第二王子からの溺愛に気づいていない幽閉聖女は追放されたい
◆
自由になりたい、と聖女フルールは願ってやまない。
「塔から追放されたわたしは、ここではない国で普通の人間として自由に暮らすの。野菜を育てたり、川で魚を釣ったりして」
「ありえない。君が塔の外へ出たら何が起きるか分かっているだろう?」
神官服に身を包んだ青髪の男性は、苦虫を噛み潰したような表情になった。
「最後まで聞いてちょうだい。話には続きがあるの」
「……聞くだけ聞こう」
「無能だという烙印を押されて追放された勇者の物語が、今、国民の間で流行っているんでしょう。わたしもそうやって追放されたりしないかしら、って想像してみただけ」
「追放されることは永久にない。君はまさしくこの国の聖女だ」
フルールは子どものように頬を膨らませた。
波打つ金髪、澄んだ青い瞳、透き通った白い肌。
グレーパープルのふんわりとしたワンピースから覗く手足は細く、17歳という年齢よりはるかに幼く見える。
そんな彼女は美しい容姿だけではなく、巨大な魔力を有していた。
『間もなくこの王国に聖女が誕生する。彼女の魔力を保護することにより、王国にますます繁栄がもたらされるであろう』
――それは17年前、神官が受けた神託。
王国の外れで生まれたフルールはすぐさま見つけられ、そのときから王家の庇護を受けて育ってきた。
王城内に建つ、白い塔。
聖女フルールはその最上階で暮らしている。
必要なものはすべて塔内に運ばれて、彼女が外へ出ることは決してない。
「君にそんな話を吹き込んだのは誰だ」
「シェフよ。あのひと、お話がとても上手なの」
「……あいつか」
国民は聖女の姿をあれやこれやと想像している、とアレクサンドルはフルールに語ったことがある。
反対に、フルールは塔の外へ行くことを日々想像しているのだ。
「昔はまだ力の制御がうまくできなかったのよ。もう今なら王国じゅうに大雨を降らせて、いたるところを水没させたりなんかしないわ」
「信用できない」
宝石のように深く輝く黒い瞳、すっと通った鼻梁。少しだけ骨ばった顔の輪郭。
美丈夫とも称えられるこの神官の名は、アレクサンドル・ドゥ・ラ・テーラ=コンティナン。この国の第二王子であり、次期神官長とも噂されている。
すらりと伸びた背と引き締まった体躯は、神官よりも騎士向きだと国民は口を揃えて言う。
フルールとアレクサンドルは同じ年に生まれ、同じ家庭教師の下で学んできた。
つまりは旧知の仲、幼なじみでもある。
アレクサンドルは容赦なく言葉を続けた。
「今の君がうまく力を制御できていると考えているのは、この塔のおかげだ。この塔は君の巨大な魔力を制御してもいる。ひとたび君が外へ出てしまえば、今度こそ王国は滅びの危機だ」
「ちょっと待って。わたしは聖女なの? それとも、魔王なの?」
「聖女だ。この王国になくてはならない、守りの存在」
言いたいことはそれだけか? と、アレクサンドルは静かに吐き捨てて去って行った。
(……アレクのいじわる)
フルールは溜め息を吐き出して、床に仰向けになって寝転んだ。
(聖女じゃなかったら、アレクと出逢うこともなかっただろうけれど。聖女だから、わたしがアレクに恋することは許されない。夫婦になりたくても、絶対に、なれない)
フルールにとって、アレクサンドルは出逢ったときから片想いの相手。
アレクサンドルの恋人に、夫婦になりたい。
それが叶わないのであれば、彼のいない場所に行きたい。
アレクサンドルは神官である前にこの国の第二王子。
尋ねたことがなくても婚約者は決まっていることくらい、分かっている。
それが、近頃のフルールの悩みなのだった。
◆
慌ただしい光景を窓から見下ろしながら、フルールは息を吐き出した。
「もう国王様の誕生祭の時期なのね」
ひとりごとは爽やかな風に吹き流されていく。
毎年盛大に催される国王の誕生祭に向けて、城の内外にかかわらず賑わっていることが伝わってくる。
第二王子であるアレクサンドルも例外ではなく、ここ数日は塔に来ていなかった。
「暇だわ。ものすごく、暇」
「そうだと思って仕事を持ってきた」
「アレク!?」
フルールは待ち望んだ声に一気に表情を明るくした。
そして、彼の出で立ちを見て、緊張をごまかすようにわざとらしく両腕を組んだ。
「……ずいぶんと珍しい恰好ね」
