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第9話 貧乏伯爵家の筋肉たち

 物凄く驚いた顔で見られたが、懇切丁寧に理由を告げると、公爵様もロバートも、なんだ……というように肩を下ろした。

 逃げられると思ったものらしいが、さすがの私でもここまで話を聞いて知らぬふりはしない。


 私はこの身一つで馬車から降ろされたのだ。

 さらに公爵様にとってもいきなり嫁を迎えたわけで、準備も整っていない。

 寝衣もなければ明日の着替えもないから、まずは最低限の荷物を取りに帰らねばならない。

 一度嫁入りしたら実家には帰さないという家もあると聞いたことがあったから、拘束されても困るし、命令権があれば安心ではあったのだが、結果として不要だったことにはほっとしている。


 実家に向かうと、父も兄二人も私が結婚したという知らせを受けて集まっていた。


「ジゼル! おまえ、結婚したというのは」

「本当ですわ、お父様。陛下には有無を言わさず国家権力で個人の意思など握りつぶされましたが、代わりに公爵様から援助を取り付けてまいりましたので安心してください」

「いや、超展開すぎて安心できない!」


 どういうこと?! と顔を青くして混乱する父の隣に長兄が歩みより、ふむ、と顎を撫でた。


「転んでもただでは起きないとはさすがジゼルだな。しかし、シークラント公爵といえば、結婚しても財産は渡さんだとか、実家への援助もしないだとか言っているのにどうやって?」

「誠心誠意お話ししたまでのことです。レイドお兄様もよく『まず話し合いが大事だ』と仰っているでしょう」


 いくら家族と言えど、公爵様が呪いによって犬になるだとか、私が命令できるだとか勝手には話せない。

 だから端的にそう言ったのだけれど、父も兄たちも思い切り引いていた。

 たぶん、「しっかり弱みを握っておきました」と聞こえたのに違いない。


「相変わらず怖いな、おまえは。身内でよかったと心から思う」


 父は私をなんだと思っているのだろうか。

 別にこれまで非人道的なことをしてきたつもりはないのだが。


「しかし、陛下は一体何をお考えなのか……。浅慮な方ではないはずだが」

「どのような意図があったにせよ、私も公爵様も意思をねじ伏せられたことに変わりはありません」


 問題は、誰のためか、というところだろう。

 黙って聞いていた次兄が、私の肩に大きな手をぽんと置く。いや、ぱしん、かな。痛い。


「さすがに俺も陛下には勝てんが、モラハラ旦那くらいだったら勝てる気がする。何か困ったらいつでも連絡しろよ!」

「ありがとうございます、ブランお兄様。とても心強いですわ」


 騎士団に勤める次兄は頼りがいがあるが、血の気が多すぎるから最終手段だ。

 ついでにモラハラではないと訂正したかったけれど、公爵様が自らを守るために流布したのだから、私が勝手に事実を漏らすのも違う。


「まあ、あれだな。何かあってからヤキをいれるより、最初にシメておいたほうがよかろう。なんなら、今から行っておくか?」


 長兄は眼鏡をかけた陰気な筋肉で、陽気な筋肉の次兄よりもよほど血の気が多い。

 騎士団に入っていないのは跡継ぎだからで、実は次兄より筋肉を纏っているのではないだろうか。

 何故食べるのにも困るような貧乏伯爵家に筋肉が揃っているのかというと、鶏を飼っていたからだと思う。

 毎日卵を産んでくれる優秀な鶏で、卵が食事のメインだった。

 その上、二人は私などよりよほど忙しく駆け回っていたから、どんどん筋肉がついていったのだろう。

 そんな二人に挟まれて、同じく駆け回っていたはずの父はひょろりとしている。

 私が痩せぎすなのは父の遺伝だ。


「今のところは結構ですわ、お兄様。ただ、教えていただきたいことがあります」

「なんだ?」

「言ってみろ」

「シメ方か?」


 三人揃ってやる気満々で話を聞いてくれるのはいいのだが、方向性が直っていない。


「ずっと考えているのです。どうしたら公爵様を心から愛することができるでしょうか」


 真実の愛とは何ですか、と聞くと、何故そんなことを聞くのかと理由を話さねばならなくなる。

 だからそう聞いたのだが、三人はとても悲しそうな、やりきれない顔をした。


「公爵夫人として努力をしようとするおまえは偉い。だが、無理に愛そうとしなくてもよいのだぞ。私も親同士が決めた結婚だったが、おまえたちのような子供に恵まれ、幸せな家庭を築くことができた。苦労をかけたことはすまないと思っているが……」

