第3話 犬がいた
玄関ホールに入ると犬がいた。
それも、ぶりっぶりにかわいい子犬。いや、小型犬で成犬なのか?
真っ白でふわっふわな毛並みでまん丸な毛玉に手足が生えたようなそれは、広い玄関ホールの真ん中で小さな円を描くようにぐるぐると一心不乱に駆け回っていたのだけれど、ドアが開いた音に驚いたのか短くて丸い尻尾をびぃんと震わせた。
おそるおそるというようにゆっくりと振り返った毛玉は、ふわふわな毛並みに埋もれそうなまん丸の瞳で私を確認すると、びくりと全身を震わせ、ぴょいーんと大きく跳ねた。
それから私を凝視したままビシッと固まり動かない。
その近くには、ふぁさりと脱ぎ捨てられた衣服。
なるほど。
これは、あれか。
この屋敷の主人が帰ってきてそのまま誰かと情熱的に何かが始まってしまい、飼い犬が主人の寝室から追い出されて悲しさのあまり動転して駆け回っていたとか、そんなあたりだろうか。
でなければこんなところで下着まで脱ぎ散らかし、さらにはそれを公爵家の使用人が片付けずにおくなんてことは起きないだろう。
もしかしたら公爵様はおモテになるのかもしれない。
モラハラだろうがなんだろうが結婚を伴わず人生が縛られないのならばイケメンはただのご褒美だという人もいるし、俺様な男性をカッコいいという女性も多い。
それに二十三歳にもなるのだし、婚約者がいないからといってずっと一人ということもないだろう。
だがしかし、私はつい先程そんな公爵様の妻となったのだ。
推測の通りだとすれば今後は改めてほしいが、噂を聞く限りでは私の言い分など通らなそうだ。
だとしたら、私も今後そういった旦那様とそれを取り巻く女性たちとうまくやっていくしかない。
それならまずは実情を知る必要がある。
寝室に突入するか。
そうとなれば善は急げだ。
おそらく寝室は二階なのだろうが、端から順に開けていくのは非効率。
誰かに場所を尋ねたいものの、出迎えは誰一人いないし、辺りに人の気配もない。
急に送られた馬車で強引に下ろされたのだからいたしかたあるまい。
だがまあ調理場へ行けば誰かはいるだろう。
そう考え、私は固まる犬を通り過ぎ、すたすたと奥へと進んだ。
すると、はっとしたように犬が爪の音をチャカチャカと立てて追いかけてきて、私の周りをぐるぐると回り始めた。
危ない。
足元にまとわりつかれると、うっかり踏んでしまいそうで進めない。
仕方なく足を止めると、犬もぴたりと止まる。
まるで私の動きを止めはしたものの、その先は考えてもいなかったというように、途方に暮れた顔をしている。
それならばとまた歩き出すと、慌ててまた私の周りを駆け回る。
なんだこの犬。
かわいすぎて撫でくりまわしたいが、相手にも意志があるのだから勝手に触れるわけにはいかない。
さらには他人の飼い犬だ。
おっと、公爵様の飼い犬ならば、私も飼い主の一人になるのか?
かといって、言葉が通じない相手に「どいて」と言ってもなあ。
しばし考えた後、私はいきなりだっと駆け出した。
意表を突かれたようで犬は出遅れたものの、さすがに速い。あっという間に回り込まれてしまった。
しかし私が足を止めると犬も止まる。
何がしたいんだ、この犬……。
埒が明かない。
面倒になって三度私が強引に歩き出したその時、「いや、勝手にずんずん進むなよ!」という声がした。
振り返るが誰もいない。
そこにいるのは、今も足元の犬ただ一匹だった。