猫
みぃ、とその猫は鳴いた。
左耳に茶色、右目に黒をまとった、三毛猫だった。可愛らしいが、内心では何かを値踏みするような表情でこちらを見つめていた。なぜか、その顔には覚えがあった。
その子に興味があるの、
と、ふと、声が降ってきた。見上げると、黒い髪を肩で切り下した、若い少女が立っていた。口元に微笑を浮かべた、美しい少女だった。
気が合うのね。この子も貴方に興味があるみたい。
少女が猫の顎を撫でると、猫は心底嬉しそうに目を細めた。まるで、それ以上の幸福など無いという程、うっとりとした表情だった。少女はこちらに顔を向けた。
随分、疲れているのね、
と、まるでこちらの状況を見透かされているようだった。
次の日も、黒猫が軽快に建物の上を跳び回っていた。彼は痩せ細った体躯で、その切れ長の目でこちらを睨んだ。でも、すぐにまた次の建物に飛び移り、こちらのことなど気にも留めずに跳ね回っていた。どこかその様子には違和感を覚えた。
あんな風になるまでには、少し時間がかかったの。
そうだろうな、と納得だった。少女は猫に手をかざした。
最初は戸惑うけど、でもすぐ慣れるよ、なんでもね。
少女の足元には、体の小さな猫や眼の潰れた猫が甘えるように擦り寄っていた。少女は猫達のことをよく知っているようだった。
貴方もこの子たちと仲良くなりたいのね
そう言われて、自分がずっと猫のことばかりを考えていることに気が付いた。
その日は、丸々太った虎猫が、ゴミ捨て場のスクラップの上を占領していた。周りの猫達は、彼を遠巻きに見つめていた。その横暴さとは裏腹に、彼の瞳には、悲しみの色が有った。その光景には、どこか既視感を感じた。
やめなさい、
と、彼女が現れて言った。その瞬間、猫達はいがみ合うのを止め、一目散に彼女の元へと駆け寄った。彼女は猫達の餌を足元に置くと、一匹一匹を丁寧に撫でた。彼女を取り囲む何十匹もの猫は、本当に幸せそうだった。
さあ、貴方も食べなさい。
彼女がこちらに向けてそう言った。
猫はいいよ、何も考える必要なんてないの。
彼女は微笑み、こちらに向かった。
為すべき課題、周りからの重圧、人との交わり、
そんなものは忘れていいの。
彼女の掌が、顔に向けて伸びてきた。
だから貴方も、私の「猫」にならない、
と、彼女に顎を撫でられた。とても心地よくて、彼女の掌に、顔を摺り寄せた。
その時初めて、自分が「猫」になっていたのだと、気が付いたのだ。
彼女の手を舐めると温かく、非常に柔らかかった。
頭を撫でられて、彼女に連なる猫達の最後尾へ加わると、華奢な彼女の後姿の向こうに、朝日が昇るのを見た。
五月の半ば、連日の行方不明者が後を絶たないその町では、大勢の猫を連れた、一人の少女が目撃されている。