14話 忘却世界とリビングデッド
今回は全体がだいぶ長くなりましたが、何卒お付き合いください
夕と夜の境目、河川敷の土手にある分かれ道、一人の少女が首から血を流して倒れていた。そして倒れている少女の首についたかみ跡からは、鏡のひび割れたような模様が体の先へ向かって浸食を続けていた。状況は怪異じみて常軌を逸している。そしてその状況に少女を襲った犯人、少女から少し離れたところで蹲った星野キョウヤは打ちのめされていた。
そんな中、うつむいた彼の視界に黒い人影が現れる。本来ならキョウヤの鏡像が映る場所に居座り、独自の自我を持つ黒い怪物だ。今や残骸にすら見える少女の周りにできた血だまりから、慰めるようにキョウヤに声をかけていた。
『まあ、今のは悲しい事故だったよ』
怪物はさも人影の理解者であるような口調で、言葉を発さない彼に話を続ける。
『お前は病院での事を忘れていたのだろう?だから仕方がなかった』
赤い怪物の表情は貼りついたように変わらない。それを見た黒い怪物の言葉からお世辞はこれまでとばかりに甘ったるい口調が失われる。
『しかしこの一件でわかっただろ? お前も今や怪物なのだ。魂の在り方に精神が引っ張られるのは道理なのだ』
その言葉に、沈黙を貫くキョウヤの中で恐怖の感情が首をもたげる。恐怖心は彼の意識にしがみつくように大きさを増し、彼の表情を歪ませた。
すると、それを見た黒色の口から何かが吐き出された。赤色がよく見るとそれは、結晶であった。鏡像によれば自身の一部が入っているらしい。色は血のように変色しているが、結晶の中に刻まれた模様は先ほど彼が確認したものと同じであった。
『――さて、この結晶だがやはりオレの記憶が封じられていた。よみがえった記憶によればこれは「宿装」という装置だ。そしてこの中にはオレの体とあるものが封じられていた』
宿装と呼ばれた結晶の中から2つ、赤い光と白い墨汁を垂らしたような煙が飛び出してきた。そのうち白煙は黒色の中に入っていった。そして残された赤い光に、キョウヤは自分の心臓が高鳴るような感覚を覚える。
「まさか……」
『そう、これは元々の、人間としてのお前の魂だ』
赤い怪物はその一言を聞くや否や血だまりの中に見えるその光へ、我を忘れたように手を伸ばそうとする。しかし血だまりに延びるその手が光に届くことはなく、その手をさらに血に染めるばかりであった。
『落ち着け。話はまだ続きがあるぞ』
鏡像は暴れる半身の体を操り、血だまりを必死にまさぐる手を止めさせた。
『いいか、お前の魂はオレの体と同様に、ほかの宿装にバラバラに取り込まれている。宿装はこれを含め合計で二八個、すべてから魂の欠片を回収すれば、お前は人間として復活できる』
キョウヤは唾をのみ、深呼吸してから言葉を発する。
「それで、お前は何がしたいんだ?」
『契約だ。もう一度、お前の意思確認がしたい』
鏡の中の悪霊は、一段と真面目な声色で言葉を続けた。
『宿装の回収を手伝ってほしい。オレは自分の体を取り戻したい。協力するなら、宿装に宿ったお前の魂はすべて無条件で返そう』
「じゃあ、戻れるのか? 人間に?」
『そうだ』
「……確証は?」
『情報のか? なら今お前が感じただろう感覚が答えだ』
見つけた、彼に走った感覚を一言で表すとそれだった。悪霊、もしくは、蘇った死者という怪物としての感覚は今の一連の内容が正しいことを彼に伝えていた。そしてそのことを踏まえ、彼は自分がどうしたいのかを考えた。
戻りたい
結論はそれだった。前に鏡像に対して言ったように、変質してしまった自身の在り方は周囲に被害をもたらす可能性がある。それは何としても避けたい。
しかしそれ以上に、そこにはただどうしようもない心の叫びがあった。急にあなたは怪物になりましたなどと言われて納得できるわけがない。今起きている出来事にだって、まだどことなく現実離れした感覚がある。だから戻りたい。事故より前に、鏡に当たり前に己の姿が映って、自ら自身のことを疑わなくていい自分に戻りたい。このまま訳もわからず死にたくない。目の前に映る鏡像が何であるかなどは知りようもなく、その心の内も知るすべはない。だがそれでも、可能性があるのなら、目の前に映る怪物の言葉には信じてみる価値がある。
「わかった、協力する。でもだましてたらただじゃおかないからな」
その言葉に鏡像はニヤリと深い笑みを浮かべた。
そしてふいと赤い光が鏡の中を飛び出し、キョウヤの胸のあたりに飛び込んだ。すると彼は悪霊としての満腹感とはまた違う温みのような満足感を感じ取った。
