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腹いせでモラハラ公爵に嫁がされたはずが、扉を開けたらツンデレな子犬がいました  作者: 佐崎咲
第三章

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第3話 尊厳

 あれからも公爵様は相変わらず距離をとってベッドに伏せるのだが、私がひょいっと掴み上げて胸元にのせ、抱きしめて眠るようになった。

 最初は「だから、やっぱりそれはダメだと――」と何やら抵抗していたけれど、「『いつでも抱っこ権』をいただいたはずですが?」と返すとぽすんと大人しく私の首元に顔を伏せた。

 そうして抱きしめて眠ると癒されるせいか、私はぐっすりと眠り込んでいて、大抵は公爵様のほうが先に目覚めている。

 既に部屋にいないこともあったけれど、目を開けたらキュッとクラヴァットを締める公爵様がそこにいて「今日は早いな」とか眩しい笑顔で脳が強制的に覚醒させられることもあり、わりと寝覚めはいい。


 あれから学院でも絡まれなくなったし、平穏が訪れた……と思っていた私は甘かったのだと思う。

 懲りていない人が一人だけいたのだ。


 ある日の夜、いつもと変わらず小さく切られた肉をはふはふと食事する公爵様と向かい合っていると、ロバートが困った顔で「旦那様、奥様。お食事中失礼いたします」と声をかけてきた。


「どうした?」

「あの……、先程お客様がお見えになりまして……」

「先触れもなく、か?」


 公爵家に来客など滅多にないから、予定があれば忘れるわけもない。


「はい。マリア=アルターナ侯爵令嬢と名乗っておいでです」

「…………マリア様が?」


 確かに、夜分にいきなり先触れもなく訪ねて来る常識知らずなど、マリア様くらいしか思い当たる人はいない。

 人違いということはないだろう。


「二人で話がしたいから、旦那様を呼べと騒いでおりまして」


 無理が過ぎる。

 何故そんな行動をとるのか心底わからないが、公爵様は過去にもそういうことがあったらしい。

 うんざりとした様子で深いため息を吐くと、「お引き取り願え」と両手でなんとか挟み持ったナプキンで口元を拭った。


「それが、公爵様は不在だと何度もお断り申し上げたのですが、それなら帰ってくるまで待つと仰って聞き入れていただけず、強引に突破されそうでしたので仕方なく応接室へとご案内いたしております」


 すごいの一言だ。


「それなら、私が行くわ」

「奥様には会いたくないと……」

「論破されるからでしょうね」

「いえ、あの、はい……。『私、ジゼル様にいじめられているのです! ですから絶対会いたくありません!』と仰っていて」


 正論を返すことがいじめなのだとしたら、この国で司法は介入できない。


「大変な方の相手を任せてしまって悪かったわね、ロバート。あとは私が引き受けるから下がっていていいわ。公爵様も、このままここにいたらしびれを切らしたマリア様が探しに来るかもしれませんので、お隠れになったほうがよいかと」

「いや、犬の姿なら問題ないだろう。ジゼル一人に相手をさせるわけにはいかない。私のせいなのだからな」

「公爵様。マリア様のせいです。ご自分のせいになさらないでください。それに、私たちは夫婦なのですから、お互いに支え合うものです」


 私がぴしりと正すと、「すまない。ありがとう」と耳をぺたりと下げながらも微笑んだ。


「では公爵様は奥の厨房にでも隠れていらしてください」

「いや、しかし――」


 そんな問答をしている暇はなかった。


「公爵様! ここですか?!」


 いきなりドバーンと扉が開き、満面の笑みのマリア様が現れた。

 もはや狂気。

 考えてみれば、勝手に厨房へ行こうとしていた前例がここにいるのだから、二例目があってもおかしくはないのだ。

 彼女と同じだと思うと屈辱ではあるが、それだけ当初の私は常識知らずだったのだと今になって恥を知った。


「あらやだ。ジゼル様ではありませんか。今日は会いたくなかったのにぃ、面倒くさい」

「それは私のセリフですし、ここは私の屋敷ですよ。異物はあなたです。招いた覚えもありませんので、会うはずはないのですが?」

「異物はジゼル様、あなたですわ! 公爵様は騙せても、この私は騙せません。あなたは王太子殿下に貶められたと陛下に泣きつき、強引に公爵様の妻に収まったのでしょう。殿下も陛下もお優しく、心を傷つけたのならばと苦渋の決断をなさったのでしょうけれど、そんなやり方で国の宝である麗しいお顔を奪うだなんて、許せませんわ! って、やっと言えた!」


