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第9話 危うい取引

「エ、エーヴァルトさんですよねっ⁉」


息を切らしながら問うと、青年は怪訝そうに目を眇めた。

日の当たらぬ部分は黒にも見える、紺青色の髪。櫛を通していないのかややごわつき、毛先が少し跳ねている。鋭い眼光をたたえた深海色の瞳は、見とれてしまうほど綺麗だった。

顔つきは整ってはいるが、どこか冷たい印象を受け、人を寄せ付けない空気を纏っている。

青年が口を開こうとしないので、それを肯定と受け止めて、リーネは言葉を続けた。


「あ、あのっ……私と、と、取引……そう! 取引しませんかっ⁉」


「取引……だと?」


ようやく口を開いた青年——エーヴァルトだったが、表情は厳しいものに変わった。

エーヴァルトの発する威圧的な空気に、リーネは手に汗を握りながら、まっすぐ彼を見下ろした。

彼がここにいるということは、庭師親子の言った通り、儀式の護衛のためだろう。それ以外に説明がつかない。

とっさの思い付きだが、それ以上ないというほどの妙案が浮かんだのだ。


(私には律の記憶がある)


エーヴァルトには喉から手が出るほど欲しいものがあるのだ。その情報を、律は——リーネは知っている。その在処も、入手方法も。

だから、その情報と引き換えに、最悪の事態を回避できれば。

彼の冷ややかな瞳に、その威圧感に、小刻みに体が震えるが、気を強く持たねばと、目だけは逸らさないと密かに決意する。


「そう、です。エーヴァルトさんは、生贄の儀式の為にここにいるんですよね? 生贄の聖女の護衛をするために……逃がしてほしいんですっ! 私たちを! 姉が生贄なんです。お願いします!」


「見返りは?」


「……あなたが一番望んでいるものを差し出します」


いくらゲーム世界では主人公のひとりといっても、今のエーヴァルトは教会に雇われた護衛。

彼の仕事は、生贄の儀式の無事を見届けることだ。逃げ出そうとするリーネとは、いわば敵同士と言っても過言ではない。


リーネは、どんどん鋭くなるエーヴァルトの視線を全身で受け止める。

まるで刃物のようだが、ここで怯むわけにはいかない。

本当は背中を向けて逃げ出したいくらい怖いが、リーネには他に方法がないのだ。

それに、リーネはエーヴァルトの欲するものを与えることのできる唯一の人間なのだ。気を強く持たないと。


「俺の望むもの? なぜ、お前にそれがわかる?」


尚も疑い深い目を向けてくるエーヴァルトを、怯む心をひた隠しにして、負けじと見つめ返す。


「私、先読みの聖女です‼ しかも、ここにいるどの聖女よりも有能です‼」


先読みの聖女ということに偽りはないし、聖女たちの中で最も実力があるというのも真実だ。神官長からも一目置かれているほどなのだから。だが、取引で使う情報は先読みの力とは全く関係がない。はったりだ。


だが、エーヴァルトの表情がわずかに変化した。不遜な態度は崩れないが。


「ならば、言ってみろ。俺の望むものとやらを」


口元を歪め、試すようにリーネを見つめた。リーネは努めて真剣な表情で口を開く。背中にはびっしり汗をかいていた。


「エーヴァルトさんの一族が大切にしていた宝——蒼きリントヴルムの涙、ですよね?」


エーヴァルトはさっと表情を変えた。

目を見開き、信じられないものを見たというように、リーネを凝視する。

森に風が吹き抜けた。ふたりの髪を、さらりと揺らす。

今や、勝負は見えていた。エーヴァルトは明らかに動揺し、握っていた剣が小刻みに震えている。畳みかければ、こちらの勝ちだと緊張が最高潮に達する。


「なぜ……それを?」


「先読みの力です。私には、リントヴルムの涙がどこにあるのか、エーヴァルトさんにお教えすることができる。ここを出たら、すぐにでも手に入ります‼ だから、その代わりに、私たち姉妹を逃がしてくれませんか? 儀式が成功したということにしてもらって構いません。私たちが死んだことにしてください。そうすれば、エーヴァルトさんの信用的にも問題ありませんよね……?」