『よし! 契約成立だな、ではまずここを脱出するぞ』
現在、二人は「結界」なるモノにより人のいない町に隔離されている。そしてそれを作ったのは彼らの目の前で倒れている少女である。
「で、どうやって脱出するんだ?」
『この女を殺せ。こいつが死ねば、術者がいなくなり霊力が霧散して結界は勝手に消える』
その言葉を聞き、キョウヤは少女の方を向いた。血を流してピクリとも動かないでいた少女だが、なんとかろうじてまだ息をしていた。彼が少女と最初に話した時、少女は自身を「祓士」という、一種のゴーストバスターのような存在であると語っていた。人間を襲う悪霊と対峙し、祓う。そんな危険な事を行っている彼女もまたどこか人間離れした部分があるのか、明らかに致死量の出血に関わらず、まだ生きていた。
鏡像によれば彼女が死んだ場合、結界は自動的に消滅する。しかしこれは、裏を返せば彼女が生きている限り結界は消えない、ということも意味していた。つまり、いま結界から脱出するためには、彼女は邪魔だった。
『……どうした? なぜ動かない?』
「いや、だって、こいつまだ生きて」
『そうだな、生きている。だから殺すのだ』
するとまた動かなくなった己の実像に、鏡像は再びいら立ったような素振りを見せる。
『こちらに手段を選んでいる余裕はないぞ。それにこちらが行動するのにお前の顔を見ているこの女は都合が悪い』
「でも、竜骨さえ返せばいいことじゃないか」
鏡像は口からまた何かを取り出した。取り出された物は少女から「竜骨」と呼ばれていた短剣である。祓士として、彼女はこの短剣の回収を目標として行動していた。そして彼らが囚われている結界を貼ったのも、本来はその目標のためであった。
『だが祓士が死ねば竜骨の所在を知るのはオレ達だけだ。コレは今後の切り札に成り得る』
キョウヤが経験した三回の戦闘において、事実として竜骨の存在はその戦況を大きく変えていた。最初の二回の結果には彼自身の記憶が失われていたことも関与しているが、それでもその価値は疑いようがなかった。そして、それゆえに鏡像の言葉は彼にとってある種の正当性を持ったものとして消化された。
「でも、それでも……」
『「それは正しくない」と、そう言いたいのか?』
話の続きを当てられ、驚いたキョウヤは黙ってしまう。
『倫理的にはその通りだ。だが、お前の守ろうとしている「正しい」は、果たして今のお前を守ってくれるのか?』
呼吸の荒くなるキョウヤを、悪霊は冷静に言葉で追い詰めていく。
『そんな訳ないよなあ? そもそもオレ達は世界の理から外れた存在、異分子だ。ゾンビに基本的人権が適用されると思うか?』
「……そうだな」
『そう、異分子であるオレ達に「正しい」が求めるのはつまりオレ達の消滅だろう。それはお前の望む所か?』
「違う」
『だろう?』
悪霊は表情の固まった半身に、にやりと笑いかける。
『こいつは殺した方が得だ。そしてお前の情報の秘匿を鑑みればむしろ脅威にすらなり得る。お前は一時だけ非情に徹するのと恒久的に人間に戻れる可能性を下げることのどちらがより恐ろしい?』
――つまり今、自分と祓士の間に存在するのは明確な利害の対立関係だ。こいつは俺が人間に戻るためには邪魔な、恐ろしい存在なんだ。
キョウヤの口元がわずかに緩み、その顔にひびが入る。
『そうだ、自分にとって邪魔なモノを排除するのは、人間だって誰しもやることだ。なぜお前だけがためらう必要がある?』
怪物の口元は大きく緩み、口角は上がり、表情は完全に笑顔の時にするそれに変わる。
――何てことはない、ただ目の前で寝ているジャマモノを殺して、すべては悪い夢と忘れればいい。これはただ路にある小石を蹴ってどけるようなものだ。そしていつも通り家に帰るんだ。人間も怪物も本質的にはきっとそんなに変わらない。
ああ、なんだ、こんな簡単な事だったのか。
うずくまっていた怪物は立ち上がり、血だまりの上を一歩一歩進んでいく。そしてその歩みは倒れた人間の元にたどり着いた。下を見た時、己の鏡像と目が合った。それは笑っていた。きっと今は自分も笑顔を浮かべているのだろう。いつぶりだろうか、彼はその鏡に映る姿を自らの一部であると感じられていた。
だからなのか、彼の中にふいとまた違和感が現れる。両手を動かし、己の手のひらを眺めると、それは黒ずんだ赤い血に濡れていた。
「やっぱりダメだ!」
その叫びに悪霊は面食らったような顔になる。
『何故だ?』
「これこそまんま怪物じゃないか! 人を殺して人間に戻っても、きっと今度は自分の姿が自分に見えなくなる、そんなの嫌だ!」