 ちょっと待て。

 誰がそんな話を捏造したのか。

 事実の歪曲にもほどがある。

 ノンフィクション部分が一割もない。ほぼほぼフィクションで出来上がったお伽噺もいいところだ。

 加えて顔が国の宝だとか、マリア様は公爵様をなんだと思っているのか。

 確かに見目麗しく色気もだだ洩れで夜はまた格別のかわいさで、だけどそれらはすべて内からにじみ出るものだ。

 公爵様が優しく人を気遣う人だからこそ、魅力なのだ。

 怖い顔でモラハラを公言していた時は誰も嫁ぎたがらなかったのはそういうことではないのか。

 それなのに、何故顔、顔とばかり……

 腹が立った私は一周回って冷静になり、静かに口を開いた。


「マリア様。お黙りになって」


 いや全然冷静じゃなかった。


「下劣なあなたなんかの命令は聞きませんわ! 公衆の面前で殿下を貶め、公爵様に自分を庇わせ、守られ、なんて不遜なの!」

「王太子殿下を騙し、利用して公衆の面前で阿呆を曝け出させたマリア様が仰ることではありませんわね」

「だだだだだ騙してなんかいませんわ! お姉様が調子に乗っているからそれではよくないと、己を見直していただこうとしただけですもの。引いてはアルターナ侯爵家のためであり、殿下を支える臣下の育成に貢献したのですわ」


 マリア様のくせによく口が回るが、たぶん自分が言われたことをそのままノアンナ様に向けているのだろう。

 お門違いも甚だしい。


「なるほど。マリア様は事実の歪曲が特技なのですね。ではまともな会話など成り立ちませんわ。お帰りください」

「違いますわ! 私は聡明なジョシュア様のご助言に従って、懸命に世を正そうとしているだけですもの。今日だってあなたとお話しするのが目的ではありませんの。クアンツ様に会いに来たのですもの。私がジゼル様の魔の手から救って差し上げると誠意をもってお話しすれば、きっとわかってくださいますわ」

「ジョシュア様の助言……? これまでのお話はすべてジョシュア様から言われたことなのですか?」


 どういうことかと眉を寄せた時、公爵様を探すようにきょろきょろと見回していたマリア様が、「あら」と床のほうに視線を定めた。

 ――見つかった。

 気配を殺していた公爵様の背中がぴくりと小さく揺れる。

 そのまま置物のように静止していたが、マリア様は私のことなど存在丸ごと忘れたようにだっと駆け出した。


「キャー! なんてかわいいワンちゃんなの!?」


 公爵様は「わきゃん!」と焦りながら逃げようとしたが、爪がカチャカチャと床で空滑りして前に進まない。

 その間に突進したマリア様がむんずと公爵様を掴み上げ、胸元に抱いてしまった。


「もふもふ~! あぁん、超気持ちいい! おめめまん丸ー! キャー、肉球もぷにぷに~」


 犬の公爵様の魅力が溢れんばかりなのはわかる。ふわふわで気持ちいいのは知っている。ぷにぷにが最高なのも知っている。

 しかし今までこんなに怒りを感じたことはない。

 私はつかつかと歩き、マリア様から一歩離れたところで立ち止まった。


「私の家族に許可なく触れないで」

「なによ。かわいがってるだけなのに、なんであなたの許可が必要なのよ」


 ふわふわで気持ちがよければ勝手に触っていいのか?

