バットエンド
腕が発達していて、爪は巨大なナイフのようになっていて、毛は黒く目は暗い赤色をしていて片腕がない熊。間違いない。俺を恐怖の淵に陥れた化け物だ。魔素全開にしてようやく腕一本。しかもあのときよりも体はさらに大きくなり、隻腕はさらに太く凶器としての輝きがましているように感じる。それは奴がさらに多くの屍を積み上げたことを意味している。
凍った汗が背中を伝う。足はあの熊との初対面のときよりもさらに動かず。心音は爆音と喩えるのがふさわしいほどけたたましく拍動する。奴と目があった瞬間にこの感覚がくる。先ほどの戦いで受けた打撲の痛みも忘れ去る。俺に刻まれた恐怖の象徴だ。
こちらに熊が気づいて威嚇しているにも関わらず俺は震える声を出した。
「なぁ、まだいるか?」
【ええ、あれが例の?】
「そうだ、抵抗はする。全力で。」
【そう】
「ドライだな、もう少しなんか…。いや何でもない。」
少し話をしたら、落ち着いた。相手はあいつだ。魔素も霊素も全てぶつけてみせる。
「ヴゥ゙ゥ゙ゥ゙グゥ゙ゥ゙」
地が唸るのような低い声。立ち上がるとさっきの豚人の身長よりさらに大きく、ガタイも毛の深さにより測りづらいが相当いい。二足歩行になると全体重を支えることになる後ろ足はその太さだけで俺の足の3倍はある。観察できるようになったのはあの時から大きく成長したポイントだと自分に聞かせ恐怖心を逸らす。
フィールドはボス戦前のそれなりにスペースのある部屋。後ろはボス部屋、奥には通路が一本ある。逃げの一手はとれない。奴の俊足具合はよく知ってる。
再度四足歩行に戻りノシノシこちらに近づく。先手はこちらにある。
「『装填』!」
5発装填する。さっき小鬼を即死させ豚人の指を吹っ飛ばした氷弾だ。体内の魔素量がガンガン消費される。狙い目は関節。わきや膝のような部分は筋肉の装甲が少なくかつ骨が表面に出ている。この『氷弾』は直接殺すためのものではなく体にダメージを与えて動きを鈍くし勝算を作るためのものだ。
「『発射』」
1発放つ。のそのそと歩いていた熊は弾を避けるために横に大きく走る。
「『発射』」
2発放つ。1発はかわした方向に。もう1発は時間をずらしてもう少し右に。熊は左に避けて3発目は当たらず。すぐに詰めてこないのは恐らく腕を壊した『土壁』のようなものがないか警戒しているのだろう。残弾は2発。
さらに近くなり、奴は立ち上がった。デカいなんてもんじゃない。俺の2倍近くある。爪はそれぞれが刃渡り長めの果物ナイフのようで、こんなホラゲーのキャラがいた気がする。当たったら皮膚と肉どちらも八つ裂きだ。ただ見ただけでわかる弱点もある。片腕なこととバランスの不安定さだ。腕がイカれていることにより足にかかる重量が傾いている。右腕ばかり使っていることにより右足ばかりに体重をかける癖ができたのだろう。攻撃は右腕と噛みつき程度しかパターンがないので常に左側に立ち体重のかかっている右足にダメージを加え続けることができればチャンスはあるかもしれない。
右腕での攻撃がきた。
「痛ってぇ」
左側に避けたのはいいが俺は俺でさっきの戦いで足に一撃もらっているから機動力に難がある。しかもかけることのできる力も片足分なので近接での攻撃力も相当落ちるだろう。
またも右腕での攻撃だ。ぴょんと跳ねるようにして攻撃が当たらない左側にいき、右足に向かって銛を刺す。ただ体重もかかっておらず勢いもあまりない攻撃では5センチも体に刺さることはなかった。しかし刃物が突き刺されば痛いものはいたい。
「ヴルルル゛」
もう次の攻撃を準備していたようだが銛を受けて怯んだのか後ろにぎこちなく下がる。やはり痛みは行動を阻害する一番の要素なのだろう。先ほどまでと比べると右足に痛みがある分少し動きが遅い。だったら氷弾で足を崩しそのまま動けないコイツにトドメをさせるかもしれない。
氷弾は基本しっかり真っ直ぐ飛んでいくようにライフルの弾丸のように流線型をしている。しかし今回はどうせ近距離で撃つことになるのだから痛みを与えることに重点を置いた形状にしよう。残り2発の氷弾の魔素をさらに導き、形をかえる。
「グルヴゥ゙ヴ」
どうやら左腕を潰されたことの警戒心よりも、痛みの怒りが勝ってきたらしい。移動の際の所作が荒々しくなっている。次の攻撃がくる。
覆いかぶさるような形で掴みかかってくる。さっきと同じように奴が攻撃できる手段がない左腕の方へステップで避ける。しかし奴は対策をしていた。右足を左足の前に持ってきて、攻撃が届かない左側を無理やり正面にすることにより射程内に収めるという、力技をしてきた。もちろんそんなことは俺にとって予想外もいいところ。左肩から右脇腹にかけて袈裟斬りされたかのように爪の傷が入る。傷から流れる血が破れた服の端々を赤く染め、血のぬめりがはっきりと感じられる。