キョウヤはそのまま地面に膝をついた。
『……ガキみたいなワガママを垂らすな!』
鏡像はその声に怒気がまざり、これまでとは打って変わって感情のままに怒り狂う。
『ちょっとコッチが下手に出れば調子に乗りやがって! 大体お前どうやってこの死に損ないを助けるつもりだ!?』
「くっ……」
実際、少女に回復の気配はなく、その顔色はどんどん蒼白くなっていっていた。そして医療に関する専門的な知識に暗く、奇跡の一手も持ち合わせていないキョウヤはこの状況に対してあまりにも無力であった。
『お前も人間に戻れるって言ってるだろう? お前はオレの言うことを聞いてればいいんだよ!』
キョウヤがその圧にたじろぎ自らの服の裾をつかんだ時、あることに気が付いた。本来彼の服はズタズタに切り裂かれていたのだが、それがどういうわけか直っていたのだ。悪霊になってから彼の傷はたちまちの内に治っていたが、服までは修復されていなかった。そこでキョウヤの中にある仮説が生じた。
そして、キョウヤは自身の耳の奥にざわめきを感じた。それは最初に異界に放り込まれた時と同じものだった。
(まさか……)
仮説が一つの確信に変わる。最後の可能性にかけて、彼は祈るようにその目を閉じた。
『あ? やっとわかったか? じゃあトットとコイツを……を?』
コイツを殺せ、そう言いかけた鏡像の口の中に緑色の光の帯が入りこんできた。光は鏡の向こうにいる者の胸部から伸びてきていた。
『お前、まさか!?』
光の正体ともう一人の彼の狙いに気づいた悪霊はとっさに自らの口を閉じる。だがキョウヤは拳を握りしめると己の鏡像の顔に向かって力の限りに振り下ろした。今度はその手は血だまりを抜け、鏡の向こうにいる己のもう一方へと届く。正に鏡写しの如く、キョウヤもまた鏡から飛び出した己が半身の拳を受ける。しかしそれに構わず、頬の辺りを殴られて開いた怪物の口に手を突っ込む。そしてそのまま彼に残された最後の可能性、竜骨をその手に取った。
するとキョウヤの頭の中にイメージが伝わった。彼はそれに従い竜骨を少女の手に持たせた。途中、鏡像は何度も妨害のために彼の体を操ろうとしたがそれは何かに阻まれて叶わなかった。
少女の手に握られた短剣は夜の暗闇の中で淡い光を放ち、その体に刻まれた傷を癒し、血色を元に戻していく。
一方その頃、竜骨を奪われた鏡像は意気消沈し、うなだれていた。
『畜生、自殺行為だ』
実際、これからのことを考えれば鏡像の言うことが正しく、自身の行動はただのワガママに過ぎないのだろう。そう考えて、キョウヤは「先に巻き込まれてるのはコッチだよ」 というボヤキを飲み込んで自分の半身に語り掛ける。
「ごめんな、でも人間としての考え方は忘れたくないんだ」
『そうかよ』
鏡像はぶっきらぼうに返す。
『あと、そのままだとソイツ治らないぞ?』
「え?」
『お前が原因だ』
「どういうことだ?」
『悪霊は魂を餌食にしている。さっきお前がソイツを食ったのだから、体はいくら治せても魂自体はお前に囚われたままだ』
キョウヤは少女に近づいて様子を確認する。傷はもう治っていたが、なんと全身に延びていたひび割れがそのままになっていた。
「どうればいいんだ?」
その独り言に鏡像は何かを考え込んだ後、急にいやらしい笑みを浮かべた。
『何とかできんでもないぞ』
唐突に協力的になった半身に不安を覚えるキョウヤをよそに、鏡像は大口を開くと巨大な何かを吐き出した。
そうして血だまりから現れたのは黒い鉄らしきものの塊である。形状は唾こそないが日本刀が一番近く、しかしその黒い刀身に当たる部分の一部には赤いクリスタルのようなものがはまっている。全体的には刀の体を成した切れ味のよさそうな鉄塊という代物であった。脳内が疑問符で埋め尽くされたキョウヤに悪霊は淡々と目の前の鉄塊の説明を始めた。
『「宿装」だ。それぞれが特定の二十八宿の名を冠し、それに関連した能力を持つ。で、こいつの名は「婁宿」、生贄にまつわる力を持っている』
「それで、これでどうしろと?」
『切腹。まあ持ってみろ』
体を操られて婁宿を手に持つ。同時に、彼は自身の腹のあたりに掌サイズの黒い球体が、腹にめり込むようにして浮かんでいることに気づいた。
『その球は霊体の、可視化された霊的な弱点だ。婁宿はそれに接触した対象の霊的構造を任意に操作できる。その能力で、オレ達からコイツの魂を引きはがすぞ』
「つまり、これで腹を突き刺せと?」
『お前は死ぬほどきついが、そうだ』