「だろう」
今日のアレクサンドルは神官服ではなく、王子の執務服を着ている。
上着は、黒地に金の刺繍。ローブではなく、張りのあるズボン。
普段下ろしている前髪を後ろへ流して整髪料で整えていると、きりりとした眉のかたちが露わになっている。
(うぅ……まるで別人みたいで緊張する……)
しかし、はやる心は抑えられない。
フルールは部屋の入り口まで走って行き、アレクサンドルに近づく。
彼は大きな木箱を抱えていた。
「いったい、何かしら?」
アレクサンドルはフルールの目線に合わせて両腕を下げた。
中には透明なキューブがたくさん入っていた。
ガラスのようなクリスタルのような素材でできた立方体は、フルールの手でも包み込める小ささだ。
木箱を覗き込んだフルールは、中身を確認してからアレクサンドルを見上げる。
「チャーム?」
「そうだ。父上の誕生祭の催しのひとつで、くじ引きで国民に配布する。聖女の力が込められている幸運のチャームを」
フルールはキューブのひとつを手に取ってみた。
握りしめて力を注ぐイメージを伝えると、透明だったキューブは虹色に輝いた。
「いい出来だ」
受け取ったアレクサンドルが頷く。
「楽しいわ、これ。やってみる!」
「やる気になってもらえて安心した。万が一そんなことやってられないと匙を投げられようものなら、神殿へ企画を通すのに時間を要した作業が水の泡だからな」
「……もしかして、わたしのために?」
「勘違いするな。君が自由になりたいと繰り返すのは、暇を持て余しているからだという私の判断だ」
アレクサンドルは少しも表情を変えない。
(いつも、そう。わたしのためになることを考えてくれる。決して認めようとはしないけれど……)
アレクサンドルの名を汚す訳にはいかない。
フルールは、胸を張って宣言する。
「聖女人生始まって以来の大仕事だもの。皆に喜んでもらえるよう、がんばるわ!」
◆
――その数日後。
「すごいな。もうできたのか」
箱いっぱいの虹色に変化したキューブを見た、神官アレクサンドルの第一声である。
キューブはどれも美しい煌めきを放っている。
「ひとつずつ心を込めて仕上げたわ。誰かのために祈る、すごく楽しい仕事だった。受け取った人には神の加護があるわ」
「よくやってくれた。ありがとう」
ぽん、とアレクサンドルがフルールの頭に手を置いた。
反射的にフルールの頬は朱に染まる。
「ち、ちょっと、いきなり何!? 子ども扱いしないでよ」
アレクサンドルは、フルールが大声を上げたことに面食らったようだった。
半歩後ずさり、両手を僅かに挙げる。
「すまない。しかし、そんな風に声を荒らげなくてもいいだろう」
「……別に、いいけど」
(だって、こんなに身長差があることに今更気づいたんだもの)
フルールは言葉を、本音を飲み込んだ。
(それに、あんなに大きな手のひらだったなんて……)
「しかし、顔が真っ赤だ。熱でもあるのでは? 医者を呼ぼうか」
「大丈夫。大丈夫だから!」
(わたしばかり動転しちゃってばかみたい)
フルールは首を左右に振って、頬を両手で叩いた。
それから、大きく深呼吸。
平静を取り戻したフルールは、アレクサンドルへ満面の笑みを向けた。
「楽しい仕事をありがとう、アレク」
◆
フルールが参加することは叶わずとも、国王の誕生祭は今年も成功を収めたようだった。
賑やかな声を音楽代わりに、フルールは歴史書を読んでいた。
幽閉された彼女にとって読書や裁縫は数少ない楽しみのひとつなのだ。
「ごきげんよう、麗しの聖女殿」
ちょうど1冊読み終わったところで、王子アレクサンドルが訪ねてきた。
フルールは大きく瞬きをする。
「驚いた。あなたにもそんな話し方ができたのね」
「それは、先ほどまでそういう話し方をしていたからだ」
「なるほど」
(つまり、王子のときは王子らしい話し方をしているってこと?)
敢えて尋ねないことにして、フルールはアレクサンドルに向き合った。
すると、アレクサンドルは小さく咳払いをする。
それからすっとグローブを嵌めたままの左手を差し出してきた。
「?」
「『先ほど』の続きで、1曲どうだ?」
「……家庭教師から、ダンスは教わらなかったわ」
「大丈夫だ。私は教えるのも上手だから」
「じゃあ、お願いするわ。優秀な先生」
(どうしよう。アレクと、ダンス!?)
