第125話 刻の霊峰
気が付けば、そこにいた。
「ここは……」
周囲を見渡すとそこは先ほどまでいた無機質な石造り室内ではない。吹き抜ける風は確かに頬を撫ぜ、地面の土を踏みしめる感触をハッキリと両足に感じた。眼前には雲を突き破り、未だ天へと伸びている峰が聳え、振り返ればそこには息を呑むほどの絶景が広がっていた。
「ッ……!!」
無数に連なる山々、流れるように雲海が広がり陽の光を受けて陽彩に染め上げられ輝いて見える。そこは世界の果てのように思えて、人類は疎か生物種が足を踏み入れることなど到底不可能な、烏滸がましくも思えてしまう、未踏破区域であった。
────ここが〈刻の霊峰〉?
絶対にお目に掛かれない普通とは隔絶した世界の景色に目を奪われながらも、脳裏にはライカス王やクロノス殿下が口にしていた言葉が過る。
先ほどの殿下の魔法、そして自分の身に起きた謎の浮遊感とこの現状。どうやら俺は本当に「転移」したらしく、仮にここが本当に〈刻の霊峰〉とやらならば、生き物がいる筈もないだろう。何せここには世界を見下す七龍の一体が居ると言うのだから。それらを鑑みれば強ち、今抱いた感想は間違いじゃないのかもしれない。
「だとすると────」
改めて周囲を見渡す。現在地は山だ。それもかなりの標高を誇っており、転移した時点での場所も高所でありその中腹、上へ続く道を見ればその先はまだ長そうであった。
「この先……頂上を目指せって殿下は言っていたな」
人をこんな訳の分からない秘境スポットにいきなり呼び出しておいて、更に登山を強制させるとはやはり〈刻龍〉様とやらはこちらを舐めているとしか思えない。
「やはり龍はどいつもこいつもカスだな……」
何度目かも分からない龍への苛立ち。殿下が仕えている主とは言え、これは流石にない。会いたいって言うなら自分から出向くのが筋だろうが、仮に自分の根城に招くまでは良いとしてもそこからまだ歩かせるのは常識的に考えで当なのだろうか。龍はそこら辺の常識も欠如しているのか?
「────まあいい、とりあえず行くか」
不満は募るばかりであるが、けれどもうじうじと文句を言っていても何の解決にもなりやしない。どこまで来ても気は進まないが仕方がない。
「どういうわけか、下へ降りる道はないみたいだしな」
頂上へと進む上への道はハッキリあると言うのに、下へ向かう道は妙な霧が濃く舞っていて先を見通すこともできない。それにその霧の中に妙な魔力も感じられるし、試しに下に進もうとすると延々と先に進めなかった。あの龍は何が何でも俺を自分のいる場所まで連れてきたいらしい。
「はあ……」
思わずため息が漏れる。幸い……と言うべきか、周辺には生物の気配はしないし、迷宮の中とは言え魔物に襲われる心配はなさそうだ。
────そもそもここは本当に迷宮なのか?
基本的に迷宮とは洞窟や、坑道、地下にあるもので、薄暗く、鬱屈としていて、辛気臭い場所だ。しかし今俺がいる場所は明らかに外だし、地下空間にある筈のない空に雲、陽の光だってある。明らかに自分の知っている迷宮とは別物であった。
「……どうでもいいか。龍のすることはどれも適当でどうしようもないことだって今まさに身に染みたばかりだしな」
いくら頭を捻らせたところで浮かんだ疑問の答えは出ない。結局のところ先に進むしかないのだ。
こちとらあのクソトカゲの所為で依然として腹は立っているし、同族と言うことでこうなればこれから会う〈刻龍〉に文句の一つや二つ、何かあのクソトカゲをぶっ飛ばす為に役立つ情報を吐かせよう。
「穏やかに俺とお喋りができると思うなよ???」
・
・
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そう思っていた時期が俺にもありました。
「クッソ、いつまで人様に登山させる気だってんだ〈刻龍〉ってやつは……!!」
衝動のままに怒鳴り声を上げて、無駄に声が周囲に響き渡る。登山を始めてかれこれ二時間、俺の気は狂いそうだった。
別に二時間程度歩かされたところで足が痛くなったり、体は全くもって疲れやしない、普段の鍛錬と比べればこんなの散歩も同然だ。けれども二時間も延々と代り映えのしない道を歩かされるのは聞いていない。しかも一向に頂上にはたどり着かないし、龍の姿も全然見えてこない。
「マジ、ふざけんな……!!」
腹の奥からふつふつと別の怒りが湧いてくる。どうしてこうも俺の感情は龍によってかき乱されることが多いのか、これが本当に分からない。
────俺が一体何をしたって言うんだ?
