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第4話 もうひとつの記憶?

(んん……?)


空気が変わった。

部屋の明るさも、匂いも、触れる布の感覚も、なぜかそれまでに感じていたものと違うような気がする。


だが、確認しようと目を開けても、なぜか視界に靄がかかっていて、先が良く見通せない。

本来あるはずの白色の壁も、眩しいほどの日差しを通していた窓も、壁沿いにひっそりと設えられた、聖典の並ぶ小さな書棚も見えない。

けれど、目を凝らしていると、次第に四角い光が見えた。

何だろうと目を細めれば、徐々に靄が晴れ、その正体が露わになる。


(石板……?)


それは、手に収まるくらいの四角い石板——のような物だった。でも、石板ではなさそうだ。表面が白い光を発していて、見るからに普通ではない。

いつの間にかリーネは、寝台に横になったまま、手に握る怪しげなそれをじっと眺めていたのだ。


(なあに、これ?)


束の間、その正体に考えを巡らせていたとき——


「……えっ⁉ うそ! 本当⁉ やった‼」


突然、何の前触れもなく、唇が動いた。


「よ、予約しなくちゃ! いつから予約開始かな⁉」


自分では全く動かしたつもりもないのに、唇が手前勝手に興奮気味な言葉を捲し立てる。

と同時に、胸の中に、妙な高揚感が湧き上がった。


(えぇっ⁉ 何で口が勝手に⁉)


自分の意志とは関係なく動く口に、気味悪さを感じる。

けれど、それ以上に、訳もなくそわそわして落ち着かない。リーネの感情と関係なく心臓は早鐘を打ち、妙な興奮状態に引きずり込まれる。

今まで経験したことのない感覚に、戸惑うばかりだ。

ふと、光る石板に意識を向ける。視線はずっとそこに注がれていたのに、ただ目に映していただけだったようだ。


「リントヴルム・サーガ」リマスター版、クリスマスに発売決定!


光を発する石板の表面には、びっしり見覚えのない文字が並んでいた。そう、見覚えのない文字のはずなのだが——なぜか、読めるのだ。しかも、妙に心に引っかかる文字がある。


(リントヴルム・サーガ?)


その言葉を反芻した瞬間、突然、波のようなものに体ごと攫われた。


(なにっ⁉)


リーネは、白く、それでいて七色の光を湛える海の中のような空間に浮いていた。

大量の映像が帯状に連なって、馬車が走るくらいの速度で周囲を流れていく。

数々の見たこともない映像が、海中に浮かぶリーネの脇を、頭上を、足の裏を、一定の速度を保ってすり抜けていった。


それは記憶だった。

膨大な量の記憶。


見たこともない建物、見慣れない衣装、会ったこともない人々の顔。

その中で、一際心に残ったのは、鏡らしきものに写る、黒髪の女の子だった。

あるときは、まだ言葉を発することができず鏡に頭をぶつけ、泣きじゃくる赤子。

あるときは、鏡台の抽斗に仕舞われていた口紅を、ふっくらした小さな唇にたっぷり塗り付けている満足げな幼い子供。あるときは、一生懸命、跳ねた寝ぐせを直しにかかる慌てたような少女。

これは全部一人の少女なのだと、直感した。

赤子から、リーネとそう年端の変わらぬ少女に成長するまでの、同一人物の顔なのだと。


(……この子は一体?)


知っているはずなどなかった。彼女の住む場所は、見も知らぬ別世界。行き会ったことなどあるはずもない。きっと遠い異国の娘なのだ。そもそも、現実に存在していると断定もできない。けれど——


(私はこの子を知っている……気がする)


瞬間、胸の奥で何かがぱちんと弾けた。


(ああ、この子は——)


胸の中に、すとんと何かが落ちた。

じわりと熱いものが、目の縁に盛り上がる。

今まで気づいていなかったのか、それとも見ないふりをしていたのか。

ずっとこれを探していた気がした。心の奥底から、求めてやまなかった何か——

これまで壁に遮られ、手の届かなかった何かに、たった今、触れることができた——そんな感覚が、胸の内から湧き上がってくる。


(私はリーネ。先読みの聖女の、リーネ)


顔を上向け、頭上を流れゆく記憶に手を伸ばす。

そこには、鏡の前で、妙な寝ぐせのついた前髪を直すのに悪戦苦闘する、制服姿の少女の姿があった。


(この子は、立木律(たちぎりつ)。五人家族の末っ子で、高校二年生になったばかりで。それで——私なの?)


