第122話 刻龍の民
ライカス王との謁見から直ぐに、俺は屋敷に帰らずにクロノス殿下────基、王城の方で用意されていた馬車に乗り込んでいた。
「……」
流石は王族を乗せる馬車なだけはあって外見も中の方も物凄く豪奢で、模様や手すりの細部まで作り込まれている。言わずもがな乗り心地の方も最高品質であり、以前学院側で手配してもらった馬車が玩具に思えるほど霞んでしまう。
「目的地のアレステル山岳地帯までは時間が掛かる。寝てないないのだろ?到着するまでの少しでもいいから目を瞑って身体を休めると言い」
殿下は慣れた様子で車内に乗り込み、俺の対面に座ると気を使ってそんな提案をしてくれる。しかし、流石に身分が上の相手を前にして自分だけ寝腐るのは不敬だし、さっきの今で眠れるほどの胆力はなかった。それを抜きにしたって今は眠れる気がしないし、脳内は絶賛混乱中で落ち着こうにも落ち着けない。
────ただでさえ状況の整理ができていないんだ。
思い起こされるのは先ほどの謁見の間での光景。端的に言えば、あの場でライカス王は俺に「〈刻龍〉に会ってこい」と言った。もうこの時点で良く分からない。つまり……どういうことだ?
────いったん整理しよう。
何よりも俺の脳内を混乱させていた凡その理由は〈刻龍〉の一言に尽きる。
〈刻龍〉────世界を見下す七龍が一体であり、時を司る超越種。その姿が観測されたのは文献に残されている記録でたったの一度きり。悠然と空を駆け、遥か遠くの地平線に消えていくその一幕だったと言う。彼の龍は自身の分身体である眷属竜や残滓でさえその痕跡を頑なに残さず、他の龍と比べると圧倒的に文献や目撃情報が少ない。そんな龍とこの国にどんなつながりがあると言うのか?
────刻龍の民……って言ってたか?
刻の龍に付随して、全く聞いたことの無い単語であるが、察するに古ぶるしき時代から〈刻龍〉に仕える者たちを指す言葉なのは想像に難くない。
────クロノスタリア王家がその一族?
家名と言い、その身に宿す〈血統魔法〉と言い、確かにクロノスタリアと〈刻龍〉に共通点は伺えるが、このクロノスタリア王国が龍に仕える一族の国なんてのは聞いたことが無い。
他の国では龍を信仰し、崇め奉る国があると聞いたことはあるが、クロノスタリアに住む人々にはそういう習慣なんてのはないし、王家にもそう言った素振りは皆無である。
────一人で考えるにはここらが限界だ。
と言うかここまで齷齪と考察をしてみたが、そういった諸々の事情を知ってるであろう御仁が眼前にいるのだからもう直接聞くのが手っ取り早い。依然としてこちらを気遣ってくれるクロノス殿下を見据える。
「……殿下、詳しい説明をお願いしてもいいですか?」
「……そうだな、寝るにしてもまずは説明が必要だな」
今までの明るい雰囲気から一転、殿下は真面目な表情を繕う。身体を休めるにしたって、聞くことをしっかりと聞いてからだ。殿下の言葉と同時に馬車が走り出した。
「そうだなまずは何から話したものか……父上も気が動転していたのか何も知らないレイにちゃんとした説明もなく要件を伝えてしまったからな────」
先ほどの一幕を思い返しているのか、殿下は苦虫を噛み潰したように表情を曇らせる。そうして続けられた殿下の説明に、結果として俺の予想は正しかった。
クロノスタリア王家は〈刻龍〉に仕え、信仰する一族であり、それは王国が建国されるずっと昔からだと言う。〈刻龍〉とある盟約を結んだクロノスタリア王家は〈刻龍〉が扱える時の権能を分け与えられ、その力と〈刻龍〉への忠誠によって国を築くほどの繁栄を遂げた。しかし、この事実を知っているのは王族と王族に認められた一部の人間のみであり、その理由が〈刻龍〉と交わした盟約にあると言う。
「〈刻龍〉様は何よりも平穏を求め、静かに趣味に没頭することを望まれた。だから俺たち〈刻龍の民〉はその願いを叶えるために主である〈刻龍〉のありとあらゆる痕跡を歴史から消した。そうして俺達自身も、先祖代々その事実を隠し続けてきたんだ」
「……」
世界の超越種と取り交わした盟約の内容まで懇切丁寧に話してくれた殿下に俺は言葉を失う。何というか、やはり龍と言うのはその思考や感覚が狂っていると再認識させられる。次いで、こんなトンデモな情報をあっさりと俺なんかに話していいのか……とか、また戻れない場所まで深く足を突っ込んでしまった……だとか、色々と思うところもある。だが何よりも────
「そんな引き籠りこれから会いに行くと……」
「そういうことになる」
これまで全く世界にその姿を晒さず、剰え自分の民に証拠の抹消させていた龍に会いに行くと言うのだから変な気分である。
「まさかアレステル山岳地帯に群生する迷宮鉱山の頂上────未踏破区域に龍がいるとは……」
それも意外……と言うべきか結構な近場に住み着いていると言うのだからもう驚きを通り越して呆れるしかあるまい。
往復だけでも一日、山登りも考えると彼の龍に会うには最低でも二日は掛かるだろう。逆に会いたくても会えないことが基本の龍にたった二日掛ければ会えてしまうと言うことになる。
────にわかには信じがたいな……。
いくら国を治め、一度は処刑宣告だってされたことのある国王陛下の言葉だとしても、半信半疑になってしまう。
「はぁ……」
そこで、会話が一旦途切れる。不意に車窓に視線を向ければ昨日の〈影龍〉の現界が嘘だったかのように空は快晴で、馬車はその空の元を軽快に走り進んでいた。
────と言うか、どうして〈刻龍〉は俺なんかに会いたいと言い出したのだろうか?
一つ間を置いて、改めてライカス王の言葉を思い出す。
別に俺はクロノスタリアの血筋ではないし、〈刻龍〉との面識なんてのも勿論ない。自分の仕える民の一大事にどうして王族以外の人間を呼び出すと言うのか?
確かにあのクソトカゲは俺と〈刻龍の民〉に名指しで〈龍伐大戦〉を宣告したのだから完全に無関係ってわけでもないんだが……。
────分からん……。
そもそも、俺はあのクソトカゲの所為で「龍」と言う単語を聞くと拒否反応を起こしてしまうのだ。龍なんてのはどいつもこいつも大して変わらないクソみたいな存在だと思っている。さっきの殿下の説明を聞いて、〈刻龍〉もそれは変わらないと思えてしまった。自分の住む国、殿下の仕える主だからぐっと堪えて口には出さないが、その〈刻龍〉様とやらも何処まで信用できるか考えものだ。
「はあ……」
結局のところ堂々巡りである。俺は思考を止めて座席の背もたれに深く身を預けた。それを見て殿下は俺が疲れていると判断したのか、
「まあ今はゆっくりと休んでくれ、俺に気を使う必要もない」
改めてそう言ってくる。
取り合えず、聞きたいことは聞けたし、ひとまずの思考の整理も出来た。気分もだいぶ落ち着いては来たが────
「……そうですね、そうさせてもらいます」
それでもやはり眠る気にはなれない。
しかし、俺は殿下の言葉に頷いて形だけでも眠らせてもらうことにする。そうしなければ眼前の人はいつまでも俺を気遣うだろうから。