平静を装ってはいるものの、フルールの頭は混乱していた。
なんとかすまし顔を保ってアレクサンドルの手に重ねる。
「曲がなくても、踊れるものなの?」
「基本はステップの繰り返しだ」
引き寄せられ、密着した状態で、アレクサンドルはフルールを導く。
1、2、3。
1、2、3……。
緊張もあってぎこちなかったステップも、やがて、滑らかになっていった。
「飲み込みが早いな」
「優秀な先生が教えてくれているからよ」
「生徒も優秀なんだろう」
踊りながら話せる余裕が出てきた頃合いに、アレクサンドルは話題を変えた。
「誕生祭はここ数年で最大の賑わいを見せた。君のチャームのおかげだ」
「それはよかったわ! またチャームが必要になったら言ってちょうだい。誰かのために祈ってこそ、聖女だもの」
「そうだな。君は、立派な聖女だ」
(アレクに褒められた。うれしい……)
フルールは、いろいろな意味で幸せを噛みしめる。
……やがて、ダンスは緩やかに終わりを迎える。
ふたりの手と体は離れ、夢見心地だったフルールは現実に引き戻されるのを感じていた。
(……楽しかった。最初は恥ずかしかったけれど、馴れてきたら、もっともっと踊りたく……アレクに触れていたくなって……)
一方、表情を変えないアレクサンドル。
彼は懐から何かを取り出した。
促されるままにフルールが両手を広げると、その上に置かれたのは淡く水色に光る小石だった。
「受け取ってくれ。これは、幼い国民から君へのお礼だ」
「……え?」
フルールは小石を指先でつまむ。
チャームほどはいかなくても、きれいな光を放っていた。
「5、6歳くらいの少女が、自分の宝物をプレゼントしたいと託してくれた。瞳を輝かせて、聖女に感謝を伝えたいと」
「……わたしに……?!」
ぽろっ、とフルールの瞳から大粒の涙が零れた。
「うれしい。大事にするわ」
◆
それでも。
アレクサンドルを想えば想うほど、フルールは呟かずにはいられない。
「自由になりたいの」
「毎日毎日、飽きもせず」
アレクサンドルがぎろりとフルールを睨んだ。
視線がばちっと合う。
フルールは一瞬怯んだものの、さらに言葉を重ねた。
「アレクだってわたしのお守りは飽きたでしょう?」
すると、一瞬。
フルールでしか気づけないくらいの僅かな表情の変化が、アレクサンドルに生まれた。
それは『困惑』に他ならなかった。
基本的に無表情なアレクサンドルだが、些細な喜怒哀楽に気づけるのはフルールだけだった。そんな自負が、フルールにはあった。
だからこそ。
……ずきん。
フルールは胸に刺すような痛みを覚えて、うずくまった。
「どうした? どこか痛むのか?」
「大丈夫。放っておいてちょうだい……」
顔を上げてフルールは無理やり笑顔を作ろうとするものの、顔がこわばってしまう。
しばしの沈黙。普段は生じる軽口のたたき合いも、今は起きない。
アレクサンドルは何かを躊躇っていたが、しぶしぶ、その場から立ち去った。
「……」
ぽたり。床を濡らすのは、フルールの涙だった。
(アレクは、優しい。あのときだって)
今度は横向きになり、瞳を閉じる。
思い出すのは、幼い頃の記憶。
――フルールとアレクサンドルが10歳の頃だった。
外の世界を見てみたいと願ったフルールを、アレクサンドルは塔の外へ連れ出した。それは幼さでもあり、彼の気遣いでもあった。
その結果、フルールの力が王国へ大雨をもたらしたのだが。
もちろん、原因がフルールだということは今もなお伏せられている。
(そういえばあのときから、アレクは神官を目指したんだ……)
アレクサンドルは、責任を感じているのだろう。
王子として。
聖女に対して。国民に対して。
(わたしがアレクの人生を狂わせてしまった)
「好きな人の人生をめちゃくちゃにしておいて、聖女でもなんでもないじゃない」
「……何をぶつぶつ言ってるんだ」
「ひゃっ!?」
すると立ち去ったはずのアレクサンドルが、扉の前に立っていた。
手には遮光の瓶を持っている。
驚きを隠せないフルールは真っ赤になり、口をぱくぱくとさせた。
「ままま、まさか、今のひとりごと、聞いて……?」
「痛み止めを貰ってきたんだが、必要はなさそうだな」
アレクサンドルはフルールに近づいて、一気に抱き寄せた。
……ダンスのときとは違う力強さと、熱を持って。
「アアア、アレク!?」
「この際だから言っておくが、俺が神官になる道を選んだのは――君のことを一番守れる場所にいたかったからだ」
(えっ!? そ、それはつまり……)
「出逢ったときから今でもずっと、俺は君が好きなんだ。俺とは違って喜怒哀楽が豊かなところも、苦手な勉強に一生懸命取り組むところも、いつもは賑やかなのに本を読んでいるときはまるで別人のように静かなところも。俺が落ち込んでいることに気づいてお気に入りの菓子をくれる優しいところも。聖女という使命を背負って生まれた君の助けになりたいというのが、俺の望みだ」
「ま、待って。心臓がもたない。いきなりどうしたの、アレク」
フルールはアレクサンドルを見上げると、ぷぅと頬を膨らませた。
若干涙目になりながら訴える。
「ずっとわたしに対して怒ってると思ってたわ」
「すまなかった。言わなければ分からないと、今、気づいた。それに、君に比べたら誰だって無表情だ」
(アレクのささいな表情の変化が分かるのはわたしだけだと思ってたのに……)
フルールは恐る恐る、アレクサンドルの背中に両手を回した。
熱がこもり、少し速くなった鼓動。
確かにそれはフルールへの感情を表していた。
「好きだ、フルール」
フルールは、そんなアレクサンドルの鼓動に自らも重ねて答える。
「わたしも、出逢ったときからアレクが好きよ!」
――やがて、フルールは己の魔力を制御して塔の外へ出られるようになり、聖女として、第二王子と婚姻を結ぶのだが。
それはまだまだ、先のお話――
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