絶えず流れゆく記憶の帯に手を触れると、その箇所だけ火花が散ったように激しく輝いた。触れた肌が、ちりりとしびれる。


(そう、インフルエンザで寝込んいたんだよね。高熱なのに、ついつい手持無沙汰でスマホをいじっていて……それで、確か、「リンサガ」のニュースを見つけた)


この日、立木律は、季節外れのインフルエンザで学校を欠席していた。

午前中に、母に付き添われて病院へ行き、インフルエンザの検査をしてから、調剤薬局に寄り、食欲のない中、どうにかみかんゼリーを胃に流し込んで、ベッドに横になっていた。頭はガンガンするし、高熱のせいで寒気に襲われ、関節痛まで併発した。けれど、寝付けず、スマートフォンについつい手を伸ばしてしまったのだ。これがスマホ中毒かしらなんて思いながら。


そのとき、何気なく覗いていたネットニュースで、レトロRPG「リントヴルム・サーガ」のリマスター版が発売されるという記事を見つけた。

立木律にとって、「リントヴルム・サーガ」は特別な作品だった。

何を隠そう、初めてプレイしたRPGだったからだ。

 

「リントヴルム・サーガ」はずいぶん前の家庭用ゲーム機のゲームソフトだった。今では、すっかりレトロ扱いされてしまう、ドット絵時代の作品。

律はもともと古風な質で、好きな漫画も小説も自分の生まれた年代前後の作品が多く、友人からは「生まれた時代をちょっとばかし間違えたね」などとからかわれていた。

姉が「リントヴルム・サーガ」を友人から借りて来た時も、既にレトロゲームの扱いだったので、律の心は大いに踊った。そして、姉と共にプレイする中で、律はすっかりこのゲームの虜となった。それは何年経っても変わらず、律にとって、RPGといえば、「リントヴルム・サーガ」において右に出るものなし状態。


その「リントヴルム・サーガ」のリマスター版が出るというニュースに、興奮せずにはいられなかったのは言うまでもない。


(ゲーム……?)


「リントヴルム・サーガ」は、西洋風ファンタジーで、剣と魔法の世界を舞台にしたRPGだ。当然、ゲームクリエイターたちの作り出した架空の世界。

フィクションであるファンタジーゲーム。

そのはずだったのだが——


(でも、リンサガの世界は、どう見たって——)


しかし、たった今、その認識は一気に覆った。

律の記憶を得、自分の記憶と重なった瞬間から、「リントヴルム・サーガ」を単なるゲームではなくなった。


(同じだよね? 私の世界と)


混乱する頭で、できる限り記憶を照合していく。


(やっぱり、そうだ)


リーネは強く確信する。リーネの生きるこの世界は、律のプレイしていた「リンサガ」世界そのものだ。


(でも、こんなことって——)


そもそも、今自分はどうなっているのだろう。

癒しの間で眠っていたはずなのに、なぜ見たこともない部屋にいるのか。

否、見たことがないとはっきり断定できない。

律の記憶が流れ込んできた今、既にこの部屋はリーネにとって見慣れた部屋なのだ。


(夢でも見てる? でも、夢っていう感じがしない。先読みの力? ううん。いつもと全然違う。でも、じゃあ、これは?)


自分は立木律だという妙な確信があった。

けれど、理性が否定する。だって、リーネはリーネなのだから。

あまりのことに気が遠くなりかけたリーネに、何の前触れもなく強烈な睡魔が襲い掛かる。


(待って、まだ整理中でっ)


睡魔に待てなど馬鹿馬鹿しいと思いつつ、必死に抵抗する。

だが、迫ってくる睡魔に、抗う間もなく、一気に飲み込まれる。

ぷつんと意識が途切れる直前、リーネの脳裏に何かが過る。


それは青い髪をした豆粒大に描かれたドット絵のキャラクターだった。

ずきんと胸が痛む。

でも、それに気を取られている時間などなかった。

リーネはあっという間に深い眠りへと連れ去られた。



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