第7話 不条理 VS 不条理
魔女に啖呵をきっていたものの、再び犬に戻ってしまった公爵様は服の脱ぎ散らかったままの玄関ホールに佇み、途方に暮れたようにうなだれていた。
一瞬の希望を見せられただけに始末が悪い。
「大体事情はわかりました」
「何故そんなに落ち着いていられるんだ……」
公爵様は「もっとあるだろう、『呪いなんて怖い!』とか『犬になるなんて信じられない!』とか」とぶつぶつ言っていたが、騒いだところで事実は目にしたのだから納得するよりない。
「何がどうなっているのかと思いましたし、信じられない思いでしたが、姿を変わるところも目の当たりにしましたし、幸いにも当事者が揃っていましたので適宜質問させていただきましたし。一通りは理解できました」
「肝が据わりすぎじゃないか?」
「『面白い女だ』と言うのは食傷気味なのでやめてくださいね」
「何か嫌なことでもあったのか?」
「そこから今に至ります」
「ええ……? 全然わからん」
もふもふに埋もれそうな目が戸惑い、こちらを見ている。
私は改まってきちんと向き合った。
「では、今度は私がここに来ることになった経緯をお話しさせていただいてよろしいでしょうか」
「それはそうだな。俺も聞きたいことがたくさんある。お茶を飲みながらゆっくりと話してもらおう。ずっと立たせて悪かったな」
口調はぞんざいだが、きっと、自分を悪く見せるためにこれまでそうしてきたのだろう。
言葉の端々に気遣いがあるし、気品は隠せていない。
なるべく丁寧を心掛けているもののまったくそうはできていない私とは正反対だ。
こちらだ、と公爵様がチャカチャカ爪を鳴らす。
後について歩き出そうとしたが、少し待たないと踏んでしまう。
公爵様が進むのを待っているうち、やっと騒ぎに気付いたのか、渋いシルバーグレイの紳士が「申し訳ありません、お客様をお待たせしてしまいまして」と駆け付けた。
おそらく公爵家の執事なのだろう。
しかし、足元をチャカチャカ進む犬を見下ろすなり、その顔は驚愕に染まった。
「ああ、ロバート。紹介しよう、こちらはジゼ――」
「キャーーー! 犬が旦那様の喋り方で喋ってる! でもかわいい! でも旦那様!」
オールバックのナイスミドルでも本気で驚くと悲鳴が出るらしい。
そうか。私もこういう反応を求められていたのか。
ただ、執事は一声叫びを上げただけで、私と公爵様を交互に見るとすぐに居住まいを正した。
呪いの話は聞いていたのだろう。「ついにこの時が来てしまったのですね」と、なんとも言えない目で公爵様を見下ろした。
・・・◆・・・◇・・・◆・・・
ティールームに案内され温かなお茶を飲んでいると、ほどなくして城から手紙が届いた。
そこにはしっかりと私と公爵様が正式に結婚した旨が書かれていた。
順番が逆だ。どうせ当人たちの意思を無視して進めているのだから、私を送り込む前に手紙くらい送っておいてほしい。
しかしそれだけで執事は私が誰で、何故ここにいるのかを理解したようだ。
「私は執事を務めさせていただいております、ロバートと申します。ジゼル様にご不便のないよう、誠心誠意お仕えさせていただきますので、よろしくお願いいたします」
「ジゼルもロバートも、突然のことで驚かせてすまなかったな」
一番驚いていたのは公爵様だと思うが。
「しかし、公爵様が犬に変わったのは勝手に結婚させられていると知る前ですよね。魔女はそうでなくとも、人間は戸籍にしばられているから、手続きが完了した時点で呪いが発動したということなのでしょうか」
魔法とは、術式を陣にして描くことで生成されるらしい。
結婚を発動条件にするためには明確な定義が必要だったのだろうし、『真実の愛』も明確に定義があったはずだ。
だとしたら、あの魔女は何をもって『真実の愛』だとしたのだろう。
顎に手を当て考え込んでいると、犬、もとい公爵様がじっと私を見ていることに気が付いた。
「気になるのはそこなのか。本当におまえ、おもしr」