苦虫をかみつぶしたような顔になりながらも、キョウヤはシャツをまくり上げる。そして、切っ先が黒点に合うように婁宿を構えた。しかし自分に刃を向けることに対する恐怖感で、どうしても鉄塊を持つその手は震えて狙いが定まらない。
そんな半身の様を見ていた鏡像はため息をついた。
『やめたらぁ? 別に頼まれたわけでもないだろう?』
何とか言い返そうと、恰好つけて言葉を紡ぐ。
「今更やめられるかよ。それに、少しでも人殺しを「良い」なんて思った自分にはけじめをつけとかないと」
『……お前に問う。怪物は死ぬべきか?』
鏡像は急に、まるで歌劇の主役のように語る。しかしその口調に嫌味な意図は存在せず、キョウヤにはそれがまるで己の心に仮面をつけて律しているかのように感じられた。
『怪物とは忘れ去られた何かの成れの果てだ。閉口された悲劇が、消え去った在り方が、見つけられなかった心が、しかしそれでも消えられなくて顕れる』
言葉の意図は理解できない。しかしキョウヤは刀を構えたまま黙って耳を傾け続ける。
『そして世界はいずれ全てを忘れる。今日のお前の行いなど誰も知らず、お前自身もいずれ消えるように。ならば怪物を生み出すものとは、世界そのものだ』
「……」
『教えてくれ、「蘇った死者」よ。ただ世界にそうと忘れ去られただけの我々は、それでも消えていかなければいけないのか?』
――正直言って何が言いたいのかは理解できない。しかし一つだけ汲み取れた気がする。こいつは多分俺のことを心配してこれを言っている。こいつは俺のことを自分に近い存在として話している。きっとここまでもそうだったのだろう。
こいつは間違いなく怪物だが、それでも、きっとそれがすべてではないんだ。
「わからないよ。でも、ありがとう。ちょっと怖いのがましになった」
『そうかよ』
刀の震えは完全に止まり、自殺志願者は持ち手にもう一つ手が加わったような感じを覚えた。
そして夜の闇の中に、声にならない悲鳴が木霊した。少女の体を覆っていたひびは消え、その魂はあるべき場所へと戻った。
その後、少女を自宅のソファに眠らせ、想定以上に悲惨な事になったキョウヤの衣服、そして血だまりの処分が行われた。鏡像の勧めにより証拠品に成り得るそれらは清掃の後、清掃用具ごと川に投げ捨てられ、廃棄された。そして部屋内にあった元の物と同一の服に着替えたのち、計ったかのように祓士の少女は無事に目覚めた。竜骨を取り戻した祓士は結界を解き、帰還することとなった。
悪霊はなんか爆発した、キョウヤがそう祓士に伝えたところ事件についてそれ以上の追及はとくになかった。何かが彼女の中でつながったらしい。
「ねえ、本当に怪我とかしてない?」
「大丈夫、ノープロブレム」
「そう、じゃああと5分で結界が解けるから、車にひかれないようにどこか隅っこにいてね」
「了解です」
「今日は本当にいろいろありがとう。それから巻き込んでしまって本当にごめんなさい」
深々と頭を下げると、疲れきった様子の彼女は去っていった。
宣言通りに5分後、水の滴るような音の後に世界が喧騒を取り戻した。
そして彼は玄関の鍵を開けて我が家へと帰る。玄関を開けるや否や彼の家族が駆け寄ってきた。
「キョウヤ、お前もう今10時だぞ!? 今警察に通報しようと……というかなんで服を着てないんだ?」
キョウヤが下を見ると、確かにさっきまで着ていた服がない。家族の前には傷一つついていない裸体がさらされていた。彼は声にならない声で悪霊に問いかける。
「おい、これどうなってる」
『あー、あの服は結界の中にあったもの、つまりは生成された偽物だ。だから結界が消滅した時に一緒に消えたのだろうな』
「ねえその話聞いてないんだけど」
『しょうもないことだから忘れていた』
「お前のせいでとんでもない怪物が生まれたぞ、どうすんだよ」
キョウヤが横をちらと見ると、家族たちは心配そうに彼の方を見つめていた。
「いや、あの……犬。そう、散歩中に見つけた子犬を追いかけてたんだ。そしたら親犬に出くわしてさ、ソイツに服をはぎとられちゃったんだよね」
かくして彼の一日は「謎の巨大犬と全裸の決戦」という珍奇な物語へと消化された。そして彼は一旦、日常へと帰っていく。やっと彼の長い一日は終わりを告げたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
今後も二人の物語をぽつぽつと上げていきたいと思いますのでよろしければこの物語の感想・評価の方をぜひともよろしくお願いします。




