第123話 迷宮都市
馬車に揺られること数時間、目的地は殿下の言っていた通りアレステル山岳地帯であり、その道程はたった数回の往復と言えど見慣れたものであった。
────いや、一度目も数えれば別に見慣れた道か……。
王都から出た直後に広がるディンゼル平原を抜けて、周囲が岩肌が露出し、灰色の殺風景な景色が増え始めればアレステル山岳地帯の入り口である。
山岳地帯に入ると複数の分岐路が存在し、様々な山々が連なる山岳地帯の上部の奥まった僻地にクロノスタリア魔剣学院があり、ここから学院に向かうのならば険しい山道を進むことになる。しかし、今回馬車が進む道は至ってなだらで平坦な道程であった。前述した道に比べれば厳しい傾斜の坂や、断崖絶壁の一歩間違えれば落下するであろう細道を通る必要もない。地面も凹凸が少ない為か揺れも少なく、馬も上機嫌に走っているのが車内からでもよく分かる。
「「……」」
先ほどの会話以降、車内に特に会話はなく、かと言って重苦しく気まずい雰囲気が漂っている訳でもなかった。ただ無理やりにでも身体を休めるために、少しでも体力を消耗しない為の結果であった。
「すぅ……はぁ────」
……いや、正確に言えば空気は何処か張りつめ、眼前の王子殿下は一定間隔で深呼吸を続けて、手を組んではそれを解いて、また組んで……と落ち着きがない。
理由は、聞かずとも何となく察せられる。これからこの世界の超越種に会いに行くのだから、流石の王族と言えども緊張せずにはいられないだろう。先ほどの話しぶりからして、彼の龍は例え自身に仕える民でさえもその姿を滅多にさらすことはないらしい。それが先祖代々、仕えてきた主ならば変な粗相も出来やしないし、気を遣うのだから心労も相当なものだと思う。
────やはり龍はどいつもこいつも周囲に迷惑をかける害悪だな……。
本当にはた迷惑な奴らだ。
壁壁としながらも、目的地が近づくにつれて明らかに殿下の顔色は青くなっている。そんな状態では変に話かけることも憚られた。……それに、俺としても今は誰かと話したい気分でもなかった。
あと半刻もしないうちに目的地にたどり着く。ここまで来れば殿下を気遣って嘘寝入りをする必要もない。ぼんやりと外の景色を見ながら思考に耽ていれば馬車は勝手に俺達を目的地へと運んでくれる。そうして窓から見える景色があからさまに変わる。今まで木々が生い茂る林道だったのが、突然開けて大きな城壁が馬車の進む先に現れた。
殿下は目的地を「アレステル山岳地帯」と言ったが、正確に言うのならばその一画に存在する都市が目的地であった。
────迷宮都市〈アレスガント〉か……。
それが今まさに眼前にある城壁の奥にある都市の名前であった。
その存在自体は一度目の人生から知ってはいたが、終ぞ訪れることはなかった。初めて訪れる迷宮都市は街の中に入る前からたくさんの人で賑わっている。
────こりゃあ凄い。
思わず感嘆する。城壁の外だと言うのにその周りには露店や出店が立ち並び、商人たちの快活な声が飛び交っている。それに群がる人の数も多く、一種の市場の様相を為していた。
そうして城壁を潜り都市の中に入る為の関所には、市場以上の人と馬車で長蛇の列ができており、明らかに都市の中に入るのにはそれなりの時間を要することが伺える。けれどもそこは王族の乗る馬車と言ったところか、長蛇の列を無視して呆気なく関所を顔パスで通過してしまった。
「これが上流階級の権力……」
すれ違いざまに窓から見えた待ち人たちの視線が険しかったのは決して気の所為ではないだろう。心の内で列に並ぶ彼らに申し訳なく思いながらも馬車は都市の中に入り、ある程度走ったところで止まる。
「到着しました、クロノス様、クレイム様。長時間のご移動、お疲れ様でした」
御者台からここまで手綱を取っていくれていた御者の労う声が聞こえてくる。
「ああ、ここまで助かった。帰りもよろしく頼む」
「はい、お待ちしております。行ってらっしゃいませ」
「ありがとうございました」
それに殿下が労いの言葉を賭けながら車内から降りる。俺もそれに続いた。ずっと馬車にいたからか外に出た時の開放感が凄い。凝り固まった身体の関節や筋を軽く伸ばす。それと同時に王都とは明らかに違う街の雰囲気に思わず声が漏れ出た。
「へぇ……」
王都にも引けを取らない建造物の華やかさと人の往来、流石はクロノスタリアの第二の首都と呼ばれるほだけあって迷宮都市〈アレスガント〉は賑わっていた。
しかし、王都と明らかに違うのは通り過ぎる人の殆どが厳めしい鎧具足や身軽さ重視の軽装に大小さまざまな武器を携えていること。明らかにこれから戦いに行くような身なりの彼らを世間はこう呼ぶ。
────冒険者。
それは腕っぷしだけで世界を旅する武人の総称。時には魔物を狩り、時には商人や依頼者の護衛を引き受ける傭兵的な役割を担い、そして時には各地に突如として発生した迷宮を攻略する開拓者でもある。ここでの〈冒険者〉とは前述した最後の「迷宮を攻略する開拓者」達の事を指す言葉であり、この都市ではなんら珍しい存在ではなかった。
「行こうか、レイ」
「……はい」
走り出した馬車を見送り、往来する冒険者から視線を外す。殿下の声で俺は前に聳える建物を見遣った。
この都市でも一位、二位を争うほど大きさ、この都市ができてからずっとあるその建物は何度も改修工事をした後が見て取れて、かなり年季が入っている。それでも古臭さを感じないのはこの建物がこの都市を象徴する重要な場所であるからだろうか。
そうして現在進行形でその建物には多くの冒険者が出入りをしていた。それもそのはず、この都市に来た冒険者たちが一番最初に訪れるのはこの建物であり、その後も足繫く、酒場や鍛冶工房、宿屋よりも通うことになるであろう建物であり、その名は────
「冒険者組合……ね」
〈冒険者組合〉。
それは正しくこの迷宮都市を象徴する建造物であり、荒くれ者が比較的多い冒険者を管理する互助組織、商人や都市民、外部から訪れた人々の依頼を受け付ける窓口であった。
そうして例に漏れず、俺達がこの都市に訪れた理由がこの〈冒険者組合〉であり、今からお国の貴族様だけで訪れることの滅多に無い場所へ、この国の王族と一緒に入るわけだ。