 相手の都合や気持ちは無視か。

 公爵様はマリア様の腕から逃れようとじたばたしているが、暴れるほどきつく抱き込まれてしまい、困り果て眉を下げている。

 万が一爪や牙が当たって怪我をさせてしまってはならないと、自由に動けないのだろう。

 こんな時まで他者を思いやるなんて、本当に優しい人だ。

 そんなことを知ろうともせず、マリア様は自分の欲だけを押し付ける。

 腹が立って、喉から出た声は自分でも聞いたことがないくらい低いものだった。


「離して」

「嫌よ。ワンちゃんだって、こんな怖い人より私にもらわれたほうが幸せに決まっているわ。あなたみたいな人が飼い主じゃ、ワンちゃんものびのび過ごせないもの」


 マリア様はむっと口を噤み、ぎゅっと公爵様を抱き込んだ。

 怒りでいつものように言葉が出てこない。


 ふざけるなと言いたかった。

 犬だけでなくここが公爵家であり、他人の家であることもまるで無視。それでは誘拐だ。

 言いたいことは喉元に溢れているのに、固まってしまって出てこない。こんなことは初めてだ。

 公爵様は苦しそうにマリア様の腕の中でもがいていた。

 怒りで頭がくらくらする。

 次の瞬間、私は自然と命じていた。


「『おいでなさい!』」


 その声を受けた瞬間、公爵様はピンと耳を立て、弾かれるようにマリア様の腕から抜け出した。

 そうして飛び上がった公爵様は、ぽすんと私の胸に収まる。

 鳴き声もあげず、怖かったとばかりにぶるぶる震えながら私の首元に顔を埋める。


「犬だろうが人だろうが、誰にでも意思がある。それを無視して自分の都合を押し付けるような人に、私の家族は渡さない。二度とこの家の門をくぐることは許さないわ。出て行きなさい」


 公爵様を守るように両腕で抱き締め、驚いたような顔のマリア様を睨む。

 すると見る見る間に頬を膨らませ、信じられないことに「ぷんだ!」とそっぽを向いた。


 ぷんだ……?

 四捨五入して二十歳にもなろうという人が、ぷんだ……?


 絶句した私に向かい、マリア様は睨み返すと、何か攻撃材料はないかと探すように室内を見渡した。

 そうして食卓にならんだ二人分の食器に気が付いた。


「あら? クアンツ様はいらっしゃらないのに、二人分の食事……。うん? こんなに細かく、なんで?」


 言いながら、私の胸元でびくりと怯える公爵様を振り返る。


「もしかして! やっだあ、ジゼル様ったら、ワンちゃんなんかとお食事してらしたのぉ? 外では命令してあんな風に守ってもらっているけど、本当は公爵様に冷たくされてて、相手にされてないんでしょう!? それで悲しくて、寂しくて、ワンちゃんを旦那様代わりに溺愛しちゃってるのねえ~」


 先程はワンちゃんワンちゃんと猫なで声だったのに、「ワンちゃんなんか」とは。

 呆れて声も出せない。

 マリア様はにやにやと笑いながら「うふっ」と肩をすくめた。


「ジゼル様も寂しい人ですね!」

「犬だろうが、人間だろうが、家族は家族よ。私にとって大切であることに変わりはないわ」


 もふもふとかわいい犬の姿でも、キラキラと眩しい人間の姿でも。

 公爵様は公爵様だ。


 泰然と対峙する私に向かい、マリア様は抑えきれないというようににまにま笑いながら、ぽんぽん、と私の腕をたたいた。


「そうよねー、そうよねー、寂しい人ってみんなそう言うのよ! いいわ、かわいそうだからワンちゃんは譲ってあげますわ。では今日も寂しく慰め合ってくださいませね~! ごきげんよう!」


 そうしてルンルンとした足取りで去って行くマリア様を見送った後、ロバートはツカツカと早足で厨房から塩を取ってくると、盛大にまき散らした。

 無言の所業に溢れる怒りを感じて、一緒に怒ってくれる人がいることに安堵し、自然と笑った。


 公爵様はマリア様が去った後もしばらく私の首元から離れようとしなかった。

 相当怖い思いをしたのだろう。


「怖い……話が通じなすぎて怖い……」


 白いもふもふの毛に隠れて顔色はわからないけれど、愕然とした声音に私は「同感です」と返し、優しくその背を撫でるばかりだった。

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