「お父様は――いえ、なんでもありません」


 お母様を心から愛していましたか? などと子供から聞かれて気まずくないわけがない。

 今話してくれたことがすべてであり、父から聞き出すことを諦めた私に、次兄はからりと笑った。


「大丈夫だ! 愛などなくとも生きていける!」

「私もそう思いますが。お兄様もどなたかに愛を感じたことはないのですか?」

「いや。俺の場合、体を重ねると愛しいものに思えるな」

「なるほど」

「やめろ。ブランの言うことなど参考にするな」

「ではレイドお兄様はどうしたらよいかご存じですか?」

「愛など、愛そうと思って愛するものではないだろう」


 つまり、なるようにしかならないということだ。

 二人とも婚約者がいるが、家同士で決めたもので、それほど親しくしている様子はない。

 物語には愛が溢れているが、現実では身近な話ではないのかもしれない。

 それこそ生きているうちに真実の愛に出会える人もそう多くないのだろう。

 わからないのは私だけではないのだと、少し安心した。


「そう肩ひじ張らず、自然に仲を深めていけばよい。私もそうだった」

「そうですね。気が楽になりましたわ」


 ゆったりと笑みを浮かべた父にそう返すと、長兄も次兄も満足げに頷いた。


「あ。それからもう一つ、ブランお兄様に調べていただきたいことがあるのですが」


 騎士団所属のため、我が家の中ではもっとも人脈がある次兄に向けてそう尋ねると、快い了承が返った。

 そうして必要事項を伝達し、最低限の荷物をまとめ、私は再び公爵家へと向かった。


   ・・・◆・・・◇・・・◆・・・


 玄関ホールに入ると、二階の階段から相も変わらず犬の姿のままの公爵様がのそのそと下りてきた。


「も、戻ってきたのか」


 犬だから表情がわかりにくいけれど、戻ってきて安心なような、不安なような、というなんとも複雑な顔をしていた。


「はい。許可をいただきありがとうございました。父と兄たちに直接状況を話すことができて、安心しました」

「母親とは会えなかったのか?」

「とうに亡くなっておりますので」


 そう答えると、公爵様は「そ、そうか」とまん丸の目をきょろきょろ彷徨わせた。

 悪いことを聞いてしまったと思っているのだろうけれど、母が亡くなったのは幼い頃のことだから気にすることではないのに。

 それに公爵様こそ、ご両親とも既に亡くなっているはずだし、兄弟もいないと聞いている。

 公爵様は階段を下り切ると、「食事を用意してある」と言って廊下を歩き出した。

 ついてこいということだろう。


 嫁ぎ先で姑や小姑に意地悪されて満足に食事を与えられないという話もたまに聞くから、ほっとした。

 我が家では備蓄すら領民たちに配ってしまい、夕食を我慢していた時期があったから慣れてはいるが、やっぱりご飯は三食食べたい。

 思ったより普通の生活を送れそうだと肩の力を緩めた私の前に並んだのは、我が家では見たこともない豪華な食事だった。

 さすが公爵家。

 公爵様の目の前に用意されたのも同じメニューではあるが、犬が食べてはいけないとされている食材は除外され、小さく切り分けられていた。

 確かに、ナイフが使えないのだからそうせざるを得ないだろう。

 小型犬の口にはちょうどよさそうだけれど、公爵様はそれを悲しい瞳で見つめ、諦めるように少しずつ、はぐっと食べていく。

 哀愁が漂う沈黙が耐え難い。


「どれもとてもおいしいです」

「そうか。それはよかった。好きな食べ物はあるか?」

「卵と鶏肉とパンとジャガイモ以外ですね」

「なに? 大体の食事に出るものばかり嫌いなのだな」

「いえ、嫌いなのではありません。よく食べていたので、それ以外が食べられると嬉しいというだけです」

「ああ……、なるほど……」


 そんな悲しげに納得しないでほしい。


「公爵様は何がお好きなのですか?」

「俺は…………別にないな」


 たっぷり間を置き、考えた末に気が付いたようにそう答えた。


「ジ、ジゼルはなにかやりたいことなどはあるか? 今度の休みの日に、どこにでも連れて行ってやるぞ」

「特にありませんね」

「いや、街に買い物に行くだとか、ピクニックだとか、遠乗りだとか。観劇はどうだ?」

「特に興味ありません」

「なんだと……?」


 そのまん丸な目で途方に暮れたような顔をされても困るのだが。


「では公爵様は?」

「え……? いや、俺も特には……」


 結局同じではないか。

 まさか夫婦そろって無趣味とは。

 互いの理解を深めようとあれこれ聞いてくれているのだろうけれど、これではさっぱりお互いの理解が深まらない。

 むしろもの悲しさがどんどん漂っていく。

 公爵様は他に何を聞こうかというように、そわそわと部屋の中を見回し、視線が忙しい。

 その視線につられて、気が付いた。


「私の家には執事と料理人しかおりませんでしたので、公爵家はもっとたくさん使用人がいるのだと思っていましたが。それほど差はないのですね」


 これまで姿を見かけたのは、執事と料理人、馭者、それから侍女らしき人が二人だけ。


「ああ。人は極力少なくしている。いつかこんな姿になるかもしれなかったからな。何より、人が多いとその分だけ面倒も増える」


 なるほど。

 多くの人間に口止めをするのは難しいだろう。

 それに男女問わずモテ散らかしていたというから、家で気を抜けないのは辛い。

 財産があっても、そんな理由で人を減らさねばならないとは、私などよりよほど悲しいのではないか。

 本当に公爵様はしなくてもいい苦労をずっとしてきたのだろう。

 けれど公爵様は、ふっと吐息で笑った。


「理由は違えど、屋敷に人が少ないというのは初めての共通点だな」

「そんな共通点は私たちくらいのものでしょうね」


 公爵様が少しだけ声を上げて笑った。

 ゆっくりとこうして仲を深めていくのもありかもしれない。

 それで呪いが解けるのがいつになるかはわからないけれど。




 食事を終えると、かなり夜は深まっていた。

 日が暮れてからシークラント公爵家に辿り着き、実家と往復までしたから私もくたくただ。


「で、寝室はどこです?」


 執事に尋ねた私に、公爵様が「ん?」と割り入った。


「ジゼルの部屋に続き部屋があっただろう」

「あれは私の寝室ですよね。夫婦の寝室はどこですか?」

「うん……?」


 公爵様は今日一番、目をぱちくりとさせた。

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