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第11話 堅い誓約

リーネは言葉を失った。

お互いの血を体内に取り入れるというあたりで、自然、四肢から力が抜けた。

何を隠そう、リーネは血が苦手だった。自分のものでも、他人のものでも、傷口からちらりと赤い液体が見えようものなら、さーっと血の気が失せ、体中の力が抜けてしまう。手なんてしばらく震えて使い物にならないくらいだ。

でも、ここで怖気づくわけにはいかない。リーネは力の抜けた足をどうにか踏ん張り、手を握り締める。


「ぐ、具体的な、や、やり方って?」


明らかに動揺するリーネに、エーヴァルトは不審げな眼差しを向けた。

が、ややしてから、あからさまなため息をつき、紺青の髪を掻き上げる。

いかにも面倒くさいと言いたげな表情が浮かんだ。


「うだうだ説明していても時間の無駄だ。やりながら説明する」


エーヴァルトは懐から小さな瓶を取り出し、栓を抜く。中には、怪しげな黒い粉が入っていて、彼は瓶の口を斜めに下に向けると、黒い粉を少しずつ落としながら、自分を中心に円を描いていく。草むらにリーネの両腕を開いたくらいの直径をした円ができた。次に、円の中に点をいくつか作っていく。それには決まった位置があるようで、彼は慎重に粉を落とす。


瓶が空になると、持っていた栓をしてまた懐に仕舞った。次に、マントをはたくようにして、腰に帯びた短剣を取り出した。刀身が月光を反射し、きらりと光る。刃物を見せつけられ、リーネの心臓が跳ねた。


(ま、まさか……あれを?)


嫌な想像が脳裏に過り、リーネは身震いした。

あの鋭い刃物で、どこを切るというのか。


「おい、こっちへ来い」


責めるような視線を投げられ、リーネは急いで黒い円の傍に近寄った。


「この中に入れ」


言われるがまま、線を跨ぎ、中に入る。リーネが無事入ったことを認め、エーヴァルトは頷いて、右腕を出した。日に焼けた太い腕がリーネの前に見せつけるように出された。


「この円の中に向かい合って立ったら、この剣で腕を……」


言って、左手で握った小剣の磨き上げられた刃を自分の腕に押し付けようとしたが、「ひっ」と息を呑むリーネをちらりと見て、その手を止めた。


「おい、さっきから震えてるぞ」


呆れたような半眼でリーネを睨み、それから大きく嘆息する。


「わかった……お前は指でいい」


「ゆ、ゆ、指……?」


「そうだ。刃先で突けば、少しは血が出るだろ? それでいい」

 

それから、また小剣を持ち直し、己の腕を切りつけようとするので、リーネは思わず、腕を伸ばし、刃物を持つ彼の手に追い縋った。


「な、なにをっ!」


「エーヴァルトさんも指先でいいってことですよね⁉ そうですよね⁉ そうに違いがありませんよね⁉ そ、それならば‼ う、腕じゃなくて、指にして下さいっ! お願いですっ!」

 

正直、腕でも指でも血が出ることには変わりないし、リーネにとってはどちらも願い下げなのだが、腕の傷の方が血がだらだら流れそうだ。大出血など見たくない。


「はぁ? 指先を突くなんて、そんな無様な真似ができるか!」


「嫌なんです‼ できるかぎり、血を見たくないんですっ‼ 極力、少量の流血にしてください‼」

 

リーネは至極真剣にエーヴァルトの顔を覗き込んだ。


「お願いですっ……! 指にしてください‼」

 

エーヴァルトは目を見開き、反論しようと口を開きかけたが、まともにリーネと目が合うと、視線を外し、顔を逸らしたまま俯き、またも嘆息した。


「……わかった。わかったから、離れてくれ」

 

言われて、リーネはエーヴァルトと密着して、顔を近づけていることに気がつき、さっと飛びのいた。ちらりと横目で見ると、エーヴァルトは視線を逸らしたまま、ぶすっと不機嫌そうに眉を寄せている。


(怒らせちゃった、かな……?)

 

取引相手を怒らせるのはまずい。でも、近づきすぎたのがそんなに不服だったろうか。

リーネは身を竦め、目を伏せる。

しばらく黙り込んでいたからか、唐突にエーヴァルトが口を開いた。


「血が、苦手なんだな?」

 

顔を上げると、わずかに労わるような色を滲ませた深海色の瞳がリーネを見つめていたので、リーネはこくりと頷いた。


「わかった。ならば、俺がさっと終わらせてやる。手を出せ」


おそるおそると出した左手を、エーヴァルトはしっかりと掴み、自分の方へと引き寄せた。

それから、手を開かせると、人差し指の先に小剣の刃先を宛がう。

リーネは思わず堅く目を閉じ、顔を逸らした。とてもではないが直視できない。

指先にチクリとした痛みが走り、次の瞬間には生暖かいものが触れていた。びくりとして、薄目を開けると、リーネの前に信じられない光景があった。さっと手を引っ込めようとするも、エーヴァルトの手はそれを許さない。

リーネの指先は、エーヴァルトの形の良い唇に触れていた。


「あ、え、あのっ……⁉」

 

ぱくぱくと魚みたいに口を動かすリーネを、エーヴァルトは上目遣いで見てから、視線を泳がせ、すぐに手を放す。

彼は唇についた点ほどの赤い血を拭うように舌で嘗めとった。


(あ、そうだ……血を、お互いの血を飲むんだったよね……?)

