第4話 自称公爵
横柄な言葉遣いに対して甲高いかわいらしい声は、私の足元から聞こえていた。
「今、喋られました?」
そんなわけがあるかと思いながら訊ねると、「お、おお……。俺、喋れたのか」と驚いたような呟きが返る。
それと一緒に白いふわふわの毛玉みたいな犬の口が動いていた。
遠隔操作の腹話術でもない限り、この犬が喋ったとみていいだろう。
しかし、そんなことがあるだろうか。
本人……本犬もびっくりしているし。
「ご自分のことなのにご存じなかったのですか?」
「いや、だって、おまえは独り言も言わんし、何を考えているのか表情からもさっぱり読み取れないし、声をかける発想もなかったから」
まるで今初めて人と会ったような口ぶりでさりげなく人のせいにしないでほしい。
「ひとさまの家にきていきなり一人で喋り出すなんて、気味悪くありません?」
「いやそんなこと言ったら喋る犬のほうが怖いだろ?! 何でそんなに平然としていられる? おまえ、なんなんだよ……」
私は小首を傾げると、改めて犬を見下ろした。
「人に何かを尋ねる時は、自ら情報を差し出すのが定石です、という論理は犬にも通じます?」
「おま……、いちいち腹立つな……! 俺は犬じゃない」
どう見ても犬だが。
「ではどちらさまですか?」
「おまえが誰かわからん限りそんなこと言えるか! こわいんだよ、おまえ!」
「あら、怯えさせてしまっていたのですね。それは失礼いたしました。私はジゼル=アーリヤードと申します。しがない貧乏伯爵家の娘でしたが、つい先程クアンツ=シークラント公爵様の妻となりました」
そう答えると、犬はぱかりと下あごを垂らした。
「妻……? なんでいきなり? はっ……俺がこんな姿になったのはおまえのせいか!」
だからしがない(略)の私にそんなことができるわけもない。
「なんでも人のせいにするのはよろしくないかと。私とて望んで妻となったわけではありません。国王陛下がいつの間にか手続きを済ませていらっしゃったのです」
「叔父上が……? クソッ、嵌められた! 俺が準備を整えられないうちにと手を打ったか……」
犬は苛々と考えるようにその場をぐるぐると周り始めた。
人間でいえば、顎に手を当てカツカツと歩き回っているのと同じだろうか。
しかしふと怪訝そうに足を止める。
「で、何故おまえはぐいぐい迷いなく奥に行こうとしていた?」
「公爵様の妻となりましたので」
「説明が簡略過ぎてわからん! そもそも、他人の家に来たらずかずか進まないでまず人を呼ぶとかなんとかするだろうが!」
他人ではないと言い返すと話が堂々巡りするのでやめた。
しかし、そうか。我が家に使用人がいなかったから人を呼ぶという考えがなかった。
他の家との付き合いもない名ばかり貴族だから、こういうときの勝手がわからない。
「使用人の方は探すのではなく、呼ぶものなのですね。公爵様の寝室はどちらかお聞きしたかったのですけれど、ご存じで?」
「いや、なんで寝室なんだよ」
「どうやら公爵様はお盛んなご様子でしたので、妻として状況を把握し、今後の身の振り方を考えなければと思いまして」
そう答えると、犬は呆然と私を見たまま口をぱくぱくとさせた。
犬は犬なりに赤くなるやら青くなるやらしているのかもしれない。
「なんで……、なんで叔父上はこんなおかしな思考したやつを寄越したんだよ……」
呆然とした呟きに、認めたくなかった推察を認めざるを得ないなと諦める。
「先程から陛下を叔父上と呼んでいらっしゃるところから察するに、あなたはクアンツ=シークラント公爵様とお見受けしますが、これは私の勘違いでしょうか」
「察しがよくて助かるけどなんでおまえ平然と聞いてくるんだ?」
「それはそれは、今後ともよろしくお願いいたします。しかし、私は犬と結婚してどうしたらよろしいのでしょうか」
「あのなあ! おまえが俺と結婚したから、俺がこんなことになったんだだろうが!」
ということは、ずっと犬だったわけではないということか。
よかったのか悪かったのか今の時点ではわからないけれど、とにかく詳しい話を聞かないことには先に進めない。
「ですから、一人で堂々巡りして人のせいにする前に経緯を話してくださいませんか?」
ぐっと口を閉じた犬――もとい、公爵様がようやっと語り出したことは、なかなかに衝撃的な話だった。