「それを続けると、協力できなくなりますよ」
「え」
「王太子殿下が私を『面白い女』と称したところから、ここに来るはめになったのでその評価には恨みがあります」
椅子にクッションを重ねてテーブルの上になんとか顔を出している公爵様は「なんで??」と戸惑った顔ながら、平たい皿に注がれたお茶をぺろぺろと舐めた。
最初は犬らしい行動をとることに抵抗があったようだが、カップなんてとても持てないし、ずっと「ハッ! ハッ!」と荒い息を繰り返しているからとても喉が渇いて耐え難いらしい。
そんな公爵様を前に、私はため息をこらえ、話し始めた。
「この世の不条理を描いたような話です」
学院の食堂で王太子殿下に反論したことから、体面を保つために『面白い』という評価のもと側妃になれと言われたこと。
断ったら国王陛下に公爵様の妻になれと命じられたこと。
あまりの腹立たしさで頭に罵詈雑言が渦巻く中、なんとか抑えてあらましを話した。
「王太子殿下は最近隣国マルタニアから帰国されたばかりで、俺もあまり人となりを知らなかったのだが。王太子をうつけに育て、この国を弱体化させるというマルタニアの策略かと疑ってしまうな」
「王宮内でごたごたがあって隣国にやられたと聞きましたが、そもそも何故国外で育てられたのでしょう」
異文化を学ぶというほどマルタニアとこの国に違いはない。
元々同盟国で長く友好関係が続いているし、流通も盛んだ。
「第一王子と第二王子が亡くなったことは知っているだろう? あれは派閥同士の争いが元だったと言われている。王宮がきな臭くなり、第一王子が亡くなった段階で陛下は第三王子に保険をかけたのだろうな。案の定、第一王女も第二王子も亡くなったが、すぐ連れ戻さなかったのは、そのままマルタニアで過ごすほうが安全だと考えたのだろう」
犠牲となったのは王族だけではなく、側近や女官など、周囲で何人も亡くなったそうだ。
「しかし、第三王子の命まで奪いはしないのでは? いくら公爵様がいるとはいえ、現国王陛下の直系の血が途絶えれば国は混乱に陥ります」
「いや。そもそも第三王子は早々に隣国へやられたのだから、王位継承権など放棄したも同然とみなされていて、実質第一王子と第二王子の争いだった。それなのに第二王子まで命を落とすとは、それこそ当初考えられなかったことだった。死が絡むと人は計算だけではなくなるのかもしれない」
「第一王子の死で取り乱した一派が弔い合戦をしかけた可能性があるということですね。もしくは、第三王子派か、クーデターか、他国の策略か……」
「そこから陛下は長年かけて王宮を落ち着かせた。実際のところは複数人の思惑が複雑に絡み合っていたようで、多くの王宮に出入りする人間が入れ替わり、それは宰相にまで及んだ」
「それでやっと平和になって、ようやく第三王子が帰国して立太子したかと思えばこれですか」
私が言うと、公爵様はうなだれた額を肉球でぷにっと支え、深いため息を吐き出した。
「しかし、なんとなく陛下のお考えはわかるような気がいたします」
落ち着いた声色で一人納得げに呟いたロバートに、思わず首を傾げたのは私だけではなかった。
「どういうことだ? あの叔父上がそんなに親バカだったろうかと私は首をひねっているところで、さっぱりなんだが」
「いえ、推測で物を言うことはできませんのに、軽々しく口を出してしまい申し訳ありません」
そう言葉を濁したものの、執事が落ち着きはらっているところを見ると、悪く捉えてはいなそうだ。
公爵家の執事のほうが私などより国王陛下のことを知っているのだろう。
怒りで阿呆な親子だと心の中で罵るばかりだった私には見えていないものがあるのかもしれないけれど、今はまだ冷静に分析することはできない。
「とにかく、こうして発動してしまった以上は呪いを解くしかない」
そう言って公爵様はぺろりと垂れる舌をしまい、キリッと私を見た。
「ジゼル。そなたにとっても意に沿わぬ結婚だったことはわかっている。だが、どうか妻として協力してくれないだろうか」