかと考えるのは当然とさえ思えた。けれども、まさか本当にそうだとは思いもよらなかった。しかもその動機が「ただの気まぐれ」なのだから本当に笑えない。俺にこうして二度目の人生をやり直させた理由なんて、意味なんて存在しないのだ。
「は、はは……あははははははは────」
無意識に笑いが出る。くつくつと腹の底から湧き上がるそれは止まるどころか、更に勢いを増していく。
別に楽しいから笑っているのではない。別に真実を解き明かして興奮しているから笑っているのではない。嬉しいから笑っているのではない。
「あははははははははははははははははははは」
ただただ虚しくて、馬鹿らしくて、阿保らしい。今まで積み上げてきた全てが瓦解し、霧散していく。
それを言葉に表すとするのならば、「焦燥」だろう。
「だ、大丈夫かい?」
人の姿に化けた龍は壊れたように笑う俺を見て心配そうに尋ねてくる。全くもって善良ぶるのは止めてほしい。
「あはははは────大丈夫か、だって……?」
だから俺はピタリと笑うのを止めて龍の方を見る。途端に声を潜めて、ただ真っ直ぐに視線を向ける俺に龍は困惑していた。まるで得体の知れないモノを目の前にして戸惑っているみたいに。
一転して俺は妙な虚脱感を覚えていた。今まで腹の底を巣食っていた怒りが完全に霧散していた。
────とんだ茶番だ。
怒りを塗りつぶすほどの焦燥感と、俺を押し潰そうと自覚してしまった罪悪感が急に肥大化する。
「大丈夫さ。全くもって問題ない────」
俺に二度目の人生を与えてくれた〈刻龍〉の口から語られた真実。それを聞いてクレイム・ブラッドレイは焦っている。
何故か?
簡単な話だ。龍は言外に言ったのだ。俺にこう突き付けてきたのだ。
────意味なんてない、ってな。
ならば、俺のこれまでの努力は、言うなればクレイム・ブラッドレイの愚行は何の意味もなさず、ただ周囲を破滅に追いやり、不幸をばら撒いただけではないか。
クレイム・ブラッドレイは最初から、潔く、死んでいればよかったんだ。意地汚く二度目の人生を生きなければ、そうすれば、
「ッ────!!」
きっと、こんなことにはならなかった。
多くの人が龍の蛮行によって命を落とさず、その恐怖に身を震え上がらせることもなかった。大切だと思えた、大事にしたいと思えた家族を危険に巻き込み、剰え、ノロイによって多くの人を助けられた英雄の右腕を、これから沢山の景色や事柄を映し出したであろう未来ある少女の綺麗な瞳が《《死ぬ》》ことはなかった。
全ては意地汚く生き足掻こうとした自分が招いた事であると、自覚したからこそクレイム・ブラッドレイは焦っていた。結局、クレイム・ブラッドレイと言う存在が居なければ、世界は十全に、平和に回ると証明されてしまったから俺は罪悪感を孕んでいる。
────だから、そもそも俺に彼らを恨む資格なんてなったんだ。
怒ることさえ烏滸がましい。何て浅ましくて、身勝手な事だろう。どの面下げてその責任を押し付けられていたのだろう。そもそもが、俺なんて居なければこんなことにはなっていないのだから。
「────」
今まで無意味に張っていた肩の力が抜けて、俺は龍が用意した椅子に腰を下ろす。
「え……座ってくれるのかい?」
龍は心底不思議そうに首を傾げ、それに対して俺は短く頷いて続きを促した。
「それで? 大事な話ってのは今言ったことか? それだけの為にアンタは俺をここに呼び出したと?」
「あ、いや!実はまだあるんだ!と言うかこれが本題。このままじゃあキミたちは〈潜影〉に勝てない。だから助言をしたかったんだ!本当は私が出向くべきなんだが……世界との契約で私は今回の〈龍伐大戦〉に参加できないんだ……」
わざとらしく表情を曇らせる〈刻龍〉にもう思うところはない。俺は無感情に頭を振った。
「助言をくれるだけで十分だ。それで?アンタの民や〈比類なき七剣〉じゃなくて、俺を呼んだんだから、あのクソトカゲを殺せるのは俺だけなんだろう?」
「うん……本当はキミ一人にこんなことをさせたくはない。けど、あのバカを止めるにはもうこれしか────」
「かまわない」
責任を感じ、申し訳なさそうに言葉を躊躇う〈刻龍〉にやはり思うところはない。
結局のところ────
「全てを賭ける覚悟はできている」
やることは最初から変わらないのだ。