自問自答するが答えなんて出ない。それは不毛そのものであり、今俺にできるのはとにかく足を前に進めることだけだった。
あれだけ天高く霊峰を照らしていた陽もいつの間にか傾きかけている。その光景は常時ならばとても幻想的で、目を奪われるものなのだろうが今は景色を楽しんでいる場合ではない。如何にして一向に現れない龍の顔面をぶん殴ってやろうかと、ただその一心である。
「ほんと、これがただの山登りなら文句はな……いや、そもそもこんなことしてる暇なんて────」
瞬間、全身に違和感が駆け巡る。
文句を言いながらも踏み出した一歩。その一歩が地面に付いた途端にまるで何かの糸を踏み切ったような、境界線を飛び越えたような嫌な錯覚を覚える。
……否、それは錯覚でもなければ勘違いでもなく────
『やあやあ!漸くたどり着いたね!』
事実として、俺は何かの境目を飛び越えたのだろう。
「ッ……」
幕が引き、すぐに再び開いたかのように場面がめくるめく切り替わる。
今までただ只管に単調で殺風景であった山道から、遮るものが何もない夕陽の光が全面に降り注ぐ山頂へと瞬間移動する。そうして、そんな幻想的な光景の開けた台地の中央に一体の龍が居た。
「お前、が……」
瞬間、駆け巡るように警戒度を跳ね上げて、何が起きても対応できるように臨戦態勢を取る。
黄金の鱗は陽の光によって燦然と輝き、その体躯は山の上にまた一つ小山が乗っているような錯覚さえ覚える。金色の翼を広げてこちらを見下ろすその様は何処か黒い龍と似通っていて、脳裏にその姿を想起させた。
────こいつが〈刻龍〉!!
今まで遭遇してきた〈影龍〉は全て残滓であり、搾りカスであった。初めて目の当たりにする、ソイツは想像よりも大きく、そして感じたことの無い覇気を纏っていた。
『こうして相まみえるのは初めてだね。こんな日を密かに待っていたよ、クレイム・ブラッドレイ』
眼前に聳える龍の何をそう思わせるのか、本当に嬉しそうに笑みを湛える。
その人好きのする、無邪気とすら捉えられる龍の姿は俺の知っているソレとは全く乖離しており、感覚が狂わされる。しかし、だからと言って騙されはしない。俺の中にずっと燻っていた怒りがここで爆発する。
「ふざ……いきなり人をこんなところに呼び出して、しかも長時間登山させた上に何が「待っていたよ」だ! 呼び出すなら呼び出すなりの態度ってもんがあるだろうが!てかお前の方から俺の方に出向け、それが礼儀ってもんだろうが!龍ってのはどいつもこいつも常識が無いのか?あぁ!?」
『うーん、随分とお怒りだねぇ。まあ、確かに君の言うことも一理あるし申し訳ない事をしたとは思うけど、あんまり文句は言わない方がいいかもしれないよ?』
俺の憤慨した様を前に困り果てたように表情を曇らせる〈刻龍〉、やはりその姿は随分と人間臭い。自分も被害者であると宣うような口ぶりに俺は睨みを利かせる。
「……何が言いたい?」
『本来ならクロノスがしっかりと私の前にキミを飛ばしてくれるはずだったってことだよ。けれど彼も緊張していたんだろうね、それにまだ未熟だ。実際には転移させる座標の位置をそこまで細かく指定できずに、こうなってしまった』
「……それはつまり何か?自分は悪くない、悪いのは送り届けてくれた殿下だと?」
この龍は何処まで人をおちょくれば気が済むんだ。
────そもそも自分の仕えさせてる民の失敗まで面倒見るのが主だろうが。
「────と言うか、〈刻〉を司るお前なら俺をここまで転移させることだってできたんじゃないか?なぜそれをしない?やっぱり舐めてんのか?」
『私も本当はそうしたかったけれどね、今はちょっと訳あって力を制限しているんだ。だからこればかりは申し訳ないとしか言えない。ごめんね?』
「……」
全く反省の色が感じられない間延びした龍の謝罪に俺は絶句する。
やはり龍と言うのは何処までもクズだ。そう再認識した。殿下には申し訳ないがもう擁護のしようはない。どこまで行ってもこいつらはこの世界を見下す龍なのだ。
────いや、そんなの分かり切っていたことだ。
これ以上は癇癪を起したところでなんの意味もない。そう思考を切り替えて、俺は深く深呼吸をする。
「すぅ……はぁ……それで?俺に何の用だ、クソトカゲ二号」
『ええー私が一号じゃないのかい? アイツの二番手はなんだか癪だなぁ』
一秒でも早くこの龍との会話を終わらせるべく、俺は皮肉げに言葉を放つ。しかし眼前の龍は全くもって見当違いな文句をボヤき不満げな反応だ。やはり龍と言うのはその思考も感性もどこかおかしい。俺のような凡事では到底理解できない価値観である。
────いや、理解もしたくないな。
そう思い直し、全く無駄話を止める気配のないクソトカゲ二号に辟易としていると、件のソレは急にその姿を発光させ、
「は?」
「まあ、その話はいいや────」
急にその姿かたちを小さく、人のような大きさまで変身させてこう言った。
「それじゃあ大事なお話をしようか、”血”の守護者クレイム・ブラッドレイ」