エーヴァルトは一瞬、目を伏せたが、すぐに顔を上げた。その顔は真剣そのものだ。


「お前が嘘をついていたら、俺が一方的に骨折り損になる。お前の言葉が嘘でないと、ここで証明できるか?」


リーネははっとし、思わず目を逸らすと、視線を泳がせる。

確かに、蒼きリントヴルムの涙の在処をリーネは知っている。その入手方法も。律が、エーヴァルトを主役にしてプレイした時に、それを手に入れたのだから。

けれど——

その場所を、入手方法を教えたところで、それを真実だと証明する手立てがないのだ。


リーネには、言葉しかない。言葉で真摯に語るしか方法がないのだ。

でもそれはあまりにも、取引材料としては弱すぎる。

それに、今自分は嘘をついた。

すぐになど、手に入らないのだ。

それでも、こうでも言わなければ、取引してもらえない。

言葉に窮していると、エーヴァルトが不敵な笑みを浮かべた。

リーネはさっと胸の内に暗い影が差すのを感じた。エーヴァルトはリーネの言葉を信じるに値しないと結論づけたのだ。交渉は決裂。足元から崩れ落ちそうになったリーネに、しかし、エーヴァルトが口にしたのは意外な言葉だった。


「証明する方法がひとつある」


「え?」


「血の誓約を交すことだ」


その瞬間、まるで図ったように大きな黒い鳥が、耳をつんざくような大きな声を発しながら、頭上の枝から飛び去った。ばさばさと大きな羽音も響かせて。


(——血の誓約?)


突然の鳥の退場に、胸をドキドキさせながら、明らかに不穏な気配を漂わせた言葉を反芻する。リーネが表情を強張らせたのを見てとったのか、エーヴァルトは面白そうに目を細めた。


「どうする? 交わすか? 俺と、血の誓約を」


言って、彼は剣を手にしたまま、立ち上がった。

リーネが見上げるほどの長身で、神官たちの誰よりも逞しい。威圧感のある体躯が立ちはだかり、思わず一歩後ずさる。

素直に怖いと感じた。さすが傭兵を生業にしていただけはある。可愛いドット絵姿や、すらりとした美男子に描かれたイラストとは趣が全く違う。それでも、顔が綺麗なだけが救いだ。


「姉の命を助けてほしいんだろ? 誓約を交せば、俺はお前を信じよう」


エーヴァルトは一歩足を踏み出した。

そのとき、タイミングよく鐘の音が鳴り響いた。

鐘楼の鐘だ。

リーネは数歩先に立つエーヴァルトから目を逸らし、大聖堂の方角へ振り返る。

午後開始の予鈴の鐘だ。

すっかり忘れていたが、今日の午後は図書室の整理を割り当てられていたのだ。司書の神官は時間にうるさい、几帳面な若者で、遅れようものなら、ねちねち説教という名の嫌味を言ってくるのだ。

リーネがいるこの場所は、森の奥深くにあり、建物群から一刻はある。急いで戻らないと、仕事開始時間に間に合わない。

 

だが、まだエーヴァルトとの話が済んでいないのだ。

大事なのは、レーナの命。この取引を無事整えること。

その思うのに、習慣というのは怖ろしい。時間が気になって仕方がない。

焦る気持ちを抱えながら、エーヴァルトに視線を戻すと、彼は目を細め、天を仰ぐように顔を上げていたが、鐘の音がおさまると、顔を戻し、短く息を吐いた。そして、まっすぐリーネを見つめる。


「今夜ここへ来い。覚悟を決めてな」


太い腕をマントを払うようにして出すと、その武骨な手を、まるで犬でも追い払うように動かす。


「去れ」


一瞬躊躇したものの、エーヴァルトがこちらに興味を失ったように元の位置に座り込むのを見、リーネは軽く目礼してから、時間に急き立てられるように、踵を返して森を駆け出した。

一度だけ振り返ると、エーヴァルトは木の根元に凭れ、再び瞼を閉じていた。


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