傷口が大きすぎてすぐには止血できない。出血とボス戦でもらった一撃により近距離戦のパフォーマンスが落ちた状態ではあの剛腕に刈り取られるだけだ。安定重視の魔導主体で戦うしかない。全ての魔素を使ってでも勝つ。限りあるリソースを最も効果的に使えるのは電撃戦しかない。まずは先ほど作った『氷弾』から展開を作り、足元への攻撃で機動力を奪える『石晶棘』で固定し氷弾よりも威力とコストが高い『石弾』でトドメをさす。魔素量からしてチャンスは一度。
血をダラダラ流して後ろに下がった俺に追撃とトドメをさしに二足歩行から四足歩行に切り替え、ゆっくりのそのそ、警戒心を高くして近寄ってくる。展開を始めるために氷弾は確実に当てる必要がある。傷口から熱が抜けるような感覚がする。
「かかってこいよ!そんなに左腕のときのあれが怖いか?一撃いいの入れといてまだ及び腰かよこの臆病者が!」
虚勢でも意地でもいい。それは自分を鼓舞し、逃げだしたくなるほどの強敵に立ち向かう無謀で、されどいつか必ず必要な勇気をくれる。マイナスの感情で冷えて凍りついた心身に火を灯す。
俺の咆哮のような挑発を聞いてか、言葉を理解できていないにも関わらず熊は怒気に満ち満ちた唸り声を上げる。
「グゥゥゥルゥクゥ」
心臓に冷水をこぼされたような冷たさを感じるが、灯された火は強熱となり戦意を沸かす。
十分距離が詰められた。噛みつきではなく爪で勝負を決めようとしているのか立ち上がった。その瞬間だ。
「『氷弾』!」
形状に工夫を施した『氷弾』を発射する。肩と腰にヒット。直後に苦悶の鳴き声を上げる熊。あの氷弾の形状は豚人戦で踏んだあの氷弾の欠片から着想をえた。衝撃を受けると割れるように意図的に耐久を減らした部分を作ったものだ。貫通力と強度を下げることにより砕けた数多の破片が体内に残り効果的にかつ持続的に苦痛を与えられる。動くたびに体内に残ったギザギザに割れた氷の破片が傷口を抉る。
「『石晶棘』!」
石晶棘は俺がこの迷宮生活で利用していた魔導を発展させたものである。元々は狩った動物の処理や捕縛のために使っていたもの、石や岩から枝や柱のようなものを出す『石柱』で、これをさらに細く鋭く多くしたものを足元に撃つのが石晶棘だ。棘は細いので歩いたり暴れたりするといとも容易く折れ対象の足に残り痛みを与える。痛みは最高の抑止力である。
その主張通り熊は刺さった当初は痛みで暴れていたが暴れれば暴れるだけ痛みが増すことに気づくと足を動かさなくなった。あいも変わらず殺意剥き出しの右腕がこちらに向かってブン回されるが、足が動かなければ意味はない。
『石弾』
それなりの大きさの石塊ができる。これをありったけの魔素を利用して強化して一撃で勝負を決める。
『削』
弾を流線型に削り、空気抵抗を少なくして、さらに貫通力を上げる。
『剛』
弾全体の強度を上げる。
『加速』
弾速を速くして威力を上げる。
この弾丸の危険度に気付いたのか奴は激痛だろうに無理やり抜け出そうと足掻く。
しかしもう準備は整った。
『発射』
かくして懸命の弾丸は放たれた。灰色の岩で出来た弾は素早く敵の方へ突き進んでいく。そうして────
熊は後ろに倒れこんだ。弾が直撃する寸前に。
「っな?!っは?!」
驚きのあまり声が出た。奴は石晶棘でギチギチの地面に身を投げ出すことにより弾を回避したのだ。
「グギャャァ!」
石晶棘が肉に突き刺さり絶叫する熊。しかし、石晶棘は筋肉をズタボロにはできても硬い骨に守られた臓器には手が出せない。つまり致命傷にはなり得ない。
そんなことを言っている間に俺の方に問題が現れる。
「寒、い。それに、手足の感覚が薄い?」
魔素を使いすぎた。あの時と同じだ。魔素を使いすぎて意識を失ってしまうあの症状。出血と合わせて体温がなくなり、凍るように寒く感じる。熊から距離をとるために這って動こうとしても手は手袋を何枚も重ねてつけたかのように感覚が鈍く足は十数時間も歩き続けたかのように力が入らない。
「逃げなきゃ、あいつ、から───少しでも───」
俺は、外に出たい。石に囲われたこの迷宮から、終わりなき戦いから離れたい、生き残りたい。その一心で這う。でも、それでも進んだ距離は大体一歩。
「あぁ、クソ。あいつが、臆病者なら、俺は──無謀な…」
皮肉だ。先になにがあるかわからないにも関わらず前へ前へと進んでこの結末とは。
後ろを振り向くと熊は腕を振り上げており。勝利の一撃を俺にくれてやるところだった。
俺は走馬燈すら見えない。
眠気のような抗い難い感覚が来る。
「良くは、ない人生だっ、たな」
爪が体に刺さる前に俺は目を閉じて、瞼の暗闇に滑り落ちていった。