 

一瞬、指を食べられるのではと思ってしまった自分が恥ずかしい。

それに、男の人の唇に触れてしまったという事実で、心臓がバクバクと煩い。


「俺は今、お前の血を取り込んだ。お前は俺に何を誓う?」


たじろぐほどの真剣な色を湛えた深海の瞳が、リーネに問いかける。

一拍置いて、儀式の流れなのだと合点がいき、リーネは口を開いた。


「わ、私は……エーヴァルトさんが、蒼きリントヴルムの涙を手に入れるのをお手伝いします。エーヴァルトさんがそれを手にするまで、エーヴァルトさんのお傍を離れません‼」

 

言い終えた後、リーネはしまったと思った。

リントヴルムの涙の場所、手に入れるタイミング——それを思えば、手に入れるまで一緒に居るというのはあまりに軽率な発言だったといっていい。


「あ、ちょっと待ってください、言い直しても……」

 

だが、黒い円がさーっと黒い霧のような粒子を立ち上らせ、リーネは黙り込む。


「言い直しは不可だ」


言って、エーヴァルトは自分の指先に刃先を突き立てて、勢いよく引いた。

指先に線上の傷ができ、そこからあふれ出た真っ赤な血がたらりと流れていく。

彼はその血の流れる指をリーネの前に突き出した。


「飲め」

 

だらだらと流れ続ける深紅の液体に、ふーっと気が遠のきそうになる。

エーヴァルトは小剣を腰に戻すと、その腕をリーネの腰に回し、倒れそうになるリーネを支えた。そして、躊躇なく、自分の指先をリーネの唇に押し付ける。

温かい液体が唇に触れ、リーネは小さく悲鳴を上げた。その拍子に、唇についた血液が口の中に流れ込む。鉄のような嫌な味が口の中に広がり、唾液がたまる。吐き出したい衝動に駆られるが、エーヴァルトの鋭い視線がそれを禁じている。リーネは震えながら、その血をどうにか飲み下した。吐き気が襲ってくるが、懸命に堪える。ここで吐き出せば、また聖約のやり直しになるに違いない。

 

押し付けられていた指は離れ、体中から力が抜けた。エーヴァルトは片腕で軽々とリーネを抱え直し、ゆっくり地面に膝を付けた。


「相当だな、お前。こんなことでは、二度と、血の誓約などできない」

 

呆れたような声音の中に、わずかだか、リーネを慮るような感情が含まれているのがわかる。その証拠に、彼のリーネを支える腕は、ひどく優しいのだ。まるで壊れ物を扱うかのような手つきで支えている。

リーネは顔を動かし、エーヴァルトの指先を探す。どうやら、リーネに目につかない位置に、手を隠しているようだ。まだ血は流れているだろうに。


「なんだ?」


「手を、見せてくれますか?」


「……?」


「出してください、傷口」


渋々というようにエーヴァルトは血の流れる指先を出した。

リーネはその指を優しく包み込むように両手を添え、


「《——癒しの神セレーネよ。どうか、この者の傷をお治し下さい》」


ぽおっと掌に光が宿る。それをエーヴァルトの傷口に流し込み、彼の傷を癒してくれるようにとの思いも一緒に注ぎ込む。

エーヴァルトは驚いたようにリーネを見つめ、


「癒しの力……」


思わずというように呟いた。




すっかりエーヴァルトの切り傷が治った後、彼はリーネたち姉妹を無事に逃がすと誓ってくれた。

それから、立ち去り際、捨て台詞のように言い放ったのだ。


「手筈は万事整えておこう……だが、覚えておけ、血の誓約がある限り、《《お前は俺のものだ》》ということを」


体のどこかに誓約の証が刻まれているということも付け加えるように。

思わず頷いてしまってから、立ち去る彼の背中を見つめ、リーネは目を瞬かせた。

そして、ふいに胸に痛みが走るのを感じる。


(嘘を、ついてしまった)


取引が成立して嬉しい。

だが、心に引っかかるのは、自分が嘘をついてしまったこと。

夜の闇に紛れ、エーヴァルトの姿が見えなくなるまで、リーネはじっと見つめていた。


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